第三節 獣ノ杜の戦い

 逃げてきた。逃げ続けてきた。

 土地から、人から、記憶から。

 新しいところで、新しいことでやり直せばいいやと。

 なんどもなんども投げ出して、逃げ回った。

 けれど、この世に都合のいいやり直しなどない。

「ここ」で踏ん張れないやつに、「いま」をやりきれないやつに、次などない。


 だからこそ終わらせねばならない。

 どこかで生起した、長く続く、この因業を。



 獣ノ杜ししのもり――獣山ししやまと地元民は呼ぶ。旧家などの古い地図にも、そのように記される。

 獣ノ杜ししのもり神社は、平安後期には失われた。いらい、神は野に降り、妖怪となった。その後も零落した神として、祟り神にならぬよう過ごしてきたが、激動の幕末、とうとう、神は怨霊と成り果てた。


 獣ノ杜ししのもり総代獣杜ししもり狐とはすなわち、神の血筋。

 獣杜ししもり橘禰きつねは、その、最後の姫にして、祟り神である。


「ひめさま」

 源一郎を模している怨霊が、ずるずると、境内に這い入っていく。

 彼はここへ来るまでの間に、いくつもの首級しるしをあげていた。

 警察が巧みに情報を統制していたものの、三河圏内で、七名の成人男性が、大柄な男に首を跳ね飛ばされる怪死事件が起きている。

 しかもその男、カメラに映らず、AI補正も働かない奇怪な存在であり。


 この、「機械が誤認する存在」とは、なんなのだろうか?

 すなわち、反魂狐門ノ術はんごんきつねもんのじゅつによって、現世に投影された「死者の想念」である。


 立派な鎧武者を現世に映し出していたそれは、

 ――源一郎では、ない。

 では何者か?


「ひめ、さま」


 それは、半兵衛だ。

 関ヶ原で無念の死を遂げ、志半ば果てた、初代桑守半兵衛葉蔵、乃至ないし、その意志を継ぎ続けてきた先祖たちである。


「ひ、っめしゃ――ばァ」


 べしゃり、と、乱世動乱の怨霊は、朽ちた賽銭箱に手を伸ばして、そこで黒いシミとなって果てた。

 もぎ取った首が、目も当てられない悲惨な状態のそれが、七つ、ごろりと転がる。


 その七つ首を、ざわざわとのびた黒い影が持っていった。

 半ば自然に飲まれている、祠へと。

 そこへ吸い込まれる。


 そして、己は立つ。

 ――守り手、桑守葉蔵として。


「姫さんを返せ」


 槍の石突きを石畳に打つ。その反動で補鞘を跳ね飛ばした。

 すかさず、右腰に寝かせ、構える。


「出てこい、ドぐされ怨霊が! どつきまわしてやる! 三河者をなめんな!」


 ぎ、ぎい、ぎぃ。

 ゆっくりと、祠が開く。


 怨霊。

 それは、もはや誰かわからない、けれども、己が関わったすべての面影を持つような。

 ちがう、きっと、反魂狐門ノ術はんごんきつねもんのじゅつで姿をこねくり回しているのだろう。

 どの姿なら、葉蔵が一番傷つくのか。

 どの姿なら、葉蔵が一番動揺するのか。


 目まぐるしく百面相した末に、怨霊は、橘禰きつね姫の姿を取る。

 格好は、小袖に袴、奇しくも葉蔵と同じような装いで、素槍を持っている。


「姫さんのつもりか、ゴラ」

 葉蔵は確信している。

「おめえは、ただの死に腐れのド畜生だら!」


 まずは葉蔵が深く踏み込んだ。

 槍を突き出す。二、三。出しては引っ込め、繰り返す。

 一息に三度の刺突。

 怨霊姫はさながらタップダンスでも踊るかのようにすばやく足を捌いて穂先を躱す。

 葉蔵の四度目の突きが空を刺すやいなや、彼女は自分の素槍の中程を持ち、旋回させる。

 葉蔵は左から迫る石突を、同じく、笹刃槍の石突付近で弾き、右から迫る穂先を太刀打ちで払い、鍔迫りあう。


 至近距離で、怨霊が唸る。

「首を突っ込まねば、穏やかに生きられたものを!」

 顔は、確かに橘禰きつね姫である。だがその御魂、性根が腐り果てているせいで、まるで別人のごとく醜悪だ。

 押される――、まずい!

