第40話:約束の言葉
一番大切な事を伝える――その言葉を真希が述べてから、しばらくの間、院長室に沈黙が流れた。
彼女は、何度か唇を動かそうとしていた。何かを言おうとしているのは明白だった。しかし、中々その次の内容が、彼女の口から出てこなかった。
それでも、常葉が焦る事は無かった。
例えどれだけ凄い超能力を持とうが、彼女の心はまだ立派な人間。人間と言うのは、本当のことを言おうとすると、なかなか時間がかかるもの。
決して急かす事なく、常葉はその時を待ったのである。
そして、大きく深呼吸をした後、真希は改めて、常葉に向けて語り出した。
「……あのね、先生」
「なあに、真希ちゃん?」
「あのね、さっきもいったとおり、わたしは『ぜんのー』のちからをてにいれたあと、常葉先生のコピーをいっぱい、ほんとうにいっぱいつくった。このへやにも、いっぱいいる……」
その言葉に呼応するように、院長室に待機している無数のコピーは一斉に頷いた。
彼女たちは、全員とも真希が思い描いた理想の『氏神常葉』像を具現化した存在。本物の常葉と同じように優しく、素敵で、強くて、格好良い存在。
そして、彼女たちは揃って本物の常葉と同じ顔、同じ背丈、同じ人格、そして同じ思想を持つ。
でも、彼女たちにはたったひとつだけ、『本物』と大きく違う点がある、と真希は語った。
「……違う点?」
「うん……。コピーの先生たちは、いつでもわたしにやさしくしてくれた。わらいかけてくれたし、いっしょにいてくれた。でも、先生のコピーには、ひとつだけ、『やくそく』をまもってもらっていた……」
その『約束』は、この『ムゲン病院』で勤務するすべての氏神常葉のコピーに当てはまるもの。
新たなコピーが生み出される度に、彼女の深層心理に訴え、事情を説明した上で『指切りげんまん』して守ってもらっていた、と説明する真希の言葉に、無数のコピーはそれが事実である事を示すかのように、先程よりも大きな頷きを返した。
当然、常葉はその『約束』の具体的な内容が気になった。しかし、それを尋ねた瞬間、真希の頬は先程よりも更に真っ赤になった。
気恥ずかしさと緊張、そして照れくささや嬉しさ、様々な感情が入り混じっているかのように。
「……あのね、先生……それは、『ことば』なの。とってもみじかいけれど、とってもだいじなことば……」
「言葉……その言葉を、コピーの私に口にさせたくなかった、って事?」
「うん……。コピーの先生たちにはわるいけれど、どうしてもそのことばだけは、ね。オリジナル、ほんものの先生のためにとっておきたかった……」
無数のコピーに包まれて長らく自堕落な暮らしをしていた間でも、その言葉だけは口に出させなかった。そして自分自身もまた、その言葉を外部に出す事だけは何とか我慢しようと頑張っていた。
自分が正気に戻るのが、完全に悪い子に成り果てるのを直視するのが、とても怖かったからかもしれない――真希は過去の自分を振り返りながら語った。
健気な彼女に、恐れを持たせるほどの力を持つ『言葉』とは一体何なのか、その時点での常葉は見当もつかなかった。
「……でも、もうそれもおしまい。ほんものの先生は、いま、わたしたちのことをぜんぶしってくれた。ぜんぶうけとめてくれた。わたしを『めいい』っていってくれた。だから……」
今をもって、その言葉を口にしない、という『約束』は、院長権限で撤廃する。私はこれから、自分に正直になる。
そう語った後、真希は、改めてまっすぐに常葉の顔を見つめた。
まだ涙の跡が残る頬や泣き腫らした目、赤く染まった鼻が、どこか子供っぽさを醸し出していたが、その瞳には、自らの進路をふさいだ、全身全霊とも言える覚悟が宿っていた。
そして、もう一度大きく息を吸い、そして吐いたのち――。
「……氏神常葉先生……」
――薄手真希は、瞳に映る女性のフルネームを、しっかりとした言葉で述べた。
「……わたしは、あなたが、『好き』です」
長い間、ずっと隠そうと努力していた、たった二文字の『言葉』を、はっきりと口にしながら。
無数の常葉のコピーたちが、一斉に様子を見守った。全員とも、凍り付いたように動かなくなった。
そして、本物の常葉は、常葉から目を逸らす事なく、じっと見つめ返していた。
「……」
「にゅういんしていたときから、ずっと好きでした。ひとめぼれでした。先生がきてくれるとうれしくて、こえをきくとあんしんして、えがおをみるとわたしもわらえて……先生がくるたびに……いつもドキドキしていた」
