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/tachiha/ - たちは板κ

リレー小説用
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f8653f3f No.2970

f55eeed0 No.3140

色鮮やかなサイリウムの海が揺れ、鼓膜を突き破らんばかりの歓声がアリーナを包み込む。
「みんな、今日は最高の思い出、作ろうね……っ!」
俺——いや、「ミツキ」は、マイクを両手で握りしめ、少し首をかしげて微笑んだ。
清楚な純白の巫女装束。
激しいダンスで翻る袖と、その隙間から覗く豊かな胸元が、ファンの野太い歓声を一段と引き上げる。
人気絶頂のアイドルグループ『micoron.s(ミコロンズ)』。
情熱的な赤のリーダー・カナ、クールな青のリン、元気な黄色のサキ、そして「おっとり癒やし系」で白のミツキ。
この4人の中で、俺は間違いなく一番の「美少女」だった。

ライブが終わり、個室の更衣室に逃げ込むように入る。
鍵をかけた瞬間、俺は大きくため息をついた。
「ふぅ。今日も死ぬかと思ったぜ」
鏡に映るのは、潤んだ瞳に長い睫毛、誰もが守りたくなるような絶世の美少女。
だが、俺は慣れた手つきで首筋の「境目」に指をかける。
ジッパーを下ろすような感覚と共に、ズルリと「女の子」が脱げていく。
現れたのは、無精髭がうっすら浮いた、35歳の中年・石黒の疲れ切った顔だ。
「……暑い。この皮、通気性が最悪なんだよな」
俺は「ミツキ」という名の超高性能な着ぐるみをハンガーにかけた。
最新技術の粋を集めたこの「皮」は、着るだけで体型を完璧に隠し、喉に仕込まれた変声機が、おっさんの枯れた声を鈴を転がすような美声へと変換する。
俺がアイドルをやる理由? 決まっている。借金だ。
事業に失敗し、残ったのは数億円の負債。
途方に暮れていた俺に、怪しい事務所のスカウトが提示したのは「最新鋭の着ぐるみ(皮)を被って、巨乳アイドルとして売れる」という、狂った更当プランだった。
「ミツキちゃーん! 入るよー!」
「ちょっ、待て! 今着替え中……」
慌てて声を裏返そうとしたが、間に合わない。
ガバァッ! とドアが開くと、赤色の巫女装束を着たままのリーダー・カナが飛び込んできた。
「もー、ミツキちゃんってば、ライブ終わるとすぐ閉じこもるんだから! 今日の『ファンサ』、胸強調しすぎってSNSでバズってるよ!」
「あはは……そうかな? 無意識だよぉ……」
俺は間一髪、皮を着ることができた。
中身が35歳の中年だとは夢にも思っていないカナは、俺の肩をバシバシと叩いた。
「いいなー、そのマシュマロボディ。私もそれくらいあれば、センターの威厳が出るのに!」
(……中身はプロテインで鍛えきれなかった、ただのだらしないおっさんの肉体だけどな)
俺は心の中で毒づきながら、営業用のふんわりした笑顔を貼り付ける。
借金完済まで、まだまだ。
それまでは、この「皮」の中で、俺は日本一の美少女として舞い続けなければならない。
「さぁミツキ、次はハイタッチ会だよ! 準備して!」
「うん、すぐ行くね……っ」

35歳、独身。
今日の俺も、誰よりも可愛く、誰よりも巨乳な、みんなの巫女さんだ。

f55eeed0 No.3141

ハイタッチ会の会場は、熱狂の余韻を引きずったファンたちの熱気で蒸し返るようだった。
​「ミツキちゃん、今日も可愛かったよ!」
「ありがとう。あなたの応援、ステージまでしっかり届いたよぉ……」
​上目遣いでファンの目を見つめ、両手で優しく、マシュマロのような感触の「手」を添える。
皮の性能は凄まじい。
体温すらも計算されており、触れた相手には「女の子の柔らかさと温かさ」しか伝わらない。
まさかこの皮の数ミリ下で、35歳のおっさんが脂汗を流しているとは誰も思うまい。
​メンバーの視線
​ハイタッチ会の合間、ふと視線を感じて隣を見ると、青い巫女装束のリンが氷のような瞳で俺を見ていた。
彼女はグループ随一の切れ者で、読書家。ミステリアスな雰囲気が売りだが、たまに鋭すぎる観察眼を見せる。
​「ミツキ。あなた、さっきから少し重心が後ろに寄ってるわよ。疲れてるの?」
​「えっ? あはは……ちょっとだけ、衣装が重いのかもぉ」
​俺は慌てて「ミツキ」の動作ログを脳内で呼び出す。
おっとりキャラは、少しだけ動作を遅らせるのがコツだ。
だがリンは、フンと鼻を鳴らして視線を戻した。
​「あんまり無理しないで。あなたが倒れたら、グループの平均ビジュアル値が下がるから」
​(相変わらずキツいな……。でも、こいつにだけは絶対にバレちゃいけない。もしバレたら、俺の数億円の借金が倍増して、一生この事務所の地下労働施設行きだ)


​ようやく全てのスケジュールが終わり、送迎のワゴン車に揺られて事務所の寮へと向かう。
車内では、黄色の巫女装束・サキが、無邪気にSNSの反応を読み上げていた。
​「ねーねー見て! 『ミツキちゃんの胸、今日も物理法則無視してた』だって! 確かに、ダンスであんなに揺れるのに形が崩れないの、不思議だよねー」
​「や、やだなぁサキちゃん。それ、女の子に言っちゃダメだよぉ」
​「あはは! ミツキちゃん顔赤くなってるー! 可愛いー!」
​サキが俺の「皮」の頬を突っついてくる。
その無邪気さが、今の俺には一番突き刺さる。
俺は35歳の石黒だ。
本当なら、夜は赤提灯でホッピーを煽りながら、上司の愚痴をこぼしているはずの年齢。
それが今や、女子高生のような年齢の少女たちに「可愛い」と愛でられ、ファンの幻想を背負って踊っている。
​(俺は一体、何をやっているんだ……?)
​窓の外を流れる夜景を見つめながら、俺は心の中で自分を嘲笑った。
だが、その時。
​ピッ。
​スマホに届いた通知。
それは、借金返済口座の残高更新。
【返済額:1,200万円 残り:2億8,800万円】
​「よし。やるしかねぇ」
​俺は「ミツキ」の潤んだ瞳の奥で、おっさんの野心を燃やした。
たとえ中身が加齢臭漂う中年だろうと、この「皮」を着ている間は、俺が世界で一番の聖母(アイドル)だ。
​「明日も、頑張るね……みんな」
​誰も聞いていない車内で、俺は完璧な「ミツキ」の声で呟いた。
嘘を真実にする。
それが、この数億円の皮を被った俺の、唯一の生きる道だった。

c73206ee No.3147

テレビ局の廊下は、煌々とした白い光に照らされて、どこか無機質な冷たさを放っている。
​音楽番組の収録は完璧だった。
「ミツキ」としての俺は、純白の巫女装束をなびかせ、カメラの向こう側にいる何十万人のファンに向けて、とろけるような笑顔と癒やしの波動を振りまいた。
巨乳が揺れるたびに、スタジオのスタッフの視線が釘付けになるのを感じる。
その視線の主たちが、中身が35歳の石黒だなんて知ったら、どんな顔をするだろうか。
​収録後、他の3人は賑やかに次の現場へと向かっていった。
​「ミツキ、お前は居残りだ」
​マネージャーの冷徹な声が、華やかなステージの余韻を切り裂く。
その言葉の意味を、俺は痛いほど理解していた。
数億円の借金。
それを返すための「特待プラン」には、アイドルとしての活動だけでなく、表には出せない「裏」の仕事も含まれている。

​更衣室で一人、俺は再び「ミツキ」の皮を整える。
一度脱ぎかけたジッパーを引き上げ、肌との密着度を確認する。
この皮は、俺の加齢臭も、男としてのプライドも、すべてを優しく包み込み、偽りの聖母へと変えてくれる。
​(これも仕事だ。金になる。これ一回で、どれだけの負債が消える?)
​鏡の中のミツキは、悲しげに、それでいて全てを許容するような深い慈愛を湛えた瞳で俺を見返していた。
自分でも呆れるほど、この「皮」の表情は出来が良い。
​「準備はいいですか。相手は番組の有力スポンサーです。粗相のないように」
​マネージャーがドア越しに事務的に告げる。
俺は小さく息を吐き、気持ちをセットした。
​「はい。分かってますぅ」
​廊下を歩く足音が、カツカツと虚しく響く。
すれ違うADが「お疲れ様です、ミツキさん! 今日も最高でした!」と頬を赤らめて挨拶してくる。
俺はそいつに、最高に可愛らしく、そして少しだけ扇情的な微笑みを返してやった。

​案内されたのは、局の最上階に近い、関係者以外立ち入り禁止の特別応接室だった。
​重厚なオーク材のドアの前に立つ。
このドアの向こう側で、俺は「アイドル」ではなく「商品」になる。
35歳の男としての俺が、名前も知らない権力者に、女の子の皮を被ったまま抱かれる。
​滑稽だ。
だが、これこそが俺の選んだ、泥水を啜ってでも生き残るための道。
​「ふぅ。さぁ、お仕事の時間だねぇ」
​俺は、細く白い指をドアノブにかけた。
「ミツキ」としての甘い香水をひと吹きし、表情を「困ったような、はにかみ笑顔」に固定する。
​ゆっくりとドアノブを回すと、重い扉が音もなく開き始めた。

c73206ee No.3148

重厚なドアが閉まる音とともに、カチリと鍵の回る音が部屋に響いた。
​部屋の主である初老の男が、ソファに深く腰掛けたまま、品定めするように俺を見ている。俺は「ミツキ」として、清楚な純白の巫女装束の裾を所在なげに弄り、不安げな子鹿のような瞳で男を見つめた。
​「ミツキちゃん、こっちへおいで」
​男の太い声に、俺は小さく肩を震わせ、一歩ずつ歩み寄る。
​「はい……。あの、私、こういうのは初めてで。何だか、すごくドキドキしちゃってますぅ……」
​変声機を通した俺の声は、可憐で、それでいてどこか湿り気を帯びた色香を放つ。
膝をつき、男の太ももの間に体を滑り込ませると、男の節くれだった手が俺の頬を撫で、そのまま巫女装束の襟元へと伸びた。
​「はっ……ぁ、んっ……」
​指先が皮の質感に触れる。
高性能なセンサーが男の指の熱を感知し、俺の脳内に「恥じらい」としての電気信号を送る。俺は思わず吐息を漏らし、瞳を潤ませて男を見上げた。
​「あの、えっと……どんなふうにしたらいいか、わからないから……教えてください……」
​上目遣いで、困ったようにはにかむ。
35歳のおっさんが脳内で必死に練り上げた「究極の処女ムーブ」だ。
男はその言葉に欲望を剥き出しにし、強引に俺を床へと押し倒した。
​「ああ、いい声だ。その格好で、もっと俺を悦ばせてみろ」
​「んぅっ……あ、あっ……そんな、急に……っ。あぁん! ……はぁ、はぁ……っ。……これ、は……脱がさないで、ください……。この格好のまま、がいい、ですぅ……」
​巫女装束の白と、男の無骨な手が対照的に絡み合う。
俺は翻る袖を床に散らし、求められるままに身体をくねらせた。
男の手が、衣装の上から俺の——いや、ミツキの「売り」である豊かな膨らみを掴み、強引に揉みしだく。
​「ふぁっ……! んんっ、あぁ……っ! ……あ、そこ、は……そんなに強くされたら、変な感じ、しちゃいますぅ……っ」
​可愛らしい喘ぎ声を意識的に散りばめながら、俺は男の欲望を加速させていく。
35歳の冷静な俺は、男の呼吸の乱れ、瞳の充血具合を冷徹に観察していた。
もっとだ。
もっとこいつを狂わせれば、その分だけ借金が消える。
プライドなんて、数億円の負債の前にはゴミ同然だ。
​「じゃあ、次は……ここ、使ってみて、いいですかぁ……?」
​俺は震える手で自分の胸元を緩め、たっぷりとした肉感を持つ二つの膨らみを露わにした。衣装の純白が、人工的に作られた完璧な美肌を際立たせる。
​男の「それ」が眼前に迫る。
俺は、溢れんばかりの双丘で、熱を帯びた男のソレをぎゅっと挟み込んだ。
​「んっ……ふふっ、すごい……熱い、ですぅ……。こう、かな……? 柔らかいの、気持ちいいですかぁ……?」
​豊かな胸が男のモノを包み込み、上下にゆっくりと動く。
巫女装束の布地が擦れる音と、おっとりとした甘い吐息が、密室の空気を極限まで濃密にしていく。
​「はぁっ、あぁ……ん。……すごぉい、おっきい……。ミツキの胸で、いっぱい、可愛がってあげますからねぇ……」
​俺は「ミツキ」の無垢な笑顔を崩さず、男を悦楽のどん底へと突き落とすために、その柔らかな奉仕を続けた。外ではトップアイドル、中身はおっさん、そしてここでは——一人の男を壊すための「道具」。
その歪な快感に、俺自身も少しずつ、何かが麻痺していくのを感じていた。

