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田中重人 (東北大学)
2026-05-20 20:53
2019年末に中国の湖北省武漢市周辺で流行を始めた新型コロナウイルス感染症(1) (以下「コロナ」と略称する) は、翌2020年に世界のほとんどの地域に拡大した。世界保健機関 (WHO) は1月30日に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」(Public Health Emergency of International Concern)、3月11日に世界的流行 (pandemic) を宣言している。
日本も例外ではなかった。 1月15日に国内はじめての感染者を発見 [厚生労働省 146] [Naoほか 235] したあと、政府はつぎのようにこの新しい感染症に対応する体制を整えていく。
その後、2月25日には「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」[357] を制定した。 3月6日にコロナ対策の担当大臣が設置され、西村康稔経済再生担当大臣がそれを担当するとともに対策本部の副本部長(4) となる [西村康稔 259: 8-9] [西村弥 260: 36-39]。
3月13日に新型インフルエンザ等対策特別措置法 (2012年法律31号) の改正法が成立 (2020年法律4号、3月14日施行) し、コロナにも同法が適用できることになった。感染症法が主として感染者あるいはその可能性がある人についての入院・健康診断・就業制限などを規定するのに対して、新型インフルエンザ等対策特別措置法は「緊急事態」を宣言して外出自粛要請や施設の営業停止指示をおこなうことや、国民生活と国民経済の安定に関する措置をとることをふくむ、より大きな権限を国と都道府県知事にあたえる [大曽根暢彦 287] [松澤登 212] [金井利之 103: 43, 182] [木村俊介 121]。この法改正にともなって対策本部が再編され (3月26日)、同法6条に基づいて「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(3月28日) が制定された [西田亮介 256: 66-77]。また、3月23日、「新型コロナウイルス感染症対策推進室」が内閣官房に設置されている [正林+和田編 390: 131]。
4月7日には東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・大阪府・兵庫県・福岡県の7都府県に緊急事態宣言が出た。その後4月16日には緊急事態宣言の範囲を全都道府県に拡大した。流行は一旦は収束し、5月25日までに緊急事態宣言を解除。しばらくは感染者のあまり見つからない状態が続いたが、6月には再び感染者が増加を始める。 8月から9月にかけては発見される感染者数がいったん減ったが、そのあとまた増加に転じ、2021年1月7日に2度目の緊急事態宣言を出した。
本稿では、2020年を3期にわけ、1月から5月までの最初の流行期を「第1波」、6月から9月までの2度目の流行期を「第2波」、いったん減少したあと増加に転じた10月以降を「第3波」と呼ぶ [大木いずみ 286: 93]。このなかで、第1波の前半——おおむね4月初めまで——の時期が、本稿の主たる関心の対象である。
感染症の流行に対処するには、どこでどれくらいの患者が出ているか、どんな条件で感染しているか、感染するとどんな症状が出るか、といった情報を精確につかむ必要がある。また、患者を早期に発見して治療しなければならないし、人から人へ伝染する病気である場合には、患者やその可能性がある人が他人と接触しないように管理しなければならない。こうした目的を持って疾病発生状況の情報を収集することを「サーベイランス」(surveillance) という。
日本においては、疾病に関するサーベイランスは、地域別に編成された保健システムが担うのが原則である。コロナの場合も、この原則に則って各地でサーベイランスがおこなわれ、その結果を中央政府が総合して流行状況を把握していた。