「……」
「いちどしんだときも、わたしは先生が好きでした。先生みたいなひとになりたい、先生といっしょになりたいって……ほんとうはおもっていた……」
「……」
あの総合病院を模して『ムゲン病院』を作ったのも、その従業員として常葉のコピーを無尽蔵に作り続けたのも、本当は全部、氏神常葉先生が『好き』だったから。
『先生』のあの顔やあの声、あの姿が、先生の全てが好きだったから。ずっと先生の近くに居たかったから。
常葉のコピーに『好き』というのを言わせないようにしたのも、自分自身も言わないよう、伝えないよう、懸命に耐えようと努力していたのも、全ては氏神常葉と言う存在が『好き』で『好き』でたまらなかったから。
そして、氏神常葉と言う存在を救おうとしたのも、元を辿れば彼女が『好き』だったから。
『好き』な人が苦しみ、泣いているのを、放置する事なんて出来なかったから。
真希の口から語られたのは、今まで溜めに溜め、我慢に我慢し続け、一度危うくばれそうになったけれど、それでも何とか耐え続けた思いの数々だった。
「……ぜんぶ、ぜんぶ、先生が『好き』だから、したことなの……」
そして、彼女は自らの思いを込めた、最後の言葉を紡いだ。
「氏神常葉さん……」
好きです。ラブです。愛しています。
「……」
その瞬間、常葉は、最後まで真希の口から語られなかった、最後の『謎』の真相を知る事が出来た。
あの時――『院長』の行方を探るため、無限に続く病院の内部を彷徨いつつ『院長室』を探していた時、彼女はふとした思い付きから、奇妙な部屋に辿り着いた。
そこに描かれていたのは、まるで『子供』が頑張って作ったような、落書きのような絵の数々。
そして、その中央にはっきりと記されていた、『愛』の言葉。
『忘れて欲しい』と、あの時別の常葉=常葉のコピーは、珍しく厳しめの口調で常葉を諭した。
あの態度を含め、ずっと頭の中にこびりつき、忘れようとしても忘れられなかった、奇妙な部屋。その秘密が、ようやく解き明かされた。
あれは、『薄手真希』と言う名を持つ『院長』が、ずっとずっと溜め込み続けていた『心』そのもの。
我慢し続けながらも、それが僅かながら溢れて形になってしまったのが、あの部屋とたくさんの落書き。
本当は明かしたくなかった、彼女の本心だったのだ。
(……そう……そう言う事、だったのね……)
常葉は、真希をじっと見つめていた。真希もまた、常葉の方を見つめ続けていた。
長い沈黙が、ふたりを、彼女たちを見守るコピーを、そして広い『院長室』を、包み込み続けた。
次第に、真希の顔が青ざめ始めた。常葉からの返事がない事への恐怖が、彼女の覚悟を侵食し、揺らがせようとしていたのだ。
もしかして、ドン引きされたのではないだろうか。気持ち悪いと思われたのだろうか。やっぱり、自分は――。
「……真希ちゃん」
「……!!」
――そう思った瞬間、真希が聞いたのは、自身の名を呼ぶ常葉の声だった。
そこには、怒りも嫌悪も、困惑も、一切なかった。ただ、穏やかで、温かくて、優しい響きだけが存在していた。
「……ありがとう。とっても嬉しいわ」
「……うれ……しい……?」
「ええ、嬉しい」
そして、背の高い常葉は、背の低い真希の目線に合わせるよう、ゆっくりとしゃがんだ。そして、そっと右手を伸ばし、もう一度彼女の頭に置いた。
先程慰めた時とはまた異なる、温もりや温かさ、そして愛を込めながら。
「あなたは、私の命を救ってくれた『恩人』。私の傷ついた心を蘇らせてくれた、素敵な『名医』。そして、私にとっても、『特別な存在』」
「……先生……」
「だから……ふふ、私の方こそ……」
ずっと、真希ちゃんを離さない。ずっとずっと、『好き』でいたい――。
「先生……先生!!大好き!!」
――その瞬間、真希は常葉に思いっきり飛びついた。背丈に合わない、大好きな存在とお揃いのサイズの白衣の袖が、常葉の短い黒髪にかかった。
危うくバランスを崩しかけた真希であったが、片膝をつき、もう片方の足で踏ん張り、その小さくも逞しい、不思議な力で生まれ変わった彼女の体をしっかりと受け止める事が出来た。
「大好き!!ほんとうに好き!!大好き!!うちゅーでいちばんあいしてる!!ほんとうに、ほんとうに……!!」
「ふふ、分かっているわ、真希ちゃん……」
