五月祭の件では様々に議論が続いていますが、私としては、講演会の開催阻止を正当化する一部の学者の牽強付会には驚愕します。
いわく、学生の「有志」の突きつけた誓約書にサインしなかったから神谷氏はヘイト発言する気だったとか、ヘイト発言する可能性があるから開催阻止でよいとか•••。
可能性でもって特定の政治的集会の開催阻止が認められるなら、まさに戦前の治安維持法の予防拘禁そのままでです。予防拘禁ならぬ予防阻止でしょう。
そんな当たり前のことを、本来見識と知的権威があると見られている人たちが問わず語りに口にしては、一見強固に見える言論の自由もやはり政治的熱情の中では意外に脆いものであり、権利の把持には不断の努力が必要とあらためて感じさせられます。