最終葉 三河霊異記
第一節 守り手、桑守葉蔵
九月十九日の土曜日。
葉蔵の短い恋が終わって、約一週間。
時間は午後三時である。
葉蔵は、ことのあらましを語っていた。
場所は生家である。
こんな無様な形で帰ってくるなんて、夢にも思っていなかった。
自分の愚かしさに、いっそ、なじってほしいくらいだった。
居間には、祖父母と、新田研屋の新田博明、それから新田美琴、親友平田祐介、そして捜査一課の川路浩がいる。
重たい空気の中。
口をどうにか開いたのは、川路である。
「捜査情報を喋るとな、俺は、首がとびかねん。けんど、独り言くらいは、もらすら」
皆、意味を察していた。
「――二川のあの事件な。カメラには、ぼやけた影しか写っとらんかった。ほんだで、新城のなァあの襲撃事件も。どうだら、やっぱカメラは馬鹿になっとるら」
それから川路はこう続けた。「
新田博明、新田研屋の女婿で、跡取りとして修行する葉蔵の父、そのツレは頷く。
「あー、そういやあ。カメラになんかうつとらんかって聞かれたんだけど、馬鹿になっとる。まあおれは警察じゃあねえし、首はとばんけど」
そこへ、祐介が口を挟んだ。
「おっさんがとうの演技はいい」二人の強面に睨まれても、平気な顔をできる肝の据わりは、祐介の強さだ。「源一郎の死処はわかっても、結局、在所はわからんかったら」
そうだ。結局、西尾で掴んだ情報では、源一郎は社家の出であることと、この三河に縁があること、それだけであった。
肝心の、「どこの社家」なのかが判然としていない。時間の中では曖昧に認識できていたが、葉蔵の中では、今ひとつしっかり情報として結びついていなかった。
「やつの生まれな、ここだわ。正しくは、
皆、目を丸くしている。美琴は思わず問うた。
「なんでわかっただん?」
「郷土資料には何も乗ってなかった。けんどな。いっちばん信憑性の高い一次資料が、家においてあった」
そう言って、祐介が差し出したは一枚の紙片である。
そこには。
「虎伏、獣ノ杜神社之生家也 橘禰」
とあった。
「お前が俺の原付ひったくって出ていったあと。姫様な。全部喋った。俺に。なんで葉蔵に言わんだってきつく言ったら。泣いてた」
祐介は、決して俯くことも、目をそらすこともしない。
「ただ泣いてた。俺は、それ以上何も言えんかった。わるい」
葉蔵は胸の中にかっと燃えるものが湧いた。
だが、親友を殴っても意味がない。祐介は、なにも、間違ったことはしていない。
すくなくとも逆の立場だったら、自分は、大人しく黙るという選択をしただろう。
「いや。いい。ごめん。俺、もうどうすやあいいのかわからん」
ふらりと、葉蔵が席を立った。
そうして外へ出ていく。
「葉蔵!」美琴が呼びかけて、「すみません、追いかけてきます」とことわって、出ていった。
妙な沈黙だ。
ややあって、祖父母が、――十六代葉蔵が、口を開く。
「あいつの両親――わしの倅と、その嫁な。自殺じゃ、ないだわ」
骨が喋るような声だった。
「子供に喋るにはきつい話だら。なあ、博明坊」
応じたのは、博明である。
「なにがあったんすか」
祐介は、親世代の中にもある、確かな宿業を問う。
それは郷土史好きとしてではない。
友を助けんとする、一人の男として。
「俺とヨウがぶっ飛ばした暴走族が復讐しただ。美代さんを強姦して海に捨てて、ほんで、ヨウは」
拳が、真っ白になり、震えている。
「張り付けられて焼かれた。俺だけがのうのうと……」
葉蔵の祖父母が、博明の肩をさすった。
「おまんが生きとるだけでも、葉蔵も、美代も、穏やかに往生できるら」「ほうじゃ、責めたらいかんよ」
