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田中重人 (東北大学) 2026-05-20 20:53

実録「日本モデル」: コロナ対策の虚像

第7章 「日本モデル」の退場


[全章PDF] [図表 (PDF)] [文献]

ふたつの画期

第1波後半になると「日本モデル」はその影響力を失い、やがて顧みられなくなっていく。第1波前半で専門家会議が打ち出した、「密閉」「密集」「密接」の3条件がそろった特殊な環境においてスーパースプレッダーが引き起こす大規模な感染 (SSE) の発見と抑止に特化した対策 (3章参照) は放棄される。第2波以降は、少人数が集まっての飲食など、ありふれた状況での小規模な感染に焦点をあわせる対策が主体になっていった。

「日本モデル」が退場していく過程には、ふたつの画期があった。

ひとつは、4月7日の「基本的対処方針」改正である。この日、日本政府は東京都などに緊急事態を宣言する。それに先立ち、「基本的対処方針」の改正案 [338] が審議されたのだが、その席上で、「三つの密」の3条件がそろったところだけではなく、条件がひとつでもあるところは避けるよう呼びかけるべきとの意見が優勢となる [339]。これに応じて、「密閉」「密集」「密接」のすべてを避けるよう、改正案のなかの「三つの密」に関する文章が書き換えられた [360]。この案のとおりの改正を対策本部が決定 [361] したことにより、「基本的対処方針」[359] における「三つの密」は、多重防護的な発想に基づいて幅広い行動変容を促すものになった。

もうひとつは、7月30--31日開催の会議 (厚労省アドバイザリーボードと分科会) である。これらの会議で配布された資料 [39] [351] には「クラスター」の発生件数や典型的な事例などが収められていたのだが、それらは小規模な感染を「クラスター」としてカウントするものであった。小規模な感染事例も警戒するよう、方針を転換したのである。これ以降、「クラスター」ということばは必ずしも大規模感染を指すものではなくなり、むしろ小規模な感染に対する警戒を呼びかける目的で使うものになっていく。

本章では、これらふたつの画期を中心として、どのように方針転換がなされ、その情報はどのように社会に流れたのかを整理する。


「3密」の定義変更 (4月7日)

6章でまとめたように、3月9日以降、専門家会議は「3つの条件が同時に重なった場」などの表現で感染拡大リスクの高い場を回避することを呼びかけるようになった。 3月下旬には、その略称として「3つの密」「3密」ということばが普及する。しかし、コロナの流行は収まらず、逆に拡大していった。増え続ける患者数と医療資源の逼迫を前に、日本政府はより強い対策をとらざるを得なくなる。 4月7日には東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府・兵庫県・福岡県に緊急事態を宣言し、人と人との接触を7割以上 (あるいは8割) 削減するよう訴える [21: 143] [241]。

この状況下で、「3密」のあつかいも変わっていく。 6章でみたとおり、3条件が同時に重なる場だけを避ければよいとする専門家会議の説は、もともと必ずしも額面通りに受け取られてはいなかった [西田 256: 61-62] し、専門家会議自身もその妥当性について慎重な姿勢をとっていた。 3月下旬以降になると、「3密」概念に対する同様の疑義はさらに広がる。

「基本的対処方針」とその改正

対策本部3月28日「基本的対処方針」審議過程

3月27日に、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」の原案 [336: 資料2] が諮問委員会での審議にかかっている。この原案は、「三つの密」ということばを使っていなかった。「3つの条件が同時に重なる場では、感染を拡大させるリスクが高いと考えられる」(3頁) あるいは「都道府県は、密閉空間、密集場所、密接場面という3つの条件が同時に重なるような集まりについて自粛の協力を強く求める」(7頁) といった表現で、「3つの条件が同時に重なる」場への警戒を呼びかけている。細部がちがうものの、専門家会議が言ってきたこととだいたいおなじ内容である。

この原案に対し、オブザーバーとして諮問委員会に出席していた飯泉嘉門全国知事会会長 (徳島県知事) が意見を述べている。

この3つの条件を重ねる、アンドで書いてあります。しかし、それぞれ個人個人の置かれた状況は様々でありますので、できればアンドではなくてオアという形も考えるべく、その考え方の整理をぜひ行っていただきたい

——諮問委員会 (第1回) 議事録 (3月27日) [337: 15] 飯泉嘉門発言

3条件が「同時に重なる」(すなわち密閉 and 密集 and 密接) 場だけでなく、どれかが存在する (すなわち密閉 or 密集 or 密接) 場も警戒せよというメッセージも検討してほしい、ということである。

委員会では、このほかにもいろんな意見が出ていた。委員会会長の尾身茂が「大事な問題は3つの条件です。例の3密の条件を我々はアンドでやってきたのだけれども、オアにということも入れたらいいのではないか〔……〕というのが非常に具体的なコメントだったと思います」[337: 20-21] とまとめ、議論を促す。その後で専門家から応答があったのが、6章で紹介した、押谷仁委員からの「声出すようなことが危ない」「歌を歌うのはかなり危ない」[337: 24] という発言である。「3つの条件が重なる場」に警戒対象を限定することには、専門家からも疑義が出ていた。

ただ、だからといって「基本的対処方針」の文面に修正が入ったわけではなかった。「3つの条件が同時に重なる場」を避けるよう求めた原案の文面が、諮問委員会ではそのまま承認され、翌日の対策本部会議でも承認されて、「基本的対処方針」[358] として公表された。

諮問委員会4月7日会議

4月7日午前の第2回諮問委員会では、「基本的対処方針」の改正案が審議されている。

・ 集団感染が生じた場の共通点を踏まえると、特に①密閉空間 (換気の悪い密閉空間である)、②密集場所 (多くの人が密集している)、③密接場面 (互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる) という3つの条件 (以下「三つの密」という。) が同時に重なる場では、感染を拡大させるリスクが高いと考えられる。また、これ以外の場であっても、人混みや近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うことにはリスクが存在すると考えられる。激しい呼気や大きな声を伴う運動についても感染リスクがある可能性が指摘されている。

——諮問委員会 (第2回) 資料 (4月7日) [338: (資料3) 5頁]

この改正案では、「三つの密」とは「密閉空間」「密集場所」「密接場面」の3条件のことを指すのであって、それらが「同時に重なる」場を指すのではない。この点で、「3つの密」のことば自体の意味は、専門家会議 (4月1日) の定義とはちがっている。

もっとも、その直後が「が同時に重なる場では」とつづいており、3条件が重なる場に限定した議論になっている。文書中でも「三つの密」に警戒を呼びかける表現のほとんどは「重なる」場合に限定しているので、実質的に反・多重防護的な感染対策を標榜する使いかたになっている。ただ、「重なる」場合に限定せずに「三つの密」自体を避けるよう要請する表現も出てくる。「職場」に触れた2か所 (12, 14頁) と、「国民生活・国民経済の安定確保に不可欠な業務を行う事業者」に触れた1か所 (12頁) である。職場の感染防止に関しては通常よりも警戒する範囲を広げて多重防護の態勢をとるべきだという意図があって、専門家会議とは別の「三つの密」定義をあえて採用したのかもしれない。

