『できる・できない』を超えて

〜仏教的視点から見る機根と縁〜

 

 

「できる」「できない」という言葉は、

私たちが日常でよく使うものですが、

その基準は意外と曖昧です。

 

 

例えば、誰もが1時間は

歩けるはずなのに、歩かない人がいる。

 

 

この場合、その人は「できない」のか、

それとも「やらない」だけなのか。

 

仏教的な視点から考えると、

「できる」「できない」は

単なる能力の問題ではなく、

縁や因果によっても決まります。

 

 

そして、それは「機根」とも

深く関わっています。

 

 

機根とは、仏法を受け入れる素質や

縁のことを指します。

 

 

人によって機根の成熟度は異なり、

それによって仏法を理解しやすい人と

そうでない人がいます。

 

 

しかし、それは生まれつき

決まったものではなく、

過去の行い(業)や現在の

努力によって変化するものです。

 

 

例えば、

ある人が仏教の教えを聞いても、

最初はまったく理解

できないことがあります。

 

しかし、何度も触れるうちに

少しずつ心に響くようになり、

やがて深く理解できるようになる。

 

 

この変化こそ、

機根が育っていく過程です。

 

 

これは「歩く」ことにも似ています。

 

 

歩く力があっても、

歩こうとしなければ歩けませんし、

環境が整っていなければ

難しい場合もあります。

 

仏法も同じで、縁がなければ

学ぶ機会がありませんし、

自ら閉ざしてしまえば

理解することもできません。

 

 

だからこそ、仏教では 

「縁を結ぶこと」を大切にします。

 

 

「今は分からなくても、

縁があればいずれ目覚める」

 

 

「小さな実践の積み重ねが機根を育てる」

 

 

という考え方が、

 

 

まさに「できない」から

「できる」へ変わる道なのです。

 

私たちは、できないことを

嘆くのではなく、

 

 

「どうすれば縁を結べるのか」

 

「どうすれば機根を育てられるのか」

 

 

を考えてみると、

きっと新しい道が開けてくるでしょう。


   金剛山 一光寺

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