片岡ひろしのひとりごと:第7回 元大学教員としての自己紹介(2)研究者として

どんな研究をしてきたのか

 第6回でも少し触れたが、私の専門は大量の試料から極微量のペプチドを精製してアミノ酸配列を明らかにするという、ある種職人のような世界であった。私は、精製の最終段階で高速液体クロマトグラフィー(HPLC)を、アミノ酸配列分析にはプロテインシーケンサーという当時の最先端装置を用いた。同一装置を用いれば同じ結果が得られそうだが、そうはいかない。今振り返ると、1990年頃(今ではない)の私は世界で5本の指に入る精製と配列分析技術を持っていたと思う。私以外ではアミノ酸配列を明らかにすることができなかったものもあっただろうと自負している。

 私が研究対象にしたのは、昆虫の発育を調節するペプチドホルモンである。脳や神経で作られるので、神経ペプチドと呼ばれる。哺乳類にも様々な神経ペプチドが存在するが、昆虫は小さく、脳神経系に含まれる神経ペプチドの含量は哺乳類とは比較にならないほど少ない。そのため、数万匹から数百万匹を集めないと構造を明らかにするための神経ペプチドを得ることができない。数kg〜数tの材料から数マイクログラム(1マイクログラムは1,000,000分の1g)を純粋なペプチドに精製して、そのアミノ酸配列を明らかにしてきた。具体的には、1.昆虫の脱皮や変態を最上位で制御している前胸腺刺激ホルモン(PTTH)、2.最後の脱皮である羽化行動を誘導する羽化ホルモン(EH)、3.羽化後に急激な体重減少を可能にする利尿ホルモン(DH)、4.幼虫形質の維持や変態へのシグナルとなるアラタ体刺激ホルモン(AT)やアラタ体抑制ホルモン(AS)、5.翅の激しい動きを支えるエネルギー供給を可能にする脂質動員ホルモン(AKH)、6.性フェロモンの合成を促進する性フェロモン生合成活性化ペプチド(PBAN)など(他の研究者との共同研究や、サポートしただけのものもある)である。

 今はコンピュータで検索すると、(遺伝子配列から推定される)様々な昆虫の神経ペプチドのアミノ酸配列を知ることができるが、私はそれぞれ生物活性を指標にペプチドを精製してそのアミノ酸配列を世界に先駆けて明らかにしてきた。そのアミノ酸配列を元に遺伝子を明らかにし、他の研究者は遺伝子の相同性を元に様々な昆虫の神経ペプチドの配列を明らかにしてきた。つまり、多くの昆虫の神経ペプチド類のアミノ酸配列がデータベースから見いだせるのは、私たちの最初の研究があったからだと言える。

 そのなかでも、過去に多くの研究者が試みたものの精製・配列決定に成功していなかった前胸腺刺激ホルモン(PTTH)研究は大学院生時代からのライフワークになった。PTTHは同じペプチド2本が結合したホモダイマーと呼ばれる構造だが、遺伝子からではそれは分からず、詳細なペプチド分析が必要だった。果たしてそこまで解明する必要があったのだろうかと思う。だが、このコスパが悪い実験手法が哺乳類のホモダイマー型ホルモン研究に影響を与えた。また、PTTHとは逆に抑制性の神経ペプチドを同定し、それが蛹休眠を誘導していることを共同研究者と明らかにした。

 その後、大学院生や博士研究員とともに、神経ペプチド受容体遺伝子の網羅的かつ時空間的な発現量の変化も明らかにし、それぞれの神経ペプチドがいつどこに作用するのかを明らかにした。一方で、脱皮・変態を直接誘導するステロイドホルモンであるエクジソンの生合成酵素の同定や、ステロイド類の微量定量法を確立し、エクジソン生合成のほぼ全容を明らかにした。これら一連の研究によって、前胸腺におけるエクジソン生合成・分泌はPTTHのみならず、抑制性や促進性の複数の神経ペプチドによって巧妙にエクジソンの生合性を調節していることが分かった。昆虫の脱皮・変態・休眠の制御機構については、それまで様々な仮説が出されていたが、実体を明らかにして、制御機構を初めて示した研究と評価してもらっている。