全国知事会会長代理としてオブザーバー参加していた黒岩祐治 (神奈川県知事) は、この原案について、こう発言した。

全体を見渡してみて、3密ということがかなり強調されております。前回も知事会から申し上げたと思っているのですが、3密が同時に重なる場を避けるという表現と、3密を避けるという表現が出たり入ったりしているわけです。両方あるわけです。これが非常に誤解を生みやすいと私は思っております。3密が重なる場を避けるということが最初、非常に強調されましたから、若い人たちは特に外ならばいいのだろうという感じになりました。今はやはり3密を避けるといったことをもっともっと強調する。3密が重なるというのは、クラスターの可能性があるのだといったところにもっと押し込めるべきだと思います。

全体の基本的対処方針を読ませていただきますと、重なるという言葉のほうが強調されているという感じがいたします。つい先日の総理の記者会見では、3密を避けるという言葉になっておりました。ここはやはり徹底していただいたほうが、今、国民の皆さんにお願いしていることとの整合性といった意味でも意味がある。

——諮問委員会 (第2回) 議事録 (4月7日) [339: 11-12] 黒岩祐治発言

「国民の皆さんにお願いしていることとの整合性」というのは、たとえば各地でおこなわれていた公園での花見の自粛要請 [読売新聞 465] などとの関連だろう。公園は屋外であるから換気の問題はなく、「密閉」の条件がない。だから、「3密」の発想からは公園での花見は問題ないことになってしまう。公園での花見を禁止するのであれば、換気のいい場所であっても「密集」や「密接」は避けるべきだという統一したメッセージを出すべきではないか?

もっとも、黒岩発言でより重要なのは、「3密が重なるというのは、クラスターの可能性があるのだといったところにもっと押し込めるべき」という部分である。「3密」は集団感染 (クラスター) を成立させる条件として提唱されたものだから、これを避けたからといって感染そのものを防げる理屈にはならない。 6章でみたように、かねて黒岩はこのことに注目しており、「一人一人の感染の危険からすれば、この3つは「重なる」必要はありません」「一つでも十分、危険です」[187] と訴えてきた。諮問委員会での発言も、おなじラインのものといえる。

これに押谷委員が応答し、「3密でなくても〔クラスターが〕起こり得る場合があります」[339: 12] と、黒岩の意見を超えて、クラスター防止の観点から見ても、3条件のそろったところだけの回避を求める根拠に乏しいことを事実上認めた (6章参照)。

これらの議論を受け、政府対策本部副本部長として出席していた西村康稔大臣がつぎのように述べている。

国民の皆さんには、まさにもう3密が重なっているところではなくて、3密それぞれを避けるということをお願いしたいです。実はいろいろな人から、テレビでもやっていますが、ある商店街に人が多かったり、あるいは公園に若者も集まったり、確かにオープンな空間ですから、重なっていないということなのでしょうけれども、しかし、すごく近い距離で飲食を共にし、また会話をしておりますので、そういう意味では、もう3密それぞれを避けて頂きたい。

——諮問委員会 (第2回) 議事録 (4月7日) [339: 18] 西村康稔発言

このあと、尾身会長が以下のまとめをおこない、事務局からのあいさつがあって、会議が終わる。

それでは、今日、基本的対処方針に対して様々な御意見をいただきましたけれども、これについては事務局のほうと、私がしっかりと皆さんの意見をあれして、修文をさせていただきますので、一任をしていただければと思います。

——諮問委員会 (第2回) 議事録 (4月7日) [339: 19] 尾身茂発言

「基本的対処方針」4月7日改正

諮問委員会の議論に沿って書き直された文案が、同日夕刻の対策本部会議に提出されている。諮問委員会が終了したのは11時24分 [339: 1]。対策本部の会議開始は17時32分 [361: 1] なので、この6時間の間に文章に手直しが加わったことになる。

対策本部での審議対象となった「基本的対処方針」改正案 [360: 資料3] では、「三つの密」を定義する部分はつぎのとおりである。

・ 集団感染が生じた場の共通点を踏まえると、特に①密閉空間 (換気の悪い密閉空間である)、②密集場所 (多くの人が密集している)、③密接場面 (互いに手を伸ばしたら届く距離での会話や発声が行われる) という3つの条件 (以下「三つの密」という。) のある場では、感染を拡大させるリスクが高いと考えられる。また、これ以外の場であっても、人混みや近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うことにはリスクが存在すると考えられる。激しい呼気や大きな声を伴う運動についても感染リスクがある可能性が指摘されている。

——対策本部 (第27回) 会議資料 (4月7日) [360: (資料3) 5--6頁]

諮問委員会時点での原案 [338: (資料3) 5頁] で「が同時に重なる場」となっていた部分が、「のある場」に変わった。

「これ以外の場であっても、人混みや近距離での会話、特に大きな声を出すことや歌うことにはリスクが存在すると考えられる」の部分は、原案とおなじである。人混みや近距離での会話は、「「三つの密」のある場」にあたらないようだ。ところが、8頁には「室内で「三つの密」を避ける。特に、日常生活及び職場において、人混みや近距離での会話、多数の者が集まり室内において大きな声を出すことや歌うこと〔……〕を避けるように強く促す」という表現もあって、ここでは人混みや近距離での会話は「三つの密」にあたるようである。用語法が混乱しているようにみえる。

これは、この文書では、単に「三つの密」といえば3条件自体を示すのに対し、「「三つの密」のある場」といえば3条件が同時に重なった場を示す、という使いわけになっているのだと考えれば、合理的に解釈できる。前者の意味で「「三つの密」を避ける」といえば、換気のいい場所で少人数が会話することも避けなければならない。しかし後者の意味で「「三つの密」のある場を避ける」といえば、そうした事例はふくまない。そうとすれば、「「三つの密」が同時に重なる場」と「「三つの密」がある場」は表現はちがうけれども意味は変わっていない、ということである。

本文をこまかくみていくと、諮問委員会で審議にかかった原案では「「三つの密」が同時に重なる場を避ける」あるいは「「三つの密」が重なるような場面を避ける」などとなっていたところの多くが、「「三つの密」を避ける」などの表現になった。ひとつでも条件があれば避けるべき、という方向に変えたということだ。原案にくらべて、活動をより厳しく制限する多重防護の方向性がはっきり出ている。

他方、飲食店については「「三つの密」が重なることがないよう、所要の感染防止策を講じるよう促す」(13頁)、医療機関と高齢者施設等については「「三つの密」が同時に重なる場を徹底して避ける」(17頁) となっている。飲食店・医療機関・高齢者施設についてだけは従来通り3条件が重なるところを避けることのみ要求する二重基準になっていると解釈できる。

このように、改正案の「三つの密」用法はすごくわかりにくい。全文25頁におよぶ大部の文書なので、その細部まで短時間で読み込むのもむずかしい [尾身 283: 160]。適切な解説がなければ、問題点を把握することもままならないだろう。

