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田中重人 (東北大学) 2026-05-20 20:53

実録「日本モデル」: コロナ対策の虚像

第4章 言語の操作: 「クラスター」とは何か


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ことばからの接近

2020年以降、コロナに関する多くの流行語が生まれた。そうした流行語を政府と専門家が多用した [吉川肇子 116] ことは、日本のコロナ対応の重要な特徴といえる。まったく新しく作られたことばもあれば、以前から存在する学術用語で一般にはなじみのなかったことばもある。コロナ対策の進展につれて、意味が変わってしまったものもある。

公共の場で使う重要なことばは、紛れなく、理解しやすいように定義して、一貫した意味で使うべきである。しかし、現実に日本政府や専門家がとった姿勢は、そのようなものではなかった。本章では、「クラスター」ということばがどのように幅をもって使われていたかを説明する。

「クラスター」という用語

「クラスター」は、同種の物の一群を意味する英単語 cluster をカタカナ書きした外来語である。『朝日新聞』での用例(1) を探ると、2019年以前から、「クラスター爆弾」(兵器)、「プラズマクラスター」(家電)、「トーンクラスター」(音楽) などのかたちで、専門用語あるいは商標として使われていたことがわかる。またネット上では、○○に関する話題に興味を持つ人々をしばしば「○○クラスタ」と呼ぶ。たとえばTwitterでは、「流体力学クラスタ」「古墳クラスタ」「横溝正史クラスタ」などの存在が確認できる(2)。そういう用例はあるものの、使用頻度は高くはなかった。また、たいていは別の名詞を前か後に結合したかたちで出現するものであり、「クラスター」単独で広く使われるわけでもなかった。

「クラスター」の使用頻度は、2020年2月以降のコロナ流行とともに急増した。『朝日新聞』記事に出現する「クラスター」(3) は、2020年1月には0件だったものが、2月には7件、3月には163件、4月には529件と増加している。コロナ関連の話題で頻出した「クラスター」だが、多様な意味を持ち、注釈なく使い分けられてきたために、しばしば混乱を招いてきた。以下では、2020年前半のいわゆる「第1波」において「クラスター」はどのような意味で使われ、どのように変化してきたかを明らかにする。

国語辞典における「クラスター」

2018年の岩波書店『広辞苑』第7版 [383: 860] や2019年の三省堂『大辞林』第4版 [210: 798] の「クラスター」の項目を見ると、同種のものが集まってつくる一団・群れ、同種の傾向をもつ集団、原子・分子の集合体、コンピュータのディスク上の記憶単位、複数のコンピュータを接続して一台のコンピュータのように運用するシステム、都市計画において道路や各種建築物を一つにまとめた区域、といった説明があるのみであり、疫学に関する語義は入っていない。 2021年以降に出版/改訂された辞典になると、「患者クラスター」[新明解国語辞典 第8版 (2021) 446: 436] や「クラスター感染」[新選国語辞典 第10版 (2022) 122: 383] のような用例を拾っていたり、「感染集団」[わかる! 使える! 外来語辞典 (2021) 206: 79]、「感染者の集団」[見やすいカタカナ新語辞典 第4版 (2021) 319: 201] [三省堂国語辞典 第8版 (2022) 115: 419]、「ある疾患の発生率が高い集団」[明鏡国語辞典 第3版 (2021) 123: 477] といった語義を載せている場合があるものの、くわしい説明はこれらにはない。

そうしたなかで注目すべきは、小学館『デジタル大辞泉』である。これは年3回データを更新する電子国語辞典 [板倉俊 86] だが、紙の辞典にくらべて分量の制約が緩いこともあり、語義の説明文が長い傾向がある。「クラスター」についても、通常の国語辞典よりも豊富な説明が載っている。

私がたまたまコロナ禍前に購入していた電子辞書 (カシオXD-SR9800) は、『デジタル大辞泉』を搭載していた。その「クラスター」の項には5種類の語義が載っているが、それらのなかに疫学関連の語義はない。先頭は「1 同種のものや人の集まり」であり、そのあとに、都市計画上の建物や道路などの配置、原子や分子のかたまり、コンピューター補助記憶装置における複数のセクターのまとまり、大学・研究機関・企業などの集合体、という4つの語義が並ぶ。

2024年4月3日に事典・辞書統合オンラインサービス JapanKnowledge で確認したところ、新しく6番目・7番目の語義が加わっていた。

6 ある疾患が、特定の集団内において、予測よりも多くみられること。また、その集団。

7 感染症で、感染経路が判明している、数人から数十人程度の小規模な患者の集団。

——『デジタル大辞泉』「クラスター」の項 [31] (2024-04-03 時点)

これらはおそらく、2020年以降のコロナ禍で急増した「クラスター」の用法を拾ったものである。ただ、これらがいつ『デジタル大辞泉』に追加されたのかはわからない。小学館の担当者に問い合わせたところ、各項目の更新時期は公表しておらず、また後から知る方法もないとのことだった(4)


疫学教科書的「クラスター」

「クラスター」は、疫学専門用語としては、「一定の期間の一定の場所での発症者の集積」[吉田眞紀子 470: 292] のように定義される。つまり、期間と場所を区切った一定の範囲内で発見されたケース (病気などの事例) をまとめて「クラスター」(cluster) と呼ぶのである。感染症はふつう時間的・地理的に近いところで広がってこの意味のクラスターを形成する [Giesecke 52: 199] が、感染症に限って使うことばではなく、さまざまな病気・負傷・事故・自殺などが対象となる [Logan+Mercy 194: 261]。

これらは、上記『デジタル大辞泉』の語義6の一種といえる。一定の期間に一定の場所にいた人を「集団」ととらえたとき、その集団内において、ある疾患等が一般に予測されるよりも高い確率で生じている場合に、それらの患者をまとめて「クラスター」というのである。

こうした定義の背後にあるのは、簡単に見出せる連関から共通点を探すという発想のようだ。あるケースがいつどこで見つかったかはふつうわかる。そこで時間と場所の近いケースをまとめると、それらに共通の要因を探ることができる。この基本的発想に立ち返ると、簡単にわかる属性であれば、時間と場所だけではなく、何に着目してもよいはずだ [Rothman 308: S6]。こう考えるなら、共通点に注目してケースをまとめた集団は、何でも「クラスター」でありうる。非常に幅広く拡張可能な概念である。

