【AIに頼りすぎない】 自らの意思で考えることの大切さについて
こんにちは、カズマです。
現代社会において急速に発展しつつあるAI技術。
ChatGPTやClaude、Google AIなど他にもあらゆる分野での生成に特化したAIサービスが続々と誕生してきている今の世の中において内心疑問なことがある。
今回は生成AIを含むIT技術について
ボクが今まで見てきた中でありのまま思ったことや
AIを過信しすぎない件についてに綴りたいと思います。
あくまでもボク個人の見解に基づく内容となります。
話し半分で留めていただければ幸いです。
0 例:AIの言ってることが正しい=自分以外の人が言う事は信用できない。”
・人間自らが考えて動く機会が減ってしまうかもしれないという危機感。
・人が話したことよりも、AIが導き出した答えが100%正しいと思い込んでしまう思考停止人間が今後増えてくるかもしれない。(大げさに聞こえるかもだけど、可能性は決して0ではない.)
・リアルなコミュニケーション能力の低下に繋がる
・AI抜きで何もできなくなってしまう
これに対するボクなりの意見
・AIが抽出した情報や答えが本当に正当なものか一度立ち止まってみる。
・あらゆる情報源と照らし合わせる。
・一次情報だけを鵜呑みにしないこと。
・あらゆる情報や現場の状況など、
可能な限り自分の目でみて自分の頭で考え、
相手の立場を考慮したうえで話すことが最も大切。
※情操教育に沿って相手を思いやる気持ちや命の大切さ、知的好奇心など自らの意思で考え動くことが最優先である。
このようにして一次情報だけで決めつけたり、
互いを避けては毛嫌いしたりなど、
SNSの普及も相まってか、ネットへの依存度が高まる危険性だってある。
そうなれば他者との距離が益々遠ざかってしまう等の排他的な人間社会になってしまうかもしれない。※もうすでに手遅れかも,,,,,,,,,,
それって,,,なんだか悲しくないですか?
(例:AIは自分にとって最大の友達、それ以外の連中は一切信用しない。)
互いを避けては無意識の内に避難したり偏見や差別がエスカレートしてしまうような、まるでディストピア映画に出てきそうな未来が訪れるかもしれないし、こういった世界線を想像しただけでも背筋が凍る。
1 使い方次第では役に立ってる、しかし……..
今となってはGoogleやYahooで検索する代わりにChatGPTなどのAIに質問し、質問内容に合わせた回答が自動で表示されるようになっている。
何かを調べる時や比較対象に関する記述・歴史や地理・経済ニュース・世界各国の情勢ほか日本の税制などもAIに質問すればネット上のありとあらゆる情報を引っ張り出した上で最適な回答が自動で表示されるといった仕組みだ。
これによってワードやエクセルといったソフトを使う際にAIでまとめたり、一部役割を補う形で導入してる企業もあるという話を耳にしたことがあります。人力で集計する代わりにAIでやってもらった方が時短にもなるし効率化UPにもなるので、これは感動もんですね。※数字が苦手なボクにとっては確かにありがたい存在でもある。
ぶっちゃけボク自身も英語作文の添削目的で使ったり、
日本や諸外国の法律に関することや
アウトドア製品の品質や使うシーンについて
そのほかに先月行った確定申告に関する疑問点など何度かAIに質問したことはある。もちろん、それらで得た情報が100%正しいとは思ってないので多方面の情報も吟味しつつ、なるべく自分で見て考えるようにしている。
本当にこれで合ってるだろうかといった感じでワンクッションの間を入れつつ、他のネット情報やサイト等を比較した上で適切に選ぶようにしてます。
場合によっては記載されてる内容に一部誤りがあるかもしれないし、それは生成AIの注意事項で書かれてあったような気はするけど、いずれも過信しすぎないことが大事。
AIはあくまでも道具の一種であり、補助の目的で使う分にはいいかもしれない。しかしAIの言う事を鵜呑みにすればするほど、自分の頭で考えなくなってしまうリスクがあることを知ってほしい。
2 AIを駆使した翻訳機能の増加