この対策本部会議の出席者のうち、諮問委員会にも出席していて、検討すべき問題点を把握していたのは、尾身茂と西村康稔だけである。そのふたりは、諮問委員会での議論について、つぎのように説明している。

これまで実施してきた対策は間違っていません。しかし、「国民の行動変容」、「医療体制の整備」、「保健所の支援」などが徹底されていないことが、解決すべき課題だと考えられます。国が明確なメッセージを出すことにより、国民・企業が一丸となって、「接触機会の低減」に徹底的に取り組めば、事態を収束することは可能です。

具体的には、国民の皆様には、「3つの密」や「夜の繁華街」を徹底的に避けて頂き、「外出自粛」を徹底して頂く

——対策本部 (第27回) 議事概要 (4月7日) [361: 2] 尾身茂発言

今回の新型コロナ対策として有効であります「三つの密」を避ける対策については、より一層推進することとしております。

——対策本部 (第27回) 議事概要 (4月7日) [361: 3] 西村康稔発言

これらの説明では、「三つの密」の定義を変更し、3条件がそろっていなくても回避するよう要求を強めたのだとはわからない。聞いた側は、これまでと「三つの密」のあつかいは変わらないのだと受け止めるだろう。

この対策本部会議においては、「基本的対処方針」改正案の内容と文言に関する実質的な議論はなかった(1) ようである。議事概要には質疑応答の記録はなく、案がそのまま了承されている [361: 4]。

こうして、「基本的対処方針」改正が決定した [359]。安倍晋三首相 (対策本部長) は、会議の締めくくりにこうコメントしている。

密閉、密集、密接の3つの密を防ぐことなどによって、感染拡大を防止していく、という対応に変わりはありません。

——対策本部 (第27回) 議事概要 (4月7日) [361: 4] 安倍晋三発言

やはり、「3つの密」の定義を変えて従来とはちがう対応をとる、とは考えていなかったようである。

「3密」と「ゼロ密」

以上で見てきたように、対策本部4月7日「基本的対処方針」改正 [359] をもって「3つの密」の定義が変更されたといちおうはいえる。とはいっても、それは大々的に広報されたりはしなかった。政府の関連ウエブページの当時の記録 [168] [169] [396] をみても、変更について説明する文章はなく、従前とおなじ情報が載っている。

そんななか、首相官邸は「3つの「密」を避けるための手引き!」という4頁のパンフレットをウエブサイトに載せた。その1頁目には、つぎの3項目の箇条書きがある。

・新型コロナウイルスの感染拡大をふせぐため、咳エチケット、手指衛生に加え、「3つの密 (密閉・密集・密接)」を避けてください。

・3つの密が重ならない場合でも、リスクを低減するため、できる限り「ゼロ密」を目指しましょう。

・屋外でも、密集・密接には、要注意。人混みに近づいたり、大きな声で話しかけることなどは避けましょう。

——首相官邸 (2020-04-15)「3つの密を避けるための手引き!」 [397] 〔原文の強調を省略〕

第2項で、「ゼロ密」という用語が出てくる。このことばの定義は書いていないのだが、3つの条件のどれも存在しない状態のことだろう。こちらは「できる限り」の範囲で目指せばいい (優先度の低い) 目標である。

第3項は、「密集」や「密接」が単独の場合も注意すべきと述べる。

そうすると、第1項「3つの密 (密閉・密集・密接) を避けてください」は、3つの条件がそろった状態を避けよとしか読めない。結局、このパンフレットでいう「3つの密」は、実質的に4月6日以前とおなじ、3条件が重なった場を回避するよう呼びかけるためのものに戻っている。

専門家の態度の変化

その後、4月22日に専門家会議はまた「状況分析・提言」を出している。このなかでは、政府対策本部の「基本的対処方針」での定義変更と同様に、「3つの密」は「3つの条件」そのものを指し、それらが「重なった場」のことではないあつかいとなっている。

「3つの密」:これまで集団感染が確認された場に共通する「①換気の悪い密閉空間、②人が密集している、③近距離での会話や発声が行われる」という3つの条件。これらを回避することで、感染のリスクを下げられると考えられる。

——専門家会議 (2020-04-22)「状況分析・提言」[374: 2-3頁脚注2]

13頁をみると、「3つの密」の徹底的な回避の例として「人混みや近距離での会話、多数の者が集まる室内で大声を出すことや歌を避ける等」[374: 13]があがっている。近距離での会話はそれだけで「3つの密」に該当し、徹底的に回避しなければならない事柄になったのである。 1章で説明したように専門家会議メンバーは基本的対処方針等諮問委員会メンバーでもある。定義変更を議論した4月7日の第2回会議に全員出席していた [339: 1] ので、当然基本的対処方針での定義変更を踏まえての判断であろうと推測できる。

ところがこの文書には、このように警戒対象を変えたことに注意をうながす記述はない。それどころか、「これまでの対策では、「3つの密」を徹底して避けることを周知してきた」[374: 2] とも書いてある。これは事実に反する。4月1日まで使っていた「3つの密」は、今回の「状況分析・提言」での定義とはちがうからだ。これまでの対策で避けるように周知してきたのは「3つの条件が同時に重なった場」だったはずである。

背景

諮問委員会の議事録によれば、オブザーバー参加していた自治体首長が口火を切って、3条件の重なったところではなく、「密閉」「密集」「密接」のそれぞれを避けるべきという議論を展開した。これらの議論を受け、4月7日の第2回諮問委員会において、「基本的対処方針」の原案を書き直すことになった。その結果、3つの条件が「同時に重なる場」となっていた部分が変更された。この変更後の原案をその後の対策本部会議で了承して、「基本的対処方針」に盛り込まれた「三つの密」定義が変わったことになる。

変更の理由は複合的である。

ひとつは、政府や自治体が広く行動の自粛を呼びかけていたこととの整合性確保である。すでにみたように、諮問委員会4月7日議事録にあらわれた自治体首長の発言には「国民の皆さんにお願いしていることとの整合性」[339: 12] という表現があり、ここからは屋外行事自粛を求めていたこととのつじつま合わせの意図 [読売新聞 465] が読み取れる。

一方で、クラスター防止とは区別して、個人の感染を防止するために「3密を避ける」という表現を使うべきだという趣旨の発言 [339: 12] もあった。これもやはり自治体首長が主唱したものであり、クラスター防止ではなく個人の感染防止に重点を置く方向への変化があった。

そして、委員会に出席していた専門家 (押谷) は、3条件が重なる場だけを警戒するのはクラスター防止策としても不十分であることがわかってきた [339: 12] と指摘している。つまり、クラスター発生と感染拡大の機序についての新たな知見があったため、従来の主張を取り下げたのだ、と考えることができる。


