【8.6広島】「反核」すら言えない平和記念式典 戒厳の平和公園で抵抗する人々から考える植民地支配責任への向き合い方(上)
80年前の8月6日、広島市に原爆が投下された。そして、9日には長崎市も火の海にのまれ、日本は「敗戦」を迎えた。毎年、8月6日の広島では追悼行事が行われているが、どれもが被害の視点ばかりで、加害の歴史は置き去りになっている。侵略の歴史を直視せよと訴える市民が毎年集まって声をあげるが、支配層はそれを許さない。(著者)
加害の歴史から広島を考える会 Y・K
8月7日、とある写真が読売新聞の1面トップに掲載された。それは前日、8月6日に広島市の平和公園内で原爆ドームを背に黙祷をする人々の姿だった。見出しは「ヒロシマ・不屈80年」である。〈不屈〉とは、松井市長が平和記念式典で言及した、核廃絶を追求し続けた被爆者の信念〈ネバーギブアップ〉から来ているようだ。ところが写真をよく見てみると、黙祷する人々の間から掲げられた白紙が3枚写っている。
読売新聞の記者たちは、これらが広島市の表現弾圧に対する抗議の意思表示であることを知らなかったに違いない。白紙のプラカードは、権力によって政治的表現の自由が奪われたことに対する抗議の意思表示として、世界中でおこなわれてきた手法なのだ。図らずも写り込んだ白紙のプラカードは、8月6日の平和公園を独占して式典一色に染めようとする広島市行政の野望の不可能性と、市民による不屈の抵抗を示している。
締め出された反戦の声
8月6日の朝に平和公園に来たことがあるなら、さまざまなグループが多様な方法で反戦や反核への思いを表現している光景を思い浮かべることができるだろう。
デモに向けて集合する人たちや、ダイインをするグループ。座り込んで太鼓を叩きながらお経をあげるお坊さんたち。各国の国旗を順番に振りながら平和を願う人びと。今の日本政府の戦争準備を厳しく批判するスピーチをする運動団体。式典反対を訴えるアナキスト。平和公園のはずれにある原爆供養塔を訪れる宗教者や遺族たち(骨すら見つからなかった被害者の遺族にとっては、ここがお墓である)。平和公園内に散在する碑やモニュメントを訪れる人も、この日が一番多いだろう。もちろん、毎朝公園に散歩に来る近所の人も。
ところが、こうした光景は、2年前の8月6日から姿を消した。広島市は、8月6日の平和公園からあらゆる表現活動を締め出したのだ。平和公園は鉄柵で囲まれ、朝5時になると中にいる人は全員公園外への退去を強制される。そして、市が設置したゲートで行列に並び、手荷物検査を受けた人だけが公園内に入ることができるわけだが、検査されるのはいわゆる危険物だけではない。拡声器、楽器、横断幕、のぼり、ビラ、プラカード、ゼッケン、タスキ、ヘルメット、ハチマキに至るまで、あらゆる表現物の持ち込みが禁止される。
平和公園のごく一部の区域で行われている平和記念式典の会場内について、広島市が独占使用したり、参加者の手荷物検査をすることの是非はここでは論じない。しかし、川を挟んだ原爆ドーム周辺も含む平和公園全体を規制することはどう考えても不当であり、広島弁護士会の幾度の声明にもあるように憲法違反である。その上、「手荷物検査」によって取り締まられているのは、手荷物ではなく表現そのものなのだ。
表現の自由にも、公共空間である公園の原則にも反したこのような規制はなぜ強行されたのか。端的に言うと、毎年8月6日の平和公園内で行われてきたさまざまな反戦・反核の集会やアピールを規制したい右翼による〈8月6日は静かに祈る日である〉というキャンペーンと、それに乗っかった広島市、そして首相の演説中に市民の抗議の声が聞こえることを良く思わない国家権力の利害が一致したからだと私は考えている。少しだけ経緯を見ておこう。
規制が始まる数年前から、「静かに」というプラカードを掲げて8月6日に原爆ドーム前に集まるよう呼びかけてきたのは、2020年に設立された「静かな8・6を願う広島市民の会」という団体である。かれらは〈8月6日は静かに祈る日である〉という、一見「良識的」かつ「非政治的」な主張で、多くの議員やネット世論を味方につけてきた。
しかし、団体のSNSでの発信を見ると、中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する敵対心や蔑視感情を隠そうともしていない。代表者も含めて、中心メンバーは極右団体である日本会議に所属する議員や活動家である。日本会議は、毎年広島で「8・6広島平和ミーティング」を主催し、核武装論者である田母神俊雄、櫻井よしこ、百田尚樹らを登壇させてきた。かれらの言う「厳粛な式典の日」に。
