涙が止まらなくなったぐだ男くんのはなし
タイトル通りの話
※終章ネタバレあり※
※マスター=藤丸立香
※CP要素の薄い「ぐだ→ロマニ」の親愛レベルの気持ち有
※ご都合主義
※何があっても受身の取れる方向け
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涙が止まらなくなったぐだ男くんの話
かつて自分が暮らした部屋は、天井に空が描かれていた。澄み渡る青にふわふわとやわらかそうな雲が浮かんだ空。子供部屋らしく飾られたその部屋は、いまはもう遠い過去である。
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いつも通りの時間に目を覚ますと、目に飛び込んでくるのはまたいつもと変わらぬ眩いばかりの白。無機質な、ともすれば病室をも思わせるような白い部屋が今の彼の自室だ。
まだ寝起きの体を起こして伸びをする。この部屋に窓はない。外には見ているだけで体の芯から冷えるような吹雪しかない。だから窓があったところでなんの意味も成さないのだ。
目覚めはいいほうだが、今日はすこしだけ頭がぼーっとする。腕に巻かれた端末が今の時刻を教えてくれた。顔でも洗えばシャキッとするだろうか。さほど深刻にも捕えなかった些細な変調だったはずだった。
鏡の中の少年は、ひとり静かに泣いていた。
困ったことに涙は拭えども拭えども止まらなかった。別に悲しいわけでも、どこか痛い訳でもない。ただ涙がはらはらと流れ続けるだけだ。
「こんな顔、みんなに見せられないなあ」
涙を流しながら少年は困ったように笑った。皆がよく褒めてくれた東洋人には珍しい青の瞳は、どろどろに溶けて雫を零すばかりだ。
カルデアには、マスターである彼の召喚に応じた英霊が数多く存在した。仮にもマスターである身で、しかも自分は男なのだしこんな情けない姿を見られたくはなかった。
幸いにして今日は1日暇を貰っている。涙が止まるまで、彼は篭城を決め込むことにした。
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“人類最後のマスター”
それが彼についた名だった。
突如人理は焼却されてしまった。逃げることも立ち止まることも許されない、全人類史をかけた戦い。
魔術の何たるかも知らぬ、ただマスター適性があっただけの一般人。残されたのは彼だけ。失われた世界を取り戻せるのは彼だけ。
あの日、すべてが変わってしまった。
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予定のない休みの日であろうといつも大体同じ時間に食堂に来るマスターが、今日は部屋からも出ていないらしい。
赤い弓兵はマスターに朝食を届けるべきか悩んでいた。彼とて人の子であるし、惰眠を貪りたい時だってあるだろう。しかしもう昼食も近い時間である。体調でも優れないのだろうか、心配になってくる。
「何を険しい顔してウロウロしてんだ?」
「……ランサー」
「なんでそう声を掛けただけで嫌そうな顔すんのかねえ、可愛くねえなぁ」
エミヤがランサー、と呼ぶのは槍を持ったクーフーリンのことである。彼は同一人物でも異なる姿を持つからそう呼び分けていた。
「こんな大男に可愛げを求める方が間違っているのではないのかね?」
このふたりはとにかく馬が合わない。すぐに口喧嘩を始める。その割にふとした時にとても息ピッタリなのだ。
「ぁん?」
「そこまでですよ、御二方」
凛とした声がまっすぐに響く。
「こんなところで喧嘩をされては折角の食事が不味くなるというものです」
「……セイバーか」
セイバーこと、アルトリア・ペンドラゴンである。立ち姿は凛として王としての風格を全身から醸し出している。しかしそれも食事のことになるとまるで幼い少女のように無邪気でかつ執念深くもなったりする。
どこかで縁があったのか、時々三人一緒にいるのを目撃されていた。
「アーチャーは朝から姿を見せていないマスターのことが気になっていたのでしょう? と、いいますか、ここにいるサーヴァントたちは皆マスターのことを気にかけていますね。無論わたしも気になります」