このような情報収集活動をふくめた地域保健システムを動かす核となる組織が保健所(5) である。 2020年4月当時、保健所は全国に469所あった。これらは各都道府県のほか、地域保健法に基づいて指定された「保健所設置市」(6) (85市)、および東京都特別区 (23区) に置かれる [厚生労働統計協会 184: 29]。保健所の運営は各自治体の業務であるが、厚生労働省が基本的な指針を定めている。厚生労働省は保健所業務に関する勧告や援助をおこなうほか、必要に応じて報告を求めることができる。
一般に、サーベイランスの方式は、大きくふたつにわけることができる。受動的なものと積極的なものである [鈴木基 402: 438]。前者では、病院が患者 (であることが疑われる者) を診察した場合などに、保健所などの機関に申告する。後者では、そうした申告が来るのを受動的に待つのではなく、保健所職員などが自ら積極的に動いて情報を集める。
コロナの受動的なサーベイランスについては、厚生労働省が1月6日に最初のサーベイランス協力依頼 [174] を、1月17日にはコロナ疑い例に関する相談・検査の原則を示す文書 [175: 別添3] を自治体宛に出している(7)。この段階では、法的強制力のない依頼であった。その後2月1日の上記政令施行によって、コロナは感染症法上の「指定感染症」となり、感染症法12条等の規定が準用されるようになる。
医師は、次に掲げる者を診断したときは、〔……〕厚生労働省令で定める事項を最寄りの保健所長を経由して都道府県知事に届け出なければならない。
——感染症法 (2019年9月14日施行) 12条(8)
届け出るべき事項などは厚生労働省が指定しているのに対して、届け出先は自治体 (直接的には保健所) である。同条2項の規定により、当該の届があった場合は、自治体から厚生労働省に報告が上がる。なお、上記の新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正法が施行になった3月14日以降も、引き続きこの規定が適用されている。
また、受動的サーベイランスを円滑に進めるための組織として、2月1日以降、「帰国者・接触者外来」「帰国者・接触者相談センター」の設置が進む [厚生労働省 150]。コロナに感染している疑いのある者を診察するために各地の医療機関に置かれたのが帰国者・接触者外来である。帰国者・接触者相談センターは、そうした患者についての相談を電話等で受け付け、帰国者・接触者外来を紹介する(9)。
3月初頭までは、コロナであることを「診断」するためのPCR検査(10) は、国立感染症研究所(11) および地方衛生研究所(12) による行政検査に限られていた。このため、コロナ感染が疑われる患者については、まず「疑い例」として保健所に相談 [176] する必要があった (3章参照)。 3月以降は、一部の医療機関等でもこの検査がおこなえるようになっていく [厚生労働省 180]。
一方、積極的なサーベイランスは、すでに判明したコロナ患者を起点 (「インデックス・ケース」という) としてその接触者や行動歴をたどっていくやりかたでおこなわれており、「積極的疫学調査」(active epidemiological surveillance) と呼ばれる(13)。この調査の手順については、国立感染症研究所が標準的なマニュアル「積極的疫学調査実施要領」を作成している。最初のバージョンは2020年1月17日作成のもの [132] であり、厚生労働省から各自治体に対して、この「実施要領」を踏まえるよう依頼 [176] が送られた。これも最初は法的な強制力をともなわない活動であったが、2月1日以降は感染症法 (15条) に根拠を持つ保健所の業務となる。
積極的疫学調査の基本的な内容は、インデックス・ケースからウイルスの曝露を受けて感染している可能性の高い「濃厚接触者」を聞き取りなどで特定し、その人たちの調査をおこなっていくことである。濃厚接触者がコロナの症状を呈していれば、PCR検査をおこなう。結果が陽性なら、コロナ患者であることが確定する。その人からさらに聞き取りなどをおこなって濃厚接触者を特定し、調査対象とする。このようにして、新しい感染者が見つからなくなるまで再帰的な調査(14) をつづけていく。状況によっては濃厚接触者以外の調査もおこなう。詳細については、5章での検討を参照されたい。
