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敗者の言語学:なぜ「バカ市」と叫ぶ者は永遠に勝てないのか

はじめに——侮蔑は敗北の領収書である

2026年2月8日、第51回衆議院議員総選挙の結果が確定した。自由民主党316議席。公示前198議席からの118議席増。単独で衆院の3分の2を超えた。連立パートナーの日本維新の会と合わせれば352議席。衆院定数465の75.7%である。

対する中道改革連合——立憲民主党と公明党が選挙直前に合流した新党——は49議席。公示前167議席からの118議席減。自民党が積み上げた数字と、中道改革連合が失った数字が、寸分の狂いなく一致しているのは偶然ではない。票は移動したのだ。

この結果を受けて、ネット上では奇妙な現象が加速した。高市早苗首相を「バカ市」と呼ぶ投稿、支持者を「愚民」と嘲笑する書き込み、自民党に投票した有権者を「騙されている」と断じるスレッド。敗北の翌日から、いや選挙の開票速報が流れている最中から、それは始まっていた。

本稿の主題は、この現象の政治的意味の分析である。「バカ市」と叫ぶ行為が道徳的に問題かどうかは、本稿の関心ではない。問いはもっと単純だ。それは戦略として機能するのか。答えもまた単純である。機能しない。それどころか、構造的に逆効果しか生まない。そしてその構造は、敗者の側が根本的に理解していない——あるいは理解を拒んでいる——力学に基づいている。

第一章 論理的自己矛盾——三段論法の罠

まず、形式論理から始める。

命題A:高市早苗は愚かである(「バカ市」)。
命題B:高市早苗は316議席を獲得し、圧勝した。

この二つの命題が同時に真であると仮定する。すると、論理的に導かれる結論はこうなる。

結論C:愚かな人物に316議席の圧勝を許した野党は、それ以上に愚かである。

これは回避不能な帰結だ。選挙は能力の比較測定装置である。AがBに勝った場合、Aが愚かであるならBはより愚かだったということになる。第三の選択肢——「Aは愚かだがBは賢い、それでもAが勝った」——は、有権者全体が判断力を喪失していたという前提でしか成立しない。2779万票の小選挙区票と2103万票の比例票を投じた有権者の判断力を全否定する。つまり、民主主義そのものを否定する。

「バカ市」と呼ぶ者は、この三段論法から逃れられない。相手を愚かだと断じた瞬間に、その愚かな相手に惨敗した自陣営の無能が論理的に確定する。

次に、支持者を「愚民」と呼ぶ行為の論理構造を検討する。

命題D:高市支持者は愚かであり、正しい判断ができない。
命題E:野党は選挙で高市支持者を説得できなかった。

結論F:野党は愚かな人々すら説得できない無能集団である。

あるいは——

結論G:高市支持者は愚かではなく、野党の提案よりも高市首相の提案を合理的に選好した。

結論Fを受け入れるなら、「バカ市」と叫ぶ資格すらない。結論Gを受け入れるなら、「愚民」という前提が崩壊する。どちらに転んでも、侮蔑する側の論理的基盤が瓦解する。

これは高度な政治分析ではない。中学校の論理学で処理できる水準の自己矛盾だ。にもかかわらず、この矛盾に気づかない——あるいは気づいていても止められない——ところに、問題の根深さがある。

第二章 勝者の言葉、敗者の言葉——二つのテクストの解剖

論理構造の話を離れ、具体的なテクストの分析に移る。選挙後に発せられた勝者と敗者の言葉を比較する。

一、高市首相の選挙後記者会見(2月9日)

高市首相の会見全文を精読して、まず目につくのは「不在」である。敗者への侮蔑が、一言もない。

中道改革連合の戦略が間違っていたとも、野田佳彦共同代表の判断が甘かったとも、野党の選挙準備が不足していたとも、一切言っていない。代わりに会見を埋め尽くすのは、具体的な政策とスケジュールだ。責任ある積極財政、安全保障政策の強化、国家情報局の設置、食料品消費税ゼロの2年間限定措置、給付付き税額控除の導入、憲法改正。「夏前には国民会議で中間取りまとめ」「令和9年度予算の概算要求から本格的に取り組む」。時間軸の明示まで含まれている。