 咄嗟である。葉蔵は相手の柄をはっしと掴んだ。

「もう逃げぬと、皆に誓った!」


 相手の柄をぐいと、左斜上方に泳がせる、穂先が宙を引っ掻いて、力の矛先がそれる。

 拮抗点がずれてしまえば、あとは、葉蔵の膂力で押し込める。

 怨霊姫が二歩下がった。そこには、境内の階段がある。

 がつ、と踏むが。自慢気に笑み、

「我らの土地だ。把握してい――」

 そのまま、ぼこんと踏み抜いてしまう。


「木は腐るぞ、怨霊」

 姿勢を崩した怨霊姫を、葉蔵はためらわずに、槍で刺し貫いた。

「なかなか、悪知恵の働く子猿だ」

 笑いながら怨霊姫がどろっと溶け落ちる。


 周囲の木々が鳴動し、それはやがて、地をどよもす足音に、大軍の進行に、馬のいななきになる。


 あたりはすでに、長篠合戦場。

 葉蔵は足軽小頭の姿となり、相手は、怨霊武者へと姿を変えている。

 源一郎ではない、やつはもう、いない。


「このデジャヴ感……芸のねえ野郎だ」

「まだだ。まだ終わってはおらぬ。わしの戦は、まだ終わっておらぬ!」


 怨霊武者が大太刀を抜き放ち、切りかかってきた。


 葉蔵の持槍がするどく繰り出された。

 先手を取られるのはまずい。それは、二十を超える長篠合戦場の稽古でいやというほど学んでいる。

 玄人ぶって後の先を取ろうなんてちんたらやっていたら、次の瞬間には頭をかち割られる。


 葉蔵の槍先が怨霊武者の草摺と草摺の間、太ももを狙う。

 怨霊武者はこれを身を開いてからくも躱す。

 葉蔵はここぞとばかりに腰に差されているぼろい脇差しを抜いた。

 敵はしかし、怨霊とはいえ、それを形成する武者の記憶があるようだ。

 相手はぱっと大太刀を捨て、掴みかかってきた。


 間尺に合わないと見るや、武器を捨ててでも、獲りに来る。

 これも、うんざりするほど学んだ。

 葉蔵は相手の掴みかかりを左に体をよじって避けると、脇差しを思い切り、怨霊武者の鬼兜に向けてぶん投げる。


 がぁん! と金属音。

 激しい火花。

 言ってしまえば、鉄の塊を全力投擲されたのだ。兜で防いでも、衝撃が響くだろう。


「がっ、あ」

 さしもの怨霊武者も苦鳴を漏らす。

 その隙に葉蔵は相手の具足の肩部分の楯――当世袖を掴み、それを、剛力に物言わせて振り回す。

 戦の常識。袖だろうと草摺だろうと、掴めるものを掴んで振り回せ。

 先祖――半兵衛、そして、源一郎からの教えである。


「らぁああ!」

 勢いのまま、相手を地面に叩き伏せた。

 いちいち槍を拾ったりする暇なんぞない。

 葉蔵は組み伏せにかかり、右手で抜ける小刀――馬手差しをさっと抜いて、相手の首を掻き切った。


 周囲から勝鬨が上がる。

 だが、怨霊と葉蔵の戦は、まだ終わっていない。


 あたりの景色は、次へと移り変わる。


 今度は二川宿――。夜天、あの頃はまだ夏の匂いが残っていたが、ここでは、いかなる季節の匂いもしない。

 時代は現代である。

 だが、人通りも電灯もない。

 赤い、中秋の月明かりだけ。


 生者の気配はなく。

 あるのはただ、死者の――死にぞこないどもの気配のみ。


 二川宿本陣資料館前で睨み合う。

 相手はやはり、まだ怨霊武者のままだが、得物は桑守家家宝だった刀、無銘である。

 思えば、あの刀からすべてが始まったのだ。


「わしとともに来い。今宵より、この日ノ本は怨霊どもの、戦の世だ」

「興味ねえわ」

「ならば姫に会わせてやる。いくらでも手籠めにもできる」

「なおさら興味ねえ」

「両親も返ってくる」


 葉蔵は、地面に突き立っていた大太刀を引き抜く。

「親も、姫も、もう死んだんだわ! いつまいでも、くよくようるせえ! 死んだやつが、他人の都合で生き返ってたまるか、たァけが!」

「ほざけ子猿が!」


 稽古が効いている。大太刀の扱いも、また――。

 葉蔵は静かに八相構え。対する怨霊は、静かに正眼。


 両者が裂帛の気合を張り上げた。びりびりと周囲のガラス窓が震える。


