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斜視の手術で目に包帯…母に殴られ続けていた私が唯一感じた「母の優しさ」

母の呪縛3 後編

  • 若林 奈緒音

虐待を認識し、それを口にすることができる。それは、実は難しいことだ。
虐待の多くが「あなたのため」という呪縛のもと、暴力や暴言にさらされている。「成長させるためにこうした」「勉強をさせるために厳しくした」「しつけるために……」悲しい事件も後をたたない。
 
現在40代の若林奈緒音さんは、3人きょうだいの真ん中の長女として生まれた。しかし長男の兄、身体の弱い妹と違い、幼少期からずっとひとりだけ母の想いをぶつけらるサンドバッグのような存在になっていた。きょうだいの中でひとり母の暴力を受けていたのだ。現在もその手にはケロイドの跡が残っている。30代で結婚した相手のおかげで「自分のままでいいのだ」と考えることができるようになり、少しでも苦しむ人の参考になればと、実体験を公表することを決めた。その3回目の前編では、些細なきっかけでいじめが始まってしまったこと、それでも母親が支えてくれなかったことをお伝えした。後編では、そんな辛い中で唯一母の愛情を感じたときのエピソードをご紹介する。

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きょうだいでの母の態度の違い

 妹もバレーボールをさせられていたけれど、私よりかなり小さかったので、あまり期待されてはいなかった分、少しできただけで褒められた。とても社交的で難なくお友達ができ、その母親たちと母が仲良くなって、妹のお誕生会はたくさんお友達親子を呼んでうちでした。
 
うちでは、少なくとも私にとっては、誕生日は祝ってもらうものではなかった。生んでくれた母に感謝する日。親より先に死んではいけない。親がいなくても一人で生きていけるように強くなりなさい。大きくなったら親に恩返しをするものと言われ、母をねぎらう日だった。私は、誕生日くらいは、生まれてきてくれてありがとう、出会ってくれてありがとうと言ってもらいたかった。だからいっそう、素直にお祝いしてもらえるも妹がとても眩しかった。

妹はごく普通にお祝いをしてもらえた Photo by iStock

両親共に兄弟・姉妹が多かったので、毎年お年玉をたくさんもらった。母は、貰うと言うことは、お母さんたちもあげているといい、家に帰ると全て母に渡した。そして、子供の時から多くのお金を持つとろくなことはないからと、それぞれに銀行口座を作り、大人になって結婚する際の費用に貯めておくと言った。それでも、お年玉の中から年齢に合わせて5000円くらいはお正月の特別なお小遣いとして渡された。同じ兄弟でも使い方は全く違う。兄は欲しい漫画やCDをすぐに買った。妹はお菓子やサンリオのグッズに使ってしまっても、父に甘えて欲しいものを買ってもらえた。私はひっそり貯めておくタイプだった。その中から、母の日と自分の誕生日に、必ずカーネーションを一輪買って母に渡していた。
 
家は、父のおかげで有り難いことに生活が困っていたわけではない。誕生日やクリスマスは父から好きなものを与えてもらっていた。兄にはテレビゲームも新旧あったし、ゲームボーイや出始めたばかりの大きなパソコンもあった。父は、私と妹にテディベアの色違いを与えてくれた。私にはホワイトベア。妹にはブラウンベアで、小学生から家を出るまで一緒に寝ていた。新年には必ず母が選ぶ新しい服を着せられた。年子だからと色違いの服を着せられ、髪も同じように編み込みにされた。身長差があったため、すごく嫌だった。
 
何かを買うときは妹と一緒だった。漫画なら「りぼん」と「なかよし」。筆記具は「キティちゃん」と「キキララ」。兄が学習机を買ってもらったときは、あなたにはまだ早いし必要ないと言われたが、私の時には、どうせ来年買うのだから一緒にと妹も買ってもらえた。私になかったものを妹は持っていた。病気がちだった妹と違い、私が体調悪いとか、腹痛だと言っても、休みたいがための嘘だと叱られる。兄も小さな妹との方が仲は良く、妹に対してあまりいい気持ちを持てない時期もあった。

 中学に上がった時の斜視の手術

中学には、他の学校からの生徒が半数以上になりクラスも増える。小学校のいじめっ子たちと同じクラスになる可能性は低くなると希望もあった。それでも、小学校の頃どうだったかをわざわざからかいに来るいじめっ子がいたために、すぐに小学校に戻ったようになり、一時期は絶望した。それでも全く気にしないで仲良くしてくれる友人も数人いたことが、本当に有り難かった。
 
中学一年生の最初の健康診断で、左目の視力低下と斜視を指摘され、一度目の斜視の手術を受けることになった。お医者様が、斜視は遺伝性または先天性だと言ったにもかかわらず「だからあなたは目つきが悪い、うちの家系で目が悪い人はいないんです、暗いところであんな雑誌を読むなと言っているのに」と私が悪いかのように母は言った。手術はいたって簡単だが、検査も兼ねて五日ほど入院することになった。
 
その前後の病院通いと、入院中が私にとって一番の母との思い出になった

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美味しいね、とビスケットを食べる喜び

病院は家から電車で3駅離れていた。普段は乗らない電車だ。心配症な母は、どれくらいかかるか分からないと早く家を出て、午後の診察時間よりも2時間以上も早く駅に着いた。病院は最寄り駅から歩いて10分だと駅員さんに教わった。病院で2時間も時間をつぶすのは得策じゃない。風邪など病院で移されても困る。母はそう語った。