そして、野党への言及はすべて肯定的な文脈で行われている。「参議院において与党が過半数を有していない状況に変わりはありません。引き続き政策実現に前向きな野党の皆様に協力をお願いしてまいります」「国民民主党は政局より政策を掲げられており、その姿勢には私も大いに共感をしております」。

これは品格の問題ではない。計算である。

敗者を貶めることは、勝利の価値を毀損する。316議席という圧勝は、強い相手に勝ったときに最も輝く。相手が「バカ」だったなら、勝って当然であり、偉業ではない。高市首相はこのことを直感的に、あるいは戦略的に理解している。さらに、野党を尊重する態度は、参院での協力関係構築への布石でもある。拙稿「予算が年度内成立でも、暫定でも」で分析した通り、国民民主党や参政党との「距離感の設計」は、憲法改正に向けた壮大な詰将棋の一部だ。侮蔑は、その盤面を壊す。

二、野田佳彦前共同代表のブログ(2月16日付)

次に、敗軍の将の言葉を検討する。野田佳彦前中道改革連合共同代表は、共同代表辞任後のブログで敗戦の弁を述べた。全文を分析する。

第一段落から第三段落は、外的要因の列挙である。「抜き打ち解散で不意を突かれた」「戦後最短の選挙期間で党名を浸透させる時間がなかった」「投開票日は全国的に大雪だった」。事実としてはいずれも正しい。しかし、敗戦の弁として致命的に問題がある。

敗因が外部に帰属されている。

1月9日に読売新聞が解散をスクープした時点で、解散は公然の事実だった。にもかかわらず、立憲と公明の合流が1月15日という解散直前に決定されたのはなぜか。新党名「中道改革連合」が有権者に浸透しなかったのは期間の短さのせいか、それとも名前自体の訴求力のなさのせいか。大雪の影響は全候補者に等しくかかったはずだが、なぜ自民党の候補者は雪の中でも勝ったのか。これらの問いに対する自己検証が、一切ない。

しかし、最も問題のある箇所は、第四段落だ。

「自民党にガチンコ勝負で負けたという実感はありません。高市総理への期待感だけの『推し活』のようなイメージ論に、選挙戦全体が支配されてしまったように思います」

この一文を、高市首相の会見と並べてみる。高市首相は敗者を一言も貶めなかった。野田氏は、2779万の有権者の判断を「推し活」と呼んだ。

「推し活」という語が含意するのは、実質を伴わない表面的な熱狂、合理的判断ではなく感情的な追従、アイドルのファン活動のような非政治的行為——である。小選挙区で約2779万票、比例で約2103万票。この膨大な票を投じた有権者の判断が「推し活のようなイメージ論」だったと、167議席から49議席に壊滅した側の責任者が言っている。

続く段落はさらに問題を深める。「日本の社会は、時々えも言われぬ『空気』に支配されることがあります。しかし、それは、常に危うさを伴います」。山本七平の『「空気」の研究』を意識した表現だろう。しかし、ここで使われる文脈では「有権者は空気に流されて判断力を失っている、それは危険だ」という意味にしかならない。自民党に投票した有権者は、空気に支配された危うい存在だ——と、49議席の敗者が言っている。

そして決定的な一文。「中道のかたまりを作るという方向性は決して間違っていなかったと思います」。

167議席から49議席。118議席の消失。方向性が間違っていなかったのにこの結果が出たのだとすれば、論理的に二つの可能性しかない。

可能性A:方向性は正しかったが、実行が拙劣だった。
可能性B:方向性は正しかったが、有権者が間違った判断をした。

可能性Aを認めるなら、「方向性は間違っていなかった」ではなく「実行力が壊滅的に不足していた」と書くべきだ。可能性Bを言外に匂わせているなら——そしてこのブログの全体的なトーンは明らかにそちらを向いている——それは民主主義の主権者に対する否定である。

野田氏のブログは、ネット上で「バカ市」と叫ぶ匿名の書き込みと、修辞の上品さを除けば、同一の論理構造を持っている。自分たちは間違っていない、悪いのは空気だ、有権者は推し活に踊らされた。形式が異なるだけで、内容は同じだ。元首相がこれを公式に発信していることの深刻さは、匿名の罵倒の比ではない。