 葉蔵の袈裟打ち、怨霊武者の唐竹割りが交差。

 剣戟音。鉄の叫喚が、二川の闇を跳ね回る。

 葉蔵は右足で踏ん張り、打ち下ろしの姿勢から旋回、大太刀を真一文字に薙ぐ。

 すかさず怨霊武者は受太刀、咄嗟に右逆手に握った刀で受ける。鎬筋に、大太刀の刃が滑る。

 ぢり、と火花が散る。

 組み合いつつ、鍔迫り合い。両者、刀の柄と峰を押さえて、睨み合い、押し合う。


「もう一度言う。わしの直参として仕えよ」

「俺の主君は、姫さんしかいねェ!」

「女に絆されよって、うすのろが」


 怨霊武者、剛烈な腕力で葉蔵を弾いた。

 葉蔵は転がりつつ、あたりに落ちている石を拾って、左手で投げた。

 投石は、ある意味では戦国時代最強の武器である。

 素材はそこら中にあり、体力さえあれば女子供でもできる。あたりどころ次第では、侍すら、死ぬ。


 そして戦国時代において、こうした投擲術は手裏剣術と言われ、武士の間でも、広く浸透していた。


 ゆえに。

 葉蔵の投石の気配を見切った怨霊武者はこれを鎬筋で弾き、葉蔵は二度、三度と投擲。

 その間に足をすり合わせてすぐに立ち上がれる姿勢にする。

 そして、相手が間合いへ入ったとき、葉蔵は一気呵成に下段、脛を薙ぎ払わんと大太刀を薙いだ。

 だが。

 見立てが甘すぎた。

 すね当てに激突した大太刀は、甲高い音と火花を散らし、食い込みこそすれ、止まった。


「日ノ本の甲冑師を甘くみておるな?」

「ふざけろ。ツレに研師がいる。鉄の強さはよく知ってんだ」


 葉蔵は食い込んだ大太刀を、そのまま、己の腰元まで引いた。

 鋸が木を挽くように、大太刀の刃が、鉄を噛み、その内側の骨肉を裂く。

「ぐぁあああああっ!」

「俺が、怨霊の、お前らの死因になってやる」

 葉蔵は、源一郎の死因である弾丸を砕き、己の拳に塗布していた。


 右足に甚大な大怪我を負った怨霊武者。

 葉蔵は立ち上がり、大太刀を、弾丸の粉を塗りつけた手でなぞって、振り上げた。


「終わりだ、三河怨霊ッ!」


 振り下ろす。

 だが、怨霊武者は、葉蔵の手元――大太刀の柄を握り込んだ。

「素人めが。こういうときは、突くものだ!」

 がっ、と視界に星が散った。

 頭突されたのだ。


 葉蔵はたたらを踏んだ。

 眼の前には、刺突を打たんと腰に刀を引いている怨霊武者がいる。

「死ね、子猿」


 その時、月明かりが陰った。一体何が、と思っていると、怨霊から悲鳴が上がる。

「ぐぁっ、があああああ!」

 なにか、小さなものが怨霊武者の右足、ちょうど負傷している部分に食らいついているではないか。


 それは、きつねだった。一匹のきつねである。

「うぅっ、がああああっ、このっ、虱たかりのド畜生が!」

 怨霊武者がを蹴り飛ばそうとしたのを見、葉蔵はその足に飛びついた。

「させるか! それだけは、させねェ!」

「どいつも、こいつもっ!」

 葉蔵は怨霊武者の左足で腹を蹴りつけられて吹っ飛んだ。

 ごろごろと地面を転がる。


 ふと気づく。

 長篠、二川へと転変した景色は、もとの獣ノ杜ししのもりの山頂へ戻っている。

 怨霊の術が解けたのだろうか?

 だとしたら、やつはもう限界であろう。


「うぐ……」

 葉蔵はどうにか立ち上がる。怨霊武者も、右足を引きずりながらこちらへくる。

 両者のちょうど真ん中には、因縁の、桑守家家宝の無銘刀が突き立っている。

 蹴り飛ばされたのだろうか、きつねは力なくうなだれていた。


 ――まだだ。まだ、終わっちゃいない。


 葉蔵は這々の体で進む。それは、怨霊――かつての歴代半兵衛も同じであった。


「終わったんだ」

「うぅ――ぐ、おわっ、てなど。おら、ぬ」


 葉蔵の左脇腹が、じくり、と痛む。

「そうかよ」


 震える膝に活を入れて、血を吐きながら立ち上がる。

「終わらせるんだよ。もう。俺達の、くだらねえ喧嘩は、終わりだ」

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