『デジタル大辞泉』の語義6は、「予測よりも多くみられる」という条件をつけている。たとえば腹痛とかめまいのようなありふれた症状は、いつでも頻繁に見られるものだから、特定の集団でそういうケースが複数見つかったからといって、必ずしも特筆すべきことではない。とりたてて対策の必要な異常なことだと主張するためには、一般的な発生確率の下で偶然生じうるよりもたくさん発生している、という条件をつける必要が出てくるわけである(5)。もっとも、2020年初頭の日本におけるコロナのような例では、一般的な発生確率が非常に低かったので、この条件は気にしなくていい。さほど大きくない集団で複数の患者が発見されたなら、それは当時の一般的なコロナ発生確率をはるかに上回る高率で患者が発生していたことに、自動的になる。

このような疫学教科書的な定義は、コロナに関する国際機関の発表でも使われていた。 WHOがはじめてコロナに対する警戒を呼び掛けたのは2020年1月5日のことであるが、そこでは1月3日までに武漢で44例の肺炎患者が見つかったことを指して、原因不明の肺炎のクラスター (cluster of pneumonia of unknown etiology) と呼び、入院を要する肺炎が空間的・時間的にかたまってこれだけの数を見たこと (44 cases of pneumonia requiring hospitalization clustered in space and time) は慎重に対応しなければならない事態だと評価している [441]。

ところが、日本のコロナ対策では、この意味で「クラスター」を使うことはほとんどなかった。というよりも、ある場所で一定の期間に多くの患者が見つかったというだけでは「クラスター」とはみなさない、というのが基本的な態度であった。たとえば東京都江東区の豊洲市場では2020年12月に160人の感染者が発見されていたが、東京都はこれについて「感染経路が追えないケースが多いため、クラスターではない」[246] と説明している。ということは、すくなくとも東京都の定義においては、「クラスター」といえるためには、誰からいつどのようにして感染したかといった「感染経路」(6) がわかっていなければならないのだ。感染経路不明の感染者が特定の場所で多数確認されても、それは「クラスター」とは呼ばない(7)

実際、日本のコロナ対策で使われていた「クラスター」は、疫学の標準的な用語法とは大きくちがうものであった。大きくわけると、(a) 感染のネットワーク (誰から誰が感染したか) によるつながりを指す、(b) 特定の場所あるいはイベントで大勢が感染したことを指す、(c) ひとりの感染者から多数の2次感染が起きたことを指す、という3つの類型がある。次節以降で、順次説明しよう。


感染ネットワークとしての「クラスター」

「基本的対処方針」等の定義

コロナ禍以降に『デジタル大辞泉』が採用した「クラスター」の新しいふたつの語義 (前述) のうち、感染経路が判明している患者の集団、とする語義7は、日本のコロナ対策におけるいちばん正統的な「クラスター」定義を拾ったものといえる。日本政府は2020年3月28日に「新型コロナウイルス感染症の基本的対処方針」を定め、そこで「クラスター」を「患者間の関連が認められた集団」[358: 1] と定義した。「関連」は誰から誰が感染したかを指しているのだろうから、すなわち感染経路が判明している患者の集団、ということである。誰から誰が感染したのかという関係による感染ネットワークの上でつながっていることがわかっている患者の集団だ、といってもいい。このあと「基本的対処方針」は40回以上の改訂を経て2023年5月8日に廃止される [対策本部 362] が、それまでの3年以上の間、おなじ定義を使いつづけた(8)

この用法は、伝統的な疫学というよりは、ネットワーク科学のものに近い。ネットワーク科学の用語法 [Barabasi 22] では、感染者にあたるものを「ノード」(node)、ふたつのノード間に関係 (一方から他方が感染したというような) があることを「リンク」(link) という。ふたつのノード間に直接のリンクがなくても他のノードを経由することで間接的につながっている場合があるが、そのようなものをふくめ、リンクをたどって(9) あるノードから別のノードに至る道筋のことを「経路」(path) という。そして「クラスター」(10) は、経路を通じてつながっているノード群 (とそれらノードをつなぐリンク群) のことである。リンクをたどっていくことでノードAからノードBに到達できるなら、AとBは同一の「クラスター」に属している、という。そうでなければ、別のクラスターである [22: 65-67]。感染者をノード、誰から誰にウイルスが伝播したかをリンクとみなし、彼らの間の経路を「関連」と表現すると、ネットワーク科学でいうところの「クラスター」を「患者間の関連が認められた集団」と変換できるわけだ。

ネットワーク科学的な発想は以前から疫学の世界に入り込んでおり [Kadushin 98: 199]、このような意味で「クラスター」を使った疫学研究はすでにあるので、日本政府のコロナ対策のオリジナルな用法というわけではない。たとえば1980年代前半に発見された免疫不全症候群——後にAIDSと呼ばれるようになったウイルス感染症——の患者間のつながりを報告したAuerbachほか [20] は、アメリカの多くの州にまたがる数十人の患者のネットワークを指してclusterと呼んでいる。この場合、あちこちで感染を繰り返して遠く離れた地域までネットワークがつながっていくような状況も「クラスター」にあたるので、地理的に一定の範囲におさまっている必要はない。

2月25日に出た最初の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」には、そうした定義はなかった。この「基本方針」では、最初の頁に「一部地域には小規模患者クラスター (集団) が把握されている」[357: 1] という表現で「クラスター」がはじめて現われ、「クラスター (集団) が次のクラスター (集団) を生み出すことを防止することが極めて重要」などの表現で、6回繰り返される。ただし、このことばを定義する文は一度も登場しない。「クラスター」のあとには「集団」をいちいちカッコ書きしているので、クラスターとは集団であるということはわかるのだが、「集団」が何を指すかについての説明はない。

しかし当時の報道によれば、この前日の24日には、「クラスター」とは「感染のつながり」のことだとする説明を厚生労働省大臣官房審議官の迫井正深がおこなっていたという。

迫井審議官は「クラスターは、感染症、疫学の専門家は普通に使う言葉だが、一般の方に分かりやすい用語を用いるべきだという話があった。行政的な理解では、『感染のつながり』。感染の範囲をいかに適時、適切に捉えて、集中的に対応すべき時期であり、それが感染拡大につながるので、これが最も重要だという議論だった」と説明。

——橋本佳子 (2020-02-24) m3.com [59]

これは、「基本方針」たたき台を検討した24日の専門家会議 [366] の後におこなわれた、記者向けの説明である。同日の産経ニュース [318] も「クラスター」とは「感染のつながりを一つの塊とみなす概念」だと解説した上で、「感染源がたどれなくても、途中のつながりが特定できれば、その周りをふさいでいく」という厚生労働省幹部の発言を紹介している。厚生労働省においては、感染のネットワークによるつながりのことを指して「クラスター」と呼ぶ方針が、この時までに固まっていたようである。

上の迫井発言は、「行政的な理解では」と断っているので、専門家会議の理解との間にずれがあることを示唆するようにも読める。だが、同じ日に専門家会議が開いた記者会見でも、脇田座長が同様の説明を示している。