このようにもともと構築してきた保健システムを稼働させるのに加えて、コロナに対応するための「対策本部」ほかの会議体が政府内に設けられたことは前述のとおりである。 2月になると、専門家から助言を得るための仕組みの整備が進む。
まず厚生労働省の助言機関として12人からなる「新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード」(以下「厚労省アドバイザリーボード」と呼ぶ) ができ [西村弥 260: 43]、第1回会議を2月7日におこなった [342]。人選には、厚生労働省官僚の正林督章の意見が反映したとされる [アジア・パシフィック・イニシアティブ 21: 115] [河合香織 112: 16]。
しかしそのあと2月14日に、「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」(以下「専門家会議」と呼ぶ) が対策本部のもとに設置される [356]。厚労省アドバイザリーボードの構成員が、この専門家会議にそのまま横滑りしている [112: 21]。これらは公明党の提案によるものとされる [21: 115] [竹中治堅 408: 35]。メンバーの一覧を図表1.1に示す。国立感染症研究所長の脇田隆字が座長、地域医療機能推進機構理事長の尾身茂が副座長となっている。厚労省アドバイザリーボードから専門家会議に移行した以降も、実質的に厚生労働省の助言組織としての色彩が強かったとされる [牧原出 202] [手塚洋輔 419: 75]。一方で、政治的なアジェンダ設定 [城山英明 388] あるいは政府による「政策学習」[石垣千秋 84] に一定の役割を果たしたとも評価される。専門家会議は7月まで活動をつづけ、厚労省アドバイザリーボードのほうは (名目的には存在はしていたものの) その間休眠状態にあった。
また、2月25日、厚生労働省内に「クラスター対策班」が発足している [厚生労働省 154]。国立感染症研究所、国立保健医療科学院、国立国際医療研究センター、北海道大学、東北大学、新潟大学、国際医療福祉大学などの協力を得て数十名の専門家を集めた組織である。サーベイランス結果などのデータの分析と、それに基づいた介入手段の検討・評価をおこなっていて、前者を担当する「データチーム」と後者を担当する「リスク管理チーム」を擁していた。これらの作業を厚生労働省内でおこなうとともに、専門家会議などに基礎資料を提供する役割を果たした [21: 119]。また、各地におけるサーベイランスを支援する役割も負っていた [FETP 38]。クラスター対策班メンバー [Oshitaniほか 300] のうち、押谷仁 (東北大学教授) と鈴木基 (国立感染症研究所感染症疫学センター長) は専門家会議のメンバーでもある。なお、名称は「クラスター対策班」であるが、実際の業務内容の大半は各種データの整理・分析・評価など [西浦+川端 262: 56-59] [和田耕治 439: 306] [茅野大志 113] [小坂+瀬名 289] [古瀬祐気 49] であり、専門家会議 [380] がいう「クラスター対策」(3章および5章参照) とはあまり関係がない(15)。
前述のように、3月13日法改正でコロナの法的位置づけが変わっている。この枠組の下で、対策本部は新型インフルエンザ等対策特別措置法を根拠とする組織になり、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」[358] を3月28日に決定してコロナ対策にあたった。この「基本的対処方針」作成や改正にあたっては、新型インフルエンザ等対策有識者会議の下にある「基本的対処方針等諮問委員会」(以下「諮問委員会」と呼ぶ) への諮問がおこなわれる(16)。上記の専門家会議のメンバーが全員この諮問委員会のメンバーになり、それにさらに4人が加わる総勢16人の構成である (図表1.2)。尾身茂が会長、川崎市健康安全研究所所長の岡部信彦が会長代理を務めていた [336]。なお、5月14日から4人の経済学者 (井深陽子・大竹文雄・小林慶一郎・竹森俊平) が新たに加わっている [340]。