333988aa No.3155

「きゃっ!」
純白の巫女装束に、粘り気のある白い液体が飛び散る。
俺はわざとらしく肩をすくめ、驚いた拍子に豊かな胸をさらに寄せてみせた。
「んっ……ふふ、すごぉい。出しちゃったねぇ、いっぱい。私の胸、そんなに気持ちよかったかなぁ……?」
男の濁った瞳が満足げに細まるのを見届けながら、俺は「ミツキ」の無垢な微笑みを崩さない。
実際には、精巧なシリコンの皮に付着した不快な汚れを今すぐ拭き取りたい衝動に駆られていたが、指先でそれをそっとなぞり、挑発的に唇を舐める。
「お疲れ様ですぅ。……また、呼んでくださいねぇ?」
甘ったるい声を残し、俺は丁寧に一礼して部屋を後にした。

局の裏口に回されたタクシーのリアシート。
そこには、華やかな巫女装束を脱ぎ捨て、地味なベージュのニットにロングスカートという「私服姿のミツキ」が座っていた。
窓の外を流れる深夜の都心。
ネオンの光が、ミツキの端正な横顔を代わる代わる照らし出す。
だが、その瞳にはステージで見せる輝きも、先ほどまでの甘い嬌声も一切ない。
(クソが。どいつもこいつも、この皮一枚に群がりやがって)
胸の奥から煮えくり返るような苛立ちが込み上げる。
35歳の男、石黒としての自尊心が、シリコンの裏側でギリギリと音を立てていた。
さっきの男の息遣い、肌に触れる感触、耳元で囁かれた下卑た言葉。
そのすべてが、泥のように胃の底に溜まっていく。
「はぁ」
深く吐き出したため息は、変声機を通しているため、どこまでも可憐で儚い少女の音色になって消えた。それが余計に腹立たしい。
だが、俺はすぐにその苛立ちを無理やり、心の奥底にある「損得勘定」の箱に押し込めた。
(仕方ねぇだろ。これが、数億円を動かすってことだ)
ふと、楽屋で無邪気に笑っていたカナや、ストイックにダンスの確認をしていたリンの顔が浮かぶ。
あいつらは「本物」の女の子だ。
夢を追いかけ、清純なアイドルの階段を駆け上がっている。
「あいつらに、こんな汚れ仕事、させられるわけねぇだろ」
俺は「ミツキ」の細い指を強く握りしめた。
俺がこの「皮」を被っているのは、単に借金を返すためだけじゃない。この歪な装置が、グループの「盾」になっているのも事実だ。
世の中の汚濁を引き受け、スポンサーの欲望をこの擬似的な肉体で受け止める。そうすることで、micoron.sという輝きを守り、同時に俺の負債を削り取っていく。
(俺は、おっさんだ。汚れるのは俺一人でいい。それで金が動くなら、安いもんだ……)
スマホの画面を叩き、返済管理アプリを開く。
今日の「特別手当」が反映され、数字がまた一つ、小さく動いた。
「ふん。あと少し、あと少しだ」
タクシーが寮の前に滑り込む。
俺はバックミラーに映る「ミツキ」の顔をチェックし、完璧なアイドル・スマイルを再び張り付けた。
「運転手さん、ありがとうございましたぁ。おやすみなさい」
ドアを閉めた瞬間、夜の静寂が俺を包む。
35歳の孤独な戦いは、明日のステージへと続いていく。

b633e83c No.3168

湘南の海岸線は、春の柔らかな日差しを浴びてキラキラと輝いていた。
今日の仕事は「ミツキ」単独でのグラビア写真集の撮影だ。
グループ内でも随一の「癒やし系巨乳」として売っている俺には、こうしたピンの仕事が次々と舞い込んでくる。
海岸に設営された簡易テントの中で、俺は手慣れた手つきで「皮」の最終チェックを行う。
潮風でシリコンの肌がベタつかないよう、特殊なパウダーを薄く叩き込み、清楚な白いワンピースに着替える。
胸元の開き具合は、おっとりしたミツキのキャラクターに合わせて「計算された控えめさ」に調整した。

「はい、ミツキちゃん! そこで立ち止まって、こっちを振り返って!」
カメラマンの威勢のいい声が響く。砂浜に素足を踏み出すと、砂の粒子がセンサー越しにザラリとした感触を伝えてくる。
「……こう、かなぁ? 砂がちょっと、くすぐったいねぇ」
俺は「ミツキ」の甘い声で応じながら、波打ち際で軽やかにステップを踏む。
白いワンピースの裾が海風に翻り、その隙間から覗く太ももがファンの妄想を掻き立てるだろう。
「いいよ! じゃあ次、『大好きな彼氏との初デート』を意識して。ちょっと照れながら、髪を耳にかけてみて!」
(彼氏、ね……。35年間の人生で、そんな甘酸っぱい記憶がどこにあったか思い出せねぇよ)
俺は脳内の「恋愛シミュレーション・アーカイブ」から、かつて見た恋愛映画のワンシーンを高速で検索する。
視線を少し落とし、頬にわずかな朱を差す。
そして、細くしなやかな指先で、サイドの髪をゆっくりと耳にかける。
「……ねぇ、あんまり見ないで? 恥ずかしいよぉ……」
はにかむような笑顔。守ってやりたくなるような、圧倒的な「ヒロイン感」。
シャッター音が連射され、スタッフから「最高!」「天使かよ!」とため息が漏れる。
その中心で、俺は冷めた頭で次のポーズを計算していた。


午後の撮影は、場所を移して都内のバレエスタジオで行われた。
鏡張りの壁、磨き上げられたフローリング。
用意された衣装は、光沢のある白のワンピースタイプレオタードに、真っ白なタイツ。
更衣室でレオタードに袖を通すと、その異常なまでの密着感に、中身の「石黒」としての意識が悲鳴を上げる。
股ぐりの食い込み、強調される胸のライン。おっさんの肉体は、この極薄の魔法の皮によって、完璧な曲線美へと置換されていた。
「ミツキちゃん、準備できた? スタジオ入って!」
スタジオの真ん中、バーに手をかけた姿勢で撮影が始まる。
白のストッキングが、ミツキの肉感的な脚をどこか背徳的に演出していた。
「……ふぅ。ちょっと、身体が硬いかもぉ。恥ずかしいなぁ」
「いや、その初々しさがいいんだよ! じゃあ、次は少し動きをつけて。鏡を見ながら、レオタードからはみ出そうなお尻の肉を、中にグイッてしまう仕草を頂戴。ちょっと困ったような顔でね」
(注文が細かいんだよ、エロ親父が)
内心で毒づきながらも、俺は鏡の前に立ち、ゆっくりと腰を落とした。
豊かな、それでいて弾力のある「ミツキ」の尻。その柔らかな肉を、指先でレオタードの縁に押し込んでいく。
指が食い込み、白い布地が限界まで引き伸ばされる。
「……んっ。これ、すぐに出てきちゃうよぉ……。どうしよう……っ」
眉を八の字にし、鏡越しにカメラを上目遣いで見つめる。
清楚な白のレオタードと、その奥に潜む隠しきれない肉欲的なボリューム感。
そのギャップが、カメラマンのシャッターを狂わせる。
「最高だミツキちゃん! その、自分の身体を持て余してる感じがたまらないよ!」
フラッシュの閃光が、白いスタジオに何度も焼き付く。
汗ばむ皮の内部で、俺はただ無心に「ミツキ」を演じ続けた。
髪を耳にかける仕草も、レオタードを整える背徳的な動作も、すべては億単位の借金を消し去るための「儀式」に過ぎない。
撮影が終われば、またタクシーの中で独り、おっさんとしての虚無感に襲われるのだろう。
だが、今はまだ。
この鏡に映る「世界で一番可愛い女の子」を、誰よりも完璧に完成させなければならなかった。

effcbe9f No.3178

撮影機材の撤収が始まったスタジオの隅で、マネージャーが音もなく俺に歩み寄ってきた。
その手に握られたスマホの画面には、業界で知らぬ者はいない大物司会者の名前が表示されている。
「ミツキ、朗報だ。今夜、番組の御大からお呼びがかかった。君のグラビア、現場の生写真を送ったら相当食いついてきてね」
マネージャーの言葉は、まるで商談が成立した後の営業マンのように軽い。
だが、その後に続く一言が、俺の胃の底に鉛のような重みを与えた。
「『今日の撮影衣装を一式持ってこい』と指示があった。特に、その白のレオタードとストッキング。……わかるな? 向こうの『スタジオ』で、もう一度撮影会だ」
「……分かりましたぁ。光栄ですぅ」
俺は「ミツキ」の可憐な声で、従順に微笑んだ。
スタッフたちが談笑しながら機材を片付ける中、俺はさっきまで着ていた白のレオタードを手に取る。
まだ俺の——正確には「ミツキ」の皮の温もりが残っている布地を、丁寧に、しかし機械的に紙袋へ詰め込んだ。


指定されたのは、都心の一等地にある超高級マンションの最上階。
案内された部屋の扉を開けると、そこは生活感の一切ない、プロ仕様の照明機材とバック紙がセットされた「私設スタジオ」だった。
「いやぁ、ミツキちゃん。今日の生写真を見て、我慢できなくなっちゃってね」
ソファーでワイングラスを揺らしているのは、昼間の番組で知的な笑顔を振りまいているあの男だ。
彼の目は、テレビで見せるそれとは違い、獲物を狙う肉食獣のような濁った欲望に満ちている。
「さあ、着替えておいで。まずはそのレオタードだ。あぁ、ストッキングも忘れずにね」
俺は無言で会釈し、用意されたフィッティングルームに入った。
狭い空間で、再び「ミツキ」の皮を整える。
ジッパーの噛み合わせを確かめ、変声機の出力を「甘えモード」に微調整する。
そして、純白のレオタードに再び足を通した。
(35歳のおっさんが、何やってんだ、マジで)
鏡の中には、清楚で、それでいて破壊的な色気を放つ「ミツキ」が立っている。
俺は意を決して、男の待つスタジオへと足を踏み出した。


「素晴らしい……! 本物だ、本物のマシュマロだ」
男は一眼レフを構え、狂ったようにシャッターを切り始めた。
昼間の撮影よりもさらに至近距離。
レンズが「ミツキ」の肌に触れそうなほど近い。
「ミツキちゃん、昼間の続きをやろうか。鏡の前で、お尻の肉をしまうやつ。もっとゆっくり、指が食い込むまで見せて」
「はい、こう、ですかぁ……?」
俺はバーに手をかけ、鏡に向かって腰を突き出す。
白のレオタードが限界まで引き伸ばされ、ミツキの豊かな肉体が布地を押し返そうとする。
指先でレオタードの縁をなぞり、溢れそうな肉をわざとらしく中に押し込む。
「んっ……ふふ、やっぱり、ちょっと恥ずかしいですぅっ。あ、そんなに近くで撮られたら、毛穴まで見えちゃいそう……」
その言葉が男をさらに興奮させる。
フラッシュが焚かれるたびに、俺の心の中の「石黒」は死んでいく。
だが、この屈辱の対価が借金を消し去る魔法の数字になる。
俺はレオタードの胸元を自ら開き、男の欲望をすべて受け止めるための、最高の笑顔を作った。