やはりクラスターの発生が起きていると。もちろん孤発例というのはあるんですけども、感染のつながりが見えているような、かたまりの感染というものがいくつか国内で発生をしてきている

——FNNプライムオンライン (2020-02-24) [42: 28分40秒付近] 脇田隆字発言

「孤発」(sporadic) も多義的に使われることばである [Porta編 303: 267] が、ここでは感染源も2次感染も見つかっておらず、ほかの感染者とのつながりがわからない感染者 (ネットワーク科学的に表現するなら、リンクをひとつも持たないノード) を指す。それと対比して、互いのつながりが見える複数の感染者を「クラスター」(=かたまり) と呼ぶのだ、ということである。この発言を見る限り、上記の「行政的な理解」との間にずれはない。また、同日の専門家会議 (第3回) の議事概要には、「クラスター」の定義は示されていないものの、「個人発生でおさまっている分には良いが、クラスターに対して確実に対処していかないと感染が一気に広がってしまう」[366: 2]、「クラスターについては、ある程度感染が広がった状態でいかに抑えるかが重要であり、基本はそこに行く前に抑えるということ」[366: 3] といった発言がある。その前の第2回 (19日) の議事概要にも「封じ込めるためには、クラスターを追いかけられるキャパシティであることが前提」[364: 2] との発言がある。これらは「感染のつながり」が「クラスター」だとする解釈と矛盾しない。

2月29日、厚生労働省はウエブサイトに掲載していた「新型コロナウイルスに関するQ&A」を改訂し、「集団感染を防ぐためにはどうすればよいでしょうか?」という項目を追加した。そこに「小規模患者クラスター」の定義が登場する。

「小規模患者クラスター」とは、感染経路が追えている数人から数十人規模の患者の集団のことを言います。

——厚生労働省 (2020-02-29) Q&A [156: 問12]

ここで「集団」といっているのは、一緒に生活しているとか近くに住んでいるとかいう意味ではなく、おなじ感染ネットワークに属しているのでひとまとまりとみなせる、という意味である。「数人から数十人」はたぶん「小規模」に対応する。これを上回ると、「大規模患者クラスター」になるのだろう。

この説明は「集団感染」についての項目の中にある。「集団感染」は、ここでは特定の場所で多くの人が感染した事例を指しているようであり、「屋形船やスポーツジムの事例」が実例として挙がっている。これは「クラスター」とは別概念というあつかいである (次節参照)。

1か月後の3月29日に開かれた日本公衆衛生学会の研修会では、専門家会議メンバーであった押谷仁が同様の「クラスター」定義を示している。この講演の資料では、「リンクの追えない症例からつながった患者の集積のうち5人以上のものをクラスターとする」[押谷 294: 20] となっているのである。「リンクの追えない症例」は、誰から感染したかわからない感染者を指す。そこから後の世代への感染をたどって合計5人以上がつながった感染ネットワークになっていれば、「クラスター」と呼ぶのである。

積極的疫学調査における定義

保健所がおこなう積極的疫学調査でも、感染ネットワークでつながった感染者群を指して「クラスター」と呼んでいる。

国立感染症研究所による「積極的疫学調査実施要領」に「クラスター」の語がはじめて登場したのは、2月27日の暫定版である。

「患者クラスター (集団)」とは、連続的に集団発生を起こし (感染連鎖の継続)、大規模な集団発生 (メガクラスター) につながりかねないと考えられる患者集団を指す。

——国立感染症研究所「積極的疫学調査実施要領」2月27日版 [136: 2]

これでは、「患者クラスター (集団)」と「集団発生」「感染連鎖」がどういう関係にあるのかがわからない。幸い、この「実施要領」2月27日版には英訳版があるので、対応する用語定義部分を参照してみよう。

A "cluster (population) of patients" is a population of patients that may continuously cause outbreaks (continuation of a chain of infection), leading to a large outbreak (mega cluster).

——国立感染症研究所「積極的疫学調査実施要領」2月27日版英訳 [137: 2]

病原体が古い宿主から出て媒介物によって運ばれ、新しい宿主に侵入して繁殖する一連の過程を「感染連鎖」(chain of infection) という [Dicker 32: 30]。ネットワーク用語で表現すると、既存のネットワークに新しいノードとリンクがつけ加わる過程といえる。これが継続しているというのは、ノードAからノードBへのリンクが新しくできたあと、さらにノードCやノードDへもリンクが延びて、ネットワークが拡大していく状態になっているということである。

一方、「集団発生」とはアウトブレイク (outbreak) すなわち患者が多数発生することを指す。感染連鎖が継続してリンクが延びていく状況は、新しい患者がつぎつぎ発生するので、アウトブレイクに該当する。感染ネットワークが拡大していくなら、このようなアウトブレイクを連続的に起こしかねない (may continuously cause outbreaks) わけであり、そうなる可能性のある患者の集団を「クラスター」(cluster) と呼んでいる。なお、アウトブレイクが連続して起きた結果として患者数がすごく多くなることを、「メガクラスター」(mega cluster) と表現するようである。

感染ネットワークに属する感染者全員が入院しているとか、保健所の健康観察下にあるとか、すでに完治していて感染力がないとかであれば、新しい感染を起こす可能性は低い。しかしそうでない場合——捕捉されていない感染者がいて、感染力がある状態で無防備な他人と接触する場合——には、新しく感染が起きて感染ネットワークが延びていくおそれが大きい。「実施要領」は、そうした状態にある感染ネットワークのことを「クラスター」と呼び、積極的疫学調査の対象にするよう各自治体に指示していたのである。現在までに発見できている人数が少なくても、まだ捕捉できていない感染者がいればアウトブレイクにつながるおそれは常にある。このような、感染を新たに生じる可能性のある感染ネットワークは、すべて「クラスター」である。

実は、伸びていく感染ネットワークを脅威とするこのような認識は、1月下旬の厚生労働省文書にすでに登場していた。

新型コロナウイルス関連肺炎に関するWHOや国立感染症研究所のリスク評価によると、現時点では本感染症は、家族間などの限定的なヒトからヒトへの感染の可能性が否定できない事例が報告されているものの、持続的なヒトからヒトへの感染の明らかな証拠はありません。

——厚生労働省 (2020-01-20) 報道発表資料 [147]

新型コロナウイルス感染症の現状からは、中国国内では人から人への感染は認められるものの、我が国では人から人への持続的感染は認められていません。

——厚生労働省 (2020-01-29) 報道発表資料 [149]