たとえばAI機能を使った翻訳を使って外国籍の人々に道案内や建物への経路を指示するといったサービスがあります。
近年急増してるインバウンド効果によって外国籍の観光客が増えてる中、英語を含む多言語対応に向けて一部の駅では翻訳対応ディスプレイといったものが設置されるようになりました。
たしかにこれがあることで相互間の認識や理解のミスマッチが減るかもしれないし、簡単な意思疎通であれば互いの言語に合わせてAIが翻訳してくれるのは効果的かもしれない。
しかし複雑な事情のある話題や難解な質問が出てきた場合だと翻訳精度によっては訳文が変な風に書かれることだってありますし、互いの認識に相違が出たり解釈が異なる等、何らかのトラブルが起きる可能性もある。
万が一停電が起きたり、AIサービスを手掛ける提供元の都合で急に使えなくなったりする場合だって十分あり得る。
前述でもあったように緊急時や非常時に備えて多少なりとも自分の言葉で話す訓練をした方がいいかもしれない。
たとえ拙い言い回しでも相手は意外と話しを聞いてくれますし、間に翻訳機能を挟むことなく互いに話しができるのはやはり楽しいし気持ちが良いもんです。(逆にAIの翻訳を介して話し続けるのってしんどくないですか?)
今までの経験上、生の言語にまさるものはないし自分の意思で直接相手と話すことができるだけで世界はこんなにも変わるんだと感じた機会が何度かあった。もちろんボク自身も英語はまだまだだし、勉強せなぁアカンと思っててもイマイチ継続できん性格で、それよりも自分自身が楽しくないと続かない性格なんですよね笑。
ちょっと話しが逸れてしまったけど、何でもかんでも機械任せで全てを終わらせること自体を一度見直す時が来たんじゃないかな内心そんな風に思った今日このごろである。
3 最近見た動画で考えさせられたこと(共有します)
先日ボクは下記の動画を偶然目にしました。
”AIがあるにも関わらず、なぜ英語などの外国語を学ばないといけないか?”
この着眼点を授業に落とし込み、生徒自身で考えて意見を共有するという。このアイデアを考えた先生が非常に優秀で、これはボクも内心驚きというか考えさせられました。
その他にもAIで得た答えが明瞭であったとしても、その内容が頭に残らないと感じることが多々ありました。今までにもChatGPTを使って自分が書いた英文に間違いがないかを指示し、それに合わせてより自然な文章へと添削してくれるのは非常に助かる。しかしどうもAIが導き出した回答だったり正確な英文というのが何故か記憶に残りにくいんですよね。
もちろんこの辺は記憶に定着しやすい勉強法だったり、活用の仕方次第で大きく影響する。
恐らく「わからないことはAIがなんとかしてくれるから、今覚えなくても大丈夫っしょ」ていう感じで先送りにしてしまう傾向にあるのかもしれないと内心そんな気がしてきた。(この辺は自分の怠慢さが招いた結果なので、決してAIのせいにするつもりは一切ありません)
しかしボクが10代の頃になかった技術が今の若い世代が当たり前のように使われてきてることに、内心恐怖というか徐々にマトリックスやブレードランナーのような未来へと1センチずつ近づいてるようにも見えるんですよね。
現実世界においてわからないことは全部AIに丸投げという風に自分で考えて動くといった行動の機会が徐々に失われていってる現状を見ると何だか虚しさというか、もはや何のために人類は生きてるんだろうといった疑問というか根底にある問題へと発展してしまう危険性だってある。
(おっとこれ以上人間の存在とは〜的な話に進んでしまうので一旦ストップします。)
もう一つ印象に残ったことがあります。
上記動画とは異なりますが、
過去にボクが実家へ立ち寄った際に読んだ新聞でこんなコラムがありました。
”AIに囚われすぎないこと”
(とある中学生が寄せたコメントより一部抜粋)
「ボクはAIといった人工知能に頼りすぎる現状について不安なことがあります。なぜならAIに頼れば頼るほど、自分の頭で考えなくなるからです。人間の持つ感性と自らの意思で考える力が失われることに不安を感じてます。」