緊急事態宣言後の「日本モデル」

「基本的対処方針」を改正した4月7日、日本政府は東京都ほかに緊急事態を宣言。 4月16日には、緊急事態宣言の範囲を全都道府県に拡大した。

感染状況は、5月に入って沈静化する。 5月25日までに、緊急事態宣言は解除された。この緊急事態宣解除後の記者会見で、安倍首相はこう発言した。

日本ならではのやり方で、わずか1か月半で、今回の流行をほぼ収束させることができました。正に、日本モデルの力を示したと思います。

——首相官邸 (2020-05-25) 安倍内閣総理大臣記者会見 [398]

この会見の反響もあり、強制的な行動制限をともなわずに流行を終息させた日本の対策を指すものとして、「日本モデル」ということばがふたたび脚光を浴びる [今井 81] [江藤祥平 37]。しかしその意味は、3月下旬から4月頭に専門家会議が打ち上げたものとはずいぶんちがっていた。緊急事態宣言解除以降に現れた「日本モデル」論は、日本特有の制度・組織・文化・行動様式等に結び付けて日本の対策が成功/失敗した原因を論じる傾向が強い [松本卓 209]。

3月下旬から4月頭に専門家会議が提唱した「日本モデル」とは、コロナという感染症の特性をうまく捉えた合理的な対策をとるという意味であった。日本がたまたまそれに気がついて適用可能にした——そして日本の保健システムがたまたまそれに都合のいい特徴を備えていた——のだけども、やりかた自体は、世界のどこでも通用する普遍的なものだという構えである。

この意味での「日本モデル」の主張は、緊急事態宣言後も生き残っていた。これは特に、英語での紹介の文書やポスターにあらわれている。内向きの日本語言説とは一線を画し、普遍性をもつ合理的なコロナ対策 [Borovoy 23: 23]として「日本モデル」を国外に売り出す動きが出てくるのである。

「3密」については、4月7日までに首相官邸が作成した英語版ポスター [394] で「Three Cs」(closed spaces, crowded places, close-contact settings) という訳語が作られていた(2)。それぞれの「C」の意味 (closed spaces が換気の悪い場所を示すことなど) も、小さい文字で説明がある (図表7.1)。このポスターでは「Keep these "Three Cs" from overlapping」("3つのC" が重ならないように) と呼びかけており、「3条件が同時に重なる場を避ける」ことを求めているとわかる表現であった。また、ポスター下部の図では「The risk of occurrence of clusters is particularly high when the "Three Cs" overlap」("3つのC" が重なるとクラスター発生のリスクが特に高くなる) となっており、クラスター発生を防ぐための概念であることもわかる。

同日にアメリカ New York Times ウエブサイトに載った記事 [Richほか 306] も「3 Cs」を取り上げている。そこでは「closed spaces where crowds meet in close proximity」(群衆が近距離で集う密閉空間) という端的な説明になっており、やはり3条件が重なった場を示す概念であることがわかる。ただし、3つの「C」のそれぞれについて、それ以上くわしい説明はない。なぜそれらが重要であるかについては、感染リスクが高い「hot spot」の条件だと専門家 (押谷) が述べた、ということが紹介されているだけで、個人の感染ではなくクラスターの発生を防ぐための概念であることは示されていない。

その後「Three Cs」は「3密」の英訳として定着するのだが、単に「closed spaces, crowded places, and close contact settings」[Shimizuほか 332] などと紹介されることが多く、3条件が同時に重なる場だけを避けるという反・多重防護的な発想で創られた概念であることや、途中で定義が変更された経緯は触れられない。なかには、3条件のすべてを避けることを勧めるキャンペーンを日本政府が2020年2月から展開していたという誤った情報 [Katsuma 111: 116] を載せている例もある。

「クラスター対策」についても、3章で紹介したのと同様の解説が、英語で発信されるようになる。 6月1日には、英語での記者会見が尾身・押谷の連名でおこなわれた [284]。ここでの「クラスター対策」(cluster-based appoach) の説明は、専門家会議の5月29日「状況分析・提言」[380: 36-38] の説明を簡略化したものである。同様の英語抄訳文書が、遅くとも6月20日には厚生労働省サイトに載っている [381]。西村大臣が Wall Street Journal ウエブサイトに寄稿した7月7日の記事 [258] では、日本がロックダウンなしでコロナ流行を終息させることのできた要因として、接触者調査とクラスター潰し (cluster busting) によってSSEを抑え込んだことを挙げる。そして、そのために重要だったのは、さかのぼり調査で得た複数の感染者の行動歴の照合 (cross-referencing) によって共通の感染源を探索する技法だとしている。

だが、「日本モデル」を持ち上げる言説が幅を利かせていた時期は短い。 6月以降、ふたたび患者が増加し、「第2波」と呼ばれるようになった。そして7月末、日本の政府と専門家が掲げるコロナ対策に関する言説は、重要な転換点を迎えることになる。


「クラスター」の小規模化 (7月末以降)

総括なき「クラスター対策」

緊急事態宣言解除の後、本来であれば、第1波における「クラスター対策」について総括がおこなわれるはずであった。専門家会議が第1波で打ち出した「クラスター対策」はさかのぼり調査で大規模感染を探すというもの (3章) だが、積極的疫学調査の標準的マニュアルにそのような指示はなく、現場ではほとんど実行されていなかったとみられる (5章)。とすれば、「クラスター対策」のこの失敗 (あるいは不戦敗) の原因を検討し、どのように第2波に備えるか (たとえば「積極的疫学調査実施要領」を書き直し、さかのぼり調査を優先するよう全国の保健所に依頼するなど) を、感染者が再び増え始める前に決めなければならない。

ところが実際に専門家会議が作ったのは、保健所は第1波においてさかのぼり調査によるクラスター対策をおこなって成功した、という実態に反する報告 [380] だった。そうして事実がゆがめられて伝わった結果、もし専門家会議の主張する「クラスター対策」を採用していたら第1波の流行は回避できたのか、という肝心の問いが検証されていない。結局、積極的疫学調査の方向性は見直されないまま、6月には「第2波」に突入することになる(3)

7月になって専門家会議が廃止され、そのメンバーのほとんどを吸収した「新型コロナウイルス感染症対策分科会」(以下「分科会」) が新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に発足した (1章)。 2月以来会議をおこなっていなかった厚労省アドバイザリーボード (これも分科会とメンバーが重なっている) も7月14日に活動を再開している。これ以降、第2波、第3波においては、コロナ対策に関する専門的事項は分科会と厚労省アドバイザリーボードが検討する(4) 体制となる。

7月末には、これらの会議の論調は第1波時の「公式」のクラスター対策 (5章参照) から180度転換して、小規模な感染を「クラスター」と呼んで警戒する方向になる。これは、第1波でとられた現実の積極的疫学調査の方向性 (5章) を追認するものであると同時に、「日本モデル」の大前提であったスーパースプレッダー仮説 (3章) を放棄した(5) ことを示唆するものでもあった。