専門家会議は新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正前に設置されたもので、法的位置づけが不明確であった [石垣 84: 39] が、継続性を重視して3月13日以降もそのままのかたちで継続した。結局、専門家会議は第2波中の7月3日に廃止されることになり、同日、新型インフルエンザ等対策有識者会議の下に「新型コロナウイルス感染症対策分科会」(以下「分科会」と呼ぶ) が設置された。この分科会の構成員は、専門家会議とかなり重なっている [河合 112: 202] [石垣 84]。上記の厚労省アドバイザリーボードも、専門家会議廃止後の7月14日に活動を再開している。
以上のように、日本のコロナ対策においては、既存の仕組みを利用しての行政的な体制の整備が先行した [西田 256]。第1--2波当時の主要な出来事を、図表1.3に掲げる。専門家たちは、後になって招聘され、体制に組み込まれたかたちになっている [城山 389]。
本稿執筆時点 (2024年から2025年) で第1波から数年が過ぎているのであるが、当時の日本の状況と政府のとった対策を振り返るとき、ぶつかる問題がある。それは、当時の感染状況や諸機関の活動などについて文献にあたると、専門家会議メンバーの主張が、事実をそのまま反映したものであるかのように無批判にあつかわれていることだ。
専門家の組織、特に上記の専門家会議が、政府に助言を提供する機関という位置づけを超えてプレゼンスを高めたのは、専門家としての見解を大衆に向けて直接発信するという行動をとったためである [牧原 202]。専門家会議は2月24日に「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針の具体化に向けた見解」[365] を独自に作成し、また記者会見をおこなって、コロナへの警戒を市民に直接訴えた [尾身茂 282]。その後も同様の文書発表や記者会見のほか、各種メディアにも頻繁に登場するなど、一般向けコミュニケーションにおいて大きな役割を果たした。政府のコロナ対策や感染状況の推移についての説明の任を政府の責任者 (たとえば首相あるいは厚生労働大臣やコロナ対策担当大臣など) ではなく専門家が担うというコミュニケーション・スタイルが出現したのである [牧原 200] [広野真嗣 70: 68]。
この動きの発端は、専門家会議に参加していた社会学者の武藤香織が他のメンバーにあてた2月20日深夜の電子メールだったという。
今の政府の状況では時宜を得た市民への警告の発出が期待できない、政府が出したほうがいい提言と、専門家会議が独自に出す情報を分けて、リスクメッセージを作成して発信することを提案した。
「目的はただ一つ、市民 (医療従事者含む) に警戒してもらい、感染拡大を遅延させるため、多様なステークホルダーに対して風評被害や人権侵害に配慮しつつ、タイムリーな警告を出すこと」
——河合香織 (2021)『分水嶺』岩波書店 [112: 25] 〔原文の振り仮名を省略した〕
この提案が他のメンバーからの賛同を得て、2月24日に専門家会議としての独自の「見解」を発表し、記者会見をおこなうという方向へ進んでいくことになった [尾身 281: 21-22]。政府に組み込まれているはずの組織が独立したかたちで大衆向けのメッセージを発信しようとしたということであり、実現にあたってはさまざまな軋轢があった。その後、専門家会議が独自の見解を公表する方式が定着すると、今度は政府がその内容に干渉する度合いが高まってくる(17)。
政治学者の佐藤信は、後に、武藤も参加した座談会においてつぎのように専門家の行動を論評している。
併せて注目すべきは、こうした会議において専門家側も自ら何らかの熱情を持って参加しているという点です。専門家も、武藤さんはじめ大変ご苦労されていると思うのですが、大した謝礼もなく使い倒されるのをみんな分かって参加しているわけで、そこに何らかの熱情というか使命感ということがあるのは疑いがない。党派化とは別だとしても、主体性を持った政治的なアクターであるという点は無視できないのではないでしょうか。
——「コロナ対策における専門家と/の政治」『法律時報』93(12) [225: 26] 佐藤信発言
