中日の谷沢健一氏(1974年、愛知・中日球場・時事通信フォト)
「おい、谷沢」──年上の選手も呼び捨て
この時点で“9回ノーヒットノーラン達成”なのだが、阪神も無得点。9回裏の味方の攻撃に期待するも得点は入らず、延長戦に突入した。それまで延長に突入してノーヒットノーランを達成した選手は誰もいなかった(ちなみに江夏以降の達成者もゼロ)。江夏自身も「延長になった時点で(ノーノーは)無理やと思ってた。俺はそんなにこだわってなかったし、とにかくケリをつけて早く帰りたかった」と語っている。
10回表には中日の四番・井上弘昭にあわやホームランというレフトへの大飛球を浴びるが、ボールは外野手のグラブに収まった。11回表も苦手としていた木俣達彦をピッチャーゴロに仕留めるなど、三者凡退に抑える。ここまで球数は142球。江夏は前々日の中日戦でリリーフ登板して3イニングを投げており、限界に近かった。
そして迎えた11回裏。先頭打者は江夏。代打は送られず、ゆっくりと自分の間合いでバッターボックスに入る。「自分で決めようなんて思ったわけじゃない。とにかくフルスイングすることだけを心掛けた」と江夏は明かす。
勝負の決着は一瞬で訪れた。松本の初球ストレートをジャストミートした打球は高々とライトに上がり、阪神の応援団がひしめくライトスタンドに飛び込んだ。史上初の延長でのノーヒットノーラン達成を自らのホームランで決めた劇的な結末に、甲子園は「六甲おろし」の大合唱で揺れるほどだった。
谷沢はベンチに引き揚げながら、意気揚々とダイヤモンドを一周する江夏を眺めていた。
「江夏は自分より1つ年下だけど、プロ入りが先だったということで“おい谷沢、谷沢”って呼び捨てだった。そりゃ、腹は立ったよ(苦笑)。後に広島に移籍してからも年上の衣笠祥雄さんには“サチ”、山本浩二さんには“コウジ”だったもん。まぁ、そのぐらいの度胸というか傲慢さがなければ、“延長ノーヒットノーランを自分のホームランで決める”なんて離れ業はできないよ。今になって振り返っても、打者に向かっていく気の強さは見事だった。同じ気の強さでも星野(仙一)さんは演出するタイプだったけれど、江夏は地のままだった。
あのノーヒットノーランの年は、江夏にとって阪神時代の晩年だった(1975年シーズン終了後、トレードで南海に放出)。ちょっと太ってきてたし、ピーク時より球威は落ちていた。それでも首位争いのゲームでノーヒットノーランをやってのけるんだからねぇ……」
名打者は、名投手を知る。江夏の底知れぬ力を思い返し、谷沢は懐かしげな表情で脱帽の溜め息をついた。
〈プロフィール/松永多佳倫(まつなが・たかりん)〉
1968年生まれ。琉球大学卒業。出版社勤務を経て沖縄移住後、ノンフィクションライターに。プロ野球界の重鎮のインタビューをはじめ、スポーツ取材に定評がある。『怪物 江川卓伝』(集英社)、『92歳、広岡達朗の正体』(扶桑社)、『沖縄を変えた男 栽弘義』(集英社文庫)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『最後の黄金世代 遠藤保仁』(KADOKAWA)など著作多数。5月15日に江夏氏との共著『江夏の遺言』(小学館)を刊行した。