FETP「クラスター事例集」

7月30日の厚労省アドバイザリーボード第4回会議では、参考資料として「クラスター事例集」[39] が配布された。これは、国立感染症研究所の感染症疫学センターが運営する実地疫学専門家養成コース(6) (Field Epidemiology Training Program: 以下「FETP」と呼ぶ) が作成したものである。「クラスター」の6つの事例を掲げているのだが、それらのうち、1か所での集団感染にあたるのは、スポーツジムの更衣室で5人が感染した事例ひとつだけである [39: 5]。ほかの5事例は、複数の場所で感染のネットワークが広がっていくさまを「クラスター」として描く。たとえば「昼カラオケクラスター」 (図表7.2(a)) は、5つの店舗で生じた感染の集積である。

ほとんどの事例で、1か所での感染者数が少ない。おなじ場所あるいはおなじイベントでの5人以上の感染が推定されるのは、上記のスポーツジムの事例 [39: 5] だけである。感染者数が最も少ない「バスツアークラスター」(図表7.2(b)) の事例では、1台のバスで感染したガイドは1名 (ツアーが2回あったので合計2名)、感染させた運転手も1名である。 1か所でひとりしか感染していない場合も、「クラスター」と呼んでいるのだ。

厚労省アドバイザリーボードの資料は、委員が提出する場合と、事務局が用意する場合がある。議事概要 [343] によるとこの参考資料の説明は事務局がおこなっているので、事務局が用意したもののようである。 4章で検討した3月15日の厚生労働省「全国クラスターマップ」[161] は、小規模感染が連なった感染ネットワークも「クラスター」として掲載していた。それとおなじ発想で「クラスター」を図示した資料を、厚生労働省がここでもう一度出してきたことになる。なお、議事概要 [343] には、そうした小規模感染を「クラスター」と呼ぶことについての議論の記録はない。

小規模感染事例をふくむ「クラスター等」

その翌日 (7月31日) に開かれた 新型コロナウイルス感染症対策分科会の第4回会議資料 [351] も興味深い。参考資料3「7月のクラスター等発生状況について」のデータが、図表7.3のような内容なのだ。「会食」「職場」の行に注目すると、これらはいずれも「1件あたりの人数」が4.0人である。「最大人数」がそれぞれ15人と17人なので、多人数のケースもあるのだろうが、大部分は4人未満の小規模感染だと判断できる。

表のタイトルは「7月のクラスター等発生状況」であり、「等」という文字が入っている。クラスターでないものもふくむということだ。「等」が何を指すかの説明はないのだが、4人未満の感染事例が入っているのはまちがいない。

また、表の注釈から、内閣官房新型コロナウイルス感染症対策推進室が作成したものであり、報道が典拠になっていたことがわかる。コロナの流行が始まった当時は、政府は自治体の報告を直接集計していた。感染者数が増えるとそれがむずかしくなり、報道各社がまとめた記事を集めて状況を把握するようになっていく。この作業をどのように実施したかの説明がないので、どの範囲のメディアの記事をどんな基準で選んだかなど、くわしいことは不明であった。翌年の厚労省アドバイザリーボード第32回会議の資料 [押谷 297: 資料3-1-3] によると、2人以上規模の感染事例を記録したデータベースが作られていて、報道がその典拠となっていたことがわかる。ただし、図表7.3がそれとおなじデータベースに基づくものなのかはわからない。

こうした数字が網羅性に乏しいことは、容易に想像がつく。2人程度の感染事例は、自治体のウエブサイトに感染者の個別の情報が載るだけで、メディア記事にはならないことが多いだろう。大規模な集団感染であっても、自治体の発表に出ないことがある(7)。自治体が「クラスター」と認定して発表すれば報道される可能性は高いが、そうする義務が報道各社にあるわけではない。

この分科会7月31日資料 [351] には、前日の厚労省アドバイザリーボード会議資料 [FETP 39] とおなじ「クラスター事例集」も「参考資料4」として出てくる。同一の会議資料に、1か所での感染を意味する「クラスター」と、感染のネットワークを意味する「クラスター」が混じっているのだ。議事概要 [352] には、この用語不統一についての議論は見当たらない。

分科会は、10月23日の第12回会議でも、「クラスター等」の集計表を使っている [353]。さらに、その後12月23日に分科会が出した提言「現在直面する3つの課題」には、「等」のつかない「クラスター」についてのグラフが出てくる [355]。データ源の記載はないが、10月23日の第12回会議資料 [353] の資料3-4末尾の表「7月以降のクラスター等の発生状況の推移」と対応する期間を切り取って比較すると、総数がだいたい等しい [田中重人 413]。おそらくこの12月23日提言の「クラスター」は、それまで「クラスター等」と呼んでいたものとおなじであろう。

「集団感染」の小規模化と会食への警戒

「集団感染」についても、小規模なものをふくめる用法が10月以降に出てくる。小規模な感染も「集団感染」と呼んで警戒を呼びかけるようになってくるのだが、その内容を「会食」「飲み会」に限定しているところが特徴である。

FETP「一般的な会食における集団感染事例について」[40] は、飲食店における3件の集団感染事例を報告したものである。「FETPが関わった調査の中で、会食における集団感染は3事例」[40] とあるので、それら全部を報告していることがわかる。「集団感染」の定義はないが、3件とも、当該の飲食の際に感染したと推定されているのは、発症者と近距離で接触した2--3人だけである。この報告は10月23日の分科会第12回会議資料 [353] の資料3-3「クラスター事例集」にも入っている。

おなじくFETPによる「いわゆる「飲み会」における集団感染事例について」[41] は、「集団感染とは同一店舗内で2例以上の確定症例が確認された事例をいう」と定義を示している。これはおそらく、その場で感染した人が2人以上、ということだろう。


「3密」「クラスター」定義の変化が意味すること

3章で検討したように、専門家会議が主導した「日本モデル」は、コロナの感染が拡大するのはスーパースプレッダーが引き起こす大規模なSSE感染のせいだ、という前提に依拠していた。「密閉」「密集」「密接」の3条件が同時に重なる場を「3密」と呼んでその回避を要請したのは、3密の条件下でのみSSEが起きるので、それを避ければ感染拡大が防げる、という理路による。 3密以外の場所は避ける必要がないので、日常生活はほとんど従前のとおり営める。これなら社会経済的な影響は最小限に抑えられるはずであった。

しかしその後、本章で説明してきたように、3条件が重なっていない場面もふくめるように「3密」の定義が拡張された。「クラスター」という用語も、小規模な感染をふくめて使われるようになり、大規模感染だけが警戒対象ではなくなっていく。これらの変化は、「日本モデル」が実質的に放棄されたことを意味する。

3月上旬に専門家会議が「3条件が同時に重なる場」への警戒を始めたときには、「手の届く距離に多くの人がいる」[369: 7] という相当な密集状況を想定していた (図表6.1)。これは、飛距離の短い飛沫がウイルスを運ぶと想定していたためだろう。その短い距離のなかに多くの人がいないと、大規模な感染にはならない、ということである。

