会話

まず、私自身は趣味程度ではありますが人文系の学問も勉強しているので、人文系学問を軽視したり貶める意図は全く無いことを最初にことわっておきます。 その上で人文系の学問は自然科学のように実験や観測によって比較的明確に決着が付く問題ばかりではないため、「何を暫定的に妥当な見解とみなすか」の基準を共有することが難しい場面が多いのでは無いかと思っています。 もちろん、人文系に基準がないという意味ではありませんが、それでも自然科学に比べると、解釈や価値判断、前提の置き方がより大きな意味を持ちます。だからこそ、個々人が自分の見解を比較的自由に述べることができるし、その自由さが人文系の多様性や面白さを生み出しているのだと思います。 しかし、その自由さがあるからこそ、本来は他者の意見にも慎重であるべきです。しかし、人間にはどうしても「自分が正しいと思うもの以外を認めにくい」という性質があります。その感覚が学問の場に持ち込まれると、自分の見解を一つの解釈としてではなく、唯一の正義として扱ってしまう危険があります。 さらに、それが権威と結びつくと、単なる個人の見解が「学問的に正しい立場」や「倫理的に正しい態度」として振る舞い始め、そこで生まれるのが、権威をまとった正義の危うさなのではないかと思っています。その結果、弱い立場にある人が被害を被るのは残念という言葉では済まないくらい残念なことだと思います。
引用
桑原旅人
@KuwaharaTabito
日本ラカン協会の問題は、私が受けた査読コメントだけではありません。以前、同協会の大会において松本卓也氏の指導下にあったある院生(当時M2)が、本人が発表の意思を示していなかったにもかかわらず、その院生の投稿論文を気に入らなかった京都大学の立木康介氏によって、半ば強制的に発表させられ x.com/kuwaharatabito…