9c3720cf No.3186

「えっ? あ、あの……脱がなくても、いいんですかぁ?」
震える手でレオタードの裾に指をかけた瞬間、男の低く湿った声が俺の動きを制した。
「脱がなくていい。いや、むしろ脱ぐな……。その、パツパツに張り詰めた白の布地がいいんだ。そのままの姿でいろ」
男はカメラを放り出すと、肉食獣のような足取りで俺の背後に回り込んだ。
逃げ場のない鏡張りのスタジオで、俺は「ミツキ」として、恐怖に怯えるように肩をすくめる。
背中に感じる男の脂ぎった体温。首筋に吹きかけられる荒い鼻息が、シリコンの肌越しに生々しく伝わってきた。
「っあ、あぁんっ! な、何?」
男の無骨な手が、レオタードの襟元から強引に中に滑り込んできた。
背中から胸へと、獲物を探るように指が這う。レオタードの極薄の生地が、男の手の動きに合わせて歪に引き伸ばされ、ミツキの柔らかな曲線が無残に形を変えていく。
「ふぁっ! んんっ、あ……。そこ、は……だめぇ、そんなっ」
男の手は止まらない。
俺の——ミツキの象徴である豊かな胸を、レオタードの内側から鷲掴みにし、壊さんばかりの力で揉みしだく。
布地と肌が擦れる摩擦音が、静まり返ったスタジオに卑猥に響き渡った。
「いい、素晴らしい弾力だ。おや、これは邪魔だな」
男の指先が、皮の突起を隠すために貼り付けていたニップレスに触れた。
「あっ、だめっ! それは……はずしちゃ、いやぁっ!」
必死に身を捩り、拒絶のポーズをとる。
だが、それは男の征服欲をさらに煽るだけのスパイスに過ぎない。
男は俺の抵抗を嘲笑うように、レオタードの隙間から二本の指を深く突き立てると、粘着剤で固定されていたニップレスの端を強引に爪で引っ掛けた。
ベリッ。
静寂の中で、残酷な音が響く。
デリケートな肌を守るためのシートが、容赦なく剥ぎ取られていく。
「あ、ああぁっ! んんっ……はぁ、はぁっ!」
剥がされた瞬間の衝撃が、センサーを通じて脳内を駆け抜ける。
むき出しになった「ミツキ」の頂が、男の荒れた指先に直接晒された。
男はそれを待っていたと言わんばかりに、親指で執拗にそこを転がし、圧迫する。
「…っ……、あ、あぁ…っ。そんな、直接っ。んぅ、あぁぁん!」
鏡に映る俺の顔は、苦痛と快楽が混ざり合ったような、何とも言えない淫らな表情に染まっていた。
35歳の石黒としての意識が、その光景を見て「完璧な画だ」と冷酷に評価する。
男は剥ぎ取ったニップレスを床に捨てると、今度はもう片方の胸にも手を伸ばした。
白のレオタードは、男の手荒な愛撫によって汗と脂で汚れ、清楚だった輝きを失いつつある。だが、その汚れこそが、この男が求めている「堕落」の証なのだ。
俺は、首筋を噛まれるような感覚に身を震わせながら、さらに高く、甘い声を絞り出した。
この屈辱が、この痛みが、俺を自由にする金に変わる。そう自分に言い聞かせながら、俺は男の欲望の波に、身を任せて沈んでいった。

b0ce1fae No.3250

「わかった、ですぅ。その代わり、ミツキのこと、もっともっと……いっぱいきもちよくしてね?」
俺は震える声でそう囁くと、床に膝をつき、男の足の間に潜り込んだ。
白のレオタードの襟ぐりを両手で思い切り横に広げ、剥き出しになった二つの膨らみで男の「それ」を勢いよく挟み込む。
「んっ……ふふ、おっきい……。ミツキの胸、あたたかいですかぁ?」
ニップレスを剥がされた場所が、男の熱い硬さと擦れるたびに、火がつくような感覚が走る。
レオタードの白い布地が、男の欲望と俺の脂汗でぐっしょりと濡れ、透けて張り付いていく。
俺はあどけない表情を崩さず、しかし熟練の技術で胸を波打たせ、男を絶頂へと追い込んだ。
「あぁっ! 出る、出すぞ……っ!」
「あぁんっ! いっぱい……出してぇっ!」
真っ白なレオタードの胸元に、どろりとした熱い液体がぶちまけられる。
男はソファーに深く沈み込み、賢者特有の、傲慢で満足げな笑みを浮かべていた。
俺はその汚れた胸元を隠しもせず、ただ「やり遂げた」という空虚な達成感の中で、静かに微笑みを返した。

深夜1時。
事務所の寮にある俺の狭いワンルームは、静まり返っていた。
「ふぅ。……っ。ああ、クソ」
俺は「ミツキ」の皮を脱ぎ捨て、ハンガーにかけた。
さっきまで世界中の男たちを虜にしていた美少女の抜け殻は、今はただのシリコンの塊として、暗闇の中で力なく揺れている。
鏡に映るのは、疲れ果てた35歳の男、石黒の顔だ。
俺は冷蔵庫から安物の缶ビールを取り出し、プルタブを引き抜いた。
「ゴクッ、ゴクッ……ぷはぁ」
胃の腑に落ちる冷たいアルコールが、今日一日の汚れを洗い流してくれるような気がした。
テーブルの上に置いてあるのは、撮影現場からこっそり持ち帰った、すっかり冷え切ったロケ弁だ。
パサパサの米と、固くなった揚げ物。それをビールで無理やり流し込む。
「金のためだ。金のためだ……」
自分に言い聞かせながら、俺はスマホに手を伸ばした。
画面を開くと、マネージャーが管理している「ミツキ」の公式インスタグラムが更新されていた。
そこには、今日の湘南での撮影のオフショットがアップされている。
海を背景に、髪を耳にかけ、はにかむような天使の笑顔。
添えられたキャプションには、俺が言った覚えも、考えたこともないような言葉が並んでいた。
「今日は湘南で撮影でした♪ 大好きなみんなのことを思い出しながら、少しだけ大人な私を撮ってもらったよ。みんなの心の隣に、いつもミツキがいられますように♡」
「反吐が出るな」
俺は自嘲気味に呟き、ビールの最後の一口を飲み干した。
コメント欄には、「ミツキちゃんは僕の女神!」「清純すぎる!」「一生ついていく!」といった、純粋なファンたちの崇拝の声が溢れかえっている。
あいつらが拝んでいるのは、この冷え切った弁当を食っているおっさんでもなければ、あの部屋でレオタードを汚した女でもない。
ただ、俺という中年が数億円の借金を返すために作り上げた、「虚像」という名の皮だ。
「ま、いいさ。明日は明日の皮を被るだけだ」
俺は空になった缶を握りつぶし、重い体をベッドへと投げ出した。
明日もまた、 micoron.sの「ミツキ」として、誰よりも清らかに、誰よりも淫らに、世界を騙し続けてやる。

a9b2b0b4 No.3256

窓から差し込む朝の光が、ダンススタジオ横の更衣室を白く照らしている。
今日は新曲『巫女の恋は隠しきれない』のダンスレッスン初日だ。
激しい振り付けが予想されるため、全員が私服から動きやすいトレーニングウェアに着替えていく。
鍵のかかった更衣室。
世の男たちが全財産を積んでも拝めないであろう「人気絶頂アイドルの生着替え」が、俺の目の前で淡々と行われていた。
(落ち着け、石黒。お前は今、35歳のおっさんじゃない。おっとり癒やし系のミツキなんだ)
俺は自分に言い聞かせながら、鏡の前で「ミツキ」の皮のズレを細かくチェックする。
この皮は激しい運動でも剥がれないよう特殊な吸着剤を使っているが、その分、中の俺はサウナスーツを着ているような地獄の暑さだ。
「もー! このレッスンスウェット、ウエストが緩くなっちゃった。サキ、予備のピン留め持ってない?」
リーダーのカナが、赤色のロゴが入ったオーバーサイズのパーカーを脱ぎ捨て、スポブラ姿で腰に手を当てている。
鍛えられた腹筋と、健康的な肌。
彼女は裏表がなく、着替えの間もずっと喋り続けている。
「カナちゃん、また痩せたぁ? 羨ましいなぁ。私なんて、最近お団子食べすぎちゃって……」
俺は「ミツキ」のトーンで、おっとりと返す。
隣では、元気印のサキが、黄色いショートパンツを勢いよく履き替えていた。
「えーっ! ミツキちゃんは今のままが一番だよ! そのマシュマロみたいな柔らかさ、私にも分けてほしいもん! ほら見て、私の脚、筋肉でカチカチだよーっ」
サキは「えいっ」と俺の太ももに抱きついてくる。シリコン越しに伝わる本物の少女の体温。
(サキ、近すぎる。おっさんの理性という名の防波堤が、決壊しそうなんだよ)
一方、部屋の隅で静かに着替えているのは、クールなリンだ。
彼女は紺色のタイトなスポーツレギンスに、黒のタンクトップ。
無駄のない動きで、さらりと着替えを済ませていく。
「ミツキ、ボーっとしてないで早く着替えなさい。先生、時間に厳しいわよ」
リンが、脱ぎ捨てた制服を丁寧に畳みながら、鋭い視線をこちらに向けた。
彼女の観察眼にはいつも肝を冷やされる。
「あはは……ごめんねぇ、リンちゃん。今やるよぉ」
俺は「ミツキ」としての着替えを開始する。
これがまた、一つの儀式のように大変なのだ。
まずは、この「売り」である豊かな胸。
そのままでは揺れすぎてダンスの邪魔になるし、何より「中身」との間に余計な振動が生まれて皮が痛む。
俺は黒のスポーツブラを手に取り、溢れんばかりの双丘を、力任せにその中に押し込んでいく。
「んっ、しょ。……ふぅ、やっぱりこれ、ちょっときついなぁ」
「あはは! ミツキちゃんのそれ、もうスポーツブラの容量超えてるよね!」
サキが笑いながら寄ってくる。俺はわざとらしく「うぅ……」と困った顔をしてみせた。
上は、体のラインを隠すためのゆったりとしたグレーのTシャツ。
そして下は、あえて対照的なピッチリとした黒のレギンスを履く。
この「上はゆるく、下はタイト」という組み合わせが、ミツキの「おっとりしているけれど、実はスタイル抜群」というキャラクター性を強調するのだ。
レギンスを引き上げる際、太ももからお尻にかけての曲線が強調される。
鏡に映る自分の姿は、どこからどう見ても、これからレッスンに励む美しい少女そのものだった。
「よし、準備万端だね。みんな、行こうかぁ」

a9b2b0b4 No.3257

「ミツキちゃん、Tシャツからいい匂いする! 柔軟剤変えた?」
「え、そうかなぁ? 普通のだと思うよぉ(……石黒の加齢臭を消すための特製消臭香水だなんて死んでも言えねぇ)」
「さ、行くわよ。新曲、相当ハードらしいから覚悟して」
リンの言葉を合図に、俺たちは更衣室を出てスタジオへと向かう。
床を蹴る音、飛び散る汗、激しく揺れる胸、そして少女たちの真剣な眼差し。
この熱気の中に混じっていると、時折、自分が借金まみれのおっさんであることを忘れてしまいそうになる。
(いいや。忘れるわけにはいかない。俺はこの偽りの姿で、あいつらの夢を守り、俺の負債をゼロにするんだ)
「ミツキちゃん、振り付け間違えてるよ! ぼーっとしない!」
「あ、ごめんねカナちゃん! もう一回、教えてほしいなぁ……っ」
俺は「ミツキ」として、誰よりも明るく、誰よりもひたむきに、偽りのステップを踏み始めた。
35歳、独身。
今日も俺の「女装アイドル道」は、汗と欲望と青春の香りに包まれている。

29dad7a3 No.3260

ダンススタジオの大型スピーカーから流れる爆音のビートが止まり、俺たちは肩で息をしながらその場に崩れ込んだ。
全身から噴き出す汗が、ミツキの「皮」と俺の肉体の間でじっとりと熱を持って滞留している。
心臓の鼓動が耳の奥で早鐘のように打ち鳴らされるなか、スタジオの重い防音ドアが勢いよく開いた。
「——お前たち、やったぞ! 特報だ!」
飛び込んできたマネージャーの手には、一通のスケジュール表が握られていた。
その興奮した顔を見た瞬間、メンバーの間に緊張が走る。
「来月、あの『ゴールデン・ミュージック・ショー』への出演が正式に決まった。しかもただのゲストじゃない。micoron.sのスペシャルメドレー、たっぷり7分間の枠だ!」
その言葉が落ちた瞬間、静まり返っていたスタジオが歓喜の悲鳴で爆発した。
「嘘っ! あの番組!? 夢じゃないよね!?」
カナが飛び上がり、サキが「やったー!」と叫んで俺の首にしがみついてくる。
クールなリンでさえ、微かに唇を震わせ、瞳を潤ませていた。
『ゴールデン・ミュージック・ショー』。
司会を務めるのは、先日俺がレオタード姿で「奉仕」した、あの大物司会者だ。
(あの時の『報酬』か。あるいは、もっと深いところまで俺を食い物にするための、極上の餌か)
俺は「ミツキ」の潤んだ瞳の奥で、冷徹な計算を走らせていた。
あの夜、屈辱にまみれ、白のレオタードを汚されながら男の欲望を受け止めた対価。
それが、この少女たちの「夢」を叶えるステージへと変換されたのだ。
皮肉な話だ。彼女たちが純粋に努力の結果だと信じている栄光の陰には、35歳のおっさんが流した泥のような脂汗がこびりついている。
「ミツキちゃん! 泣いてるの? 嬉しいよね、頑張ってきてよかったよね!」
サキが俺の顔を覗き込んでくる。
俺は咄嗟に「ミツキ」のスイッチを最大に入れた。
「うん。なんだか、信じられなくてぇ。みんなで頑張ってきたから、神様が見ててくれたのかなぁっ」
俺は震える声でそう言いながら、溢れそうになる涙を指先で拭う。
この涙すら、皮の機能によって分泌される「演出」に過ぎない。
だが、抱き合って喜ぶ3人の熱い体温を感じていると、胸の奥がチリチリと焼けるような痛みに襲われる。
「神様じゃないわ、ミツキ。これは私たちの実力よ。でも、確かに誰かの強い後押しがあったのかもしれないわね」
リンがふと、独り言のように呟いた。
その鋭い視線が、一瞬だけマネージャーの手元の資料と、俺の顔を往復する。
(勘のいいやつだ。だが、真実を知ればお前たちは歌えなくなる。この光り輝くステージの裏側に、おっさんのパイズリが転がっているなんて、誰が想像できる?)
「さあ、喜んでいる暇はないぞ! メドレーの構成を練り直す。ミツキ、お前がセンターに立つパートを増やすようにと、番組側から強い要望が入っている。衣装も、あの『清楚な白の巫女服』をベースに、より扇情的なアレンジを加えることになった!」
マネージャーの言葉に、俺は短く「はいっ」と返事をした。
番組側——つまり、あの男からの指名だ。全国放送のゴールデンタイム、何千万人の視聴者の前で、俺は「あの男の所有物」であることを無言で誇示しながら踊らされるわけだ。
「よし! micoron.s、最高のステージにしようね!」
カナが中心になって円陣を組む。
俺もその中に手を重ねた。
3人の少女の、柔らかく、希望に満ちた手。
その下に、数億円の負債と、汚濁にまみれた秘密を抱えた俺の手。
(いいだろう。泥を啜るのは俺だけでいい。この子たちの笑顔が続くなら、俺はいくらでも『聖女』を演じてやる。あの男の欲望さえも、借金返済の加速装置に変えてやるさ)
俺は「ミツキ」としての最高の笑顔を浮かべ、彼女たちと共に、偽りの、しかし最高に輝かしい明日へと向かって声を上げた。