「……あぁ、珍しくここに来なかったからな」
「なァんだそういう事な。気になるなら部屋にでも行ってみたらいいんじゃねぇの?」
「いや、マスターとて一人きりになりたい時もあるのかもしれない思ってしまってな……」
「ふぅん、難儀なもんだな」
「そういう君は薄情なものだな」
「俺はマスターが好きなようにしたらいいんじゃねえのって思ってるだけさね。俺達がどうこう口出しすることもねぇだろ」
たしかに些か過保護が過ぎるか。彼も健全な青少年なのだし。心の中で自分を納得させて、とりあえず静かに様子を見守ることにした。
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マスターがいなければレイシフトにも行けない。暇を持て余したキャスター・クーフーリンは自室に籠っていた。
「キャスター、はいってもいい?」
それはたしかにマスターの声だった。寝ぼけているのだろうか、いつもより声が少しばかり幼い。
「おう、いいぜ」
「……これ、なんとかならないかなぁ」
彼は困ったように笑った。
そんな笑う彼の顔を見てすこし驚いた。美しい蒼の目からぽろぽろと涙を流しているのだから。冬木の頃からの付き合いだが、彼の涙は今まで1度も見たことがなかったのだ。あんな地獄を駆け抜けてきたというのに不思議なものだが、一度たりとも彼は仲間の前で涙を見せなかった。それこそ、さいごまで。
「まあ、なんだ、とりあえず上がれ」
「おじゃまします」
「狭いが適当に座ってくれ」
割り当てられた部屋は自分と同じ間取りのはずなのに、所狭しと何に使うのかよくわからない物が並べられていて異空間に来たみたいだった。いつか映画で見た魔法の世界みたいだ。
「珍しいのは分かるがあんまり無闇に触んなよ」
子供のようにソワソワしてしまったのがバレてすこし恥ずかしくなった。こちらに背を向けているのにどうしてわかるんだろう。
「ほら、とりあえず茶でも飲めや」
「……ありがとう」
「で、その顔はどうしたんだ? だれかに虐められでもしたか?」
「ちがうんだ、朝起きたら泣いてて、それでずっと止まらなくて」
向かい合って座ると少年はすこし気恥ずかしそうに目をそらした。
「キャスターならルーンで何とかしてくれるかも、って思って」
「残念ながらルーンは万能じゃねえんだ」
「そっか……そうだよね……」
「こうなった原因に心当たりは?」
「……わからない」
わからないからこうして頼ってきたのだろう。困ったように首を横に振った。
「とりあえず呪いの類じゃあなさそうだがな」
「涙が止まらなくなる呪い、って地味な嫌がらせだなぁ」
ひとりごちてふふ、と笑った少年は当事者のくせに能天気なものだ。
「そんなんじゃどこにも行けねえな」
「そうなんだよ……こんな顔、みんなに見せたら心配かけちゃう」
マスターがかわいい後輩や女史よりも誰よりも先に自分に相談に来たことにすこしの優越感を抱いた。マスターは誰に対してだって平等に優しい。時々特別扱いされたいと思うことも無くはないが、それが彼の優しさだと知っていた。
「辛くはねぇのか」
「つらい……? うん、まあすこし苦しくて困るけどおれは大丈夫だよ」
そういえば、このこどもはつらい、もうやめたい、そんな後ろ向きなことは一切言わなかった。
「その涙は止めちゃやれないが眠りのルーンを施してやる。すこし休め、マスター」
せめて、夢の中だけでも嫌なことを忘れて幸せであってくれ。そう願わずには居られないくらいには彼のことが大切だった。
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心配かけるから、あんまり知られたくなかったのにな。
「先輩!? どうされたんですか!?」
「……雑種、その酷い顔はなんだ」
「何故、泣いている」
カルデアは閉鎖空間だ。人と会わずに過ごすのはなかなかに難しく、あっという間にこの姿を皆に知られてしまうことになった。
「どうしてわたしに言ってくれなかったんだい。キミの健康管理は私たちの大切な仕事なのに」