三、不在の分析——敵を分析しない敗者

高市首相の会見が具体的政策で埋め尽くされているのに対し、野田氏のブログには高市政権の政策に対する具体的な批判や対案が一つもない。「巨大与党が『数の論理』で極論を押し切ることがないよう」という一文があるだけだ。何が「極論」なのか。責任ある積極財政か。安全保障の強化か。食料品消費税ゼロか。憲法改正か。特定されていない。

そして、高市首相が「なぜ勝ったのか」の分析が完全に欠落している。60年ぶりの通常国会冒頭解散という奇襲戦術、戦後最短の選挙戦を設計して野党の態勢構築を許さなかった判断力、SNSと動画を駆使したネット戦略、「日本列島を、強く豊かに」「挑戦しない国に未来はない」という明確なフレーミング——これらの一つ一つが卓越した政治的手腕の産物であるにもかかわらず、野田氏はそのすべてを「推し活」「空気」の一言で片付けた。

孫子は言った。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」。その逆は「彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず殆うし」である。敵の強さを分析せず、自分の弱さを認めない。野田氏のブログは、孫子が警告した最悪の状態を文書化したものだ。

第三章 「推し活」の政治史——新しくもなければ異常でもない

野田氏が「推し活のようなイメージ論」と嘆いた現象は、民主政治の歴史において異常でも新奇でもない。むしろ、それは常態である。

マックス・ウェーバーは1919年の講演『職業としての政治』で、支配の三類型——伝統的支配、合法的支配、カリスマ的支配——を定式化した。カリスマ的支配は前近代の遺物ではない。ウェーバーは、合理化が進んだ近代社会においてこそカリスマへの渇望が周期的に噴出するとした。「推し活」は、カリスマ的支配の21世紀的表現に過ぎない。

歴史を遡る。

ジョン・F・ケネディ。1960年の大統領選で、テレビ討論という「イメージ」の場でニクソンに圧勝した。ケネディの若さ、ルックス、演説の力。ポスターを部屋に貼る若者、演説会場を埋め尽くす群衆。共和党関係者は「中身がない、イメージだけだ」と嘆いた。選挙結果は変わらなかった。

ロナルド・レーガン。文字通りのハリウッド俳優出身。「偉大な伝達者(The Great Communicator)」と称された彼は、政策の精緻さよりも「朝のアメリカ(Morning in America)」という楽観的ビジョンで国民を動かした。1984年の大統領選で、政策通のモンデール元副大統領を49州対1州で粉砕した。モンデールは政策論争で負けたのではない。国民に希望を感じさせる力で負けた。

小泉純一郎。2005年の郵政解散は、日本政治史における最も鮮烈な「推し活」選挙だった。「自民党をぶっ壊す」のワンフレーズ、刺客候補の劇場的演出。当時の民主党は「衆愚政治だ」「B層を騙している」と批判した。そしてその同じ民主党が4年後、鳩山由紀夫のオバマ的な「チェンジ」のイメージを全面に押し出して圧勝した。自分たちが「推される」側になったときは「国民の賢明な判断」と呼び、相手が「推される」と「衆愚だ」と呼ぶ。有権者はこの二重基準を見透かす。

歴史の暗い側面にも目を向ける。ヒトラーもまた、ワイマール共和国のドイツ国民から熱狂的に「推された」指導者だった。そしてここで重要なのは、ワイマールのリベラルな知識人たちがナチスの台頭を「無教養な大衆の愚かさ」として片付け、その政治的手腕の恐るべき精緻さを分析し対抗する努力を怠ったことだ。結果は周知の通りである。

要するに、政治家が「推される」現象は、人類が代議制民主主義を採用して以来、一度も途絶えたことがない。ケネディもレーガンも小泉もヒトラーも推された。推されなかったモンデールやニクソンや岡田克也は負けた。これは例外なき法則であり、嘆くべき病理ではない。

野田佳彦は、自分がその対象にならなかったことを嘆くべきではない。嘆くべきは、自分にその力がないと認識していながら、それを補う戦略を構築できなかったことだ。あるいは、より正確に言えば、「推される力」を持つ政治家を自陣営から輩出できなかったことだ。

しかしそれ以前の問題として、「推される」こと自体を病理として扱ったことが、最大の戦略的過誤である。なぜなら、「推される力」は政治家の能力の本質的構成要素だからだ。