6章でみたように、「3密」の概念が普及するとともに、もっとまばらな状態も「密集」とみなされるようになっていく (図表3.3)。加えて歌唱や発声練習などで大声を出すことの危険性が指摘され [337]、空中に放出されたウイルスが広範囲に届く(8) とされるようになった。これらの言説は、大規模なSSE感染を警戒対象とする前提のもとで展開してきた。

ところが4月7日に「3密」の定義が変更され、その上7月末以降には小規模な感染を「クラスター」に数えるようになって、近距離での少人数会話のリスクがクローズアップされる。大量の飛沫等が遠いところまで届いて大勢を感染させるような稀な大規模感染事例よりも、目の前にいる人たちとの会話 (大人数を前にして大声を出すのではなく) を通じて少数の感染が生じるようなありふれた事例を防ぐことを重視するようになってくるのである。

10月以降の第3波になると、警戒の対象は飲食場面に絞り込まれる。 FETPが「会食」[40] 「飲み会」[41] での感染事例の報告を公表したのが10月。分科会は11月20日に飲食需要喚起政策 Go To EAT キャンペーン (2章参照) の一時停止を提言し [354: 4]、12月には「飲食店でのクラスターが多い」というグラフ [355: 8] を出して「飲食店」が感染の広がる主要な場だと主張した。 10月までの分科会では「会食」での感染の比率はむしろ低いという数値 [353: 63枚目] をもとに議論していたのが12月になるとまったくちがう数値の資料が出てくる [田中 413] という状況なので信頼に足る主張ではないが、ともかく日本政府が設立した専門家組織の提言はそのようなものであった。

保健所がおこなう積極的疫学調査に対する評価も、この間に大きく変わった。 12月23日に分科会がまとめた提言「現在直面する3つの課題」には、つぎのようにある。

1. 東京などの都市部では、感染者数が多いことに加え、人々の匿名性が地方に比べ高いことから、感染経路不明 ("見えない感染") の割合が多い (東京都では約6割)。

2. しかし、この感染経路が分からない感染の多くは、飲食店における感染によるものと考えられる。

——分科会 (2020-12-23)「現在直面する3つの課題」[355: 11] 〔原文の強調を省略した〕

3章で述べたように、第1波の際に専門家会議が打ち出した「日本モデル」では、感染拡大をもたらすような感染は積極的疫学調査で捕捉していたことになっていた。ところが第3波になると、感染拡大をもたらす飲食店での感染は積極的疫学調査では捕捉できていないと言い始める。積極的疫学調査の評価も、180度転換したのである。


説明の不在

これらの変更に関して、政府や専門家から明確な説明はなかった。このため、方針を転換したということ自体が理解されなかった。当然のことながら、新旧両方の意味が入り交じって使われるようになり、そのために混乱が生じた。

「3密」をめぐる混乱

「3密」に関しては、定義を変更した4月7日改正版の「基本的対処方針」[359] の文章がわかりにくいという問題がまずある。定義を変更して3条件がひとつでもある場所への警戒を呼びかけるようにしたのだということを、この文書から読み取るのはむずかしい。対策本部長であった安倍首相は、会議直後に「3つの密を防ぐことなどによって、感染拡大を防止していく、という対応に変わりはありません」[395] というメッセージを出しているくらいなので、「3密」の定義を変える内容とは思っていなかったようである。ほかの会議出席者も同様だろう。この時点で状況を正確に把握していた人は、おそらく、「基本的対処方針」原案を審議した同日の諮問委員会の会議出席者にほぼ限られる。

諮問委員会の議事録 [339] を読めば定義変更に至る経過は一目瞭然なのであるが、この議事録は7月まで公開されていなかった(9)。 4月7日に定義変更があったという事実は、委員会開催から3か月以上が経過した7月30日になってはじめて『読売新聞』によって報道される。

当初は、三つの密の「重なりを避ける」とされたが、後に一つでも「密」があれば避けると変更された。

きっかけは、黒岩祐治・神奈川県知事が感じた疑問だった。花見の宴会自粛が求められていたが、屋外ならば密閉空間ではなく、「3密の重なり」には当たらない。「矛盾していないか」。4月7日、政府の基本的対処方針に意見を出す諮問委員会で変更を求めた。

——読売新聞 (2020-07-30) 「検証コロナ 次への備え 第4回」[465]

もっとも、この記事では、諮問委員会での論点 (前述) はきちんと押さえられてはいない。また、この記事は、この当時にはあまり話題にならなかった。翌年に読売新聞社が自社報道をまとめて出版した『報道記録 新型コロナウイルス感染症』でも、同記事自体は取り上げている [467: 283-285] ものの「3密」定義変更に触れた部分に言及はなく、社内でも重視されていなかった様子がうかがえる。

方針変更にともなう混乱を避けるには、「3条件のうちひとつでも存在する場は回避せよ」と呼びかけるスローガンを別に用意し、「3密」は従前の意味のままとして使いわける手(10) もあった。首相官邸4月15日広報資料 [397] は「ゼロ密」なる新語を創り、事実上これとおなじことをしている。しかしこれは、対策本部が4月7日「基本的対処方針」[359] で定義変更してしまったあとのことだった。

定義変更したあとでも、きちんとした説明があれば、4月7日までの「3密」とそれ以降の「3密」は別物という理解を行き渡らせることはできたかもしれない(11)。研究が進展して新しい知見があったからという科学的説明でもいいし、緊急事態下の大衆向けスローガンとしての効果を意図したという政治的説明でもいい。しかし実際には、この定義変更について説明や広報はなかった。それどころか、政府と専門家会議が表明した態度はこれとは逆であり、3密回避の方針に変化はない、従来のままである、というメッセージをふくんでいた [首相官邸 395] [専門家会議 374: 2]。

7月3日に専門家会議が解散し、かわって新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に分科会が発足したあとも、同様の方針が貫徹していた。分科会が第2回会議 (7月16日) 開催後に公表した提言「これからのあるべき対策の概要」[349] は、つぎのように提案している。

現在のクラスターも、これまでのクラスターと本質は同じ。三密がクラスターの原因となっていることから、再度、三密回避の重要性を強調すべき

——分科会 (2020-07-16)「これからのあるべき対策の概要」[349] 〔原文の強調を省略〕

この際の会議資料には「三密」の定義はないものの、「基本的対処方針」を参照するかたちで「①密閉空間、②密集場所、③密接場面の3条件が同時に重なる場に感染を拡大させるリスクが高い」[347: 49] という記述がある。この回とその前の回の議事概要につぎのような発言が残っているので、以前からの定義そのままである前提で話が進んでいたことがわかる。

今まで使っていた3密回避の話と、ここ〔業種別ガイドライン〕の注意喚起というのはどういう関係になっているのかということもわかりにくい。3密回避については連続性からは伝え続けたほうがいいのではないか。

