【長嶋巨人にやってきた男/川口和久】「リリーフやろうよ」引退覚悟から変わった運命“メークドラマ”を完結させた左腕
移籍1年目は不本意な成績
様々な事情が絡み合い、川口は巨人移籍を決断するが、広島という球団には愛着があった。プロ1年目、キャッチボールをしていると、それを見た四番打者の山本浩二が「ストレート、次はカーブ」と言っているのが聞こえてきた。一瞬で川口の球種ごとのクセを見抜く、プロの一流選手の眼力に圧倒された。2年目の初先発初勝利は、なんとか6回まで投げ、なにかと面倒を見てくれた大野豊がリリーフで最後を締めた。お世話になった先輩たちへの恩は忘れたわけじゃない。それでも、他球団のエースクラスと比べると明らかに年俸が少ない査定システムへの不信感はあった。 「いつの間にか、10勝すれば年俸もそう下がらんだろう、どうせ上げてくれないんだからこれぐらいでいいだろう、という気持ちも出てきてしまったような感じなんですね。(中略)正直いって、野球生活は残り少ないわけですし、家族もあるし、将来の生活もあるわけですから。でも、これまで経験してきたボクらには、広島では、周囲のチームのようなことはないな、と分かるわけです」(週刊ベースボール1994年12月5日号) 川口自身も全盛期より力が落ちているのは自覚していた。「ピッチャーは鉛筆。芯が減れば削って、最後にはどんどん短くなって、最終的にはなくなってしまう」と日頃から口にする川口にとって、年俸1億円の複数年契約と新しい刺激を与えてくれる環境が、長嶋巨人だった。 しかし、新天地での川口は1995年の開幕ローテを任せられるも、移籍後初登板の4月12日横浜戦で3回途中5失点KO。4月26日には、古巣・広島との初対決で2失点完投勝利を挙げるも、5月10日の再戦では自身のバント処理のミスから失点を重ねて5回途中でマウンドを降りた。「ベテランのプレーじゃないよ」と堀内恒夫投手コーチは苦言を呈したが、夏場には内転筋痛、シーズン後半には打球を左手に受けて戦線離脱と故障にも泣かされた。8月以降は勝ち星なしに終わり、巨人1年目は、17試合で4勝6敗、防御率4.42。9月27日の横浜戦で史上14人目の通算2000奪三振を、江夏豊に次ぐ2番目のスピード記録で達成したのがせめてもの意地だった。