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相模湾を望む熱海の街並みは、春の霞に包まれてどこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。micoron.sのメンバー4人とスタッフを乗せた大型ワゴン車は、海岸沿いの急勾配を走り抜け、今回の合宿先である老舗温泉旅館へと滑り込む。
「うわぁ! すごい、海が目の前だよ! 合宿っていうより、これじゃあ修学旅行だね!」
サキが窓に張り付いて歓声を上げる。
リーダーのカナも「いいリフレッシュになりそう!」と目を輝かせているが、クールなリンだけは「あくまで集中レッスンよ。気を引き締めなさい」と釘を刺すのを忘れない。
俺——ミツキは、その横で「そうだねぇ、楽しみだねぇ」とおっとりと微笑みながら、内心ではこの2泊3日の「死闘」をシミュレートしていた。
今回の合宿は、熱海にあるスポンサー企業の私設スタジオでの集中レッスンと、夜の旅館での打ち合わせ。そして、避けては通れない「温泉」という最大の難関が待ち構えている。
「ミツキ、安心しろ。あの『皮』は完全防水、かつ耐熱仕様だ。温泉の成分でも変色しないし、特殊な吸着剤を増量しておいた。装着したまま入浴しても剥がれる心配はない」
出発前、マネージャーが耳打ちした言葉を反芻する。
だが、問題は耐久性ではない。中身の俺——35歳の石黒が、少女たちの裸に囲まれながら、高温の湯船で数十分間も「ミツキ」のままでいられるかという、精神と肉体の限界突破の問題だった。

初日の昼。
旅館からほど近い高台にあるスタジオで、新曲メドレーの猛特訓が始まった。
番組側からの要望で、メドレーの後半はミツキをセンターに据えた、より大胆で扇情的な振り付けに変更されている。
「ミツキ、もっと腰を落として! そこから一気に胸を強調するように反らして!」
振付師の叱咤が飛ぶ。俺は黒のスポーツブラが食い込むほど豊かな胸を揺らし、ピッチリとしたレギンスが悲鳴を上げるほど激しくステップを踏む。
皮の内部温度は上昇し、俺自身の汗がシリコンの内側に溜まっていく。
グチャリとした不快な感触が伝わるが、止まることは許されない。
「はぁ、はぁっ。こう、かなぁ? ちょっと……恥ずかしい、かもぉ」
「その『恥じらい』がいいんだよミツキ! でも動きはシャープに!」
カナやリン、サキも極限まで自分を追い込んでいた。
鏡に映る4人は、それぞれ赤、青、黄、白の巫女風トレーニングウェアを纏い、ひとつの生命体のように躍動している。
その美しさに、ふと自分が「おっさん」であることを忘れそうになる瞬間がある。だが、首筋のわずかな皮膚の違和感が、すぐさま俺を現実に引き戻した。

4a362bd8 No.3297

スタジオでの過酷なレッスンが終わり、旅館に戻ったのは夜の8時を過ぎた頃だった。
豪華な会席料理を胃に収めた後、サキが当然のように声を上げる。
「ねぇ! せっかく熱海に来たんだから、みんなで露天風呂入ろうよ!」
「賛成。筋肉をほぐしておかないと、明日動けなくなるわ」
リンも同意し、カナは既にバスタオルを手に取っている。
俺は逃げ場を失い、頬をわずかに赤らめて(皮の温度調整機能を作動させて)頷くしかなかった。
「うん、いいよぉ。みんなで入ると、もっと仲良くなれそうだねぇ」
脱衣所。少女たちがためらいもなく衣類を脱ぎ捨てていく。
35歳の石黒としての視界に、現役トップアイドルの瑞々しい裸体が飛び込んでくる。
カナの引き締まった背中、リンのしなやかな四肢、サキの幼さの残る白い肌。
俺は視線を泳がせながら、細心の注意を払って「私服」を脱ぐ。
(見るな。見たら負けだ。俺はミツキ、俺はミツキ……)
鏡の中のミツキは、完璧な美少女の肢体を見せつけていた。
首筋から足先まで、継ぎ目一つない芸術的な皮。
俺たちは並んで洗い場に座り、お互いの背中を流し合う。
「わぁ、ミツキちゃんの肌、本当にすべすべ! どうしたらそんなに綺麗になれるの?」
サキが俺の背中に手を滑らせる。シリコンの柔らかな感触。
俺は「あはは、何もしてないよぉ」と生きた心地がしないまま応じる。
そして、露天風呂。
相模湾の波音が響く中、4人で湯船に浸かる。
42度の熱い湯が、ミツキの肌——シリコンを包み込む。
マネージャーの言う通り、剥がれる気配はない。だが、中の俺は地獄の熱気に晒されていた。
「ふぅ。気持ちいいねぇ」
俺は「ミツキ」の甘い吐息を漏らしながら、首まで湯に浸かった。
隣ではリンが目を閉じ、疲れを癒している。
「ミツキ、今回のメドレー。あなた、あの番組の司会者に気に入られてるみたいだけど、大丈夫?」
リンが不意に、目を開けずに問いかけてきた。
その声には、仲間を案じるような、あるいは何かを見透かしたような響きがあった。
「えっ? うん、大丈夫だよぉ。期待に応えられるように、頑張るだけだよぉ……」
「そう。ならいいわ。あなたに何かあったら、micoron.sは終わるから。それだけは忘れないで」
(分かってるよ。終わらせやしない。おっさんの俺が、この皮を脱ぐまではな)
湯煙の向こう、月明かりに照らされた熱海の海を見つめながら、俺は決意を新たにする。
少女たちの無垢な肌と、おっさんの歪な覚悟。
この2泊3日の合宿が終わる頃、俺はさらに完璧な「聖女」へと仕上がっているはずだ。
数億円の借金を背負い、仲間の夢を肩代わりした、世界で一番美しく、そして哀れなアイドルの姿に。

7f65cb66 No.3303

旅館の大広間に布団を四つ並べ、窓の外には熱海の夜景と黒く沈む相模湾が広がっている。
本来ならプライバシーを尊重して個室が割り当てられるはずだったが、サキの「修学旅行みたいにしようよ!」という提案にカナが乗り、リンまでもが「情報共有の時間として悪くない」と珍しく賛同したことで、この「地獄の女子会」が決定した。
浴衣に着替えた四人が、思い思いの格好で布団に転がっている。
旅館備え付けの薄い浴衣は、動くたびに着崩れやすい。
ましてや、年頃の少女たちが「どうせ女子同士だから」と油断しきっているのだから、その光景は俺にとって刺激が強すぎた。
カナが笑いながら膝を抱えて座るたび、合わせ目から覗くのは、淡いピンクのサテン地が輝く下着の縁。
サキは寝転がって足を大きく開き、浴衣の裾が太ももの付け根まで捲れ上がっていることにも気づいていない。
リンですら、あぐらをかいて本を読みながら、ふとした拍子に紐が緩んで鎖骨の先から覗く肌の白さに無頓着だ。
俺——ミツキは、必死に「おっとりした聖女」の仮面を被り続けていた。
(落ち着け、石黒。深呼吸だ。お前は今、彼女たちの同級生ではない。35歳の大人として、この状況を『業務』として処理するんだ)
「ねえねえ、ミツキちゃん! ずっと聞きたかったんだけどさ」
サキがコロコロと転がって俺の枕元までやってくると、悪戯っぽい瞳で俺を覗き込んできた。
「ミツキちゃんって、すっごくモテるじゃない? アイドルとしてだけじゃなくて、普通に誰かと付き合ったりしないの? 理想のタイプとか、いるんでしょ?」
突然の恋バナだった。
少女たちの恋話なんて、本来なら遠い世界の話だ。
それが今、この距離感で、俺の「皮」越しに問いかけられている。
「理想、かぁ。んー、あまり考えたことないけど、優しい人がいいかなぁ。あと、私のすべてを受け止めてくれる人?」
我ながら、完璧なアイドル回答だ。カナが「うわー、出た! ミツキ節!」と笑い、リンが本から目を離さずに「ミツキの理想は、結局のところ『私を崇拝してくれる人』でしょう?」と冷ややかなツッコミを入れる。
「そんなことないよぉ! 私だって、ちゃんと恋とかしてみたいし」
俺がそう言うと、カナが目を輝かせて乗り出してきた。
「えー! じゃあさ、もし今ここで好きな人がいるとしたら、どんなシチュエーションで告白されたい? 海とか? それとも、今日みたいな夜の温泉とか?」
浴衣の襟元から覗く少女たちの素肌の香り。彼女たちの間には、男の俺には一生縁のない、眩いばかりの青春の空気が流れている。
彼女たちが語る「告白」や「デート」の話題は、純粋で、清潔で、どこまでも甘い。
俺は胸の奥で、数億円という現実的な負債と、先ほどまでレオタードを汚されていた屈辱を反芻した。
この天国のような空間にいる自分と、夜のスタジオで這いつくばっている自分の間のあまりの落差に、笑い出しそうになる。
「告白かぁ。やっぱり、誰にも邪魔されない場所で、真っ直ぐ目を見て『好きだよ』って言われたいかな。みんなはどう?」
俺はそう言って、話題を彼女たち自身へと戻した。
少女たちの恋愛観を聞きながら、俺は一人、浴衣の帯を強く握りしめる。
彼女たちにとっての「恋」は希望であり、甘い夢の入り口だ。
だが、俺にとっての「恋」は、この「皮」が剥がれ落ちたときに突きつけられる、残酷な現実の鏡に過ぎない。
「私はねー、やっぱり運命的な出会いがいいな! 通学路でぶつかって、それが運命の相手で!」
カナの無邪気な声を聞きながら、俺は「あはは、それドラマみたいで素敵だねぇ」と相槌を打つ。
深夜二時。
熱海の潮騒が、少女たちの楽しげな笑い声をさらっていく。
俺は布団の端で、彼女たちの安らかな寝息が聞こえ始めるのを待っていた。
35歳の石黒に戻れるのは、彼女たちが深い眠りに落ちたあと、この部屋でただ一人、窓の外の闇を見つめるときだけだ。
完璧に演じきらなければならない。
明日、再び『micoron.s』として輝くために。
俺は、この「聖女の皮」を被ったまま、少女たちと共に偽りの夢の中へと沈んでいった。