——分科会 (第1回) 議事概要 (7月6日) [346: 15] 大竹文雄発言

新型コロナウイルスは狭いところで密集して、密閉で、それで密接が起こると広がるということなので、これは実は新型インフルエンザのやり方とはもともと違うだろうと現場で思っている。だから、〔新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく〕政令の11条のような縛りはなくて、とにかくこの夜の街のこの店を閉めなさい、というふうに端的にやれるように運用したらいいのではないだろうか。

——分科会 (第2回) 議事概要 (7月16日) [348: 4] 平井伸治発言

4月7日諮問委員会の議事録がこの時点で公開されていたかどうかは定かでない。しかしいずれにせよ、「3密」の定義を4月7日に変更したことは認識されていない。もっとも、7月22日の分科会会議ではつぎのような発言も出ているので、「3密」の受容のされかたに混乱があるという認識はあったようである。

3密の回避の徹底、これは国民がほぼもう認知をしているが、国民としては、「私は3密の回避をやっている」という意識があるのではないかと思う。例えばまた緊急事態宣言が出されて外出自粛ということになったら、またそれに従うと思うが、今やっていることと何を変えたらいいのか、という疑問は生じると思う。つまり、自分の行動として今の行動では駄目なのか、その疑問が突きつけられている

——分科会 (第3回) 議事概要 (7月22日) [350: 8] 石川晴巳発言

これらの発言をした3人 (大竹・平井・石川) は4月7日の基本的対処方針等諮問委員会には出席していなかった [339: 1] ため、その際の定義変更の議論自体を知らなかったとしても不思議はない。しかし彼ら以外の分科会メンバーの多く (9人) は4月7日諮問委員会にも出席していたはず [339: 1] なのだが、分科会の第3回までの議事概要 [346] [348] [350] を見るかぎり、「3密」定義変更について誰も説明していない。結果として、政府の会議に出ていた専門家たちは、「3密」についての3月当時の主張が4月上旬にはすでに放棄されていたという事実を確認しないまま、かみ合わない議論をつづけることになる。

政府の会議に参画する専門家ですらそのような状況だったのだが、政府外部からは「3密」定義変更の過程はもっと見えにくく、当時の文書を集めて詳細を読み解かないと経緯がわからない。このことが、その後、「3密」をめぐる理解に混乱をもたらし、認識の齟齬を生みだした。メディアを通じて一般に流通していた情報も同様である。上記の『読売新聞』記事 [465] が出たあとも、「窓を開けたり外気を入れ替えるようエアコンを動かしたりすれば、密閉が解消できて集団感染は防げる」[日本経済新聞 251] といった、3条件が同時に重ならなければ大丈夫だという宣伝が続いていた。

2章で紹介した、2020年8月の『文藝春秋』記事における、「旅行先で「三密+大声」の場に足を運ばない限り、旅行そのものが感染を広げることはない」[279: 121] という尾身茂の発言は、この混乱を利用して特定の政策を正当化する政治宣伝だったといえる。

ここで尾身が言っているのが4月7日の定義変更後の意味だとすれば、「密集」「密接」「密閉」の3条件のひとつでも存在すれば該当する。したがって、

である。それらをすべて避けることは、過疎地を閑散期に自家用車で黙々とめぐる一人旅といったものであれば可能かもしれない。しかし当時問題になっていた Go To トラベル事業の補助対象になるのは、そのような特殊な旅行ばかりではない。むしろ、実際に補助を受ける旅行者の大部分は、混雑した交通機関で移動し、人混みのなかを歩き、食事しながら同席者と語り合い、換気の悪い施設にも出入りし、ショーをみて歓声を上げるだろう。だから、「旅行先で「三密+大声」の場に足を運」ぶことのほうがふつうである。この用語の定義が変更されているという知識があれば、旅行を推進すれば感染を広げる結果になる可能性が高いという含意を、尾身の文章から読み取れるのだ。

だが、この記事が出た8月初旬の段階では、「3密」の定義変更そのものがまだあまり知られていなかった。多くの人は、「3密」とは3条件が重なる場所のことだ、という3月以来刷り込まれてきた知識を維持していただろう。そして、従来の定義にしたがうなら、3条件が全部そろってしまう「3密」の状況はめったに起きない、それさえ避ければ感染は広がらない、だから旅行はOKだという解釈が可能になってしまうのである。

「クラスター」をめぐる混乱

それにくらべると、7月末の「クラスター」の用法の変化は見えやすかったはずである。厚労省アドバイザリーボードや分科会などの資料が会議当日に公開されていたからだ。しかし、これらの会議資料自体が大きな話題になることはなかった。

7月31日の分科会資料 [351] に載った図表7.3に関しては、会議後に、誤った数字をコピーした資料が記者会見で提示され、それがそのまま一部のネットメディア [國崎万智 186] で流れたという問題があり、これ単独でも大きなスキャンダルになりうることであったが、実際には個人のウエブサイト [飯尾淳 80] が指摘した程度で、たいして注目されることはなかった。

これらの会議資料に載っていたFETP「クラスター事例集」[39] は、8月になってマスメディアが取り上げている [読売新聞 466] [NHK 244]。前述のとおり、この資料が「クラスター」とした事例のほとんどで、ひとりから感染した人数、あるいは1か所で感染した人数が少ない。スーパースプレッダーによるSSEに焦点を合わせる従来の主張を放棄したことを象徴的に示す資料なのだが、この点にマスメディアが触れることはなかった。

3月15日に厚生労働省が発表した「全国クラスターマップ」[161] にもおなじような問題があったが、これに対しては大分県からの抗議があり、「クラスター」の定義が修正された (4章)。しかしこの7月末のFETP「クラスター事例集」[39] については、そのようなことはなかった。

『読売新聞』の記事 [466] においては、この「事例集」に基づいて、少数の感染が多数の場所で連なった「クラスター」の図を描いているのだが、おなじ記事内に「特定の場所や会合で感染者の集団が発生した事例」が8月3日までに670件発生しているという解説も入っている。ここには、政府と専門家会議が異なる定義の「クラスター」情報を混在させてきた状況が反映している。しかしこの齟齬について明示的に論じられることはなかった。

政府が小規模な感染まで「クラスター等」にカウントしていることが一般に報じられるようになるのは、約3か月半が経過した後の11月中旬である。

「1カ所で5人以上の感染」をクラスターと呼ぶことが多いが、クラスターの公式な定義はない。厚労省は報道を基に、「複数の感染」をまとめており、2〜4人のケースも含む。

——東京新聞 (2020-11-12)「クラスター、全国2000カ所以上で発生」[424]

厚生労働省は、毎週、報道などをもとに自治体がクラスターと認定した事例や、2人以上が感染した事例をまとめています。

——NHK NEWS WEB (2020-11-16) 記者解説 [245]