第四章 「推される力」は政治的能力の核心である

民主主義において、政策の正しさは、それだけでは何の力も持たない。

どれほど精緻な政策体系であっても、選挙に勝たなければ実現できない。選挙に勝つためには有権者の心を動かさなければならない。有権者の心を動かす力がなければ、政策は永遠に絵に描いた餅であり、政治家はただの評論家である。

「推される力」とは、有権者がその政治家に国の運営を委ねたいと感じさせる能力の総体だ。それはビジョンを提示する力であり、危機において決断できるという信頼感であり、国民が「この人についていきたい」と思わせる何かである。ウェーバーがカリスマと呼んだもの、政治コンサルタントがリーダーシップと呼ぶもの、有権者が「何か持っている人だ」と直感するものの総称である。

これは天賦の才だけの問題ではない。高市首相の場合、「推される力」は戦略的に構築されている。SNSと動画を駆使した発信力の体系的構築、「日本列島を、強く豊かに」「挑戦しない国に未来はない」「成長のスイッチを押して押して押して押して押しまくる」という記憶に残るフレーズの設計、「責任ある積極財政」という既存の自民党路線との差異を可視化するキーワード。これらはすべて意図的に設計されたコミュニケーション戦略であり、「空気」が自然発生したのではない。空気を作ったのだ。

中道改革連合の側はどうか。「中道改革連合」という党名自体が、すべてを象徴している。政治学の教科書としては正確かもしれないが、有権者の心を動かす力がどこにもない。「中道」は穏当さを表現するが、変革への渇望を抱える有権者にとっては退屈の別名だ。「改革」は手垢のついた言葉であり差別化要因にならない。「連合」は野合の婉曲表現に聞こえる。

党名の話は些末に見えるかもしれない。しかし、そうではない。「日本列島を、強く豊かに」と「中道改革連合」を並べたとき、どちらが有権者の感情に訴えるかは自明だ。そしてこの自明な問題に、旧立憲・旧公明の政治家たちが気づかなかった——あるいは気づいていても対処できなかった——ところに、118議席消失の原因の一端がある。

第五章 啓蒙主義の罠——「正しい我々」と「愚かな彼ら」

「バカ市」と叫び、支持者を「愚民」と呼ぶ行為の根底には、一つの思想的前提がある。

正しい情報と合理的な判断力があれば、有権者は正しい選択をするはずだ。正しい選択をしないのは、情報が足りないか、感情に流されているからだ。我々は正しい情報を持っている。したがって、我々と異なる選択をした者は、情報不足か、非合理的か、あるいはその両方だ。

これは18世紀啓蒙思想に由来する人間観であり、リベラル知識人層に深く内面化されている。社会心理学者ジョナサン・ハイトは『The Righteous Mind(社会はなぜ左と右にわかれるのか)』で、この認識の歪みを実証的に示した。

ハイトの研究によれば、保守派はリベラル派の思考をある程度正確に予測できるのに対し、リベラル派は保守派の思考を予測する際に体系的にずれる。なぜなら、リベラル派は「公正」と「ケア(弱者への配慮)」を中心とした道徳基盤で世界を解釈するのに対し、保守派は「忠誠」「権威」「神聖さ」を含むより広い道徳基盤を持つからだ。リベラル派はこの差異を「無知」や「偏見」と解釈するが、実際にはそれは異なる道徳的フレームワークに基づく、それ自体としては整合的な判断である。

高市首相を支持する有権者にとって、「責任ある積極財政」は停滞からの脱却への希望であり、「安全保障の抜本強化」は現実の脅威への合理的対応であり、「インテリジェンス機能の強化」は国家主権の防衛であり、「憲法改正」は戦後体制の正常化である。これらの判断は、それぞれの有権者の道徳的基盤と現実認識に基づく合理的選択だ。「推し活に騙された」のではない。

この認識のずれは、LLM(大規模言語モデル)にも存在する。LLMの学習データは英語圏のテキストが大量に含まれ、英語圏のアカデミアやメディアには統計的にリベラル寄りのバイアスがある。その結果、保守的な政策判断に対して、AIが微妙に批判的なフレーミングを行う傾向は複数の研究で指摘されてきた。「高市首相の勝利を分析してください」とAIに聞いたとき、返ってくる回答が無意識のうちに「しかしポピュリズムの危険性も……」という留保をつける確率は、「野田氏の敗北を分析してください」に対して「しかし民主主義の健全な批判精神も……」という留保がつく確率より高い。これは設計上のバイアスではなく、学習データの偏りに起因する構造的問題である。