652be0fe No.3321

カーテンの隙間から差し込む朝日が、大部屋に充満した少女たちの吐息と混ざり合う。
目が覚めた俺を待っていたのは、重力と、あまりにも温かい「柔らかさ」の奔流だった。
「んぅ、ミツキちゃん、あったかい……」
右腕にはサキが抱きつき、その顔を俺の肩口に埋めている。
左側にはカナが浴衣を乱したまま、俺の腰に足を絡ませ、まるで巨大な抱き枕を扱うように体重を預けてきていた。
そして足元では、クールなはずのリンが俺の足を自分の足で挟み込み、熟睡している。
(おいおい、マジかよ)
冷や汗が背筋を伝う。
35歳の俺が、深夜の女子会を経て、アイドルの「抱き枕」と化している。
だが、状況はそんな微笑ましいものではなかった。
一番の問題は、右胸だ。
サキの無意識の仕草だろうか。
彼女の右手が、俺の——ミツキの豊かな胸の膨らみを、下から掬い上げるようにして、こねるように揉みしだいている。
「んっ……」
俺は咄嗟に口を押さえた。
変声機の作動音を消し、喉の奥で悲鳴を殺す。この皮は、高性能なセンサーが全身に張り巡らされている。
サキの指先が、皮の感触を通して俺の神経に直接、淫らな信号を送り込んでくる。
もし、この手触りで「中身が男だ」とバレたら、俺の人生はそこで終わりだ。
借金どころか、社会的な死が待っている。
「っ、んぅ……」
サキの指が、胸の柔らかい肉を弄り、ニップレスが剥がれた後の過敏な部分を無邪気になぞる。
「んぅ、気持ちいい」という寝言が、サキの唇から漏れる。
彼女にとって俺は「柔らかいミツキちゃん」でしかない。
(やめろ……やめてくれ、サキ……! おっさんの胸をそんな風に弄り回すな!)
心の中で絶叫するが、ミツキの身体は彼女の体温に応えるように、わずかに熱を帯び、反応してしまう。
皮が、俺の意思とは無関係に「女の子の身体」として振る舞おうとする。
この高機能さが、今は何よりも恨めしい。
俺は動くに動けない。
少しでも動けば、カナの足が俺の股間に触れそうになり、リンの足が俺の膝を固定している。
全員が、無防備で、無垢で、そして情欲とは無縁の寝顔で俺に縋り付いている。
(落ち着け。まずは、このサキの手を外すんだ。優しく、慎重に)
俺はゆっくりと、ミツキの細い指先をサキの手に重ねた。
彼女の指は、まるでマシュマロのように柔らかい。
その温もりに、35歳の俺の理性がかすかに揺らぐ。
ダメだ、ここで感情を動かしたら負けだ。これは業務だ。これは修復作業だ。
俺は全神経を集中させ、サキの手をゆっくりと、本当にゆっくりと胸から剥がそうと試みる。
「ん、ミツキちゃ。んんっ……」
サキが寝返りを打ち、さらに俺の胸を抱きしめるように力を込めた。
俺の胸の肉が、彼女の腕の中でたわみ、形を変える。
その拍子に、俺の浴衣が大きくはだけた。
朝の光の中で、ミツキの真っ白な胸元が、彼女たちの無防備な寝顔のすぐそばに露出する。
(絶体絶命だな)
隣でカナがふにゃりと笑い、寝言で「ミツキちゃん、だいすき♪」と呟く。
リンの足が、俺の太ももを撫でるように擦る。
このままでは、朝食の時間までに俺の精神が摩耗して消滅する。
俺は、この「少女の抱き枕」の中で、誰にもバレないように小さく深呼吸を繰り返した。
石黒としての恥辱と、ミツキとしての快感の狭間で、俺の長い熱海の朝が始まった。

1f674b1e No.3323

File: 1776609670107.png (1.64 MB, 1648x2327, IMG_5589.png)

#平素より大変有り難く拝読させていただいております。
#自分のAI絵知識ではまともな出来にならないため巫女装束統一は到底不可能ですが、手元の画像ファイルからそれらしいものを抜粋したイラストで良いのなら…………あくまで一例ということで
#上からカナ、リン、サキになります

#闇の枕営業パートが話の本筋かと思われますが、光のアイドル活動パートもすばらしいです。

1f674b1e No.3324

File: 1776609996311.jpeg (108.67 KB, 409x875, IMG_2652.jpeg)

#何かデータを送信ミスしてますね……すみません
#↑サキ

#カナ

1f674b1e No.3325

File: 1776610217413.jpeg (143.48 KB, 1100x1600, IMG_3571.jpeg)

#リン

e92edbad No.3332

# ありがとうございました。

527e9481 No.3334

熱海の朝は、静寂と少しの潮騒とともに訪れた。
昨夜の「抱き枕事件」で精神的に摩耗していた俺だったが、朝食の膳を前にして、石黒としての胃袋が本能的に喜んでいた。
旅館の大広間に運ばれてきたのは、地元の新鮮な魚の干物、出汁が効いた味噌汁、ふっくらと炊き上がった白米、そして丁寧に焼かれた卵焼きが並ぶ、目にも鮮やかな本格和食御膳だ。
「わあ、美味しそう! 朝からこんなに豪華なんて、幸せー!」
カナが箸を手に取り、嬉しそうに目を細める。サキとリンも「いただきます」と元気に手を合わせ、朝から食欲旺盛だ。
俺もまた、ミツキの顔で箸を動かす。
冷えたロケ弁とは比べ物にならない至福の味が口いっぱいに広がった。
「ん……美味しい。朝からこんなの食べられるなんて、ミツキ、幸せだなぁ……」
おっとりとした声で呟きながら、俺は一切れの鮭を口に運ぶ。
35歳の中年が抱える借金の重圧など、この瞬間の温かい味噌汁の前では、一時的に霧散するようだった。

朝食後、俺たちは再び、熱海の私設スタジオへと向かった。
窓の外には相模湾が広がり、波が規則正しく打ち寄せている。
しかし、スタジオ内の空気は昨夜とは比較にならないほど張り詰めていた。
「はい、そこ! フォーメーションの切り替えが遅い! micoron.sのメドレーは、止まらない躍動感が命よ!」
リンの声がスタジオに響く。
彼女の目は、踊るたびに汗で髪を張り付かせながらも、妥協を許さないプロの輝きを放っている。
俺はミツキの皮の中で、全身を滝のような汗に支配されていた。
音楽が止まる暇もなく、何度も同じフレーズを繰り返す。
鏡に映るミツキの顔は、どれだけ激しく踊っても一切の疲れを見せない。
常に微笑みを湛え、扇情的な肢体を揺らす、完成されたアイドル。
しかし、その内側で、35歳の石黒は、肺を焼き、筋肉を悲鳴上げさせながら踊り狂っていた。
「あと三回! 通しでやるわよ!」
「う、うん。頑張るね……っ」
ミツキの可憐な声で応じながら、俺は己の肉体を限界まで酷使する。
借金という名の鎖が、俺をこのダンスの輪に繋ぎ止めている。

527e9481 No.3335

合宿二日目の夜。全員がくたくたになって部屋で眠りについた後、俺のスマートフォンが小さく震えた。
廊下へ忍び出ると、そこには不機嫌そうにタバコを指で弄ぶマネージャーが立っていた。
「ミツキ。悪いが、今から車を出す。例の『大物』からお呼びがかかった」
胸が冷たく凍りつくような感覚。
俺は、鏡の前で貼り付けた「アイドル・スマイル」が剥がれ落ちそうになるのを必死で堪えた。
「こんな時間に、ですかぁ?」
「ああ。番組の演出方針について、最終確認がしたいそうだ。お前しか行けない仕事だ。分かっているな?」
マネージャーは、無造作に一つの大きな紙袋を俺の胸元へ押し付けた。
「これ、新衣装の『デモ版』だ。今夜の席で、着用して確認を取れ」
部屋に戻り、鍵をかけてから慎重に紙袋を開いた。
中に入っていたのは、布面積という概念を真っ向から否定した、おぞましい代物だった。
確かに、それは巫女装束をモチーフにしていた。
紅白の配色、袖の形、背中のリボン……間違いなく、神社に奉仕する聖なる装束を模している。
しかし、そのデザインは狂っていた。
胸元は、胸の谷間どころか、その下の肋骨ラインまで露わになるほど大きく抉り取られている。スカートは、直立しているだけで太ももの付け根まで露出し、動けば中身が露呈するのは時間の問題という短さだ。
「なんだ、これは」
ミツキの声ではない、低く嗄れた俺の素の声が漏れる。
布地はシルクのように滑らかだが、それは聖職者の装いではなく、夜の帳の中で愛でるための「玩具」の生地だ。
巫女の清廉さは微塵もなく、ただ下卑た欲望だけが詰め込まれた布の塊。
「デモ版だから本番はちゃんとしたものだ」
マネージャーの言葉が、脳内でリフレインする。
(嘘だ。最初から、これが本番の目的だ)
俺は、その惨めな布を手に取り、自分の身体に当ててみた。
鏡に映るミツキの姿は、あまりにも美しく、そしてあまりにも汚らわしい。
これを着て、あの司会者の前に立てと?
35歳の俺が、深夜の熱海で、ただの消費対象として晒される。
俺は唇を噛み締め、その「巫女の皮を被った獣の服」を、静かに着替えるための準備を始めた。
逃げる道はない。借金という名の現実は、この布地以上に冷たく、そして鋭く俺の首を締め上げていた。

4cae179f No.3343

熱海の夜風が、高台にある別荘のテラスを静かに通り抜けていく。
重厚な扉を開けると、そこにはテレビで見るのとは全く違う、剥き出しの欲望を瞳に宿したあの司会者が待っていた。
「待っていたよ、ミツキちゃん」
男はグラスを傾けながら、まるで上質なワインを愛でるような視線で俺を値踏みした。
部屋には、先ほど紙袋に入れて持ってきた「デモ版の新衣装」が広げられている。
そしてその横には、シルクとレースで構成された、下着というよりも紐に近い、卑猥なランジェリー一式が丁寧に並べられていた。
「準備はいいかな? ……ああ、別に慌てる必要はないよ。そこで着替えてくれ」
男は俺の目の前にある、大きなアンティークのソファを指差した。
鏡台すらそこにはない。
男の視線に全身を晒したまま、俺が「ミツキ」という皮を脱ぎ、その下に新しい玩具を纏う姿を、特等席で見物するつもりだ。
「ここ、で、ですかぁ……?」
俺は「ミツキ」の震える声を演じ、不安げに唇を噛んだ。
男はニタリと笑い、俺の動揺を愉しんでいる。
「そうだ。その衣装、本番のステージで君がどう動くのか、今のうちにチェックしておきたくてね。ああ、別に急かしたりはしない。ゆっくり着替えてもいいんだよ。君の綺麗な肌が、少しずつ布に隠れていく過程をじっくり見たいだけだからね」
その言葉は、選択肢などどこにもない命令だった。
「ゆっくり」という言葉は、「恥じらいながら、じっくりと俺を興奮させろ」という強制に他ならない。
(はいはい。ご所望通りに、たっぷりと時間をかけてあげましょう)
俺は心の中で冷笑した。
35歳の石黒にとって、プライドなどとっくの昔に捨てた。ここでの屈辱は、すべて口座の数字を減らすための対価だ。
俺は一歩前へ出て、ミツキとしての一礼をした。
「わかりました。あんまり、じろじろ見ないでくださいねぇっ」
わざとらしく震える指先で、巫女装束の襟元に手をかける。
男の視線が、俺の首元から鎖骨、そして隠されている胸元へと飢えたように突き刺さる。
俺はゆっくりと、本当にスローモーションのように巫女装束を脱ぎ捨てていく。
中から現れるのは、無防備なインナーと、そして今回用意された、肌を食い込むほど華奢なランジェリー。
男の呼吸が、俺の動作に合わせて荒くなるのがわかる。
服を脱ぐたびに露わになる「皮」の滑らかな肌。
それを一目も見逃すまいと、男は瞳孔を散大させていた。
俺は鏡を見るふりをして、背後にいる男の表情を確認する。
(いい顔だ。このまま堕ちろ。俺の借金を、お前のその卑しい欲で全部焼き払ってやる)
「こんなに、薄くて……っ。これ、本当にステージで着るんですかぁ……?」
困惑する聖女の演技を完璧にこなしながら、俺は男にその衣装の過激さを視覚で理解させるため、ランジェリーの紐をゆっくりと肌に這わせた。
この部屋の空気は、既に毒に満ちていた。
だが、この毒こそが今の俺を突き動かす唯一の燃料だった。