この間、自治体の認定するクラスターの基準は、従前のまま、1か所での5人以上の集団感染 (4章参照) としているところが多かった。鳥取県が条例で「患者の集団であって、その人数が5名以上であるもの」[426] と「クラスター」を定義したのは8月末、徳島県の条例 [422] が同様の規定を定めたのが10月上旬である。マスメディアが報道する事例は、自治体からの発表が基になっていることが多い。このため、報道を通じてクラスターの実例として認識されるのは、依然として、1か所での5人以上の集団感染でありつづけた。 個別事例として認識される「クラスター」と統計的な数値にあらわれる「クラスター等」はちがう基準で識別されているという変則的な状況が、これ以降も継続していくことになる。


「日本モデル」とは何だったのか

専門家会議が何を考えて「日本モデル」を構想するに至ったのかはよくわからない。

感染者の捕捉割合は低くてよいとする理屈、あるいは打ち切り予定だった積極的疫学調査をつづけさせる理屈をひねり出すための、単なる方便だったという可能性はある (5章参照)。「日本モデル」が登場する以前の日本のコロナ対策 (3章) においては、医師が必要と認めたケースでもなかなか検査対象にしないような、極度に絞り込んだサーベイランス体制を採っていた。専門家会議が創り上げた「クラスター対策」と「3密」仮説を中心とする「日本モデル」は、そのような体制に合理的な説明をあたえる機能を持ったといえる。また、「クラスター対策」の重要性を強調したことには、積極的疫学調査の終了時期を遅らせる効果があっただろう。

一方で、コロナがスーパースプレッダーによるSSEで広がるならそれは「3密」回避で防げる、という仮説に本気で賭けていた可能性もある。経済的な悪影響をできる限りおさえて感染症対策をとることは世界共通の政策課題だから、「密閉」「密集」「密接」の3条件が全部そろったところだけ避ければよいという反・多重防護の仮説が魅力的に映ったことは想像に難くない。実際、「日本モデル」の初出である2020年3月19日の専門家会議の記者会見 (3章参照) では「全てのバーが閉鎖されるようなアメリカのような状況が長期間、持続可能かどうか」[406] という問題が提起されており、飲酒や歓談の場をできる限り維持すべきという方針が背景にあったことが推察される。

いずれにせよ、現実には第1波の流行は「日本モデル」では止められなかった。緊急事態宣言を出して人と人との接触を絶つことが結局は必要になったのであり、それは人々の生活にとって大きな犠牲をともなうことであった [内閣府 229]。この経験に学んで「日本モデル」を取り下げ、現実に即した新しい仮説を導入しようとしたのが、4月以降の動きといえよう。

6月以降は再び感染者が増えて「第2波」と呼ばれるようになるが、このころには検査体制が改善され、第1波初期のような理不尽な基準 (3章参照) で検査対象が絞り込まれることはなくなった。このため、感染者の捕捉割合の低さを無理に正当化する必要性が消えた。また、積極的疫学調査は途中で打ち切られることなく、コロナ対策の恒常的な一部として定着した。これらの点からも、「日本モデル」の看板を下ろしていい状況になったのである。

本章で検討してきたとおり、「日本モデル」を構成していた諸仮説は、7月末までに放棄されたといえる。その後、コロナは「3条件が同時に重なった場」で稀に起きる大規模感染で広がるのではなく、飲食の場面を中心として頻繁に起きる小規模な感染で広がるという新しい理解が主流になっていく。そのような小規模な感染は積極的疫学調査では捉えられないため、飲食店などでの会食自体を避ける必要がある。このやりかたで流行を抑えようとするなら、飲食業を中心とした広範な経済的打撃は避けられない(12)。社会経済的影響を最小限で済ませる「日本モデル」の発想は通用しないという現実を、ここにきてやっと認めたのである。


  1. ^ 瀬畑源 [327: 44] によれば、対策本部会議では提示された案をそのまま了承するのが通例だったようである。
  2. ^ 古瀬 [49: 147] は、それ以前に「Closed room, Close distance, Crowded situation」という訳語を提唱していたとする。
  3. ^ 以下の解説にあるとおり、第2波では、日本政府は小規模な感染に注目したデータを出してくるようになる。このことから推察するに、大規模感染への対策に特化した専門家会議の提言は、政府内部では (表立った批判はないものの) 評価されていなかった可能性が高い。
  4. ^ おおむね、厚労省アドバイザリーボードは感染状況の分析結果を共有する場、分科会は個別の政策や事業についての意見を述べる場となっている。前者の会議の翌日に後者の会議を開催していることが多い [西村弥 260: 48-49]。
  5. ^ ここで仮説を「放棄」したというのは、政策の拠り所にしなくなったという意味である。コロナはスーパースプレッダーによって広まるという仮説そのものは、少なくとも表立っては否定はされていない。だがスーパースプレッダーさえ抑えれば流行は終息するという前提で政策提言がなされることは、第2波以降のコロナ対策においてはみられなくなった。
  6. ^ 「実地疫学専門家養成コース」(FETP) は、感染症危機に対応できる専門家を育てるため、1999年に設置された [福住ほか 47]。2020年には同コースの研修生・修了生がクラスター対策班の接触者追跡チームに入り、都道府県からの要請に応じて派遣された [FETP 38]。
  7. ^ 5人以上の集団感染が確認されたのに発表されなかった例として、2章でみた飛行機での感染事例の報告や、『沖縄タイムス』の2021年1月10日記事 [277] などを参照。
  8. ^ 空中を漂って離れたところまでウイルスを運ぶものについて、「飛沫核」「微細飛沫」「マイクロ飛沫」「エアロゾル」「マイクロエアロゾル」などの呼称がある [岡部信彦 273: 20] [日本経済新聞 251] [清水宣明 333]。「飛沫」との区別がはっきりとあるわけではないが、人体から排出されたあと空気中を長時間浮遊し、数メートルを超える距離まで広がるものが該当する [大木 286: 89]。
  9. ^ 諮問委員会の情報を掲載する内閣官房新型インフルエンザ等対策室のウエブサイトを国立国会図書館インターネット資料収集保存事業 (WARP) が収集した記録を見ると、2020年7月1日時点 [230] で、第2回諮問委員会 (4月7日) 議事録はまだ掲載されていない。他の会議もふくめ、議事録/議事概要の公表遅れあるいは非公表については牧原 [201] を参照。
  10. ^ 別の解として、山羽祥貴 [445] は「重畳的」「拡張的」という接頭辞をつけて区別することを提唱している。吉川肇子 [117: 955] は、このことばについて、リスクコミュニケーションにおいては「問題が多いためただちに放棄すべき」ものとする。
  11. ^ もっとも、すでに「3条件が同時に重なった場」としての「3密」概念を使った宣伝を繰り広げてしまった以上、後から取り消すことは実際にはむずかしい。発信元が何を言おうと、ひとたび拡散した情報はずっと流通しつづけるからである。私の見聞した範囲では、最初期の2020年3月に作られた図表3.3のポスターが4年半後の2024年10月30日の時点でまだ掲出されていた例を、和歌山大学の体育館で確認している。
  12. ^ 事後的な経済統計の検討によれば、飲食業と宿泊業においては、第1波と第2波の両方で、売り上げが大幅に落ち込んでいる [梅屋真一郎 436: 178]。

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