専門家会議メンバーから聞き取りをおこなった河合 [112] の叙述によれば、彼らにとっての使命は、感染の爆発的拡大を防ぐことであり、そのためには「世論の関心と警戒の方向性を大きく短期間で転換する必要」[112: 35] があった。政府がそのような役割——いわゆるリスクコミュニケーション——を適切に果たしていたなら、専門家会議が独自に動かなくてもよかった。だが当時の政府は弱いメッセージしか出せず、しかもそのタイミングが遅かった。専門家会議のメンバ−たちはそう感じ、市民に対する独自のコミュニケーションに乗り出した。専門家会議の意見と政府の活動との落差を埋めるために、メッセージを一般向けに発することになったのである。
もっとも、彼らの「使命感」は市民の警戒を促すことだけに向いていたわけではなさそうである。専門家会議の第1回会議では、つぎの発言が記録されている。
日本は思いつきで対応しているのではなく、ちゃんと戦略があって対応していることを示すためにも、英語での情報発信を強化すべき。
——専門家会議 (第1回) 議事概要 (2月16日) [363: 3]
日本政府は、専門家会議については発言の一部を要約した「議事概要」しか公開していない(18)。発言者名の記載もないので、これが専門家会議メンバーの発言なのか、それ以外の出席者の発言なのかも不明である。とはいえ、専門家会議が開いた最初の会議の席上で、日本は「ちゃんと戦略があって対応している」と主張すべきという趣旨の発言があったことは確かなようである。その後、専門家会議が一般向けに公開する文書は、次第に「日本型の感染症対策」[372: 10] あるいは「日本モデル」[373: 11] を称揚する色彩を強めていくことになる (3章参照)。
また、彼らは各種メディアに積極的に出演(19) するとともに、リスクコミュニケーション研究者の助力を得て自らネット上で情報発信を展開した [古口ほか 127] [堀口逸子 76]。このため、専門家発の言説が、政府の公的文書以外に大量に流通し、日本におけるコロナ流行状況や政府の対策などに関する「科学的」な説明をあたえるものとみなされるようになった。
そして彼らは日本のコロナ対応の内幕を知る——しかも政治家や官僚にくらべて話を聞きやすい——情報源として、ジャーナリストやノンフィクション作家、政治学研究者などの取材対象となった。そうした取材に基づく口述史 (oral history) 的な資料 [西浦+川端 262] [河合 112] [牧原+坂上 203] が出版されている。これは、専門家たちが日本のコロナ対応の歴史を語る語り手とみなされているということだ。本来なら、口述史は、それ自体は史料のひとつにすぎない。他の資料との突き合わせなどによる批判を経てはじめて、歴史を叙述する素材のひとつとして利用可能になる [伊藤隆 88] はずのものである。しかし実際には、そういう批判がきちんとおこなわれないまま、彼らの語ったことがそのまま真実であるかのように受け止められ、定着してしまった。
コロナ対策は2020年初頭に始まり現在 (2026年) まで長期間にわたって続いてきたものであるが、本稿では2020年前半の第1波 (5月まで) のうち、さらにその前半部分、おおむね4月初旬までを主たる対象とする。
この時期、専門家会議は、感染源のさかのぼり調査で大規模感染を見つける「クラスター対策」をおこなうことと、一般市民に「密閉」「密集」「密接」の3条件が揃う「3密」(さんみつ) と呼ばれる場所を避けるよう行動変容を呼びかけることで、社会・経済機能への影響を最小にしつつ感染拡大の効果を最大にすると主張していた。これらは3月下旬以降に「日本モデル」と呼ばれるようになるものだが、その基本的な発想は2月末には現れていた (3章および6章参照)。本稿では、この「日本モデル」の実態とそれに関する言説を検討する。
第1波の流行は実際にはクラスター対策や3密回避という「日本モデル」では抑えることができず、4月7日に政府が緊急事態を宣言して、全面的な行動の抑制を呼びかけることになった。結局、社会・経済機能への深刻な打撃 [内閣府 229] を残して第1波は終息したのであるが、緊急事態宣言解除後の5月29日に専門家会議が出した「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」[380] は、クラスター対策や3密回避が成果を挙げたと主張した。実証的な根拠を伴わない主張であったが、それ以降、日本のコロナ対策「成功」の要因としての評価が定着してきた [齋藤環 313: 21-23] [出村政彬 30: 189] [黒木登志夫 188: 144--145, 184]。