言葉を、川路が継いだ。
「その二人な、最悪なのは無期懲役で済んだことだ。俺は正味、死刑を反対する気ゃねえだ。非道な糞野郎なんざ、なんでゆるさなかんだ」
祐介は、親友が背負ったものの、あまりにも重すぎる因縁を、――呪った。
葉蔵は、ビニールハウスがあるところにおいてある、小さな床几に腰を下ろした。
月がよく見える。上弦の月だ。
頬を、熱いものがぼろぼろとこぼれていった。
押さえようと両手で拭った。
橘禰との日々が、全部、全部、流れ出ていく気がした。
そのとき。
ざり、と土を踏む音がした。ひとではない、ずっと軽いものだ。
それは、一匹のきつねだった。
じっと、こちらを見ていた。
「俺達は、住む世界が、違うんだ」
きつねは、首を僅かにかしげる。
「帰るんだ」
言葉が通じたか、否か。
狐は長い尾を垂らし、とぼとぼと去っていった。
葉蔵は、これでいいと思った。
そうだ。
本当は、人間と妖怪は、交わるべきではない。
住む世界が、違う。
生きる時間も、違う。
「くそっ」
立ち上がり、床几を蹴飛ばした。
そんな理屈で納得ができるものか。
初恋の人とは、なんでもないように別れられた。
東京ではひとの意地汚さをまざまざ見せつけられた。
在所で二年を過ごして、故郷も悪くないと思った。
そして先祖の刀を掘り出したことで、大きな因果の渦へと飛び込むことになった。
妖怪を知った。
旅をした。
なんで。
愛を知らなければ、こんなに苦しまずに済んだのに。
――愛など知らぬほうが良かった。
「ちくしょう」
葉蔵は咆哮した。
三週間ほど前、初めて桑守葉蔵という青年と会った。
身丈は美琴より頭一つ大きい。農家の子だと聞いていたとおり、がっしりとした体躯の好青年だった。
父から伝聞系で聞いていた、親友の子供だという。
美琴の生家は研屋だ。刃物を研いで持ち主に返す仕事である。
今ではそれだけではおまんま食い上げであるから、刃物の卸売や、コスプレ用の刀剣もおいているが、古くは江戸中期頃より続く由緒ある家だった。
父はその女婿。もとは山寺という苗字である。
父は酒が入ると、決まって、小学生来のツレの話をした。
頑固で喧嘩っ早い、けど女に弱く、よくいる昭和生まれの、平成に馴染めない野郎。
いいざまはひどいが、それを喋る父は、本当に嬉しそうだった。
けれど最後には、きまって、謝る。
ごめんな、ごめんな。俺、最低だ。
その理由が、さっき、わかった。
だからこそ。
葉蔵を見捨てるという選択肢は、新田美琴にはない。
自分は、三河の女だ。ルーツというものをこれまで意識しなかったし、することなく死んでいくだろうと思っていた。いっそ、土地に縛られることに、わずかな鬱積もあった。
しかし、つながりというものを知った。
愛を、知った。
この土地で。
「葉蔵」
ハウスのそばで、うろうろと落ち着きない葉蔵に話しかけるべきかどうか、正直のところかなり惑った。
美琴は彼を知って、まだ一ヶ月ほど。直に喋ったのは今日で三回だ。
ほかは、実は父から聞いて知っていた。
親友の子であること、ツレを守れなかったこと。その無念と苦悩を、背中から感じ取っていた。
「葉蔵」
「なんだよ」
「私、力になるから。だで」
「力になるったって、それで? 俺はもう……」
彼はその場に、すとんと崩れ落ちた。
「姫さんを守れんかった。眼の前で、崩れてった。俺が見とったのは、ただの、まぼろしだった」
「けど、――あんたの記憶におる姫さんは、本物だら。それだけは、……一緒にいた時間は、一緒に歩いた地面は、山は、海は、嘘吐かんら!」
「お前に何がわかる! 俺は……もう、わかんねえよ」