人から人への感染があっても、それが限られた回数しか起きなければ、それ以上は広がらない。流行が拡大するとすれば、感染が持続的に (つまり何度も繰り返し) 起きてつながっていった場合である。この当然の原理を、「実施要領」2月27日版は新用語「クラスター」を使い、あらためて言語化しなおした。

このような発想から生まれた「実施要領」定義では、感染ネットワークが新たな感染者を生み出しうる状態にあるかどうかによって「クラスター」にあたるかどうかが決まる。「基本的対処方針」などの定義とはちがい、まだ見つかっていない感染ネットワークも、新しい感染が起きうる状態にあれば「クラスター」である。むしろ、既発見の (=感染者を制御下に置いている) 感染ネットワークにくらべ、その全部あるいは大部分を見つけられていないような感染ネットワークのほうが、より注意すべき対象だとされる。 2月27日版の「実施要領」では「リソースを潜在的な患者クラスター (集団) の一部として評価された患者や集団の検出に向けることを検討する」[136: 3] とある。「潜在的な患者クラスター」とは、まだ見つかっていない感染ネットワークを指す。そのような感染ネットワークを発見する糸口をつかむことが、優先度の高い課題である——だからそこに人員等のリソースを注ぎ込むことを考えるべき——ということだ。さらに、4月20日改訂では、各地域の最新の感染状況を評価する際の重要な視点として、「潜在的なクラスターの発生リスク」が強調される。

情報を総合的に分析し、地域における潜在的なクラスターの発生リスクを検討する。

〔……〕特に、リンク不明例の割合に関する情報は重要である。この割合が高まると、地域における潜在的なクラスター発生のリスクが高まっており、クラスター対策上の重点地域と評価されることがある。

——国立感染症研究所「積極的疫学調査実施要領」4月20日版 [139: 3]

「リンク不明例」とは、「リンクの追えない症例」[押谷 294: 20] とおなじく、誰から感染したかがわからない感染者のことをいう。保健所の調査では捕捉できていない感染ネットワーク (=潜在的なクラスター) が広がっていてその一部だけが散発的に見つかっている、というような状況になった場合にリンク不明例が増えるから、それは要注意のサインだということである。

「実施要領」は2月27日 [136] のあと3月12日 [138]、4月20日 [139]、5月29日 [140] に改訂されたが、「クラスター」の定義は同一であった。年が明けて2021年1月8日の改訂で、「リンクが追える集団として確認できる感染者の一群」[141: 2] という簡素な定義になり、確認されないところで伸びていく感染ネットワークを警戒対象とする含意はなくなった。

厚生労働省「全国クラスターマップ」(3月15日)

2020年3月15日、厚生労働省は「クラスター」の発生場所を日本地図上に描いた「全国クラスターマップ」(図表4.1) を公表した。当時そのPDFファイルをリンクしていた厚生労働省の広報ウエブページ [160] には「地方自治体の報道発表等に基づき新型コロナウイルス厚生労働省対策本部が集計した速報値に基づくもので、随時更新されます」とある。「追跡調査の結果、感染者間の関連が認められた集団 (クラスター) を地図上に表示したもの」[160] ともあるので、感染ネットワークを「クラスター」として示していることがわかる。

当時クラスター班で活動していたウイルス学者の古瀬祐気は、このマップが作成・公表された内幕について、つぎのように書いている。

地理情報システムの研究者もクラスター対策班にはいた。〔……〕僕は彼らと協力して、全国のさまざまな地域でどのようなクラスターが発生したのかをまとめる地図を作った。はじめは、チーム内での情報の整理と共有が目的だった。

この地図は政治行政のかなり上層部にまで伝わり、「リスクコミュニケーションの一環として国民に公表しましょう」という指示が降りてきた。僕たちは反対した。〔……〕特定の地域や施設の風評被害につながるだろうことは、容易に想像できた。日本全体で報告された感染者数の総計が数百人くらいのころで、感染は全国にひろがっていったけれど、それでもまだほとんどすべての感染経路を追跡できていた。

しかしながら公表は押し切られ、発表後には多くのメディアに取りあげられた。そして、予想どおり反発も起きた。〔……〕ちなみに、この地図には「クラスターの分類は、〇〇教授らによるもの」(〇〇は、僕の名前ではない)という文言が〇〇教授の知らないところでつけ加えられていた。

——古瀬祐気 (2024) [49: 155-156]

この記述が正しいなら、このマップは実際にクラスター対策班が使っていた「クラスター」情報に基づいていたことになる。クラスター対策班も、すくなくともその一部では、このマップが示すような、感染ネットワークを指して「クラスター」とする定義に基づいて活動をおこなっていたのだ。なお、マップには「クラスターの分類は、東北大学押谷教授、北海道大学西浦教授らによるもの」[161] という説明があるのだが、上記の引用によれば、これは本人たちの承諾なく勝手に付け加えられたものだという。本当なら大事件である。

このマップの大分県の位置に、「飲食店を介した感染」として「5人以上」のクラスターをあらわす印があった。当時の報道などを検索すると、これに該当する事例についてはつぎのような情報がある。

大分県 (1人)、山口県 (3人)、愛知県 (5人) にまたがる9人規模の感染ネットワーク (の可能性が高い感染者たち) が見つかっていたわけである。これらのうち、大分県の飲食店で接触があったのは4人である。それよりも、山口・愛知両県で広がった感染 (5人) のほうが人数が多い。これら両県での感染も、家族間や同僚間での1--2人程度の小規模なものであった。結局のところ、当該飲食店でもそれ以外の場所でも、大勢が一度に感染するような現象は確認できていない。複数の場所での小規模な感染がいくつも連なって、感染ネットワークが形成されていったとみることができる。

この感染ネットワークを「大分県」のクラスターだとして「全国クラスターマップ」に書き込んだことが大分県からの抗議を招き、2日後に厚生労働省が「クラスター」定義を変更する事態に発展した。


集団感染としての「クラスター」

厚生労働省「全国クラスターマップ」修正 (3月17日)

週刊誌『FRIDAY』ウエブ版記事 [田中圭太郎 411] によると、「全国クラスターマップ」(3月15日) [161] をめぐる厚生労働省と大分県との見解は、2つの点で対立する。ひとつは、厚生労働省が大分県で感染したと認定した感染者について、大分県側はどこで感染したか不明だと主張したという話で、「クラスター」の定義の問題ではない。これに対して、もうひとつは、「クラスター」とは感染のネットワークを指すのか同一場所での集団感染を指すのか、という定義をめぐる対立である。

大分県内の感染者は、大分市最大の歓楽街のキャバクラで働いていた30代の女性従業員1人しかいない。このキャバクラを2月20日に訪れた山口県の男性や、愛知県の男性2人の感染が明らかになっているが、感染ルートは不明のままだ。

