第四節 鬼が哭く、人は嗤う

 時刻はもう午前三時である。日付を跨ぎ、九月九日。


 地方警察署――豊橋警察署まで重要参考人としての出頭を「協力」された葉蔵は、大人しくついて行くことを選択した。

 大人しく協力しておけば、さっさと帰れるからだ。

 よく、勘違いした阿呆は「令状とれ」とかいうが、そんなの、現場の警察に通じるわけがない。最悪「幇助罪」で引っ張られるのが落ちだ。


 刑事課――捜査一課の強面の刑事が出てきた。

 鬼武者とは違う方向でこわい男である。歳は四十あたり。警察として脂の乗り切った頃合いだろう。

 腕周りは、そこらの男の太もも並みに太い。

 どかんとスツールに座る。


「腹減っとるら」

「……まあ。少し」


 ここで、図に乗るのはまずいと思った。大人しく媚びるなり甘えるなりして、心象を良くしたほうがいいと思った。

「いい警官と悪い警官かよ」なんて言えば、おしまいだ。そうなれば、警察は「やりやすい方」を選ぶのは明白である。

 つまり、天狗鼻の若者をぶっ飛ばしてでもわからせる。

 そういう手段くらい取る。田舎なら。


「すんません、そういう立場じゃねえってのはわかってんですけど。ごめんなさい、軽くなにかつまめると……」

「はは、腹くらい減らあ。けんど、いま署にあるのなんか、パンとか柿ピーくらいで手一杯でな。ほいでいいか?」

「助かります。あと、眠気覚ましに冷たいコーヒーとかいいっすか?」

「はは、それくらい俺のポケットマネーで出すわ。おい、一人自販機で缶コーヒー。二つな」

 若い警官が頷いて、出ていった。


 葉蔵はこういう綱渡りがうまい。それもこれも、日々、年寄と接してきた功であろう。

 このように、むしろ時間を食いそうなことをするのにはしっかり狙いがあった。

 その狙いとは、二つ。


 一つは、甘える姿勢を見せることで、こちらにはウソをつくほどの敵意がないと示すこと。

 二つ目は、ゴミなどから唾液サンプルを採取されても困らない姿勢を示すこと――すなわち、科学捜査でDNA検査をされても困らないぞ、という身の潔白を示すことだ。


「ここだけのハナシな。俺は、おまんらなんか疑っとらん」

 捜査一課、あるいは殺人課などとも恐れられる刑事はそういった。


「俺は、川路浩かわじひろし。かの有名な、川路利良と同じ苗字だわ」

「じゃ、将来は警視総監っすか」

「あほいえ。俺みてえな地方の警察がなれるもんかい。って、おまえ、乗せるのうめえな」

「オジサン世代に囲まれて育ったんで。まあ」

「ほうか。いんや、まあ乗せる乗せられん関係ない。原付な、あれに残っとった鉄の成分組成もろもろは、玉鋼でねえかという見方がある」


 葉蔵は、ここまで来たら変な嘘をいうだけ無駄だと悟った。

「最初から言ったとおりです。相手は武士で、刀を持ってる。ここまでは全部本当です」

「ほいじゃあ通行人が襲われてるのを見て、動転してハンドルを狂わせて、原付が突っ込んじまったってのは嘘だか」

「本当にごめんなさい。……言ったら、俺、心の病気とか言われるんじゃねえかって思って」


 川路は頭を掻いた。

「ほやほうだわ。刀で原付叩き切るとか、映画見てえな真似だもんで誰も信じんら。けんどな。葉蔵、つったか。警察もそれなりに、変なもん見とるだわ」

「えっ」

「詳しくは、言えん。けんど、洗いざらい言ってくれやあ、ほんで、お前に非がねえとわかりゃあ、釈放してやれる。どうだん。喋るか?」


 葉蔵はうなずいた。

 川路からは、澄んだ、海のような気配を感じた。嘘なんか通じない。それは、この男が嘘をつかない男だからだとわかった。


 全部を話し終えたとき、川路は太い鼻の穴から、疲労混じりの息を吐き出していた。

「葉蔵、俺は一服してえけど。席外したほうがいいか」

「いや、祖父ちゃんとか普通に家ん中でタバコ吸ってたんで平気です」

「ほうか。んじゃ遠慮なく」


 葉蔵は、もらった缶コーヒーの残りを一気に飲み干した。

 川路はすでに空いている己の空き缶を灰皿がわりにして、タバコに火を付ける。たっぷりの紫煙を肺の奥まで吸い込んでいるのがわかった。

「怨霊に妖怪変化たァ凄まじいや。んでのう、お前のその、腹の痣な」


 葉蔵は左脇腹を撫でた。

 先祖が関ヶ原で撃たれた夢を見て以来、腹にできた鉄砲傷の如き痣である。

 話している間、情報を共有する意味で、川路にそれを見せていた。


「俺ももう、二十年現場におるで。ド馬鹿が鉄砲もどきで人傷つける事件とか見とるだ。んでのう、その傷と、そっくりだ」

「そうなんですか? 俺、さすがに銃で撃たれたことなんかねえから、全然わからんもんで」

「おお。皮肉なことだ。鉄砲もどきだもんで、ライフリングを彫る技術なんざねえ。ってなると、戦国時代とおんなじような、こう、螺旋回転せずに、ぽーんって飛んでくように、玉が出るだわ」