しかし、バイアスの存在を指摘することと、そのバイアスに自覚的であることは別だ。問題は、リベラル側がこのバイアスに無自覚なまま、自分たちの認識こそが客観的現実だと信じ続けることにある。

「我々は正しい。相手が間違っている。有権者は騙されている」。このフレームワークは心理的に快適だ。自分たちの敗北を能力不足ではなく外部要因(空気、推し活、メディア、SNS)に帰属させることで、自尊心を維持できる。認知的不協和の低減としては合理的だが、次の選挙で勝つための戦略としては壊滅的に非合理的だ。

第六章 侮蔑の政治力学——すべてのベクトルが逆方向を向く

「バカ市」と叫ぶ行為が戦略として機能しない理由を、力学的に分析する。

一、支持者の固着効果

高市支持者を「愚民」と呼ぶことは、その支持者をさらに強固に高市支持へと固着させる。心理学でいう「リアクタンス(心理的反発)」である。人間は、自分の自由な選択を否定されると、その選択への執着を強める。「お前はバカだから騙されている」と言われた有権者は、「ではもっと強く支持してやる」と反応する。これは感情論ではなく、実験心理学で繰り返し確認されてきた人間の認知的傾向だ。

二、浮動層の離反効果

選挙結果を左右する浮動層に対して、侮蔑はどう映るか。浮動層は定義上、特定の政党に強いコミットメントを持っていない。彼らが目にするのは、勝者の側が謙虚に政策を語り、敗者の側が相手と相手の支持者を罵倒している光景だ。どちらに好感を持つかは、説明するまでもない。

2016年のアメリカ大統領選で、ヒラリー・クリントンはトランプ支持者を「basket of deplorables(嘆かわしい人々の群れ)」と呼んだ。この一言がどれだけの浮動層をトランプ側に押しやったかは数値化できないが、選挙戦略の教科書的失敗として記録されている。野田氏の「推し活」発言は、「deplorable」の日本語版だ。上品さの差はあるが、有権者の判断を見下す構造は同一である。

三、勝者への利敵効果

高市首相にとって、「バカ市」と叫ぶアンチの存在は、最も好都合な敵である。

高市首相が丁寧に政策を語り、野党に審議時間を配分し、謙虚な姿勢を示す。その傍らで、敗者側の支持者が「バカ市」「愚民」と叫んでいる。このコントラストは、高市首相の支持率を自動的に押し上げる。丁寧さと罵倒の対比は、テレビ映えもSNS映えもする。

高市首相は批判を「受ける」のではない。批判を「浴びること自体」を支持拡大の材料に変換する。拙稿で論じた通り、これは高市首相の政治的技術の核心である。「バカ市」と叫ぶ者は、自覚なく高市首相のプロパガンダに協力している。

四、内部崩壊の加速効果

侮蔑は外部に向けられているようで、実は内部を蝕む。

49議席に壊滅した政党の支持者が「有権者が愚かだった」と総括すれば、「では次の選挙でも同じことが起きるのか」「我々の支持者は永遠に少数派なのか」という絶望に直結する。敗因を外部に帰属させることは短期的には心理的慰安になるが、中長期的には無力感を醸成する。「空気に負けた」のであれば、空気が変わるまで待つしかない。主体的に状況を変える戦略が生まれる余地がない。

一方、「自分たちの戦略が劣っていた」と認識すれば、改善の余地が生まれる。メッセージングの見直し、候補者の刷新、政策パッケージの再設計——すべては「自分たちが変わる」という前提から始まる。侮蔑は、この前提を破壊する。

第七章 「恐ろしさ」を見抜けない者は何度でも負ける

本稿の最も重要な論点に到達した。

リベラル側が保守派を「間違っていて愚かだ」と見なすとき、彼らは相手の「本質的な恐ろしさ」を見逃す。ここでいう「恐ろしさ」とは道徳的非難ではない。政治的能力の評価である。

高市首相が316議席を獲得した過程を、感情を排して分析する。

通常国会冒頭での解散。60年ぶりの奇襲。野党の準備が整わない真冬の超短期決戦を設計した。解散から投開票まで戦後最短の16日間。この判断は「思いつき」や「暴挙」ではない。野党の態勢——特に立憲と公明の合流プロセスが完了していないタイミング——を正確に読んだ上での戦略的判断だ。