店の従業員や客を検査したが、他に感染者はいなかったという。少なくとも大分市で感染が広がったとは言えない状況なのだ。

大分県によると、厚生労働省のクラスター対策班は、キャバクラを訪れた山口県の男性の家族2人や、愛知県の男性の同僚が感染していることから、二次感染も含めて「大分県を5人以上のクラスターと定義した」と説明したという。

しかし、大分県側はこれに反発。「同一場所での集団感染をクラスターとすべきだ」と主張した。

〔……〕

こうした抗議などによって、17日午後4時過ぎ、厚労省はクラスターマップの修正版を公開。修正版では、大分県と和歌山県が「クラスター」から消え、千葉県は数字が2から1に、神奈川県は逆に1から2に変更されていた。おそらく同様の「誤り」を指摘されたのだろう。

〔……〕

クラスターマップをめぐる混乱をみると、厚労省の「クラスター」の定義についての考え方、まとめ方が雑だったのではないかと言える。

——田中圭太郎 (2020-03-19) FRIDAY DIGITAL [411]

厚生労働省は、感染者間に経路があるというネットワーク科学的用法の「クラスター」(感染場所は複数) を表示しようとしたわけである。大分県の事例については、県外からやってきた客が感染し、そこからさらにその家族などに県外で感染が広がったと認定していた。同一の感染ネットワークの上にあれば、感染場所が別でもクラスターとしたのだ。対する大分県は、「同一場所での集団感染をクラスターとすべきだ」と主張した。「当初のクラスターの定義では二次感染者はふくまれない」[朝日新聞 17] と主張したという報道もあるので、厚生労働省が勝手に定義を変えたと認識(12) していたようである。

この騒動は、定義を変更して当該事例を地図から消し去ることで決着した。3月17日になって修正されたマップ (図表4.2) からは大分県ほかのいくつかの「クラスター」が削除された。削除された「クラスター」のうち大分県以外のものは、和歌山県の医療機関で感染したとされる医師や入院患者が4人見つかった事例(13) と、千葉県の福祉施設の利用者と従業員から4人の感染が見つかった事例 [朝日新聞 434] であろう。神奈川県の「クラスター」が1件から2件に増えたのは、相模原市で福祉施設に関連して10人以上の感染が生じたとしていた1件を、医療機関と福祉施設の2件に分割(14) したもののようである。

修正後のマップでは、欄外の注釈につぎのようにある。

同一の場において、5人以上の感染者の接触歴等が明らかとなっていることを目安として記載しています。家族等への二次感染は載せていません。また、家族間の感染も載せていません。

——厚生労働省 (2020-03-17) 「全国クラスターマップ」[162]

修正版では、感染ネットワークでつながった感染者という定義を捨て、同一の場で接触歴等があった感染者という定義になった。これは、「同一場所での集団感染をクラスターとすべきだ」という大分県の主張にほぼ沿った変更といえる。 ただし、その場所での感染を条件とするのではなく、「接触歴等」を条件としている。感染源が確定できなくとも、その場で接触があったことがわかれば、クラスターにふくめてよいということである。これは、どこで誰から感染したかの事実認定をめぐる、上記のような争いを避けるためかもしれない。結果として、この厚生労働省の3月17日定義は、 前述の疫学教科書的「クラスター」定義に近いものになっている。

その後、「全国クラスターマップ」は3月31日に改訂されている。このときも、「同一の場において、5人以上の感染者の接触歴等が明らかとなっていることを目安として記載」[166]という基準であった。この改訂版については5章を参照されたい。

専門家会議「見解」

この種の、同一の場で感染した人々、という意味の「クラスター」用例は、それ以前に、専門家会議の3月2日「新型コロナウイルス感染症の見解」にすでに見られる。

一定条件を満たす場所において、一人の感染者が複数人に感染させた事例が報告されています。具体的には、ライブハウス、スポーツジム、屋形船、〔……〕等です。このことから、屋内の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上交わることによって、患者集団 (クラスター) が発生する可能性が示唆されます。

——専門家会議 (2020-03-02) 「見解」[367]

ここでは、「クラスター」とは、屋内の閉鎖的な空間での一定時間以上の交わりによって生まれる患者集団のことである。これは、上記の2月29日の厚生労働省Q&A [156] での用法でいえば、「集団感染」にあたる。

1週間後に専門家会議がもう一度出した「見解」には混乱がみられる。この3月9日「見解」では、5頁の本文の後に2頁の付属文書「新型コロナウイルス感染症のクラスター (集団) 発生のリスクが高い日常生活における場面についての考え方」がある。この付属文書と本文の間で、「クラスター」の用法がちがうのだ。

付属文書 [369: 6-7] における「クラスター」とは、屋形船などの閉鎖的な空間での大勢の感染のことだ。 3月2日の「見解」[367] と共通の用法である。

換気の悪い閉鎖空間で人が近距離で会話や発語を続ける環境、例えば、屋形船、スポーツジム、ライブハウス、〔……〕等での発生が疑われるクラスターの発生が報告されています。

——専門家会議 (2020-03-09) 「見解」[369: 7]

ところが、その前の本文では、「集団感染」をこの意味で使っていた [369: 4]。「クラスター」はというと、WHOによる「3つの異なるシナリオ (3Cs)」を説明した部分 [369: 3-4] に出てくる。しかしこのWHO「シナリオ」なるものの出典を書いていないので、それが何なのか不明である。そのため「クラスター」が何を意味するかもわからない文章になっている。

自治体発表等での用例

第1波初期の自治体の発表では、感染ネットワークを指して「クラスター」と呼んでいる例が多かった。愛知県 [5] は3月当時、県内での感染者を感染ネットワークによるまとまりにわけ、「Aクラスター」「Bクラスター」のように呼んでいた。岐阜県 [53] は、3月後半に発見された複数場所にまたがる感染ネットワークをひとつの「クラスター」としている。大阪府 [290] や千葉県 [26] は、2月から3月に発生した大規模集団感染について、その場所以外に広がった感染をふくめて「クラスター」と呼んでいる。マスメディアも基本的に自治体発表に基づいて報道するので、同様の意味の「クラスター」が記事に登場していた [458] [211] [463]。

しかし時間が経つにつれて、特定の場所やイベントでの一定人数以上の感染 (いわゆる「集団感染」) を「クラスター」とする用法が次第に優勢になっていく。前述のように、3月中旬には大分県が同一場所での集団感染だけを「クラスター」とするよう主張していた。 4月24日に『読売新聞』が組んだ特集では、自治体発表などをもとに「クラスター」を集計しているのだが、特定の場所・会合で感染した人をカウントして5人以上という基準で「クラスター」を認定する自治体が多くなっていたことがうかがえる。