ダヴィンチちゃんは少し拗ねていた。こんな情けない姿、見られたら笑われるかと思ったけれど予想に反して心配そうな顔をされた。
「ごめんね、ダヴィンチちゃん。心配かけたくなかったんだ」
笑ってみせると綺麗な顔がすこし苦しげに歪んだ。止められない涙を流しながら俺が笑うと、みんなに辛そうな顔をさせてしまう。勝手に流れてるだけで俺はつらくないんだよ。いつも通りなんだよ、と伝えたいだけなのに。
「水分はきちんと摂ったかい?」
「うん」
「他に悪いところは?」
「ないよ、大丈夫だって」
こんなにあからさまに心配されてしまうなんて、すこしむずむずする。
「原因に心当たりは?」
「キャスターにも聞かれたけど、俺にはわからないんだ……」
そうか、と呟いて彼女は少し考え込む素振りを見せた。
「そんな様子じゃしばらくはレイシフトもできない。いい機会だからしばらくゆっくり休むといい。涙を止める方法は、ちゃんと探しておくよ」
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不意に、空が見たくなった。青い空に白い雲。前は天気の良い日なら当たり前に見られていたのに、ここではそれは特別なものになっていた。
「マスターの目の色は空と海の色ね。とっても綺麗だわ」
フランスの王妃様はいつかそんなふうに褒めてくれた。
人工的に作られた庭園は、空もあって風も吹いている。最近の技術ってほんとうにすごいなあ、なんて見当違いな感想を抱いた。
自分がこんな状態ではレイシフトもできず、しばらく休むように言われたのだが如何せん暇な時間の過ごし方がわからない。本を読もうにも、目の前は涙で滲んで文字がよく見えない。ここに来てからはあれやこれやとすることが湧いて出てきて毎日があっという間に過ぎていった。だから、ぽんと急になにもない時間を与えられても途方に暮れるばかりであった。
庭園の端の草むらに寝転がってぼんやりと空を眺める。それも長くは続けられず、ゆらゆら揺れる視界に船酔いしたみたいに気分が悪くなってしまって目を閉じた。
ーーーどれくらいそうしていたのだろうか。
身じろぐとなにかが体にかけられているのを感じた。
「やっとお目覚めですか」
青い空と、緑色の男前。
「……ロビン」
「珍しくこんなところで寝てるんで、また夢の中でどこぞの世界に連れていかれちまったんじゃないかって心配しましたよ」
「その節はご心配おかけしました」
少年がおどけて笑うと青年はすこし複雑そうな顔をした。
「本当に、困ったマスターだ」
ぽろぽろと涙を流しながら笑う姿がどんなにちぐはぐでいびつか、彼はわかっているのだろうか。
……これは呪いだ。きっと彼自身がそれに気づくまで解けぬ呪い。
「これ、ロビンのマントだよね……もしかして、ずっとここに居てくれたの?」
「そりゃああんなに無防備な姿晒されてちゃたまらないでしょ。」
「ここは安全なのに?」
「さて、どうですかねぇ」
人理修復がなされてから外部からの人間が調査のために出入りするようになった。魔術師とは出自や成果を重んじる人種だ。人類史を救ったのがこんな魔術のまの字も知らぬ少年だなんてよく思わない人間も少なくないだろう。
もちろんここにいるサーヴァントたちが彼に危害を加えられることを許すはずがない。でも、彼はやさしいから。他者の悪意にはすこし鈍感で、人を信じようとするところが彼の美点でもあり弱点でもあった。信じて、裏切られて、それでも彼は信じることをやめなかった。
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戦うことを余儀なくされた少年の心は清く強く、そして美しかった。泣き言など一度も吐かず、いつも笑っていた。彼と共に過ごした人々は彼のそんな一面に救われた。彼の笑顔は周囲の大人を安心させた。彼が背負うものの重さから、目を逸らしたかったのかもしれない。自分たちには、サポートをすることしか出来ない。当事者にはなれない。どうしようもない現実だった。
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「先輩、ご気分はいかがですか」