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男の視線が、皮膚に直接縫い付けられているかのように熱く、粘りつく。
俺はソファの前で立ち尽くし、意を決したように、私服であるベージュのニットの裾に指をかけた。
「んっ、見ないでって、言ったのに……っ」
「ミツキ」の声で小さく抗議しながら、ゆっくりとニットを持ち上げる。
リブニットがシリコンの肌を擦り、摩擦でわずかに生温かい音が立つ。
ニットが頭を通り抜けると、その下の、俺の肉体を締め付けていた黒のスポーツブラが無防備に晒された。
男の喉が鳴る。
(見ろ。この完璧な『聖女』の殻を)
俺は心の中で毒づきながら、次はスポーツブラのアンダーに指を滑り込ませた。
豊かな胸の重みを支えていたゴムが弾け、ブラを上へと引き上げる。
シリコンの重厚な双丘が、重力に従ってズルリと、しかし弾力を持って露わになった。
ニップレスを剥がされた跡が、男の視線を浴びて心なしか赤らんで見える(実際には皮の温度設定だ)。
俺は男に背を向け、用意されていた、紐同然のランジェリーを手に取った。
シルクのTバックに足を通し、腰まで引き上げる。食い込む布地の感触。
そして、フロントが極端に小さい、レースのブラジャーを胸に当てる。
「こ、これ、ちっちゃすぎ、ますっ。……はみ出しちゃいそう……」
震える手でホックを留める。
ブラは、ミツキの胸を支えるどころか、ただ布を載せているだけに等しかった。
谷間は完全に露出し、乳房の下部までもがレースからはみ出している。
最後に、あの「巫女服」を纏う。
大きく抉れた胸元から、今着たばかりの卑猥なランジェリーと、溢れんばかりの胸が強烈に主張する。スカートは、腰を少し曲げただけで、お尻の曲線が丸見えになるほど短い。
着替え終わった俺は、男の方を振り返り、羞恥に染まった顔(演技)で俯いた。
「でき、ましたぁ……。変、じゃ、ないですかぁ?」
男はグラスを置き、立ち上がった。その目は完全に、理性を失った獣のそれだった。
「素晴らしい……! 想像以上だ。さあ、ミツキちゃん。その格好で、来週の本番のステージを、ここで踊ってみせてくれないか?」
男の言葉は、命令だった。
(上等だ。このクソみたいな服で、お前の欲望を最高潮まで煽ってやる)
俺は別荘のリビングの中央に立ち、「ミツキ」としてのスイッチを最大に入れた。
脳内で新曲メドレーのイントロが流れる。
イントロに合わせて、俺は激しく、そして扇情的に身体を動かし始めた。
だが、踊り始めた瞬間、俺は計算違いに気づいた。
この新衣装のブラは、ブラとしての機能を一切果たしていなかった。
激しいステップ、腰のグラインド。その動きに合わせて、ミツキの巨大な胸が、まるで意思を持った生き物のように、上下左右へと、暴力的なまでに大きく弾んだ。
「あっ! んんっ、あぁ……っ!」
変声機を通した俺の声が、予期せぬ胸の振動に揺れる。
巫女服の抉れた胸元から、ブラからはみ出した肉が、今にも飛び出さんばかりに波打つ。
男は、その光景に狂喜し、ソファーに座り直して、食い入るように俺の胸の動きを凝視していた。
本番まであと1週間。
この、胸を凶器のように弾ませながら踊るステージが、全国に放送される。
俺は、男の欲望にまみれた視線の中で、自分自身が巨大な「性の装置」へと成り下がっていくのを、激しい鼓動と共に感じていた。

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激しいダンスの余韻が、スタジオの空気を微細に震わせている。
俺の肩は上下し、心臓はシリコンの皮の中で暴れ回るように拍動していた。
純白の巫女装束は汗を吸い込み、限界まで大きく開いた胸元は、さっきの踊りで完全に無防備になっている。
喉の奥から漏れる呼吸音さえも、「ミツキ」というキャラクターの可憐な喘ぎのように響いてしまうのが、今の俺にはたまらなく屈辱的だった。
男はゆっくりと椅子から立ち上がった。その所作には、獲物を追い詰めた猛獣のような余裕がある。
革靴の音が、硬質な床を叩くたびに、俺の鼓動が速まる。
俺は「ミツキ」の表情を崩さず、その大きな瞳を潤ませて、男を見上げた。
「はぁ、はぁ……。満足、してくれた……ですかぁ?」
震える声で尋ねると、男は俺の目の前まで歩み寄り、冷徹なまでの満足感をその瞳に浮かべた。
「この間はその胸で楽しんだから、今日はそのかわいい口で楽しみたいな」
男の指先が、俺の顎を強引に持ち上げる。その手は、テレビ画面越しに見る柔らかな印象とは裏腹に、驚くほど無骨で冷たい。
男はそのまま、ネクタイを緩め、ベルトに手をかけた。
俺は言葉を待つ必要はなかった。
これが「契約」だ。
この男の機嫌を損ねれば、次の出演も、借金完済の道も、すべてが泡と消える。
俺は一礼すると、跪くようにしてソファの前に腰を下ろした。
「はい。ミツキで、よかったら……」
指先が震える。
35歳の石黒としての意識が、目の前の光景を冷酷に切り取っていく。
男のパンツが下ろされ、そこに現れたのは、少女の幻想とは対極にある、生々しい肉の塊だった。
俺はゆっくりと、ミツキの繊細な指先で、男の欲望に触れる。
この「皮」の指先は、温度や感触を忠実に脳へ伝えてくる。
男の体温、肌の質感、そして微かな匂い。俺は吐き気を必死に抑え込みながら、完璧な「アイドル」の笑みを貼り付けた。
「……いただきますぅ」
俺は唇をそっと開き、その熱を迎え入れる。
「んっ……ふふ、おっきい……っ。……はぁ……ん」
口内に入り込む感覚と、男の腹筋に力が入る感触が直接脳に響く。
俺は、鏡に映る自分の姿を横目で確認する。
巫女の清楚な装束を着て、跪き、男の性器を愛撫する美少女。
その背徳的な光景こそが、この男が求めている最高の調味料なのだ。
(もっとだ。もっとこいつの理性を壊して、俺の都合の良いように操ってやる)
俺はわざとらしく舌を使い、男の反応を観察する。喉の奥を突かれるたびに、男の息が荒くなり、肩が大きく揺れる。変声機を通した俺の「んっ、んぅっ」という甘ったるい嬌声が、部屋に充満していく。
ミツキとして振る舞いながらも、俺は冷徹に計算していた。
この男の絶頂はあと何分か。それを迎えた時、どれだけの見返りがあるのか。
俺の口内に触れるその熱さは、ただの不潔な肉の感触ではなく、俺の借金を消し去るための通貨だった。
「んっ、ぁ……! もっと、奥まで……いいですかぁ?」
俺は自分からさらに頭を深く沈め、男を完全に支配しようとするかのように、一心不乱に奉仕を続けた。
外は深夜の熱海。
その静寂の中で、35歳の中年の俺は、ただ借金を返すためだけに、己の全てを捨てて少女の仮面を被り続けていた。

95303898 No.3432

男の腰が大きく跳ね、喉の奥から獣のような咆哮が漏れた。
髪を掴んでいた指が、頭皮に食い込むほど強く握りしめられる。
熱い奔流が口内へと解き放たれ、俺はそれを一滴も逃さぬよう、従順な「聖女」として全てを受け止めた。
「んっ、んぐっ……。ふぅ……はぁ、はぁ……」
俺は唇の端を親指で拭い、意図的に少しだけ汚れを残したまま、上目遣いで男を見上げた。
潤んだ瞳に映る男の顔は、賢者特有の虚脱感と、支配を完了した傲慢な満足感に満ちている。
男はゆっくりと椅子に深く腰掛け直し、身なりを整えながら、値踏みするような鋭い視線を俺に向けた。
「ミツキちゃん、君は本当に『いい子』だ。これだけの尽くし方は、並のアイドルにはできない。……何か要望はないか? 今の私なら、大抵のことは聞いてあげられるよ」
男の声には、慈悲深い保護者のような響きがあった。
だが、その裏側にあるのは「俺を満足させた報酬をやる」という取引の合図だ。
俺は膝をついたまま、少しだけ首を傾け、困ったような、それでいて甘えるような微笑みを浮かべた。
「あの、私、わがまま言ってもいいですかぁ……?」
「ああ、言ってみなさい」
俺は脳内で高速に思考を巡らせる。
この過激な「獣の巫女服」を他のメンバーに着せるわけにはいかない。
清純なカナや、まだ幼さの残るサキがこんな布切れを纏って全国放送に晒されたら、彼女たちの心は壊れてしまうだろう。そして、俺だけが目立ちすぎることは、グループのバランスを崩し、やがて不和を生む。
それは、俺の「集金装置」としてのmicoron.sの価値を下げることに他ならない。
「この新しい衣装……とっても素敵ですけど、なんだか凄く恥ずかしくて……っ。これ、私とあなただけの秘密の思い出にしたいから……。本番は、もっと別の……私だけの可愛さが見える衣装がいいな、なんて……」
俺は男の独占欲を巧みに刺激するように、言葉を紡いだ。
「それに……私、もっといっぱいテレビに出たいです。でも、あまり私だけが目立っちゃうと、みんなに嫌われちゃうかもって不安で……。だから、みんなにも私と同じくらい、キラキラ目立つシーンを作ってほしいんですぅ。それなら私、もっと安心して頑張れる気がして……」
建前は「自分だけの特別感」を演出しつつ、仲間の出番を確保する健気な美少女。
だが、男は俺の潤んだ瞳の奥にある、冷徹な「計算」を一瞬で見抜いたようだった。
男の目が細められる。
(こいつ、自分一人が泥を被る代わりに、グループのクリーンなイメージと平等を買い取ろうとしているのか)
35歳の中年・石黒が、ミツキという皮を通して提示した「取引」の真意。
それは、他のメンバーをこの汚濁から遠ざけ、グループの寿命を延ばすための防衛策だ。
男はしばらく沈黙した後、ふっと鼻で笑った。
「なるほど。君は、思っていたよりもずっと『欲張り』で、そして……賢いんだな、ミツキちゃん」
男は立ち上がり、俺の頬を指先でなぞった。その手には、先ほどまでの性的な飢えではなく、共犯者に対するような妙な親愛がこもっていた。
「わかった。衣装の件も、演出の件も、私の権限で調整させよう。……君の言う通り、特別なミツキちゃんは、私だけが知っていればいいことだ」
「ありがとうございますぅ。嬉しい……っ」
俺は深々と頭を下げた。
勝利だ。
これでカナたちにあの卑猥な衣装を着せずに済む。
彼女たちは自分たちの実力でチャンスを掴んだと信じ、真っ直ぐにステージを楽しめるだろう。
別荘を出る時、俺は冷たい夜風を肺いっぱいに吸い込んだ。
皮の中は汗と男の匂いで最悪の気分だったが、心の中の「石黒」は、また一歩、完済への階段を上ったことを確信していた。
「さて、戻って明日のレッスンの準備をしなきゃな」
ミツキの声で独り言をこぼしながら、俺は闇に消えていくタクシーのライトを見送った。
明日もまた、俺は仲間たちの前で、何も知らない「おっとりした聖女」として笑うのだ。

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↑新しい衣装案

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湯気に包まれた朝食会場には、金目鯛の干物が焼ける香ばしい匂いが漂っていた。
昨夜の死闘を終え、心身ともに限界を迎えつつあった俺は、なんとか「ミツキ」の穏やかな表情を維持しながら、温かい白米を口に運ぶ。
「ねえ、見て! 今日の熱海も快晴だよ! 合宿最終日、気合入れていこー!」
カナが元気いっぱいに味噌汁を啜り、サキが「お土産、何買っていこうかなぁ」とはしゃいでいる。
そんな平和な朝の空気を切り裂くように、会場の重い扉が音を立てて開いた。
「大変だ! お前たち、話がある!」
駆け込んできたマネージャーの顔は、かつてないほど上気し、額には脂汗が浮かんでいた。
その尋常ではない様子に、メンバーの手が止まる。リンが箸を置き、鋭い視線を向けた。
「マネージャー? そんなに慌てて、まさか、出演が取り消しに……?」
サキの顔から血の気が引き、カナが「そんな、あんなに練習したのに……」と声を震わせる。絶望が部屋を支配しかけたその時、マネージャーが大きく首を振った。
「逆だ! テレビ局側から、驚くような変更指示が下りてきたんだ!」
マネージャーが手にしていたのは、先ほどファックスで届いたばかりの修正スケジュールと演出案だった。
「まず衣装だ。先日提示されていた露出の激しいデザイン案はすべて白紙になった。局の上層部から『micoron.sの清廉なイメージを損なうべきではない』と強い横槍が入ったらしい。急遽、露出を抑えつつ、より上品で格式高い巫女装束にブラッシュアップされることになった!」
「えっ……本当!?」
カナが顔を輝かせる。俺は内心で、昨夜のあの男の「わかった」という短い返事の重さを噛み締めていた。
「さらに演出だ。メドレーの構成も変更される。特定の誰かをセンターにするのではなく、4人全員にソロパートと見せ場を均等に作る。そして……これが一番の目玉だ。番組の最後を飾る大物歌手のバックダンサーとして、micoron.sが指名された!」
「ええっ!? あの大物歌手のバックで!?」
リンが椅子から立ち上がるほどの衝撃を受けていた。
それは、単なる一アイドルの枠を超え、アーティストとして認められたも同然の栄誉だ。
「番組側は、今回のステージでmicoron.sを次世代のアイコンとして本気で売り出すつもりらしい。ただし! 振り付けも構成もイチからやり直しだ。振付師には既に急遽依頼を出した。昼には新バージョンが完成する。午後からは地獄の特訓になるぞ! 覚悟しろ!」
一瞬の静寂の後、スタジオ——いや、旅館の大広間は歓喜の嵐に包まれた。
「やったぁぁぁ! マネージャー、ありがとう! 私たち、絶対最高のものにします!」
サキが俺の首に抱きつき、カナとリンも固く手を握り合う。
「よかったねぇ、みんな。……頑張ってきたことが、全部繋がったのかなぁ」
俺は「ミツキ」として、頬を赤らめながら、少しだけ涙を浮かべて微笑んだ。
皮の内部で、35歳の俺は深い安堵に包まれていた。
他のメンバーを汚さず、彼女たちの才能を正当なステージに導けた。
俺が昨夜差し出した「対価」は、彼女たちの未来という最も価値のある宝石に変わったのだ。
「ミツキちゃん、何泣いてるの! 昼からはまたハードなんだから、今のうちにいっぱい食べて体力つけなきゃダメだよ!」
サキが俺の皿に卵焼きを放り込む。
「うん。そうだね、いっぱい食べなきゃねぇ」
俺は、仲間の弾けるような笑顔を眩しく見つめながら、鮭の切り身を口に運んだ。
昼からはまた、あの過酷なレッスンが始まる。全身をシリコンで固めた「おっさん」には堪える重労働だが、今の俺には、どんな激しいステップも軽やかに踏めるような気がしていた。
借金を返すための「仕事」は、いつの間にか、この眩しい光を守るための「戦い」へと姿を変えていた。