 神経ペプチドの精製・配列解析もステロイドホルモンの微量定量法も哺乳類の研究へ応用もできるが、それらの研究へ発展させなかったのは、私が哺乳類より昆虫に興味があったからだ。哺乳類の研究へシフトしていれば研究費獲得がもっと楽だったかもしれない。


大学教授および管理職として

 1999年4月に40才で東京大学教授に就任以来、新設された新領域創成科学研究科の柏キャンパスでの教育・研究の基盤作りに貢献したつもりである。私が所属した先端生命科学研究専攻は、私の出身学部、農学部の他に工学部、理学部、薬学部出身の教員で構成されていて、それぞれの主導権争いのようなことがたびたび起きた。私はせっかく新しいところに移ったのだから従来の慣習にとらわれない新しい考え方、やり方で運営すべきだと思っていたし、そうなるように行動した。14分野の研究室が柏キャンパスへ移転する際、研究設備整備費による物品選定が全ての教員と学生が公平感をもてるようになるよう担当者として配慮した。また、初代専攻教務委員や2代目研究科教務委員長として、必要な教務内規の原案作りなども担当した。さらに、教授就任後2年目に先端生命科学研究系長に選出されたため、専攻や研究系の基盤を作った。とかく大学のようなところでは年配者や役職教授の意見が優先されるが、若手助教授のアイデアも積極的に取り入れてルール作りをしたつもりである。25年経つと初代教員が次々と退職したこともあり、その精神は廃れ、「なぜ、この専攻(研究科)のやり方はこんなに特殊なのだ」と考える教員が多くなったのは残念に思う。

 一方、私が一教授として研究科や柏キャンパスで一番貢献したことをひとつ挙げるとすると「餅つき大会」の開催である。コロナ禍前までは、1月の第2土曜日(センター試験の前週)に新年を祝って「餅つき大会」を行っていた。私が言い出しっぺで、教職員、学生からなる実行委員会を作って2010年に初めて開催した。学生(なかでも留学生)に日本の伝統を味わってもらいたく、また、少しでもキャンパス生活(正月)を楽しんでもらおうと始め、10年続けた。10臼ほどつくのだが、参加してくれるチームも毎年増えていった。突然現れて、杵を手にして活躍してくれる先生もいた。毎年楽しみに出かけて来るおじいさんもいた。部外者の参加は想定していないのだが、目をつむった。「餅つき」はともかく楽しい。臼や杵、食材などの準備、当日の手順など計画は大変だったが、食堂の協力を得られたので助かった。当日のテーブルの配置から手順まであっという間に決めてくれた。何年か続けていると主要メンバーも一般参加者も手慣れてきて、準備や片付けなどを指示しなくても短時間で効率的に出来るようになった。
 そういえば最初の年に「餅つき大会をやるようだが、研究室の同窓生で餅つきをやっているので、臼や杵などの道具をいつでも貸しますよ」とある先生が連絡してきてくれた。「臼と杵だけでなく、人も貸して下さい」と強引に誘い込んで協力してもらった。なぜ「餅つき」が楽しいのか、自問してみた。私の結論は「これほどコスパが悪いイベントはない」からだと思っている。餅つきの準備も大変であるが、蒸し上がった餅米を何人かがつかないと餅にならない。数名のつき手と返し手の共同作業が必要なのである。その共同作業でつき上がったお餅は、格別の味がする。「餅つき大会」は、私のような教授が主体的に企画すべきではないかもしれないが、教員、職員、学生、みんなが楽しめるイベントが柏キャンパスには重要だと思っていた。ともかくキャンパス生活をみんなで楽しもうとする心意気が大切だと思う。


主な研究活動の記録

研究費の取得状況:
1988年度の「奨励研究(A)」を皮切りに、文部科学省の科学研究費(一般B、重点領域、基盤B・A)や、未来開拓学術研究推進事業、生研センターの大型予算などを獲得した。