今まで長い間言えなかった言葉を、ここぞとばかりに一気に投げかける真希を、常葉はしっかりと抱きしめ続けた。
そして、そんな彼女の頬は、ほんの少しだけ赤く染まった。
ただ患者のため、治療のために尽くし続けた完璧主義の『天才医師』に、何かの感情がほんのりと生まれ始めた瞬間だった。
「先生……ずっとずっと、わたしと『こいびと』でいて!」
「勿論よ、真希ちゃん」
「ほんとうに?ぜったい?うそじゃないよね?」
「ええ、さっきも言ったでしょう?真希ちゃんが私の『手』を離さない限り、私はずっと貴方の傍にいるって」
やっぱり先生は最高だ、と真希は更に力強く常葉を抱きしめた。
そんな愛おしい存在に優しく頷きを返した後、常葉は周りの様子を見回した。
そこには、安堵の表情を見せ、『院長室』を包み込んでいた張り詰めた空気を溶かしていく、無数の自分自身のコピーの姿がずらりと並んでいた。
良かった、とうとう『院長』が大切な言葉を伝えられた、『常葉先生』が受け入れてくれた、本当におめでとう――様々な歓迎の言葉を述べる面々の中には、微笑みだけではなく、嬉し涙を流している者もいた。
「あら、泣いてるの?」
「「「「「えへへ……だって、『院長』が喜んでいるんだもの……」」」」」」
自分たちも、ずっとこの時を待っていた。自分たちと共に我慢し続けていた思いを、『院長』=薄手真希が、素直に打ち明けられる日を。
そう語るたくさんのコピーたちに対して、常葉は愛おしさに似た感情を覚えた。
自分と寸分違わぬ姿形を持って生まれ続けた彼女たちは、ずっとずっと、『院長』と『常葉先生』=自分自身のため、身を削りながら奮戦し続けたのだ。
本当は、彼女たちも言葉で伝えたかったであろう、『院長が好き』という思いを、彼女との指切りげんまんの約束のもと、心の中で懸命に我慢しながら。
「真希ちゃん……私の考えている事、分かるでしょう?」
「……うん、そうだね、先生」
そして、ゆっくりと常葉にしがみ付いていた手を離した真希は、ゆっくりと立ち上がった彼女と並び、部屋の大部分の面積をびっしりと覆い尽くす、同じ美貌を持つ短い黒髪の女性たちへ向けて一礼をした。
彼女たちに様々な形でお世話になった常葉も、一緒だった。
「「……みんな、ありがとう」」
勿論、その短くも誠意を込めた言葉に返ってきたのは――。
「「「「「「「「「「「「……どういたしまして!」」」」」」」」」」」」」
――『創造主』と『オリジナル』へ誠意をお返しする、同じ声の挨拶の大合唱だった。
こうして、『ムゲン病院』の院長室に、たくさんの嬉しさに溢れた微笑みが溢れたのであった。
めでたし、めでたし――。
「……ん?」
――とは、ならなかった。
穏やかな空気を打ち破るかのように、院長室の扉をノックする音が響いたのだ。
少しだけ驚いた常葉に、万が一のため『病院』各地に待機するよう事前にお願いしていた、別の常葉のコピーであろう、と説明した真希は、すぐに入ってくるよう、『院長』として指示を与えた。
その言葉通り、扉の向こうにいたのは、本物の常葉とおそろいの衣装に身を包んだ、『医師』の業務を担当するコピーだった。
「……良い雰囲気に水を差して、申し訳ないけれど……」
「あ、う、うん……」
「え、ええ……」
「「「「「こ、こっちこそごめんなさい……」」」」」」
そんな前置きをしたコピーの表情には、明らかな焦りや苦々しさ、そして憎々しさがにじみ出ていた。
そして、彼女は伝えた。非常に厄介な事が起こった、と。
「厄介……?何が起きたの?教えてくれる?」
頷いた彼女が伝えたのは、常葉にも、真希にも、そして常葉のコピーたちにとっても、あまりに予想外の出来事だった。
とあるふたりの『人物』が、秘匿されているはずの『ムゲン病院』の存在を嗅ぎ付け、行動を開始している、というのだ。
それは誰なのか、と常葉は質問を続けた。一抹の嫌な予感を抱えながら。
「……2人組だったわ。一方は白髪の男性、もう一方は一回り年下の、やせ型の男性……」
「……まさか……まさか……!」
「……!」
「……ええ、その『まさか』よ」
そして、コピーは言葉を続けた。
彼らは『総合病院』の『院長』と『先輩医師』――氏神常葉と言う『天才医師』を精神的にも肉体的にも痛めつけた挙句、事実上彼女の居場所を奪った、あの2人である、と……。
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