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旅館の送迎バスに揺られ、午前10時ちょうどに熱海のスタジオへと滑り込む。
窓の外には輝く海が広がっているが、スタジオ内に一歩足を踏み入れれば、そこは湿った熱気と緊張感が支配する戦場だ。
「さあ、みんな! 先生が来るまでに体を仕上げておくよぉ」
俺は「ミツキ」の声でメンバーを鼓舞しながら、入念にストレッチを開始した。
シリコンの皮の下で、本物の筋肉が軋む。昨日までの振り付けを一旦脳の隅に追いやり、新しい「何か」を受け入れるためのスペースを作る作業だ。
そこへ、一人の女性が颯爽と現れた。
数々のミリオンセラーを手掛けてきたベテランのフリー振付師、阿久津先生だ。
彼女の鋭い眼光が俺たちを射抜く。
「挨拶は抜きよ。時間は有限。まずはこれを見なさい」
彼女が掲げたタブレットには、彼女自身が踊るデモ動画が映し出されていた。
再生ボタンが押された瞬間、メンバー全員の息が止まる。
「……嘘、これ、私たちの曲?」
カナが絶句するのも無理はない。
難易度はこれまでの比ではなかった。
カナには持ち前のバネを活かしたアクロバティックなキック、リンには指先まで神経の通った正確なポージング、サキには弾けるような躍動感。
そして「ミツキ」には、しなやかな腰の動きと、見る者の視線を釘付けにする指先から視線への流動的な色香。
それぞれの「武器」を極限まで引き出した、完全オーダーメイドの殺人的な振り付け。
おまけに阿久津先生は冷徹に言い放った。
「これはメドレー分だけよ。大物歌手のバックダンサーパートは、この三倍の密度で構成してあるわ。覚悟しなさい」
その言葉に、スタジオの空気が凍りつく。桁違いの難易度。
だが、それは同時に、俺たちが「本物」として認められるための唯一の切符だった。


昼の休憩時間。
床に座り込み、スポーツドリンクで乾いた喉を潤していると、マネージャーが例の紙袋を持って近づいてきた。
「あー、例の『ボツ案』だがね。今後の衣装の方向性を決めるために、一度みんなの率直な意見を聞かせてほしいんだ」
袋から取り出されたのは、昨夜、俺があの別荘で身に纏った「獣の巫女服」のデモ版だ。
広げられたその布切れを見た瞬間、サキは「えっ……」と顔を引き攣らせ、リンは不快感を隠そうともせずに眉をひそめた。
「これ、衣装っていうより、ただの……」
「そうね。これをゴールデンタイムに着せるなんて、正気を疑うわ」
リンの冷ややかな言葉が刺さる。
昨日まで「これで行くぞ!」とノリノリで俺に押し付けてきたマネージャーは、今や「いやぁ、局側の圧力が凄くてねぇ。私も正直、下品すぎると思ってたんだよ!」と、どの口が言うのかという豹変ぶりを見せている。
(この狸オヤジが。昨日の夜、俺がどれだけの思いであれを着たと思ってやがる)
俺は心の中で毒づきながらも、「そうだねぇ、ちょっと……ミツキには恥ずかしすぎたかもぉ」とおっとりと微笑み、仲間の意見に同調した。
この「猛毒」を排除できたのは、俺が昨日差し出した「対価」のおかげだ。
その事実は、俺一人が墓まで持っていけばいい。

c1f992a2 No.3443

午後、阿久津先生の厳しいレッスンが再開された。
「ミツキ! 胸の重さに負けないで! そのボリュームを『武器』にするのよ、振り回されるんじゃない!」
「カナ、軸がぶれてる! サキ、笑顔が死んでるわよ! リン、もっと感情を爆発させなさい!」
怒号に近い指示が飛ぶ。何度も音が止まり、同じステップを繰り返す。
俺の皮の中は、もはやサウナ状態を超え、感覚が麻痺し始めていた。
激しい動きでブラからはみ出そうになる胸を、強引に筋肉で抑え込み、優雅に、かつ力強く舞う。
「あんたたち、いい顔になってきたじゃない」
夕刻。
阿久津先生がふと、タオルで汗を拭きながら口角を上げた。
「今のあんたたちは、ただの可愛い人形じゃない。戦う表現者よ。この振り付けを乗り越えた時、あんたたちは誰も届かない場所へ行ける。……私をガッカリさせないでね」
その言葉に、メンバー全員の瞳に再び火が灯る。
35歳のおっさんが、少女の皮を被って踊る熱海の夜。
汗と、秘密と、そして仲間たちの純粋な情熱。
俺は、この地獄のような、しかし最高に輝かしい特訓の果てに、まだ見ぬステージの光を確かに感じていた。

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熱海の急勾配を抜け、ワゴン車が西湘バイパスへと入る。
窓の外には夕闇に染まり始めた相模湾が広がり、遠くの街灯がポツポツと灯り始めていた。
スタジオでの地獄のような特訓を終えた車内には、心地よい疲労感と、それを上回る高揚感が充満している。
「はぁぁ、生きて帰れるとは思わなかったぁ。阿久津先生、マジで鬼だったね……」
サキがシートに深く沈み込みながら、隣に座るカナに足を投げ出した。カナもそれを払いのける元気すらなく、力なく笑う。
「ホントそれ。でもさ、最後の通し練習、みんなの動きがバシッと合った瞬間……鳥肌立っちゃった。リンちゃん、あそこのソロパート、めちゃくちゃカッコよかったよ!」
「ありがとう。でも、あそこはもっと指先の残像を意識しないと、阿久津先生の求めてるレベルには届かないわ。……でも、確かに手応えはあった」
リンは相変わらずストイックだが、その横顔にはどこか満足げな色が浮かんでいる。
俺——ミツキは、窓際の席で彼女たちのやり取りを眺めながら、ふんわりとした「ミツキ」の微笑みを絶やさずにいた。
「みんな、本当にかっこよかったよぉ。ミツキ、みんなの背中を見てて、なんだか誇らしくなっちゃった……」
「何言ってるのミツキちゃん! ミツキちゃんこそ、あの難しい腰のウェーブ、一番褒められてたじゃん!」
サキが身を乗り出して、俺の二の腕にすがりついてくる。
「先生に『その胸の重みすらリズムに変えろ』って言われた時、ミツキちゃん『はいっ、頑張りますぅ』って、あんなに激しく動いて……。私、見惚れちゃった。衣装がはち切れそうだったよね!」
「あはは……ちょっと、恥ずかしかったけどぉ。でも、新衣装があのデザイン(旧ボツ案)じゃなくなって、本当によかったねぇ」
俺がそう振ると、カナが大きく頷いた。
「本当だよ! あのマネージャーが持ってきたやつ、あれは流石にやりすぎでしょ。今の清楚で豪華な巫女服の方が、絶対私たちに合ってる。なんか、局の偉い人が『micoron.sは宝物だ』って言って変えてくれたんでしょ? 嬉しいよね、見ててくれる人がいるんだって」
「ええ。私たちの価値を正しく理解してくれる人がいたのは、幸運だったわね」
リンがふと、俺の方をじっと見つめた。その眼差しは、昨夜の俺の不在や、その後に起きた「奇跡的な方針転換」の因果関係を、無意識に探っているようにも見えた。
「ねえねえ、本番終わったらさ、みんなで打ち上げしようよ! 焼肉! 食べ放題!」
「サキ、あんたはそればっかり。でも……そうね、たまにはいいかも。ミツキも、お肉いっぱい食べるでしょ?」
「うんっ、ミツキ、いっぱい食べるよぉ! ビール……じゃなくて、メロンソーダで乾杯したいなぁ」
(危ねぇ、反射的に『ビール』って言いそうになった。35歳のおっさんが顔を出しかけたぞ)
「メロンソーダ! 可愛い! ミツキちゃんが飲むと、それだけでCMみたいになりそう!」
カナが笑い、車内に和やかな空気が広がる。
少女たちの会話は、夢と希望、そして少しの食欲に彩られている。
彼女たちは、このステージがどれほどドロドロとした大人たちの欲望と、一人の男の「献身」によって守られたものかを知らない。
(それでいいんだ。お前たちは、ただ真っ直ぐに、あのステージの光だけを見ていればいい)
俺は、窓に映る「ミツキ」の美しすぎる横顔を指先でなぞった。
皮の内部は、依然として汗と疲労でドロドロだったが、彼女たちの無邪気な笑い声を聞いていると、不思議と悪くない気分だった。
「本番、絶対成功させようね。私たちが、今のアイドル界のトップだって、証明してやろうよ!」
カナが力強く拳を握り、サキがそれに手を重ねる。リンも静かに、だが熱い眼差しで頷いた。
俺もその上に、白くしなやかな「ミツキ」の手を重ねる。
「うん。ミツキも、精一杯、みんなと一緒に頑張るねぇ」
ワゴン車は首都高速へと入り、東京の不夜城の明かりが車内を流れていく。
一週間後の本番。
その先にある完済の日。
俺は少女たちの夢を乗せたこの車の中で、静かに、しかし激しく燃える「覚悟」を胸に秘めていた。

c1f992a2 No.3450

深夜の静まり返った寮の自室。
熱海合宿の汗と、あの男から受けた屈辱的な汚れを洗い流そうと、俺は浴室でシャワーを浴びていた。
「……っ!?」
ミツキのしなやかな太ももを撫で洗っていた指先が、奇妙な違和感を捉えた。
右脚の付け根付近、シリコンの肌がわずかに波打ち、触れると「粘り」のような嫌な感触がある。
鏡に映るその箇所を凝視し、俺は凍りついた。
完璧であるはずの「皮」の表面に、目には見えないほど微細な亀裂が走り、そこから内部の維持液がわずかに滲み出している。
合宿中の激しすぎるダンスの負荷、そして温泉の熱と化学成分が、想像以上にこの精密機械を蝕んでいたのだ。
「嘘だろ……。今、これがおかしくなったら……っ!」
震える手でマネージャーに緊急連絡を入れる。30分後、部屋に現れたのは、苦虫を噛み潰したような顔のマネージャーと、一人の女性――この皮の生みの親である技術開発者の東堂だった。
「脱ぎなさい。状態を確認するわ」
東堂の冷徹な声に従い、俺は浴室で「ミツキ」を脱ぎ捨てた。
ハンガーに吊るされた、主を失った美少女の抜け殻。
その右脚の付け根と胸元を、東堂はルーペを使って執拗に観察し、やがて深く溜息をついた。
「重度の構造疲労ね。特に、胸部と股関節周りのセンサー回路が、物理的な過負荷でショートしかけている。……メンテナンスが必要よ。ラボに持ち帰って、分子レベルで再結合させる必要があるわ。期間は最短で2週間」
「2週間!? 冗談じゃない!」
マネージャーが声を荒らげる。
「来週はあの歌番組の本番なんだぞ! micoron.sの運命がかかってるんだ。穴を開けるわけにはいかない!」
「無理を言わないで。このまま使い続ければ、ステージの最中にミツキの肌がボロボロと剥がれ落ち、中から35歳のおっさんが露出する。……そんなホラーショーを全国放送したいの?」
東堂の毒のある言葉に、部屋は静まり返った。
俺はタオル一枚を腰に巻いた石黒の姿で、ただ立ち尽くす。
「……応急処置は、できないんですか」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、切実だった。
東堂は俺を値踏みするように見つめ、不敵な笑みを浮かべた。
「報酬次第ね。今からラボに持ち込んで、30時間ぶっ通しで高出力のナノリペアを施せば、一ヶ月程度は持たせることができる。本番とその後の活動期間は稼げるでしょう。……ただし」
彼女は長い指を一本立てた。
「特注の補修材料と、ラボの緊急ラインを占有するコスト。1億円よ。もちろん、これはあくまで延命処置。一ヶ月後には、改めて本格的なフルメンテナンスが必要になるわ」
「1億……っ!」
マネージャーが絶句する。
借金完済を目指す俺にとって、この追加の負債は致命的だった。
だが、ここで「ミツキ」を失えば、積み上げてきたすべてが灰になる。
「……やってください」
俺はマネージャーの視線を遮り、東堂を真っ直ぐに見据えた。
「1億でも、2億でも。……本番のステージで、俺が完璧なミツキでいられるなら」
「いい覚悟ね、石黒さん。あなたのその『狂気』、嫌いじゃないわ」
東堂は手際よく皮をケースに収めると、嵐のように部屋を去っていった。
30時間。その間、俺は「ミツキ」になれない。3人の仲間たちには「体調不良で別室待機」と嘘をつき通すしかない。
窓の外、夜明け前の空を見つめながら、俺は己の肉体を抱きしめた。
皮一枚の奇跡。
その美しさを維持するための代償は、どこまでも残酷で、際限なく膨れ上がっていく。
それでも俺は、その1億円の「延命」にすべてを賭けるしかなかった。