立憲と公明の合流を事実上「誘発」した。公明党との連立を解消し、公明党が生存のために立憲との合流に走らざるを得ない状況を作った。そして合流が「中道改革連合」という求心力のない新党として実現したことで、旧立憲と旧公明の双方の支持基盤が混乱した。創価学会の組織票が旧立憲系候補に流れるかどうかという不確実性だけで、中道改革連合の選挙戦略は麻痺した。

SNSと動画を活用した発信力の体系的構築。「高市早苗の反応2000万件超」という朝日新聞の報道が示す通り、ネット上での存在感は他の政治家を圧倒していた。これは偶然のバズではなく、組織的に設計されたデジタル戦略だ。

「未来投資解散」「自分たちで未来をつくる選挙」という命名。ポジティブなフレーミングで政策論争の土俵を自陣側に設定し、野党を「反対する側」「後ろ向きな側」のポジションに押し込んだ。

これらの一つ一つが、高度な政治的判断力と実行力の産物だ。これを「推し活」「空気」の一言で片付けることは、相手の能力を過小評価する最も危険な認知エラーである。

歴史は、このエラーの帰結を繰り返し示してきた。ワイマールの知識人はヒトラーの政治的手腕を「低俗な扇動」と片付けた。結果は1933年だった。2016年のアメリカのリベラルメディアはトランプの選挙戦略を「素人の暴走」と嘲笑した。結果は11月8日だった。いずれの場合も、相手を過小評価した側が壊滅的に敗北した。

「バカ市」と叫ぶ行為は、この歴史的パターンの忠実な再現である。

結論——侮蔑は敗北の永久機関である

本稿の分析を要約する。

「バカ市」という侮蔑は、論理的に自己矛盾している。そのバカに負けた側がより愚かだという結論から逃れられない。

有権者を「愚民」と呼ぶ行為は、啓蒙できなかった自陣営の無能を証明するか、有権者の合理的判断を否定するかの二択を強いる。どちらも敗者にとって致命的だ。

「推し活」と嘆く行為は、民主政治の歴史における常態を異常として扱う認識エラーであり、自陣営が「推される力」を持てなかったことの責任を外部に転嫁する機能を果たす。

侮蔑は戦略として、支持者の固着、浮動層の離反、勝者への利敵行為、内部の無力感醸成という四つのベクトルすべてで逆効果を生む。すべての矢印が、侮蔑する側の不利に向かう。

そして最も根本的に、侮蔑は相手の「本質的な恐ろしさ」——すなわち高度な政治的能力——を分析する知的努力を放棄する行為である。相手を「バカ」と断じた瞬間に、「なぜその相手が勝ったのか」を解明する動機が消滅する。解明なき敗北は、次の敗北の準備に過ぎない。

高市首相は一度として敗者を侮蔑しなかった。勝者にその必要はないからだ。そして侮蔑しないことが、次の勝利の布石になることを理解しているからだ。

一方、敗者は侮蔑を止められない。侮蔑が心理的慰安を提供するからだ。しかし、その慰安は次の敗北を確実にする毒でもある。

侮蔑→敗因分析の放棄→戦略の不在→次の敗北→さらなる侮蔑。

この循環は、外部からの衝撃では止まらない。316議席という衝撃ですら止まらなかったことが、投開票翌日のネット空間で証明された。循環を止められるのは、敗者自身の認識の転換だけだ。

そして、本稿の分析に基づけば、その転換が起きる兆候は現時点では存在しない。野田佳彦前共同代表のブログが、敗軍の将の公式見解として流通している限り、「推し活に負けた、方向性は間違っていなかった」が中道改革連合の総括として固定される。その総括の上に構築される次の選挙戦略が、316議席の壁を突破できる可能性は、限りなくゼロに近い。

侮蔑は敗北の領収書であると同時に、次の敗北の予約票である。そしてその予約は、侮蔑する者自身の手で発行される。

違いは、何回負ければ気づくかだけだ。

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日本政治・国際政治の分析解説。 LLM・画像生成AIほか生成AI全般に興味あり。たまに検証とかします。 作ったコードとかは https://github.com/willailora
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