一方で、コロナ禍に関しては、そのほかにも多様な資料が作成され、流通している。中央政府や自治体その他の組織が作成した文書や記者会見などの記録、マスメディアによる報道、学術論文、いろんな立場の個人による体験談などである。そうした資料の多くは、簡単に手に入る。それらをつなげていけば当時の実態はどういうものだったのかをかなりの程度推測できるし、専門家たちの主張と突き合わせて評価する作業もできる。その意味で、類似の事件にくらべて透明性が高いのである。なぜそうなったのかについては、3つの理由を考えることができる。
第1に、新型コロナウイルス感染症の流行は、科学の最先端の話題だったということだ。そのため、科学の外で創られたデータ (たとえば保健所によるサーベイランス結果) に基づく研究成果が科学の世界に持ち込まれる、ということが起きる。通常の「科学コミュニケーション」(科学が創り出した知識を科学の外の世界に持ち出す) とは逆方向の現象である。科学の世界には、データを捏造したり改ざんしたりすることを禁止する規範 (2章参照) がある。コロナをめぐる言説の一部は科学の世界に食い込んでいるので、この規範の恩恵を受ける部分があるのだ。
第2は、保健所という地方分権色の強い組織が、サーベイランスをおこなって感染状況のデータを集めていたという点である。保健所は都道府県や保健所設置市などの指揮下にあり、感染症法で指定された疾病の患者が出た場合の報告先は、管轄の自治体首長である。新型コロナウイルス感染症の場合、こうして把握した情報を各自治体が公表していた。これらの情報が厚生労働省にも報告され、それが中央政府が把握するデータ源となっていた。後に感染者数が増えるとこの方式では間に合わなくなり、各自治体が公表(20) するものをまとめて統計を作るようになっていく [Ninomiyaほか 255] [鈴木 402: 437]。また、政府の会議で使う資料 [専門家会議 370: 6] [分科会 298] が、マスメディアの報道から抽出した情報に基づいて作られていたりもする(21)。こうした特殊な手続きをとったため、公的統計の集計前個票データが部分的に各地で公開・報道されているような状態(22) になっていて、政府による全体的な情報統制が効きにくかった。これらをかき集めて現場の実態を推測することが、政府や専門家の説明に綻びを見出すきっかけとなる。
第3に、社会的関心が高く、長続きしたということがある。パンデミックとは、「人々が公衆衛生に異常な関心を示す出来事」[大林啓吾 269: ii] でもある。強い関心を集め続けた社会的課題なので、それに応えるべく、あまり知られていない資料を掘り起こしてきたり、さまざまな立場の人の経験をまとめて出版したりということが広くおこなわれてきた。そのため、参照すべき文献が分厚い [木村浩一郎 119] [竹中 408] [瀬名秀明 329] [大宅壮一文庫 302]。そうした文献を参照しながら、日本のコロナ対策の実像に迫っていくことが可能になっている。
コロナ対策のように緊急性が高く、状況がどんどん変化していった事柄の場合には、即時的な批判はむずかしい。そのときには自分自身を守るのに精一杯だったという人も多いだろう。しかし、時間が経って、現在わかっている知識を基盤にして当時の資料を突き合わせていくと、そこにはいろいろと見えてくるものがある。そうしたかたちで、事後的に政府や専門家に対する批判を蓄積していくことができる。コロナ対策に関する問題は、こうした事後的検討に適した性質を備えている。
「日本モデル」とは、実際のところ、どのようなものだったのだろうか? また政府や専門家はどのような理屈で「クラスター対策」や「3密」回避の効果を説明していたのだろうか? 本稿では、当時の公開資料を収集・検討して、この課題に答えることにする。
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