つまり、「静かな式典」を口実に公権力によってデモや集会を規制し、8月6日の広島から政権批判や反戦・反核の訴えを一掃しようというのが、かれらの目論みだった。式典中の拡声器の音量規制を定めた条例の制定運動などはうまくいかなかったが、ついに大きな成果を上げたのが、2021年に公布・施行された「広島市平和推進基本条例」である。この条例は中身がないばかりか、平和記念式典を「厳粛の中で行うものとする」という文言が含まれている。これこそが、右派が待望していたものであった。
昨年2月27日、「静かな8・6を願う広島市民の会」らが提出した「『広島市平和推進基本条例』に明記されている厳粛な平和記念式典の開催を実現するために、広島市は実効性のある対応に取り組むこと」とする請願が広島市議会で可決した。そしてその可決の翌日、2023年8月6日に原爆ドーム前で集会をしていた市民5人が逮捕された。その半年も前に、右翼と左翼の「衝突事故」に広島市職員が巻き込まれて転倒したというのがその理由だ。容疑は「暴力行為等処罰に関する法律(暴処法)」違反だった。
今年は治安維持法百年ということが話題になっているが、この暴処法は治安維持法公布の翌年、労働運動や農民の運動を取り締まるために制定された、とんでもない悪法である。警察は、個人による暴行や傷害は無理筋と見て、わざわざ「集団での暴力」を処罰する大昔の法律を持ち出し、地元メディアも〈市職員に集団で体当たり〉などと警察発表をそのまま報じている。そういう中で、「規制やむなし」というムードを、警察・広島市・右翼・メディアが一体となって意図的に作り出したのだ。
そしてついに昨年8月6日、広島市はこの「衝突事故」を口実に「安全のため」だとして、「静かな8・6を願う広島市民の会」の陳情通り「平和公園全体を式典会場とみなす」ことで、平和公園における市民のあらゆる表現活動の全面禁止が実現した。広島市は、こうした規制について「法的根拠はない」、「協力要請である」、「市民にお願いしている」などと開き直っている。
退去の「お願い」に抗う人々
今年の8月6日、昨年に引き続いて、こうした表現弾圧に屈しない市民によるさまざまな行動がおこなわれた。私が規制の始まる午前5時より前に平和公園に入ると、日が昇る前のわずかな涼しい時間に、原爆で殺された人に向き合おうという多くの市民が原爆供養塔などを訪れていた。
ところが5時になった途端、静かな平和公園に退去を求める市役所の職員の声が響いた。原爆供養塔に向かっていた私の友人の前にも、複数の警察官が立ち塞がった。警察は、足腰が悪く手押し車を押している友人に対し、最寄りのゲートから一旦出て、手荷物検査を受けて入り直せと言って譲らない。手荷物検査を受けて入ってきた通りがかりの人までが、あまりの理不尽な光景に「こうやってあなたたちは戦争に加担するんだ」と警察に詰め寄ったほどだ。
その後、警察とのやりとりを見ていた地元のテレビ局が、公園外へと退去させられた友人に取材した。彼女は、カメラの前で公園の不当な規制と、その責任者である広島市長を厳しく批判したが、後日の放送では相変わらず「衝突事故」や「迷惑な過激派」を強調しつつ、〈ペースメーカーをつけたかわいそうな高齢者が規制の巻き添えを食らった〉程度の扱いであった。
一方、公園外への退去を拒否した人は、瞬く間に警察官に取り囲まれた。去年は、市の職員が「手荷物検査に協力をお願いします」と連呼して付きまとい、警察はなぜ手荷物検査をしないのかと聞いてくることはあっても、移動を妨げることはなかった。今年は一転して、いよいよ警察までもが規制を強行する市の言いなりになって、市民の移動の自由を奪って恥じようともしない。法的根拠を聞いても、警察法2条(公共の安全と秩序の維持)としか答えられず、「みなさんルールを守っておられますよ」などと宣う。いつから警察はルールを守らせることが仕事になったのだろう。
結局、3時間近くにわたって最寄りのゲートまでの移動しか許されず、猛暑の中で警察官に囲まれ続けたという。これのどこが「お願い」なのだろうか。
