開館40周年記念展
静岡県立美術館をひらく 7つの扉
◾️2026年4月25日〜6月21日
◾️静岡県立美術館
1986年4月に開館した静岡県立美術館は、本年(2026年)が開館40周年記念の年。
その記念展は、木下直之館長と5名の学芸員がそれぞれキュレーション、静岡県立美術館所蔵作品をキーに借用品も(部屋によっては大々的に)交え、7つの部屋(テーマ)を展開する企画展。
本展は、ひとりの学芸員から開館40周年の展覧会として館長企画の「美術という見世物」をと提案されたことを受け、木下館長が逆提案したものだという。
私のお目当ては、木下館長キュレーションの部屋。
浅草寺から絵馬が出品されると知ったため。
東京・台東区にあるものをわざわざ静岡市に行って見るのもどうかとも思うが、「芸術新潮」の連載を書籍化した『キテレツ絵画の逆襲 「日本洋画」再発見』(新潮社、2025年9月刊)の6章(ゲストが木下館長の回)により、通常非公開であるらしい浅草寺絵馬堂に興味を持ち始めて間もないこともあって、22年ぶり2度目の静岡県立美術館への遠征を敢行する。
木下館長の第1室は、期待以上の内容。
そして、他の部屋(私的には第2・3・4室)も想像以上の見応え・読み応え。
ロダン館を含め、予定より長居する。
【7つの扉】
第1室 美術館とは何だろう
第2室 絵画のかたち、油絵の居場所
第3室 風景をあつめる
第4室 絵画を立体的に観る
第5室 評価と名画
第6室 美術家をめぐる物語
第7室 人形と彫刻、ロダンへの道
本記事では、木下館長キュレーションの第1室について記載する。
日本最古級の「絵馬」から始まる。
《絵馬(浜松市伊場遺跡出土)》
奈良時代、7.3×8.9cm、浜松市
驚きの遺品、馬の線が鮮明に残る。
8世紀後半から9世紀初めに制作され、1972年に浜松市で出土されるまで1200年近くも地中にあって、線がこれほど見事に残っているとは。
同時に計6点の絵馬が出土されたが、線が鮮明に残っていたのはこの1点のみらしい。
小さいサイズだが、神々しい。
凄いものを見させてもらった。
画像は少々ぼやけているが、実物の線はクリア。
なお、実物展示は5/10までで、以降はレプリカ展示となる。
横に並べられるのは、浅草寺が所蔵する江戸時代・天保2(1831)年の大絵馬で、谷文晁筆《神馬図(繋馬)》94.3×100.6cm。
時代は1000年超の隔たりがあるが、神仏への祈りの形に変わりないように見える。
続いて、静岡市立芹沢銈介美術館所蔵の小絵馬20点。
芹沢は、収集した小絵馬を戦争ですべて失うが、戦後に改めて収集、そのコレクション127点は静岡市立芹沢銈介美術館に所蔵される。
馬のみならず、牛、桃持ち猿、不動の剣、人に鍵、腰から下、双手、母子入浴、乳もらい、鉄草鞋などなど、素朴で多様な意匠に込められた祈りを想像する。
続いて、浅草寺所蔵の大絵馬。
桜窓三寿《観音参拝祈願》文久3(1863)年、
108.5×70.0cm は、展示室の壁の天井近くに掛けられるが、本堂や絵馬堂の高い場所に掛けられた江戸の絵馬の擬似体験を意図したとのこと。
柴田是真《茨木》明治16(1883)年、180.9×151.2cm は、叔母の姿に変じた茨木童子が渡辺綱に切り落とされた片腕を奪い返した場面が描かれる。
43年前に柴田が制作した同じ画題の絵馬を王子稲荷神社で見て感動した五代目尾上菊五郎からの依頼により制作されたとのことであり、絵馬堂が鑑賞の場でもあったことが伺われる。
そして、次の油彩画3点が並ぶ。
高橋由一《甲冑(武具配列図)》
明治10(1877)年、151.8×104.8cm、
靖国神社遊就館
高橋源吉《ヤマサ醤油商標感得図》
明治27(1894)年、258.2×199.1cm
浅草寺
本多錦吉郎《羽衣天女》〈重要文化財〉
明治23(1890)年、127.2×89.8cm
兵庫県立美術館
第1室の目玉コーナーとなろうか。
木下館長としては、源吉と本多の間に、原田直次郎《騎龍観音》〈重要文化財〉明治23(1890)年、287×181cm、護国寺蔵(東京国立近代美術館寄託)を置きたかったとのこと。
『キテレツ絵画の逆襲』6章でも、源吉と原田を並べて見たい旨を木下館長が述べ、本多も一緒に並べたら面白いと思う旨を著者の三浦氏が述べているが、隠していたのだ、本展の企画を進めていることを。
由一の作品、注文を受けて制作し、第1回内国勧業博物館に出品、その2年後に注文者により靖国神社に奉納される。
見事な写実表現により描かれる甲冑、戊辰戦争における官軍側の戦死者に対する鎮魂の意味が込められているという。
由一の長男・源吉の絵馬は、浅草寺に奉納されて以降、寺外に出るのは本展が初めてだという。
ヤマサ醤油の当主・濱口儀兵衛の注文により、創業者が商標を考案する際、娘の夢に日頃信仰する浅草観音が現れ、筆をとらせて商標を感得した場面を描いたもの。
『キテレツ絵画の逆襲』6章でも大きく取り上げられたが、「観音の姿を描かず、上から差し込む光で表現」するという工夫がなされていることに注目して観る。
本多の作品は、第3回内国勧業博覧会出品作で、1904年頃米国に渡ったとされ、長らく所在不明であったが、1989年にニューヨークで発見され、日本の画商に買い取られ国内に戻り、その後寄贈により兵庫県立美術館の所蔵となったもの。
私的には、2024年の東博「令和6年新指定 国宝・重要文化財」展以来2年ぶり2度目の鑑賞。
前回見たときは、美術品というより美術史料だなと思ったが、それは、反射もある壁面ケースのなかの本作を離れた距離から見たためであったのか、同じ年に国宝あるいは重要文化財に指定されたということ1点だけで、分野も時代も流派も所蔵者も全く異なる美術工芸品と一緒に並べられていたためであったのか。
今回、至近距離で観て、技術も色彩も題材も魅力的な美術作品であると認識する。
静岡県立美術館訪問の数日後。
東京国立近代美術館の所蔵作品展で、原田の作品を観る。
原田の作品は、第3回内国勧業博覧会に出品後、原田自身が護国寺に奉納し、寺の本堂に長く掲げられていたもの。
源吉の絵馬および本多の作品を思い浮かべつつ見る原田の作品は、今までとは違った見え方がする。
ちなみに、源吉の絵馬と原田の作品は、ほぼ同じ大きさである。
明治前半の洋画黎明期、美術界で国粋主義が台頭する時代、自分たちが習得した技術を日本のなかで認めさせるべく、洋画家たちは闘う。
4点を通じて、その闘いの一端を伺うことができた。
洋画家たちの闘いは、第2室でも取り上げられる。
(つづく)