昨今においては小学生ですら一人一台スマホを持ってる時代と言われてますが、前述のように人工知能や急速に発達したIT技術を過信すればするほど自分の頭で考えなくなるといった危険性について言及した中学生の意見を見て我ながらハッとさせれられました。
言語教育もそうだけどAI技術を使った翻訳に頼れば頼るほど自分の意志で相手に何かを伝えたいといった気持ちが芽生えなくなり、異文化交流そのものが希薄なものへと変わってしまう可能性だってある。そのことについても考えさせられた瞬間だった。
という感じでAIが普及した今でこそ言語学習のあり方について、同時に母国以外の人々と話すことで人生観が広がること・多種多様な価値観に触れる機会と出会えることの大切さ、これらの話題も含めて上記の小学校授業は今後の現代社会において重要な要素を占めてるので、もし時間の空いてる時にでも構いませんので一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。
最後に
色んな意見があって、色んな視点でみた感想や考えがあるから何とも言えないけど、自分の場合はなるべくAIに頼りすぎないスタンスで取り組むようにしてる。
たとえばこのnoteも基本的に全て手書きで綴ってます。
Youtubeに関してもこれまで撮り続けた動画(主にカメラの前で喋り続けた動画)は全てアドリブで話してきました。台本は一切使用してません。
もちろん学術的なことや専門分野にちなんで正確さが問われるコンテンツは箇条書きでもいいので台本的なものはあったほうが安心ですが、それ以外の場面では基本的に全てアドリブです。
単純に台本を用意する時間と労力がもったいないし、何よりも自分の言葉で話すことが大切だからです。
特に屋外撮影となれば片手に台本を持ちながら話す余裕なんてないですし、その時、その瞬間、自らが感じたことや考えてることも含めてありのままの気持ちで話すことが最優先であると考えてます。
その方がリアリティあって楽しいし自分自身も本音で話すことで気持ちがスッキリするんですよね。
過去に1~2回だけ台本を準備しようとしたことはあったけど一語一句全て言われた通りに読み上げるだけで、何だか自分の言葉で喋ってる感じがしない。
それどころか、一度台本を使用すると次から台本なしではできないといった負のスパイラルに陥ることだって十分にある。
常に完璧を求められるといった強迫観念に囚われたり、1から10まで一切間違えてはならないといった完璧思考にこだわっていては、いつまで経っても行動すらしなくなってしまう。失敗は悪と決めつける、従来の学校教育による弊害が影響してるのかもしれない。
最近流行りのショート動画やSNSのリール動画も同様、
常に台本を読みながら早口で喋る人々を
目にする度に何となく事務的で且つ
機械が喋ってる風に見えることがある。
アンドロイドが人間のふりをして喋ってるかのような、そんな違和感しか残らないんですよね。まるで倍速風で且つタイムパフォーマンスを意識してるのか、終始生き急いでるような勢いで話す動画を見ると即シャットアウトしてしまう。
「それは、あなた自身の言葉ですか?」
「本当に自分の言葉で話してますか?」
と言わんばかりの違和感が常にまとわりつく。
この辺については好みや考え方の問題ですので
何とも言えませんが、
人間の持つ生の感情や所作・リアリティを大切にしたいので、
そのこともあってボクは台本を作らないことにしてます。
”自分の頭で考え、自らの意思に沿って話すことが重要”
相互理解も兼ねて相手の気持ちを汲み取りつつ、
都度最適な言葉選びがとても大切なのではないでしょうか。
というわけで今回はボクなりの意見というか単純に思ったことをダイレクトに綴りました。拙い部分やまとまりのない文があるかもしれませんが、その辺は大目に見てください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回 お会いしましょう。
See you next time.
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