三日三晩、少年の涙は止まらなかった。流石に憔悴しきった様子で、周囲の者はみな焦り始めていた。ぐったりとしてベットから動けず、目の下にクマをこさえて唇や肌はボロボロに荒れていた。
「ん……大丈夫だよ。ありがとう、マシュ」
そんな時でも彼は弱々しくにこり、と笑った。
あまりにもその姿が痛々しくて、彼と越えてきたどんな試練よりも少女の心を痛めた。
「こんなときまで笑わなくていいんですよ、先輩……」
「どうしてマシュが泣くんだ」
「……せんぱいが……泣かないからです……」
彼はほんとうの涙を見せてはくれない。
多くの人と出会った。
多くの人と別れを告げた。
多くの死を見た。
多くの地獄を見た。
多くの裏切りを知った。
多くの絶望を知った。
彼は、色々なものを見た。
こころはとっくに限界で、でも、彼は止まることが出来なかった。許されなかった。弱いほんとうのこころは深く奥底に隠して、強くあろうとした。実際に彼はとても強かった。強いからこそ、溜め込んだものも多かったのだろう。それが溢れた時、彼はほんとうに壊れてしまうのではないかと思う程に。
「あれは、きっと彼がこの一年間で流せなかった涙なんだよ」
外からの影響でもない、肉体に異常はない。くまなくメディカルチェックをしたが原因はわからなかった。そうなると彼のこころが原因になる。
そう考えると、彼がどれだけのものを押し込めて生きてきたのか。女史は自分がどれだけ無力だったか思い知った。
「ごめんね、リツカくん」
そんな言葉を彼が聞いたらまたきっと笑うのだろう。大丈夫ですよ、と。
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「……おれ、この世界を救えてよかったって、心の底からおもってます」
ダヴィンチが半ば気絶するように途切れ途切れに眠っていた少年の様子を眺めていると、少年はゆるりと目を覚まして、そしてぽつりぽつりと話し始めた。
ぼんやりと、遠くを見て、何か遠い日の記憶を見ているみたいだった。
「でも、その途中で、なくしたものがたくさんあります」
「……そうだね」
未熟な少年の手からはたくさんのいのちがこぼれ落ちていったように思えたのだろう。すべてを救うなんて到底できない話だけれど、それでも救いたかった。皆が幸せになれたらどんなにいいだろう。
「俺の救った世界に、たいせつなひとがひとり、もう、いない、どこにも」
「やくそくしたのに」
「おすすめのケーキもたべてない」
「いっしょに外の世界がみたかった」
「……どうして…おれたちをおいていっちゃったの……どくたぁ……!」
ぽろぽろとこぼれた彼のほんとうの心はあまりに脆くて指先が触れただけで崩れてしまいそうだった。
覚悟もさせてくれなかった。突然訪れた、慕っていたいちばんと言っていいくらい身近だった人間との別れ。
少年はちいさな子供のように女史の胸に縋って声を上げて泣いた。
「本当に、ロマニはひどい男だね」
こんないい子を泣かすなんて。きっと彼のサーヴァントたちに叱られるところだぞ?
……そんなことも、居ない人間には届かぬ思いだ。
「……よくここまで我慢したものだ」
少年の声にならない叫びを、静かに聞いた。はじめて、彼は泣いたのだ。
「つらかった、痛いのも苦しいのもいやでいやで、ほんとうはやめたかった、でも、みんながいてくれたからがんばれた」
「俺が寝てる間だって、敵性反応やバイタルを見ていてくれたってしってた、いつも明るくて、時々冗談を言ったりして、ドクターはずっとおれを支えていてくれた」
「……彼のいる世界がまもりたかった」
彼と契約したサーヴァントたちは、繋がった回路から無防備に流れ込んでくる深い悲しみを感じた。主人の安らぎを願う者、共に涙するもの、様々な思いが渦巻いた。そして皆、少年のことを想った。彼の幸福を願った。
「我慢なんてしなくていいんだよ。泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣いて、その涙が止まったら、きっと素敵な笑顔を見せておくれ」
穏やかに眠りに落ちていった少年の目からは、もう涙は流れていなかった。