【長嶋巨人にやってきた男/川口和久】「リリーフやろうよ」引退覚悟から変わった運命“メークドラマ”を完結させた左腕
「じゃあうちの4敗はなくなるね」
だが、巨人の長嶋茂雄監督から自宅に電話があり(広島のテレビ関係者が川口の目の前で、携帯電話を取り出し長嶋監督とコンタクトを取ったという証言も残っている)、「FAするなら一回、東京で食事をしよう」と誘われ、東京のホテルで中華料理を一緒に食べることになった。同年オフ、ヤクルトからFA宣言した広澤克実が、長嶋監督との会食で、あのミスタープロ野球を目の前に舞い上がって入団を即決したように、川口も子供の頃に選手・長嶋の引退試合をテレビで見ながら、涙を流したほどの熱烈な長嶋ファンだった。当時の野球選手にとって、まさに長嶋茂雄は野球の神にも等しい、少年時代の憧れの英雄だったのである。 「俺が野球を始めたきっかけが長嶋さんだからね。ずっと憧れていた人だよ。翌日、食事をしようとなって、飛行機で東京に行き、神様みたいな人と1対1で食事をした。そこで「頼むよ、巨人に来てくれないか」と言われちゃった。舞い上がるよね。しかも、余命何カ月と言われてた義理のオヤジは巨人の大ファンだった。俺は『ああ、これも運命だな。いい冥途の土産にしてもらえるかな』と思った」(週刊ベースボールONLINE 2018年11月30日) その席で、巨人相手に何勝しているのか聞かれた川口が、「(現役投手トップの)通算33勝、今年は4勝しました」と答えると、長嶋監督は「そう、じゃあうちは4敗なくなるね」と言ったという。5年ぶりの日本一を達成した直後、監督自らが直接出馬して「週1回の登板なら、まだ15勝できます」と絶賛する一方で、35歳の川口の獲得には懐疑的な声も多かった。1994年シーズンは、後半戦に盛り返したものの27試合で7勝10敗、防御率4.72。二桁勝利からは3年間遠ざかっていた。この1994年オフ、巨人は香田勲男とのトレードでサウスポーの阿波野秀幸(近鉄)も獲得している。先発三本柱の斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己が全員右投手というチーム事情もあった。