見出し画像

[264]任天堂を考える【短期集中連載第2回】横井軍平~枯れた技術の水平思考・任天堂の発明王~

「最新の技術を使えば、良い商品が作れる」

そう信じている人は多いかもしれません。

だが、任天堂で数々のヒット商品を生み出した伝説の開発者は、まったく逆の哲学を持っていました。

横井軍平 (Gunpei Yokoi) です。

倉庫係から始まった伝説

横井軍平は 1965 年に任天堂に入社しました。

当時の任天堂はまだトランプや花札を製造する会社であり、横井軍平の仕事は主に製造ラインの保守・管理でした。

ある日、倉庫の空き時間に横井軍平は手遊びとして、伸縮するアームを持つ機械のおもちゃを作りました。

それを偶然見かけたのが、社長の[263]山内溥でした。当然、仕事中に遊んでいたことを怒られると思ったのですが、言われたのは予想外の一言でした。

「これを商品にできないか?」

山内溥の一声で、「ウルトラハンド」という商品が生まれました。1966 年のことです。このおもちゃは 120 万個以上を販売する大ヒットとなり、横井軍平はそのまま開発部門に異動となりました。

一人の倉庫係が、偶然作ったおもちゃで、任天堂の歴史を変えた瞬間でした。

枯れた技術の水平思考

横井軍平が生涯を通じて実践した開発哲学が、「枯れた技術の水平思考」です。

「枯れた技術」とは、すでに広く普及して製造コストが下がり、信頼性が確立された技術のことです。最先端の技術ではなく、あえて「古くなった技術」を使います。

「水平思考」とは、その技術を本来の用途とは違う分野に応用するという発想です。

つまり、「安くて信頼できる技術を、誰も思いつかなかった使い方で活かす」という哲学です。

この考え方は、ゲームボーイの開発に見事に体現されました。

1989 年に発売されたゲームボーイは、当時すでに普及していた白黒液晶ディスプレイを採用していました。競合他社は「カラー液晶こそが次世代だ」と主張していましたが、横井軍平はあえて白黒にこだわりました。

理由は明快でした。

カラー液晶は消費電力が大きく、電池がすぐに切れてしまいます。子どもが外で遊ぶための携帯ゲーム機に、電池の持ちが悪い機械は向かない・・・そういう判断でした。

ゲームボーイは世界で約 11800 万台を販売し、携帯ゲーム機の代名詞となりました。

ゲーム&ウォッチという革命

ゲームボーイより前に、横井軍平はすでに携帯ゲームの概念を世に示していました。

1980 年に発売された「ゲーム&ウォッチ」です。

新幹線の中で、退屈そうに電卓で遊んでいるサラリーマンを見た横井軍平は、「携帯できる小さなゲーム機を作れないか」と考えました。

当時の電卓に使われていた液晶ディスプレイ技術を応用し、時計機能とゲーム機能を一体化させた携帯ゲーム機を開発したのです。

これがまさに「枯れた技術 (電卓の液晶) の水平思考 (ゲーム機への応用)」でした。

ゲーム&ウォッチはシリーズ累計で 4300 万台以上を販売しました。

また、十字キー (十字型の方向キー) はゲーム&ウォッチのために横井軍平が開発した入力装置であり、その後のゲームコントローラーの設計に革命をもたらし、現在に至るまで世界中のゲームコントローラーに使われ続けています。

ファミコンと宮本茂との出会い

1977 年ごろ、横井軍平の部下として任天堂に入社してきた若い社員がいました。

工業デザインを学んだその社員は、宮本茂という名前でした。

横井軍平は宮本茂の才能を早くから見抜き、ゲーム開発の道へと導きました。宮本茂が後に「ドンキーコング」「マリオブラザーズ」「ゼルダの伝説」を生み出すことになるのは、横井軍平という師の存在があってこそでした。

また、ファミコンのソフト開発においても、横井軍平は重要な役割を担いました。「メトロイド」や「Kid Icarus (光神話 パルテナの鏡)」など、今日まで続く人気シリーズの原点を作ったのも横井軍平のチームです。

バーチャルボーイという挫折

成功を重ねてきた横井軍平のキャリアにも、大きな挫折がありました。

1995 年に発売された「バーチャルボーイ」です。

赤い光による立体映像を楽しめるゲーム機として開発されたバーチャルボーイは、目が疲れやすく、携帯もできないという問題から商業的に大失敗に終わりました。

この失敗について、横井軍平は「自分が技術に引きずられた結果だ」と振り返っていたといいます。

枯れた技術の水平思考という自分の哲学を、このときだけは貫けなかったという後悔が、横井軍平の胸に残り続けたとされています。

1996 年、横井軍平は任天堂を退社しました。当時は「バーチャルボーイの失敗の責任を取らされた」と言われましたが、これを明確に否定しています。

事実、バーチャルボーイの失敗を遥かにカバーできる「ゲームボーイポケット」を開発し、同時期に発売された「ポケットモンスター 赤・緑」の追い風もあり、具体的な数字は公開されていないものの、バーチャルボーイの負債を大きく補填できるモノを完成させてからの退社でした。

文藝春秋 199611 月号で、「55 歳になったら独立して自分の好きなものづくりをしたいと以前から決めていた」ことを明かしています。

また、任天堂が巨大企業になり、横井軍平が信条としている「枯れた技術の水平思考」のものづくりができなくなってきたことも原因のようです。

惜しまれた突然の死

1996 年に任天堂を退社した横井軍平は、株式会社コトという会社を設立し、新たなゲームの開発に取り組んでいました。

しかし 199710 月、交通事故により 56 歳でその生涯を終えました。

あまりにも突然の訃報に、ゲーム業界全体が深い悲しみに包まれました。

宮本茂はこの訃報を聞いたとき、声を詰まらせたと伝えられています。

横井軍平が残したもの

横井軍平が世に送り出した商品は、単なるゲーム機やおもちゃではありませんでした。

「遊びの本質とは何か」「人々が本当に楽しめるものとは何か」という問いに対する、横井軍平なりの真摯な答えでした。

最先端でなくていい。高価でなくていい。

誰もが手に取れて、誰もが楽しめるものを作ること、これが横井軍平の一生を貫いたテーマでした。

その哲学は、後に岩田聡がニンテンドー DS や Wii で「ゲーム人口の拡大」を目指したときに、脈々と受け継がれていきました。

「枯れた技術の水平思考」という言葉は、今やゲーム業界を超えて、製品開発や技術革新の文脈で世界中に広まっています。

一人の倉庫係が、偶然作った手作りのおもちゃから始まった伝説は、今も色あせることなく輝いています。

いいなと思ったら応援しよう!

コメント

コメントするには、 ログイン または 会員登録 をお願いします。
[264]任天堂を考える【短期集中連載第2回】横井軍平~枯れた技術の水平思考・任天堂の発明王~|いっし
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1