幸い、自宅の最寄り駅とは違い、病院がある大きな駅にはステーションデパートが直結していた。時間があるので中を目的もなく、母とぶらぶらした。それだけで、普段見ないものが見ることができて楽しかった。まだまだ時間があったので、休憩しようかと母が立ち止まったのは、ケンタッキー・フライド・チキンの前だった。母は外食やファストフードが悪いものと思っていたので、めったに食べなかった。ケンタッキーはテレビCMも出はじめだったと思う。母は少しの間ポスターを眺めて悩んでいたが、入ってみようかと言った。初めてだったから、何を頼んで良いかわからず、ケンタッキーなのにチキンは頼まず、チキンフィレサンド1セットとビスケットをひとつ頼んだ。

はちみつをかけて食べるのは、日曜日の特別な朝のホットケーキの時だけだった。母は、ビスケットを上下で半分に割って、分けっこして食べようと言って私に渡した。それが嬉しくて嬉しくて。初めて食べたメープルシロップは、本当にすごく美味しかったのを覚えている。美味しいね、また来ようねっと母が言った言葉が今でも忘れられない。それが検診のたび楽しみになった。

母親を独占し、怒鳴られずに一緒に美味しいビスケットを食べられる。その時間が奈緒音さんにはとても幸せな時間だった Photo by iStock

ただ、その後は、母が行き方を覚えて毎回早めに着いたわけではなかったので、ケンタッキーに寄ったのは2回ほどだった。診察が早く終わった日には、「お兄ちゃんにも買って帰ろう」と、家にお土産として買って帰ったので、ビスケットは母と二人だけの「特別」ではなくなってしまった。

入院中の「母の優しさ」

手術後は、目の筋肉を遣わないように両目に包帯がされていた。目が見えないから、母が毎食、食べ物を口に入れて食べさせてくれた。体を拭き、髪を洗い、着替えさせ、トイレにも手をつないで連れて行ってくれた。小さな赤ちゃんに戻ったようだった。当然痛みもあったが、ずっと入院していたいと思った。病院にいれば怒られることもなく、殴られることもない。それ以上に、母を近くに感じ、優しさをもらえる時間だった。兄も妹もいない。母を独り占めできた。

小さい頃から妹の入退院に付きっきりだった母と、初めて密に過ごし、「母と子」になれたように思った。面会時間外は暇だろうと、ラジカセを持ってきてくれた。目が見えなくても、ボタンの位置や凹凸の形で覚えていたため、指でなぞって自分で再生や巻き戻しを押した。それだけで、「なおちゃん、すごいなあ」と言ってもらえたことに、ただただ嬉しくて、夜、思い出しては泣いた。このまま退院の日が来ないといいとさえ思った。

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退院の日、しばらく激しい運動は禁止と言われ、1年生の体育祭は見学することになった。母は私の目の包帯が取れ、退院したらあの優しさがどこかに消えてしまったようだった。内申書を気にしてなのか、先生の前で「五体満足に生んだのに」と言われたが、そんな言葉全く気にしなかった。

たった5日間の入院だったが、ずっと欲しかった母と、母からの愛情を手に入れられたのだ。
この5日間が、私の唯一の「母の優しさ」の思い出となった。それでも「唯一」があることだけで、私のその後の支えにはなっていたのかもしれない。

母に優しくしてもらうこと。奈緒音さんはそれに飢えていた。そしてこの数日間が、その唯一の思い出だった Photo by iStock

【次回は2月10日公開予定です】

若林奈緒音さん「母の呪縛」今までの連載はこちら

#1-1顔が歪むほど殴られた…40代女性が抱え続ける「母のコントロールの悪夢」の告白
#1-2骨折した足にテーピングして…娘をバレーボール選手にしたかった母「驚愕の行動
#2-1母はなぜ私を殴り続けたのか―40代女性が考える「高校に行かず嫁に出た母の孤独
#2-210歳の私が「祖母の標的」だった母をかばったら…止まらぬ母の暴力
#3-1些細なことで始まった小学校でのいじめ…母に「甘えるな」と言われ絶望した日のこと
#3-2斜視の手術で目に包帯…母に殴られ続けていた私が唯一感じた「母の優しさ」
#4-1料理が気に入らないと箸もつけない父への不満が…私を殴り続けた母「父との関係」
#4-2私のことは殴っても父に従順だった母が、「家事をやらない人」に急変した理由
#5-1家事をしなくなった母が祖母と叔母と演じた「修羅場」、巻き込まれる子どもたち
#5-2いじめをかばってくれた友人との突然の別れ…そのときの母の驚愕の言動
#6-1殴る蹴るに、タバコまで…母が私だけに暴力を振るうようになった経緯と「母の夢」
#6-2母が薦めた看護学校は回避しても…高校の推薦入試合格の日に感じた「絶望」
#7-1高校合格の日に母からボコボコに…入学前からの悪夢と兄との関係の大きな「変化」
#7-2瓶詰め入りの買い物袋で顔を…高1の私の顔が歪むほど母に殴られた日の話
#8-1高校トップの成績・進学希望の兄に「学歴はいらん…」妹の私が見た「父の呪縛」#8-2学歴はいらない」男らしさを強要する父、進学を諦めた兄…子どもの人生とは
#9-1大学進学を阻んだ「父の呪縛」…兄が「親ガチャ」から脱出できた理由
#9-2犬の散歩中に車に引きずり込まれ…性暴力に遭った私に母が口にした驚きの言葉
#10-1目標金額200万円…母の暴力と過干渉に苦しむ女子高生が計画した「自立の道」
#10-2親ガチャの悪夢から抜ける…母に虐待された女子高生が「自立計画」を実行に移すまで
#11-1 親ガチャから逃れるために高3で一人暮らし…それでも続く「母の呪縛」
#11-2「お金都合してくれへん?」高卒で自立した私に忍びよる母の「せびり」

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