狩野素川章信、狩野栄信(ながのぶ)のライバル

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狩野素川章信(1765~1826)

 

 

18世紀後半から19世紀前半に活躍した江戸狩野派の浅草猿屋町代地家の画家。


父は宇田川徳元と言われる。はじめ仙次郎と称し、後に外記と改める。彰信(あきのぶ)と署したが、50歳以降は章信と署した。大玄斎と号す。


浅草猿屋町代地家四代目当主・狩野寿石賢信(じゅせきかたのぶ)(1739~1780)の養子となる。


安永9(1780)年、徳川家治に御目見。同年、寿石賢信が没し、その跡を継いで五代目当主となる。


寛政12に(1800)年、36歳で早くも隠居し、花街での遊蕩を好み、吉原の老妓の門弟を多く抱える。


在世期より人気のあった画家で、狩野栄信とライバル関係にあったとされる。

ただし、駿河台家以外の表絵師が実質上の評価において奥絵師の触頭に匹敵することは考え難く、一部の評価が栄信と相対したと解すべきであろう。


松平定信周辺の画事も勤めるなど、当時の江戸画壇で最も注目すべき活動をした江戸狩野派の画家と言える。


18~19世紀に活躍した江戸狩野派の表絵師らしいオーソドックスな人物、山水、花鳥画のほか、浮世絵風、谷文晁一派ら、江戸画壇の南画家風の作品など、様々な様式を使いこなし、仏画にも優品を残す。

 

幕末の木挽町狩野家では描くことを禁じられていた浮世絵そのものといっていい作品を描いたり、酒井抱一派が手掛けた描表装(かきびょうそう)にチャレンジし、精緻な裂地描写を行っている。また春画にも挑んだ変わった絵師である。

 

文人墨客と交わることで、江戸画壇の諸潮流を江戸狩野派の様式のうちに取り込んだ点で重要な画家である。


現存作品は60点を超え、表絵師のなかでは駿河台家の狩野益信や狩野洞春美信に次ぐ点数が確認される。

 

代表的な作例としては、《江都四時勝景図巻》(江戸東京博物館)、《三十六歌仙図》(大英博物館)、《美人図》(板橋区立美術館)、《見立普賢菩薩図》(ボストン美術館)、《仏涅槃図》(個人蔵)などのほか、《戯画帖》(個人蔵)のような洒脱な作品もある。
なお、画論『画道伝授口訣(がどうでんじゅくけつ)』を著している。

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