「はい。なんとなく、わかります」


 葉蔵は、本当は現代の中の多くがライフリングというものを刻んでいることを知っているし、警察が、その「ライフリングの痕」、「旋条痕」を銃の指紋と言っていることも知っていたが、知らんぷりしていた。


「そんときのノンライフリングの傷が、お前の腹の痣にそっくりだわ。いや、似過ぎとるくらいで怖いくらいでな……撃たれたことはないだな?」

「いや、流石に俺、そんな怖い人と付き合ってないです」

「ほやほうか。ま、顔見やあわかる。お前、底抜けに根明だわ。苦労とるら」

「いや、はは」

 葉蔵は曖昧に笑った。


「お前のツレらな、ちゃんと、お前の言ったとおり、裏を取る発言をしたわ。んで新田の親父さんからのう、銃砲刀類登録証を送ってもらった。違法な刀でねえのは確かだ」

「色んな人に迷惑かけてるな、俺……」

 本気でうなだれてしまう。

「二十ちょい過ぎだら。むしろしっかりしとる方だわ。……お前、これからどうするだん」


 葉蔵は、少し考えた。

「しばらく家に帰らずに、三河を旅するつもりで啖呵を切ってきたんですよ。なんで、どっか安いホテルか漫画喫茶で仮眠を取って、計画を練ります」

「ほうか。ちっとまっとりん」


 といって、川路は何やら調べ物をして、

「こっからな、二十分くらい歩くとコンフォート豊橋っつう安いホテルがある。空きがあるで、そこでどうだん」

「助かります……すんません、何から何まで」

「いいや。善良な市民を守るのは俺らの仕事だで。なんかあったらな、豊橋警察署の川路を出せ、っていやあいい。桑守が呼んどると聞いたら、すぐに電話出るわ」

「ほんとに助かります」

 本心であった。散々、国家権力は頼れないなどとほざいてきたが、いざ味方につくと、この上なく心強い。


 葉蔵が解放されたのは、結局、午前七時頃であった。

 疲労困憊である。

 外には、橘禰きつねと祐介が待っていた。


 矢継ぎ早の質問が飛んできたが、葉蔵はとにかく休みたかったので、「この辺にコンフォートなんたらっていうホテルがある」とだけ言い、そうして、結局車の中で眠ってしまうのだった。




 鬼は、首をもがれても泣かぬ。

 なんとなれば、酒呑童子様もそうであった。首だけになろうとも、噛みつき、戦ったではないか。


 ――鬼に横道なし。


 鬼武者怨霊――その名は、馬場源一郎辰蔵ばんばげんいちろうつぞう。諱は辰蔵である。

 当時の武士相手に諱を呼ぶのは大層な無礼であるゆえ、以降は源一郎で統一する。


 この男の半生は、さだかではない。ある時を境に武田方に己を売り込んだのは確かだ。

 そのときに源氏筋を僭称するかのように源一郎と名乗り始めている。思えば、酒呑童子の宿敵は源氏――源頼光とその一行。あえて敵の名をもらったのは、如何なる心理であろうか。


 そもそも源一郎は鬼として生まれたのか、はたまた、人が鬼になったのかは不明だ。

 だが、葉蔵が見た夢が確かなら、長篠の戦いの段階で、源一郎はすでに鬼であった。けれど、あの段階で「死した怨霊」であったかまでは――。


 が、正直人か鬼かなど、戦には関係ない。肝腎なのは、源一郎がこの上ない武功を上げ続けたという事実。

 長篠の戦いで武田が敗北し、滅亡すると、機を伺った源一郎は羽柴秀吉に己を売り込んだ。


 この時期、清須会議において織田家後継者争いが起きており、羽柴秀吉と柴田勝家が真っ向対立。

 徳川家康としては、敵対陣営に加われば、勢いづいている百姓上がりの鼻をへし折れる。その理由ができた――というわけだ。

 これが、のちに小牧・長久手の戦いという戦につながる。


 そこでも源一郎と半兵衛――葉蔵の先祖は激突している。


 その時つけられた傷は、源一郎の左肩の付け根と鎖骨のつなぎ目あたり――左の肩鎖関節に残っている。

 しかし、武士にとっての傷はむしろ誉れ。

 しかもそれが、宿敵であり、いっそ尊敬すらする半兵衛がつけたものならば、むしろ男としての箔が付くというもの。


 以降も源一郎は、つねに半兵衛――すなわち、徳川に敵する勢力の間を転々とした。

 小田原征伐では己を北条氏に売り込んで、関ヶ原では西軍についた。


 だが、あの半兵衛は死んだ。

 どこぞの雑兵が放った鉄砲玉で。


 狐の姫を娶る機会など腐るほどあった。いや、腕尽くで手籠めにもできよう。

 だが、しなかった。いや。――なぜ己は、あんな狐ごときを、娶りたいと思っているのだ?

