ウェルネスとーく
医療・健康・介護のコラム
[阿刀田高さん](上)新刊「90歳、男のひとり暮らし」が大反響…「まあいいか」諦めるクセと認知症の妻についた切ないウソ
「全部あなたが悪い」。妻が認知症に
――奥様の介護も経験されました。
家内はレビー小体型認知症と診断され、施設に入り2年ほどお世話になりましたが、その前は自宅で私が見ていました。明らかにおかしいと気がついたのは2020年の正月です。毎年暮れから新年にかけて2人で旅に行くのを習慣にしていたのですが、その年は伊豆の修善寺に行ったんです。道中から「あんた一人で行ったらいい」などと不機嫌そうだったんですが、宿に着いても不満げで、ただ機嫌が悪いというのとは違う様子でした。
――何がよくなかったのでしょうか。
私です。全部、私が悪いんだというんです。
家内はそれなりに裕福な家で育ったんですが、いわゆる「未熟児」(低出生体重児)で生まれ、みんなにいたわられて、姉たちは4年制大学に行ったのに、自分は短大にしか進学できなかったことがずっと悔しかったらしいんです。それを今さら私に文句言われたって、と思うんですが、そんなことから始まって、あなたは酒ばかり飲んで家に帰ってこなかったとか。ちゃんと帰っていたような気もするんですけど、ありとあらゆることすべて私が悪いと。
寝たきりに近くなり、ヘルパーさんに来てもらいながら、朝晩は私が世話していました。時々発作が起きてひどく私をなじるかと思うと、しばらくすると機嫌がよくなって。その繰り返しでしたね。
それをちょっと介護に詳しい方に相談したら、「危機的状況です」と言われて。あと半年、これ続けたら、あなたが参ってしまいますよと言われて、とうとう決意しました。
妻をだまして施設へ
――施設入所を決められたんですね。
それで、これはあんまり皆さん知らないことだと思うんですが、とても大事なことがあります。
――何でしょうか。
認知症になった人が施設に入ったら、ここは自分の一番いい生活で、他の生活はないと思わせることが、とても大事なことなんだそうです。
だから、しばらく会いに来ないでくれ、と言われました。私が会いに来れば、どうして自分はここにいるのか、連れて帰れとか、いろいろ言うでしょう。だから落ち着いたらこちらから連絡するから、と言われましてね。人によってずいぶん違うらしいんですけれども、うちの場合は3か月、私は面会に行きませんでした。だまして中に入れ込んで。
――切ない話です。
様子は見に行きました。遠くから。ああ、いるんだなと。施設の中では、文句を言ったり暴れたりしたこともあったのかもしれません。でも3か月たったら大丈夫になりました。もう自分のうちがあったことさえ、ほとんど話題にもしなくなりました。
家内の親しい友人が会いに行きたいと言ってくれましたが、来てくれれば喜ぶけれど、でもそれは結局自分にもそういうこっちの生活があったということを思い出させるもんだから、その後がかわいそうなんだそうです。せっかくお見舞いに行きたいとおっしゃるのを申し訳ないけどみんなお断りしました。礼儀知らずというか、つらいところがありましたね。
2年4か月の入院の間、見舞いに言ったのは私と3人の子供たちだけです。
「鍋でも作ってあげたいわね」
――お見舞いに行くと奥様は喜ばれました。
そりゃあ安心でしょうから。
今日は2人で昼飯でも食うかな、と私はパンか何かを持っていって、施設内のテーブルで一緒に食べたりするときが一番うれしそうだったんですね。
こんなことが一番うれしいんじゃかわいそうだなと思ったけれども、でもしょうがない。それがうれしいらしいから。
自宅からそんなに遠くない施設にいたんですけどね、うちのことなんか何にも言わなかったし、ここは割といいところね、なんて言っていました。
そう思わせることがとても大事なんだと思って、かわいそうな気もするけど、実際はかわいそうではないのだろうと思います。
なまじ自分はこっちに別の生活があって、楽しく旅に行ったりした時代があったんだな、ってことが頭に思い浮かぶことは、決して幸福じゃないんだって。多少の決意はいりましたけど、その通り実行して、私は良かったと思っています。
――つらい決意でしたね。
言いつけをかたくなに守って、施設の生活が自分の生活だと思わせることに努めましたら、私がどうしているか、ちょっと心配することもありましてね。寒くなったからおいしい鍋料理でも作ってあげたいわね、なんて言い出すんだけど、買い物一つできないのに料理を作るもなにもないだろうと。たまにいい表情になって、ご飯なんかどうしてんの、なんて言うから、以前、新潮社の寮に缶詰になったことがあって家内も知っているもんだから、そこでお世話になったよとか。
すると、そうだったの、と。だからこっちもいい気になってね、ちゃんとしたもの食べさせてもらっているからと。そう言うと全く不自然だとも思わないらしくて、ああそう、なんて。そんなことを言いながらね、こっちの生活じゃなくて、施設にいることが自分の生活なんだと思わせることに、まあ成功したんでしょうね。
人間の頭って不思議だなと思いましたね、だからこっちもうそつきになりましてね。小説家はうそが上手ですから。
患者それぞれみんな違うんでしょうけども、そういう方便があるということは、やっぱり知っておいてもらってもいいのかなと思います。
あとうだ・たかし 1935年1月、東京生まれ。小説家。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、78年、「冷蔵庫より愛をこめて」で小説家デビュー。79年、「ナポレオン狂」で直木賞、95年、「新トロイア物語」で吉川英治文学賞。日本推理作家協会理事長、日本ペンクラブ会長、直木賞選考委員などを務める。「源氏物語を知っていますか」「ギリシア神話を知っていますか」などの古典解説シリーズも人気を集める。2018年、文化功労者。
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