葉蔵は土を掴んで、握り、地面に放った。
「俺、武士の子孫って知って、有頂天だった。姫さんが来て、そんで。英雄気分だった。漫画の主役みてえに、超能力使ったり修行するとか、本気で思った。そんで、さらわれた姫さんを、悪い怨霊ぶっ飛ばして助けて、抱きしめるとこまで妄想しとった」
また、土を放った。ぱさぱさと、こぼれるだけ。
「実際はどうだん。これだ。在所がいやで東京逃げて、ほんで、今度はひとが嫌んなって東京から逃げてきた」
ばさばさと土が音を立てる。
「俺みてえな負け犬なん、いっしょう、負け背負って生きなかんだ! 何遍立ち向かったって、バケモンみたいな、時代とか、土地とか、そういうやつらに踏み潰されて殺されるだわ!」
美琴の脛に土をぶちまけた。
彼女は黙って葉蔵を引っ立てると、その顔面を、平手でぶっ叩いた。
美琴は言う。
「じゃあ、ずっと泣きながら逃げ回れ。玉無し野郎」
そう言われた葉蔵は、何も言い返せず――言い返す気概すらなく――ふらふらと歩いて、蔵へと歩いていった。
すべての始まりである蔵。刀が眠っていた、そこへと。
なぜここへ来た?
まだ、自分は未練がましくも、この旅を続ける気なのか? とっくに終わった、旅路など。続けても、蛇足なだけではないか。
またしても、脇腹がずきりと痛んだ。
鉄砲傷のような痣だ。不思議なことに、これだけは、消えなかった。
蔵の中にふらふらと入る。
掃除をして、いらないものは全部廃品回収に回したあとの、なにもない殺風景な蔵。
しかし、奥へ奥へ進む都度、自分が、歴代の葉蔵から背中を押されている感覚を味わった。
父は、自分が四歳のときに死んだ。
自殺だと聞いた。
だが、ほんとうは知っている。
かつての因果に殺されたことを。大人たちが、鬼の如き剣幕で怒鳴り合っていたのを、聞いていた。
幼いながらに、記憶に蓋をして分厚い錠前で閉ざし、封じておくべきだと思って、忘れたふりをした。
「父さん」
眼の前に、父がいる。
「まだ、終わっとらん」
父が指差す。
「葉蔵、俺は、お前を守れただけでもよかった。お前は、奪うな――なにも。守って、託せ。託すんだ。これまでのことを。次の世代へ」
父が指差す先には、長篠の合戦場。
武田騎馬武者が雄叫びを上げている。どうどうと舞い上がる土煙。一気呵成なる勇壮なる武士たち。
その一人ひとりに人生があり、意志があり、思いがあった。
織田・徳川の鉄砲隊が銃火をあげる。連続する轟音、轟音、轟音。
鉛玉が馬を、武士を殺す。
血しぶきが上がり、そして今度は徒侍、足軽が、槍を手に切り結ぶ。
五万三千人に、人生があった。つながりがあった。
その人いきれとつながりの中から、ゆっくりと歩みだしてくる、ひとりの男。
しっかりと赤色の具足を着込み、雄々しく仁王立ちしている。
男は大太刀を背中から抜く。いぃん、と、
「父さん、俺」
「うん」
「姫さんに、ちゃんとさようならって言えてねえや」
「ほうか」
「けんど、姫さんにもう一回会うには、ケリつけなかんやつがおる」
葉蔵は、気付けば、一振りの持槍を握っている。
体には、具足をまとっている。
父はいつの間にか消えている。
隣には、初代様がいる。
「教えてくれ。戦い方を」
相手は、掛け値無し、歴代すべての桑守半兵衛葉蔵にとって最強の男。
――侍大将、馬場源一郎辰蔵だ。
「来るがいい、足軽小頭。それと。――守り手、桑守葉蔵」
「ああ。――怨霊をぶっ殺す。ご先祖様方、手合わせ願う!」
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