 ただ、決着とをつけたいだけ――。


 半兵衛との決着をしかとつけてから、あの女を我が物にするのだ。

 それが、己が突き通すべき、唯一の武士道である。

 その後のことは、その時考える。それでよい。


 そのようなことを考えながら夜道を歩いていると、腑抜けた男が二人、あるいてくる。

 南蛮人のように毛を染めている。まったく度し難い。


「なんだよじーさん、コスプレか?」

「いてえジジイだ――」


 ぱっ、と血が咲く。

 ごろん、ごろん、と首が二つ、植え込みに落ちた。


「牛馬の糞の如く汚い血じゃ。誰も、武士の魂を差しておらぬ! どこぞ、日ノ本の武士は! 我が首を取らんと盛る武士は、どこぞおらぬか!」

 由々しい。そしてあまりにも寂しい。

 ――まこと、武士はおらぬのか。あの輝かしい血湧き肉躍る時代は、終わってしまったのか!


 源一郎、一世一代の雄叫びを上げた。

 嗚呼、鬼哭啾々。

 首をもがれても泣かぬ鬼も、――武士の魂を錆び腐らせられては、血の涙を流すのだ。


 だからこそ。

 再びこの時代に刀を研がんとした半兵衛の子孫には敬意がある。

 研師である新田しんでん一族を見逃したのもそうだ。

 彼らには、これから武士を支える仕事をしてもらわねばならない――。


   ✧


 結局、葉蔵は丸一日寝ていた。

 本格的に動き出したのは九月十日である。すでに祐介とは別れて行動している。


 ホテルを出た葉蔵は、己が寝ている間にあの鬼武者――という確証はないが――が、若者二人の首を刎ねるという一大事をやらかしたことを知った。

 しかもそれを、半兵衛の――先祖の刀でやられた。


「くそ」

 葉蔵は己の無力が許せない。

 許せなではない。許せない、だ。

 まだ物事は終わっていない。過去にする気もない。


 橘禰きつね姫は、葉蔵の肩をさすった。

「ごめん。俺、情けなねえ」

「いえ。相手が上手です。しかし、まさか……ここまで時代から乖離しているとは……」


 二人は今、近場のコンビニで買った惣菜パンを、イートインで食べていた。

 橘禰は「ごみ」が出るときに悲しそうな顔をする。

 リサイクル、リユース――いわゆるエスディージーズなんかは、本来必要なかった。なぜなら、江戸時代まではこの程度のこと、どこでもできていたからだ。


「あれと正面から戦うのは避けたい」

 葉蔵の台詞は、決して、「逃げたい」というニュアンスではない。

 橘禰もわかっているので、頷く。

「はい。私は同じような刀剣類がどこかにないかと思っています」

「というと?」

「現実的ではないので、これらは〝スルー〟として、お考えください」


 葉蔵は頷いた。

「まず、妖刀化している刀剣が保存されている資料館に、貸出を掛け合う。当然無理ですね」

 それはそうだ。

 電話をかけて「刀を寄贈したいのですが」ならまだ話が通るだろう。

 しかし、「刀を貸してくれ。理由は言えない」。こんなのいたずら電話扱いである。


「次、旧家の知り合いを尋ねる」

「もっと、現実味がねえが?」

「ですよね……。では、もうひとつ」


 橘禰は、こういった。

「妖怪の助力を請う、です」

「……えっ?」

「私という存在を知っている葉蔵なら、この手が、一番確実で手っ取り早いと、わかってもらえるはず」


 たしかに――そうだ。

 現代社会の、法律という壁が邪魔をする刀剣類の回収。

 鬼に有効打がある高僧の念仏も、己には人脈も金もないから、無理がある。


 しかし、妖怪はどうだろう?

 最も非現実的だが、最も実現性がある。

 なんせここにいる橘禰は本物の妖狐で、そして獣ノ杜ししのもりという土地の妖怪の総代である。発言力もそれなりだろう。


「どうやって助力を請うだん?」

「行脚ですよ、葉蔵。実際に土地に行って、事情を話し、頭を下げる。これだけです」


 そう言って、橘禰は微笑んだ。

「砥鹿神社で、大巳貴命様に旅の祈願をしたのですから。それとも、怖いですか?」


 葉蔵は、もう腹をくくった男だ。

「三河者を舐めんな。妖怪なんか怖かねえわ」

 焚き付けられた葉蔵を見て、橘禰は微笑んだ。


 話を脇から盗み聞きしていた店員は、ゲームの話で随分と熱くなってんな、と冷笑していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る