また、原爆ドームの周りでも昨年と同様、夜通し座り込む運動団体の姿があった。暴処法で弾圧を受けている団体である。警察は警備員を転倒させたなどとして今年も数人を逮捕したが、強制排除は数十人で諦めたようだ。手荷物検査を拒否して式典中も公園内にとどまったのは、結局この運動団体の数百人と、個人で抵抗した数人だけだと思われる。
一方、手荷物検査に抗議をしたり、手荷物検査後に表現規制に抗った人たちもいる。私のアメリカ人の友人は、「核兵器禁止条約に参加せよ」と英語で書かれたプラカードを持ち込もうとしてゲートで入場を拒否された。
そこで、政治的な表現を取り締まるなら、なぜこの反戦のメッセージが込められた青いスカーフは規制しないのかと言って抗議した。手荷物検査の担当者は「プラカードを廃棄すれば入場できる、返還はできない」と言い放った。かれは言論の自由の侵害に抗議した上で、思い入れのあるプラカードを預けるためにコインロッカーまで往復しなければならなかった。
また、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部によると、原爆ドームの前で「子どもたちの命を奪うことは戦争犯罪 GAZA」という横断幕を掲げる市民がいたという。JCJ広島支部のメンバーも、「日本政府は核兵器禁止条約を批准せよ」「核兵器をなくそう」という紙を平和公園内で8時15分に掲げるなどの行動をおこなった。
「NO WAR 核抑止×」という紙を持ち込もうとしたメンバーは、最初は持ち込みを断られ、押し問答の末に持ち込み自体は許可されたものの「衝突の恐れがあるので掲げる行為はやめてください」、「掲げられたら、職員とか警察官がお声掛けをさせていただくことがあります」などと脅されたという。
原爆ドームの北側では、アナキストたちが平和公園への立ち入りを妨害されていた。突然あらわれたアナキスト集団に、機動隊は慌てて隊列を組む。押し合いはしばらく続いたが、近くで見ていた人の話では、もう少しで突破できそうだったという。
平和公園の前でアピールを始めたかれらが市の職員になぜ入れないのかと説明を求めると、最初は旗の持ち込みがだめだと言われる。かと思えば、旗を置いて手ぶらになった人の入場も一度は拒絶。しばらくすると、今度は旗を持たない人は入って良いと言うなど二転三転し、まともな説明はなかった。
「祈りの場」を問い直す
さて、長くなってしまったが、規制の問題と、市民による抵抗の動きを見てきた。冒頭で紹介した白紙のプラカードも、このような表現弾圧の中にあって限られた表現手段の一つだった。たとえ大手メディアで正面から報道されなくとも、不当な表現規制を我が事として捉え、屈しない市民やジャーナリストが少数でもいることは希望である。しかし、起きている事態に対して、あまりに抵抗が少ないのが気がかりである。それはなぜだろうか。そして、この問題の本質はどこにあるのだろうか。
この規制は、憲法上の「表現の自由」の問題であることは疑いようもない。この法理によると、たとえ大多数の人が静かに8月6日を過ごしたいと思っていたとしても、公園における集会やデモなどの表現行為を規制してはいけない、ということになる。
そして、そのことを強調するためなのか、規制に反対する立場の人がしばしば「たしかに私も静かな8月6日を望むが」とか、「式典の時は静かであるにこしたことはないが」とか、「あの団体の大音量はさすがに問題だと思うが」のような前置きをする。しかし、ここに大きな落とし穴がある。見てきたように「8月6日は静かに祈る日であるのに活動家が騒いでいる」という右派の仕掛けたキャンペーンとその成功が、この状況を作り出している。その土俵に乗ってはいけないのではないか。
つまり、平和記念式典は、いつ「非政治的」で、「神聖」な、「祈りの場」になったのか、ということだ。平和記念式典とは、いったい何なのか。それは、抗議の声すら届いてはいけないほど不可侵のものなのか。そのように思わせているものは何か。そこで語られない歴史は何か。そのことで誰を踏んでいるのか。被爆者や原爆で身内を殺された遺族は、なぜ静かに祈らなければならないのか。死者を本当に政治利用しているのは誰か。
こうした根本的な問いから逃げないことが、規制線を破り、今の閉塞状況から脱する唯一の道なのではないか。
(人民新聞 2025年9月20日号掲載)
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