都道府県などの発表と読売新聞の取材に基づき、「特定の場所や会合などに関連して5人以上の感染者集団が発生したケース」を掲載。自治体や施設が「クラスター」発生の可能性を指摘したケースなどをまとめたが、クラスターと断定していない事例もある。自治体によっては、特定の場所・会合で感染した人だけでなく、そこから別の人に感染が広がった場合も集団の人数に含めている事例もある。

——読売新聞 (2020-04-24)「クラスター 全国に」[464]

後の第2波の時期のことになるが、鳥取県が2020年8月27日に公布した「新型コロナウイルス感染拡大防止のためのクラスター対策等に関する条例」[426] は、「クラスター」をつぎのとおり定義している。

不特定又は多数の者が立ち入り、又はとどまる施設又は催物において新型コロナウイルス感染症の患者〔……〕が複数生じた場合における患者の集団であって、その人数が5名以上であるものをいう。

——鳥取県 (2020-08-27) 条例51号 [426: 2条3項]

ここではクラスターが発生しうるのは「不特定又は多数の者が立ち入り、又はとどまる施設又は催物」に限定されている。この定義では、個人宅で開いたパーティーは対象外となるなど該当範囲がやや狭い(15) が、やはり特定の場所 (施設) あるいはイベント (催物) での一定人数 (5名) 以上の感染を指して「クラスター」としている。さらにその後10月16日公布の徳島県「新型コロナウイルス感染症の感染拡大の防止に関する条例」[422: 2条8項] も、同様の定義を採用している。


スーパースプレッダーによる「クラスター」

これらに対して、専門家会議の文書 [380] には、ひとりの感染者から大勢の2次感染が出ること、あるいはその場合の感染者たちを指していると解釈できる「クラスター」用法が出てくる。このような状況を感染のネットワークとして表わすと、ひとつのノードが多数のリンクを持っていることになる。ネットワーク科学ではそうしたノードを「ハブ」(hub) といい、感染症に特化した表現としては「スーパースプレッダー」ともいう [22: 398]。

専門家会議メンバーへの取材をつづけてきた河合香織は、押谷仁による「クラスター対策」解説をこうまとめている。

SARSの時にはある環境で特定の人が著しく二次感染を生み出す「スーパースプレッダー」という言葉が広がったが、人に焦点をあてるとスティグマや差別につながりかねないために、「イベント」と公衆衛生の世界では呼んでいる。この概念を一般に説明するのは難しいため、感染者のかたまりを便宜的に「クラスター」と呼ぶことにした。

——河合香織 (2020)『分水嶺』岩波書店 [112: 23]

2020年2月25日の「クラスター対策班」発足にあたって厚生労働省が発表した趣旨説明の文書 [154] がある。この文書には「クラスター」の定義はないのだが、「クラスター対策」の重点を説明するところで「一部に特定の人から多くの人に感染が拡大したと疑われる事例が存在し、一部の地域で小規模な患者クラスター (集団) が発生」とある。この文章のすぐ下に図があり、赤字で「対応が遅れればクラスターの連鎖 (リンク) を生み、大規模な感染拡大につながる」と書いてある (図表4.3)。この図は、ひとりから大勢への感染を「クラスター」、そこで感染した人がまた多くの感染を生じさせることを「クラスターの連鎖」といっているように読みとれる。そうすると、図表4.3には連鎖する2つのクラスターがあることになる。それぞれのクラスターでの感染者の数は、7人と5人である。

2月28日の『朝日新聞』には、当時の北海道の状況に関する押谷の説明が載っている [108]。この記事には「クラスター」ということばそのものの定義は書いていないのだが、図表4.4のような図があるので、ひとりから多数への感染を指して「クラスター」と呼んでいることがわかる。

スーパースプレッダーによる感染を「クラスター」とする明確な定義を示した例としては、2月26日に雑誌『日経サイエンス』が開いた座談会がある。この座談会記事では、押谷が「今クラスターと呼んでいる,1人の人が10人や20人単位に感染させる現象」[285] と定義を示していた。

日本公衆衛生学会の感染症対策委員会は、前田秀雄 (委員長) と押谷仁 (委員) の連名による「クラスター対応戦略の概要」という文書を3月10日に発表している。そこでは「感染者のごく一部が2次感染者を数多く生み出すという、いわゆるクラスター (患者の集積)」[253: 2] と書いており、これは図表4.4と同様に、ひとつながりの感染ネットワークのなかで、ひとりの感染者 (ハブ) から多数の2次感染が出ている部分を指すものである。

ひとりの感染者から多数への2次感染が起きるという事態、すなわちスーパースプレッダーの出現を指して「クラスター」と呼ぶこの用法は、「クラスター対策」の着想の根幹にあったものだ (3章)。ところが、公文書でこの定義がはっきり示されることはなく、ただそれらしい図を描いて意味をほのめかすだけであった。スーパースプレッダーによる感染を指して「クラスター」と明確に定義した文章は、雑誌の座談会 [285] や学会作成の文書 [253] のような、政府と関係ないところでの例しか見当たらないのである。他方で、前述のように、2月27日には感染ネットワークとしての「クラスター」定義が「積極的疫学調査実施要領」[136] に登場。 3月2日には集団感染としての「クラスター」定義が専門家会議「見解」[367] に登場する。

政府内部で通用していた「クラスター」理解は、一般向けの説明や科学者向けの説明とは異なっていたようだ。押谷自身の用例でも、スーパースプレッダーとしての「クラスター」のほかに、感染ネットワークとしての「クラスター」[294] や集団感染としての「クラスター」[162] [166] が見られるので、こうした差異を意識していた可能性が高い。


議論

「クラスター」の変異

「クラスター」とは、一定の範囲の患者を集団として区切って認識するための概念である。疫学では一般的に、時間的・地理的に一定の範囲において発見された患者のまとまりを指す。しかし日本のコロナ対策においては、この疫学教科書的意味で「クラスター」を使うことはほとんどなく、そこから外れた複数の意味が使われていた。

日本のコロナ対策において「クラスター対策」が唱えられるようになったのは、スーパースプレッダーが引き起こす感染を指す「クラスター」概念に由来する。ところがどういうわけか、この意味で「クラスター」を定義した文章は、公文書のなかには見当たらない。「クラスター対策」は、理論的にはスーパースプレッダーを標的にしたもの (3章および5章参照) であったが、実際に大衆に向けて説明したり、統計を作成したり、保健所職員へ指示したりする文脈では、それとは別の「クラスター」定義を示してきたのである。それらの定義には、大きくわけてふたつの系列のものがあった。感染ネットワークによって規定するものと、感染が起きた場所によって規定するものである。日本のコロナ対策においては、これら2系列の定義がずっと併存してきた。

