第5回性売買めぐる当事者の対立、「自己決定」について解像度の高い議論を
「買う側」を処罰することを視野に、法務省で売春防止法の見直しの検討が始まったが、賛否は分かれている。性売買の規制のあり方には各国で異なるアプローチがあり、当事者の考え方にも隔たりがある。どこから議論を始めればいいのか。ネット言論を研究する日本映画大・藤田直哉准教授に話を聞いた。
――「性売買は搾取」ととらえ、保護や支援の対象とすべきだと考える人たちと、セックスワークを主体的な労働で、権利だと考える人たちの間で、SNSでは意見が衝突しています。
当事者の苦しみや悲惨な状況をなくしたいという点では同じようには見えます。ただ、視点や理論的な枠組み、世界を見る視座が異なります。
分かりやすく例示しますが、虐待を受けてきた人や貧困の状況にある人であってもセックスワークによって豊かな暮らしを目指すことを「本人の自己決定だ」とする考え方がある一方、そういう人たちを性風俗に向かわせること自体が構造的な暴力で、福祉で救うべきだという考え方もあります。実際、働く人の中には精神疾患や知的障害がある人もいます。
また、セックスワーカーの中には、自分が「搾取されている弱者」と見なされたくない人がいます。セックスワークのおかげで過去に受けた性暴力のトラウマから抜け出せた、自分は救われた、という人もいます。ただ、それはいわば性暴力の被害のトラウマを利用した「搾取」であるとも見えるわけです。
とはいえ、「搾取」だと指摘されたら、「じゃあ救われたと思った自分の認識は何だったのか」と思うでしょう。ここに相克があります。
「信頼できる調査」圧倒的に不足
――どうすれば議論できるのでしょうか。
「セックスワーカー」を一面的に見ることをやめ、性産業のグラデーションと多様性を解像度高く見ることです。セックスワークを取り巻く環境や抱える問題、背景を可視化し、具体的な現実に即して細かく切り分けて、問題解決を志向する議論をしていった方がいいでしょう。脆弱なワーカーの境遇改善は、両者が合意できるところかと思います。
エビデンスの乏しさも問題をこじらせています。信頼できる調査が圧倒的に足りない。それぞれが訴える実態が矛盾するため、信念や感情をぶつけ合うことになる。これを解決するために、当事者がもっと声を挙げたり、調査を豊かにしたりしていく必要があります。「労働」だと考えるなら、精神疾患や公衆衛生など、労働環境のリアルな実態を統計などで明らかにしなければ、社会的な議論にも結びつけにくい。
搾取や暴力支配をなくすことと、性産業で働く人の尊厳を守り、スティグマ(偏見)をなくすことは両立できると思います。
――それでも藤田さんは、セックスワークは一般的な「労働」とは異なる、と考えていますよね。なぜですか。
人身売買や強要の多さと、心身への侵襲性ですね。たとえ自由意志でも臓器売買が禁止なのと同様に、当事者のダメージが大きいものは資本主義の商取引の中でも禁止されているわけで、どこかで線引きをする必要があります。
「ダムや道路の建設など、死者が出るような現場での労働と同じだ」「性産業に搾取や暴力があるのは確かだが、普通の労働にだってある」という反論も聞きます。男性たちが過去にそういう悲惨な仕事を担わされていたのは事実で、確かに似ている部分はあります。ただ、現在は法整備などを通じて安全に工事などを行う努力が重ねられています。
しかもセックスワークの場合は、公益性のある業務ではなく、誰かの欲望を満たすためのみに侵襲性の高い業務を意図的に行わせ、かつ侵襲性を軽減するための研究開発などの方向性も乏しいという点で、一般の労働と違う性質があります。
消費の「自覚」サディズムでもある
――性風俗の消費者は主に男性です。風俗で働く女性の背景をどれくらい自覚して、利用していると思いますか。
「商品」としての女性は、「喜んでいる」という演技をしています。その演技を真に受けて、女性の背景が見えなくなっている人はいるでしょう。
一方、自覚がある人もいます。弱い立場にいる女性を経済的に支配すること、消費すること自体快楽を求める人も多いのです。苦痛を与えたり屈辱を与えて屈従させたりすること自体が対価に含まれていると考えないと理解できないサービスが多いですよね。サディズムですよ。
社会的強者の女性があえて性風俗で働く傾向がないこと、あるいは貧しい国から来た人が従事する傾向があることはみんな知っています。「恵まれない女性に対する援助だ」と正当化しがちなのも、不遇な立場を利用している自覚があるからでしょうね。
――そのうえで性風俗を利用することに、罪悪感はないのでしょうか。
自分がハマって依存しているものについて、そこにあるネガティブなものを認識しようとしない脳の癖があるのでしょう。そうでないと罪悪感が生じ、気持ちよくなくなる。だから、それを否定し、正当化するような自己欺瞞の構造があります。産業もそれを助長します。
ただ、変化の兆しはあると思います。
たとえば旧ジャニーズや映画業界における性暴力が可視化されたことで、過程やシステムの中に悪があれば、消費することで悪に加担することになる、悪を経済的に支援しシステムを維持することに協力したくない、という感覚が、若い世代を中心に見受けられるようになりました。
この倫理観が男性にも広がり、性風俗を利用することは暴力や搾取であり、それに自分が加担していることに気づく人は増えるでしょう。買春するということは、一定の確率で犯罪に加担し、加害をし、反社会勢力に資金援助しているということ。産業そのものが縮小するような方向になるのではないでしょうか。
支配の構造、性産業の外にも
――性売買のあり方は、社会的な議論にはなり得るでしょうか。
なってきているし、もっとなるべきだと思います。それは、男性のためでもあります。
働いて稼いで成功することと、女性を性的に支配できる立場を得ることは、相関があると思います。社会の格差が拡大する中、困窮する女性が金持ちの男性を相手にセックスワークをすれば利益は得られる。ただ、貧しくなりゆく日本で、「売る」女性が増え、「買える」男性が少なくなれば、競争は過酷になり、搾取の構造も強化される。
その社会で、多くの男性は別の男性から支配され、尊厳を削りながら労働する。その対価として得たカネを使って、自分がされたように、女性をカネで支配する。「それが資本主義だから仕方ない」と正当化する。その仕組みの中で心身を病む女性を誰が救えばいいのか。
男性の格差が拡大し、カネのない男性は恋愛も結婚もできなくなっています。女性たちはますます男性を嫌悪し、性的トラウマを負い、恋愛も結婚も難しくなっていきます。そうなると性産業の利用が増える、悪循環です。
男性がカネで女性を支配し、性的な欲求を満たし、その代わりに生存を保障する、という社会の構造は、性風俗の外でも同じです。それが、回り回って、恋愛や結婚をも搾取的にしている。性売買が完全に悪かと言えば議論はありますが、いま日本は「性愛をカネで消費する」ことに傾きすぎているのは確かで、それが人間同士のつながりを難しくしている。性売買のあり方を単独で考えるだけでなく、恋愛や結婚、少子高齢化、格差社会などをすべて含めて社会を作り直すため、議論を進めざるを得ないと思います。
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