特筆すべき学術論文・著書:
論文数は決して多くはないが、精製や分析技術を武器に、世界のトップジャーナルへ確かな足跡を刻むことができた。

Agric. Biol. Chem. (1987/ 1991) —— カイコPTTHの精製成功、ホモダイマー構造解明
Proc. Natl. Acad. Sci. USA (1989 / 2006) —— 利尿ホルモン同定、新規ステロイド生合成制御機構発見
Science (1989 / 1990 / 2012) —— アラタ体刺激ホルモン同定、PTTH遺伝子クローニング、neverland遺伝子と食性進化

著書;『昆虫の内分泌学』(内分泌と生命現象、2007)、『シリーズ21世紀の動物科学』(日本動物学会監修、2007)など

受賞歴:
1990年4月:農芸化学奨励賞「昆虫の脱皮、変態に関与する神経ペプチド類の単離、構造解析」
2024年4月:日本農学賞 / 読売農学賞「昆虫の発育を調節する神経ペプチドならびにステロイドに関する研究」

 教授5年目までは順調に研究費を獲得できたが、5年目から3年ほど研究費に窮した。この時期の学生には申し訳ない思いである。教授を引退すべきかと思ったことさえある。幸いにも研究成果(論文)は出ていたので、何とか立て直すことができて、後半の15年間は研究費の心配をしないで思う存分研究を進めることができた。ある先生が秋に修士2年生の学生に「君の研究内容の研究費は使い切った。研究費がある別のテーマに変更しないか」と言ったそうだ。研究費の目的外使用は認められないが、残り半年の学生にテーマを変えようと提案することは妥当なのだろうか? 大学院生を増やす政策を進めるなら学生の研究経費を増額することを同時に行わないと不幸な学生を生むことになる。退職した時に「研究費と学生のことを心配しなくてよくなった」と心底思った。
 私の論文数は多くないが、いわゆるインパクトファクターが高い雑誌へもいくつか論文を掲載することもできた。しかし主要な論文も著書もいずれも退職10年以上前のものである。著書の中で「この内容を10年後にもう一度書き直したい」と書いたが、しなかった。それは、それ以降に自分達による新しい発見がなかったからだ。先端的な研究を20年早く行ったのか、途中でアイデアやエネルギーが枯渇したのか分からないが、研究への集中力には「若さ」が大切なのは確かだ。
 助手に成り立ての若い頃と退職時に賞を受賞することができたことは自分にとって有り難かった。受賞歴が研究者の重要性を示しているように一般には考えられているが、そうではない力学が働くことも経験した。賞は引退後にひとつかふたつで十分で、独り占めすべきではないと思っている。

 もうひとつエピソードを紹介する。私の国際会議のデビューは30歳の時に教授の代理で行ったハワイでの招待講演である。講演は原稿を読みながら行ったが、実験者自身にしか話せない最新の内容でそれなりの反響があったと思っている。発表会場を移動して、アメリカ学士院会員の著名な教授の講演を聴いていて、私の発表に反する内容が紹介された。たどたどしい英語で質問したら、憮然として「そんなものはない」と否定されたが、私の講演を聴いていた別の著名な教授が流暢な英語で説明してくれると納得したようだった。(観光目的で)同行していた妻はたまたま入った会場で質問に窮した日本人発表者を見たようで、私の行動をヒヤヒヤしながら見ていたとあとで言われた。アメリカ留学の経験が生きたのかもしれないが、おかしいと思ったことはきちんと質問すべきである。最近の若手は受けを狙うことは得意だが、正々堂々と質問することが苦手になっているように思う。なお、それ以降も国際会議では招待講演しかしなかったが、50代半ばで人生初のポスター発表の機会があり、妙に緊張したのを覚えている。

「研究者として」のおわりに

 大学教員(研究者)を引退してから不思議と研究のアイデアが浮かぶことがある。ただの思いつきのような気もする。そういえば現役時代に年配研究者から研究アイデアを授かったことがある。「確かにその実験をやることの意味は認めるが、大学院生の実験時間をそのために今さら使うのはどうか」と思った。今、自分が思いついていることも同じかもしれない。少し違うのは研究素人(昆虫マニアのアマチュア)と一緒にやりたいと思っていることだ。もう少し計画を練ったら実行に移したいと思っている。アマチュアの人達が協力してくれるか、面白い結果が得られるか分からないのだが、結果を出すことも論文を出す必要もないので、自然体で一緒に少しでも楽しめればと思っている。

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