日本のコロナ対策の基礎となる「基本的対処方針」においては、「クラスター」は感染のネットワークを指すものであった。保健所がおこなう積極的疫学調査でも、「クラスター」はこの意味である。これらは、2020年2--3月にこの概念が導入されて以降、一貫してそうなっている。この定義では、規模の大小にかかわらず、感染ネットワークでつながった感染者たちが「クラスター」である。これは、ネットワーク科学用語としての「クラスター」と一致する用法である。

一方で、政府や自治体が作成・公表する統計や一般向けメッセージにおいては、初期には混乱があったものの、第1波終わりごろまでには、場所による規定 (特定の場所での5人以上の集団感染) が主流になった。これも最初は、ひとりの感染者が1か所で多数の2次感染を起こしたケースをイメージしてのものだったようである [専門家会議 367]。ところが流行が進展するにつれ、病院や福祉施設など固定的なメンバーが生活を営む施設で集団感染が多発し、「クラスター」の主流をなすようになる [読売新聞 464]。こうした集団感染は、誰がそこにウイルスを持ち込んだのかという発端(16) が特定されないことが多い [Furuseほか 50]。また、詳細はわからないことが多いものの、SSEによって一気に患者が増えたとは限らず、長期間をかけて集団内部で感染の連鎖がすこしずつ伸びていったケースもありうる [Furuseほか 51]。結果として、これらの「クラスター」用例からは、ひとりから多数への感染という含意は感じとれなくなっていった。また、実際にクラスターを同定する場合には、その場所で感染したことを厳密に証明するのではなく、単にその場所での接触があったことを要件とするようになった [162]。そうすると、特定の期間に特定の場所にいたことが要件なのだから、疫学専門用語としての「クラスター」に実質的に近い発想のものになっている。

こうした棲み分けがなされてきたことは、日本におけるコロナ対応を理解する上で重要である。「クラスター」という多義語について統一した理解がないままに、多種多様な「クラスター対策」が並立してきたことを示唆するからだ。「クラスター対策」を立案した専門家、「クラスター対策」実施体制を整備した官僚、「クラスター対策」を現場で実行してきた保健所、「クラスター対策」について報道してきたメディアなど、立場によって「クラスター」に関する認識が全然ちがっていたのではないかということが危惧される。

報道における「クラスター」使用

一般の人々が「クラスター」ということばに触れたのは、報道を通じてであることが多かっただろう。その報道各社がそれぞれ使う意味も、一貫していたわけではない。

上記のとおり、2月28日の『朝日新聞』記事 [108] は、専門家 (押谷) の説明を引きながら、スーパースプレッダーからの感染が「クラスター」なのだと読める図 (図表4.4) を載せていた。しかし、この「クラスター」定義が同紙記事において共通のものだったわけではない。クラスター対策班創設を報じた2月25日の記事では、「クラスターとは一定の感染経路でつながりのある患者集団のこと」[213] と説明している。用語解説でも、「クラスター」とは「感染のつながりがある患者らの小規模な集団」[233] だとしていた。

ほかの新聞等でも同様である。各社の定見によって用法が決まっていたわけではなく、取材先の専門家や自治体などが「クラスター」と呼んだものが「クラスター」として報道されるので、ちがう意味の「クラスター」が、ちがいを明示されないまま共存することになった。

「クラスター」ということばが多様な意味で使われていること自体については、たとえば前述の「全国クラスターマップ」をめぐる厚生労働省と大分県との争いに関する報道 [読売新聞 460] などで触れられてはいる。だが、この多義語がどのような意味を持ち、どのように使い分けられているかについて、系統的な検討があったわけではない。

批判

コロナ対策に関する新奇な用語の氾濫に対しては、批判がなかったわけではない(17)。 3月下旬には、河野太郎防衛大臣が、「クラスター」などのカタカナ語を政府が使用することについて、ネット上で疑義を呈した [時事通信 93]。国会でも同趣旨の答弁をおこなっている。

○白眞勲君 〔……〕

〔……〕クラスター、オーバーシュート、ロックダウンのような片仮名語を日本語で表記した方がいいと指摘しているわけですね。

〔……〕

○国務大臣 (河野太郎君) 〔……〕

今回のコロナに関連して専門家の先生方がいろいろおっしゃるんですけれども、私の周りにも何を言っているか分からぬという声もありましたので、防衛省の方から厚労省に対して、分かりやすい日本語を使ってくださいという申入れをしているところでございます。

政府の発信でございますから、万人が分かりやすい言葉でやるべきだろうというふうに思っております。

——国会会議録 (2020-03-26) 第201回国会参議院外交防衛委員会 [129]

「クラスター」問題に関しては、この発言はポイントをはずしている。「クラスター」と聞いて「何を言っているか分からぬ」のは、それがカタカナ語であるからではなく、多義的に用いられているからだ。とはいえ、一方で、新奇なカタカナ語を使うことでごまかされてしまっている側面があるのも確かである。この機会に、では日本語ですでに定着したことばに置き換えるなら何が適当か? といった議論が起これば、ことばの使いかたを見直すきっかけにはなっただろう。しかし、実際にはそのような議論は進展せず、その後も「クラスター」ということばは多義的なまま漫然と使い続けられた。

多義語と詭弁

多義的なキーワードの問題点は、わかりにくくなるということだけではない。多義であるというのは、ちがう概念をおなじ用語であらわしているということだから、議論の途中で概念をすり替える詭弁に利用できるのである。多義語のこの性質は、社会的な課題に関する公共的な議論にとって脅威となる [Henschke 64]。

たとえば、下記の引用は、2020年4月12日開催の日本内科学会による緊急シンポジウム「新型コロナウイルス感染症:疫学・対策から臨床・治療まで」での押谷の講演を記録したものである。

COVID-19の場合は,多くの感染者が二次感染を起こしていないことから,理論的に,一部の感染者が多くの人に感染させるということが起きない限り,流行が起きないことになる.つまり,1人の感染者が多くの人に感染させるような状況,つまり,感染者の集積であるクラスター (あるいはsuper-spreading eventとも呼ばれる) の発生を最小限に抑えていくことがCOVID-19の制御には必要であることになる.

