日本人男性向けの「 売春ツアー」が社会問題化
この事件の2年後、隣国フィリピンの首都マニラでは買春ツアーが行われていたことがメディアで発覚し、社会問題化する。それは1979年5月26日、読売新聞朝刊に掲載されたこんな見出しの記事から始まった。
「日本人観光客とホステス 100組個室に消える」
記事は「消えた」経緯を次のように伝えている。
〈集団お見合いパーティーをしたのは某電気メーカー(本社・東京)の招待客189人。(中略)食後に隣室とのスクリーンが開けられた。そこには待機していたホステス200人が現れたという。いずれも胸に大きく番号札をつけ、男性の指名によりそれぞれのパートナーになる仕組み。招待客は全員が全国の有力販売店主。英語が不得意なことなどから当初積極的でなかった男性も多かったが、約100人の男性がパートナーを各自の部屋に連れて行ったという〉
今では考えられないかもしれないが、マニラでは当時、こうした買春ツアーが盛んに行われていた。事情に詳しい関係者はこう振り返る。
「昔は日本人観光客に売春婦を紹介する日本人のツアーガイドもたくさんいました。いわゆる“ポン引き”で、濡れ手で粟ぐらい儲かった人もいました。街には日本人専用の置き屋も並んでいて、その前にはツアーの大型バスが何台も停まっていましたね」
この報道が発端となってマニラ市民の間では急速に批判の声が高まり、フィリピンの人権団体が日本大使館に直接抗議する騒ぎになった。
「日本政府はどうして買春を取り締まれないのか。日本でも禁止のはずだ」
「金の力で女性を買いにやってくる。これは国辱ものだ」
団体側はそんな怒りをぶつけ、対策実施を強く求めた。事態の深刻化を受け、1981年1月にフィリピンを訪問した鈴木善幸首相は、同様の旅行を規制するために行政指導を強化する方針を決めた。
この結果、マニラの観光業者は買春ツアーの売り込みを控えて日本人観光客は激減し、大規模団体客のツアーは鳴りをひそめた。ところがこれに代わって今度は、小・中規模のツアー客、個人客がマニラに押し寄せるようになった。
以来、現在に至るまで、批判や抗議の高まりによる治安当局の取り締まりは断続的に行われたが、ほとぼりが冷めればまた元の木阿弥で、外国人による買春は黙認されてきたのが実情である。そこには綺麗事だけでは片付けられない、貧困問題や法規制の緩さ、治安当局の汚職問題など現地特有の事情も複雑に絡み合っていた。そしてこれはフィリピンだけでなく、他の東南アジアの国々にも浸透していたのである。
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