——押谷仁 (2020)『日本内科学会雑誌』109(9) [296: 2016]

3章で説明したように、1人の感染者 (スーパースプレッダー) が多くの人に感染させるのは、それらの感染が別々の場所・時期において散発的に起きる場合もありうるので、1か所での1回のイベントで多数が一気に感染する super-spreading event (SSE) とは限らない。押谷はこのちがいを無視して、1人の感染者が多くの人に感染させることをSSEと同一視している。この概念の混同を仲立ちしているのが「感染者の集積であるクラスター」という表現である。「クラスター」が多義的であることを利用して、論点をずらしているのだ。

専門家会議が2020年5月29日に出した「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」でも、コロナが流行する仕組みと対処の仕方について、つぎのような飛躍した説明がある。

この感染症は、約8割の方は他の人にうつさない一方で、残りの2割の中の一部の方によるクラスター感染の連鎖を通じて感染が拡大することが分かっている。

〇前述のとおり、感染の拡大防止にあたっては、クラスターの連鎖をいかに防いでいくかが課題であり、引き続き、クラスター感染が生じた場所等に対する注意喚起や重点的な対応を講じていくことが求められる。

——専門家会議 (2020-05-29)「状況分析・提言」[380: 24]

「一部の方によるクラスター感染」というのは、スーパースプレッダーによる感染のことである。途中までは、コロナはスーパースプレッダーによって広がるのでその連鎖をどう防ぐかが重要だという話なのだが、最後のところで「クラスター感染が生じた場所等」となって、スーパースプレッダー自身ではなく、「場所」に対する注意が必要だという話にすり替わっている。ひとりの感染者がいろんな場所でいろんな相手と接触して感染させるような事態ではなく、特定の場所で大規模な感染が起きることだけに焦点が絞られることになる。だが、なぜそのように絞り込むのかについて、論拠は何も示されない。

このすり替えが問題にならなかったのは、「クラスター」という用語が多義的に用いられていたためであろう。すでにみたように、「クラスター」ということばは、スーパースプレッダーによる感染 (1か所で起きるとは限らない) を意味するという説明が流布される一方で、1か所で起きた大人数の感染 (たいていは5人以上) という意味でも使われていた。この両方を「クラスター」と呼ぶことによって、

という論法が通ってしまう。前者と後者では「クラスター」の指している内容がちがうのだが、( ) の中を無視して読むと、筋の通った主張であるようにみえてしまうのである。

同様の問題は、「クラスター」から派生した「クラスター対策」概念にもある。「クラスター」が多義的であると同様に、「クラスター対策」も多義的であり、そのことが日本のコロナ対策の問題点を隠すことに使われていた。これについては、次章で述べることにしよう。


  1. ^ 朝日新聞社「クロスサーチ」(https://xsearch.asahi.com) で検索 (2023年1月5日)。
  2. ^ Twitter (https://twitter.com) で検索 (2023年1月5日)。
  3. ^ 朝日新聞社「クロスサーチ」で朝日新聞記事の「見出しと本文」を対象とし、「異字体を含む」が「同義語を含まない」条件で、発行日を1か月ずつ指定して検索 (2023年1月18日)。
  4. ^ 2024年7月9日電子メールにて質問。翌日返信を受領。
  5. ^ Porta編 [303: 47] 参照。そうした条件は不要で、複数のケースが見つかったらそれだけで「クラスター」と呼ぶべきだとする見解 [吉田 470: 292] もある。
  6. ^ 疫学専門用語としての「感染経路」(transmission route) は、何が病原体を感染者の身体まで運んでくるかを、予防法などの観点から分類するもの (たとえば、空気/水/食物/媒介動物など) である [Giesecke 52: 15]。日本のコロナ対策用語としては、感染源となった人が具体的に誰であったかとか、感染の起きた場所やイベントといった意味で使っている例が多い。ここで東京都が「感染経路が追えない」といっているのはおそらくそういう意味である。なお、ネットワーク科学における「経路」(後述) の意味で使うこともあり、その場合の「感染経路を追う」は積極的疫学調査を再帰的に進めることを指す (5章参照)。
  7. ^ アメリカCDCが作成したフィールド疫学マニュアル [Williamsほか 443: 244] によれば、「クラスター」とは原因不明の疾病が発生している状態をいうものであり、患者に共通する原因が推定できる場合には「アウトブレイク」と呼ぶとのことである。東京都は共通の原因が推定できるものが「クラスター」だといっているわけで、これはCDCのこのような用法とは逆のものといえる。
  8. ^ https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/taisaku_honbu.html で「基本的対処方針」の変遷をたどることができる。
  9. ^ どちらからどちらに感染したかという方向性は無視して、どちらの方向にたどってもよい。
  10. ^ 「連結成分」(connected component) ともいう [Harary 56: 18]。なお、もっと限定した意味で「クラスター」を使うことも多い。Davis [29] や Chen+Fu [25] など参照。
  11. ^ この飲食店の調査は、2月22日 (当該従業員の発症前日) にこの店にいた人についてしかおこなっていない [13] [16]。山口県と愛知県の感染者が20日に同店を利用していて、当該従業員も同日に出勤していたことがわかっている [読売新聞 459] が、この日について調査したという報道は見当たらない。
  12. ^ 本章で検討してきたことに照らすと、「クラスター」の当初の定義は「感染のつながり」[59] や「感染経路が追えている〔……〕患者の集団」[156] のような感染ネットワークをあらわすものだったのだから、この認識は間違いである。とはいえ、以下にみていくように、2月末にはひとりから多数へ伝染することが「クラスター」であるかのようなグラフを使った説明 [154] [108] がおこなわれていたうえ、3月頭には専門家会議 [367] [369] が特定の場所で多数が感染することを「クラスター」と呼んで「集団感染」と互換的に使うようになっていた。大分県が当初の定義を正確に認識していなかったとしても、それは無理のないことであった。
  13. ^ 野尻 [267: 1-4] によれば、この医療機関にウイルスを持ち込んだと目される患者をふくめれば同一施設内で接触歴のある感染者は5人おり、後述の3月17日修正版「クラスター」定義に合致するはずである。しかし修正版マップ [162] からはのぞかれている。
  14. ^ 分割後はそれぞれ10人未満の規模になっている [朝日新聞 18]。これらのクラスターの詳細は図表5.2参照。
  15. ^ これは、クラスターが発生した施設について営業停止や名称公表などの措置をとる法的根拠を準備することが主たる制定目的だった [平井伸治 68: 230-233] からだろう。この鳥取県条例については日本弁護士連合会の2022年のシンポジウム記録 [247] を参照。
  16. ^ 疫学用語では primary case という [Giesecke 52: 14]。
  17. ^ 「クラスター」ということばから生じる問題としては、本稿であつかう事柄以外に、ほかの単語と結びつく力が強いために「〇〇クラスター」などの表現が流通しやすく、特定の業種や場所に負の烙印を押し付ける結果を生む [吉川 116: 873] ことが指摘されている。

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