c1f992a2 No.3451

深夜の寮の裏口。街灯の届かない影の中で、俺は数ヶ月ぶりに「自分」に戻っていた。
着慣れたはずのネイビーのパーカーと、膝のあたりが少し色褪せたチノパン。
深く被ったキャップと黒いマスクで顔を覆うと、鏡に映る俺はどこにでもいる「疲れた35歳の男」でしかなかった。
数分前まで、ファンを熱狂させる「聖女ミツキ」の素体としてシリコンの肌に包まれていたことが、悪い夢のように思えてくる。
「行くぞ。車は向こうだ」
マネージャーの低い声に促され、東堂が抱える重厚なアルミケース——俺の「命」であるミツキの皮——と共に、用意されたワゴン車に滑り込む。
後部座席で東堂が「30時間後には完璧に戻してあげるわ。それまで大人しくしてなさい」と皮肉っぽく笑い、ラボへと向かう車から降りていった。
マネージャーと二人きりになった車内。
彼は無言で財布から一万円札を二枚抜き出し、俺に突き出した。
「これ、当面の現金だ。ホテル代は会社名義で決済してある」
「……悪いな」
「礼には及ばん。ただし、忠告しておくぞ。お前は今、ミツキじゃない。ただの石黒だ。ホテルから出るなとは言わんし、その変装なら記者に嗅ぎつけられることもあるまいが、派手な行動は慎め。もしお前という存在が世間に露見すれば、一億円のリペア代も、micoron.sの未来も、すべてが泡と消える。……わかったな?」
「わかってるよ。寝てりゃいいんだろ」
俺がぶっきらぼうに答えると、マネージャーは都心の喧騒から少し離れた高層ホテルのエントランスで俺を降ろした。
見上げると、そのホテルは明らかに高級なグレードだった。
あの守銭奴のマネージャーのことだ、場末のビジネスホテルにでも放り込まれると思っていた俺は、その予想外の配慮に少しだけ鼻の奥を突かれた。
「一時間後にはチェックインを確認する。……休めよ、石黒」
マネージャーが去った後、俺は吸い寄せられるように近くのコンビニへ向かった。

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自動ドアが開いた瞬間、店内の明るさと冷房の風が、麻痺していた俺の「男」としての感覚を呼び覚ます。カゴを手に取り、真っ先に向かったのは酒のコーナーだ。
ミツキの時は、常に体型維持と「イメージ」のためにメロンソーダやハーブティーを喉に流していた。
だが今は違う。
俺は迷わず、一番高いプレミアムビールの500ml缶を3本、棚から掴み取った。
「発泡酒じゃねぇ……今日はビールだ」
さらに、乾き物のイカ、塩気の強いポテトチップスをカゴに放り込む。
そして、雑誌ラックの前で足が止まった。
無意識に手が伸びたのは、石黒だった頃に毎週買っていた、下世話なスクープ記事が売りの週刊誌だ。
「……っ」
表紙を飾っていたのは、他でもない。
今、東堂のラボでバラバラに分解されているはずの俺自身だった。
【独占スクープ! 人気急上昇 micoron.s 特集&ミツキ「癒やしの聖女」最新グラビア】
レジで会計を済ませ、逃げるようにホテルへと向かった。
チェックインを済ませ、カードキーで開けた部屋は、広々としたキングサイズベッドが鎮座する豪華なスイートルームだった。
あのマネージャー、最後に少しは色を付けたのか、あるいは「micoron.sのセンター」を預かる俺への、彼なりの敬意だったのか。
パーカーを脱ぎ捨て、俺はバルコニーから夜景を見下ろした。
東京の不夜城の明かりが、宝石のように散らばっている。
あのどこかに、カナやサキ、リンがいて、俺の「体調不良」を心配しているのだろう。
「乾杯だな」
プルタブを引き抜く。プシュッという小気味いい音が、静かな部屋に響いた。
冷えたビールを喉に流し込む。
苦味と炭酸の刺激が、皮のセンサー越しではない、俺自身の肉体にダイレクトに突き刺さる。
「……うめぇ」
思わず声が漏れた。
椅子に深く腰掛け、買ってきた週刊誌を開く。
そこには、湘南の海で、清楚なワンピースを纏い、はにかみながら髪を耳にかける「ミツキ」がいた。
「癒やしの聖女」「守ってあげたい圧倒的ヒロイン」……。
並べられた美辞麗句を読みながら、俺はビールの2缶目を開けた。
鏡に映っているのは、無精髭が少し浮き、髪はボサボサ、片手にイカの燻製を持った、借金まみれの35歳のおっさんだ。
この男が、紙面の中で微笑む美少女の「正体」だなんて、この夜景の中にいる誰が信じるだろうか。
一億円の修理代。来週の本番。そして、仲間の笑顔。
俺はビールで意識を濁らせながら、束の間の「石黒」としての時間を、貪るように消費していった。

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カーテンの隙間から差し込む暴力的なまでの陽光が、ホテルの高級な絨毯を白く焼き付けていた。
重い瞼を持ち上げると、視界に入ったのは飲み干したプレミアムビールの空き缶と、床に放り出された週刊誌だ。
「今、何時だ……?」
枕元の時計は午前11時を回っていた。
ミツキとして活動している時は、分刻みのスケジュールと過酷なレッスンで、こんな時間まで泥のように眠ることなど許されない。
寝返りを打つと、パーカーのフードが首に絡まり、35歳の男特有の気怠い疲労が全身を包み込んでいる。
(腹が、減ったな)
喉の奥からせり上がってくるのは、ミツキが好むようなハーブティーや新鮮なサラダへの欲求ではない。
もっと、暴力的で、背徳的で、内臓に直接突き刺さるような脂と塩分への渇望。
「二郎系……食いてぇな」
俺はよろよろと立ち上がり、無精髭の浮いた顔を洗面所の鏡に映した。
数時間前まで「聖女」だった面影は微塵もない。
俺は再びキャップを深く被り、黒のマスクを装着した。
ホテルを出て、繁華街の裏路地にある、黄色い看板が目印のラーメン店へと向かう。
街を歩きながら、ふとした瞬間に内股になったり、首を少し傾けたりする「ミツキの仕草」が出そうになるのを、俺は必死に封じ込めた。
「いけねぇ。今は石黒だ。背中を丸めて、ガニ股で歩け」
鏡のようなショーウィンドウに映る自分の姿を調整する。
本末転倒だ。
ミツキを演じるための休息なのに、ミツキを消すために神経を削っている。
だが、店に到着して列に並ぶと、その懸念は杞憂だと知った。
並んでいるのは、汗をかいた作業着姿の男たちや、スマートフォンを弄る学生ばかり。
誰も、隣に並ぶ薄汚れたパーカーの男が、数日後に全国放送のゴールデンタイムでセンターを張る絶世の美少女だなんて、これっぽっちも疑っていない。
「あー、並ぶねぇ。でも、今日は絶対、マシマシで食ってやる」
俺の前に並んでいる、大学生らしき三人組の会話が耳に飛び込んできた。
「なぁ、来週の『ゴールデン・ミュージック・ショー』、お前ら録画予約した?」
「当たり前だろ! micoron.sのメドレー、7分だぞ? 7分! 今のアイドルでそんな枠もらえるの、あいつらだけだろ」
「マジでそれ。俺、カナ推しだけど、あの新曲のダンス、TikTokで流れてきたデモ動画でもうヤバかったもん。超キレキレ」
俺の背中で、石黒の心臓が少しだけ速く脈打つ。
「へぇ、楽しみにしてくれてんのかよ」と、心の中で呟く。
だが、会話は次第に、ファン特有の残酷で下世話な領域へと踏み込んでいった。

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「でもさ、最近のネットの噂見た? リンとサキ、実は同じマンションの別フロアに彼氏住んでるってマジかな」
「あー、例の裏アカ流出の噂だろ? リンの彼氏、実はIT系の若手社長だって話じゃん。あのストイックな感じ、実は夜は……みたいな妄想捗るわ」
「サキはサキで、元地下アイドルの男と繋がってるとか言われてるしな。まぁ、あんな可愛い子たちが、全く男いないわけないだろ。運営が必死に隠してるだけでさ」
(全部ガセだ。バカ野郎)
俺は心の中で毒づいた。
リンがIT社長? 冗談じゃない。
あいつはレッスンが終わった後、深夜まで一人で動画をチェックして、指先の角度を修正するようなストイックの塊だ。
サキだって、休日はゲームをするか、俺(ミツキ)に「どのお菓子が美味しい?」ってメールしてくるような子供っぽい奴だ。
彼氏を作る暇なんて、今のあいつらには一分一秒もない。
「でもさぁ、ミツキだけはマジで謎だよな。浮いた噂が一切ないじゃん」
一人の男が、手に持っていた週刊誌を叩きながら言った。
「今回のグラビアも見たけど、あの透明感、絶対処女だろ。他のメンバーがどれだけスキャンダル出ても、ミツキだけは最後まで俺たちの『聖女』でいてくれる気がするんだよね。なんか、近寄りがたいっていうか、男の影を全く感じさせないんだよ」
「わかる。ミツキって、なんかこう……人間離れしてるっていうか。汚れを一切知らない、神棚に飾っておきたい感じ? もしミツキに男がいたら、俺、本気で日本中の男が絶望すると思うわ」
「だな。ミツキだけはガチ。あいつが汚れるところなんて、想像もしたくないし、想像できないよ。あの司会者との噂だって、どうせ枕営業とか言いたい奴らが適当に言ってるだけだろ?」
俺はマスクの下で、苦い笑いを噛み締めた。
汚れを一切知らない聖女、か。
今、お前らの真後ろにいるこの男が、昨夜その「聖女」の皮を脱ぎ、1億円の修理代に頭を抱え、下卑た大物司会者の欲望を口で受け止めていた張本人だ。
お前らが「汚れるところを想像したくない」と願うその姿を、俺は毎晩、身を削りながら演じている。
「次の方、どうぞ」
店員の無愛想な声で列が動く。
俺は三人の横を通り抜け、カウンターに座った。
「ラーメン、全マシで」
自分の声が、低く、太く、ミツキのそれとは似ても似つかないことに、奇妙な安堵を覚える。
目の前に供された、山盛りのモヤシと分厚いチャーシュー、そして背脂が浮いた濁ったスープ。
俺は割り箸を割り、一心不乱に麺を啜り上げた。
ニンニクの強烈な刺激が脳を焼き、脂が食道を滑り落ちる。
「これだ……。これだよ」
口の中に広がる、およそアイドルとは無縁の暴力的な味。
俺は、背後の大学生たちがまだ熱心に語り合っている「理想のミツキ像」をBGMにしながら、自らの血肉となっていく脂と炭酸の快楽に身を委ねた。
一億円の負債、壊れかけた皮、仲間への偽り。
すべてを、この一杯のスープに溶かして飲み干してやる。
俺は再び、彼らが夢見る「汚れなき聖女」に戻らなければならないのだから。

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スープの底に沈んだ最後の一片の脂を飲み干すと、胃の奥が重く、しかし確かな「生」の感覚で満たされた。
ニンニクの強烈な残臭。
ミツキでいる間は絶対に許されない、生物としての野蛮な充足感だ。
店を出ると、昼下がりの熱気がマスク越しに肌を刺す。
先ほどの大学生たちの「聖女ミツキ」への幻想が、耳の奥でまだ熱を持っていた。
あいつらが崇めるあの微笑みも、あの透明感も、この一億円かかるシリコンの殻と、それを選んだ俺の「汚れた覚悟」の上に成り立っている。
(処女、か。あいつら、俺がこの手でどれだけ男の欲望を処理してるか知ったら、泡吹いて倒れるだろうな)
自嘲気味に鼻で笑い、俺は再び街を歩き出した。
ふと、駅ビルの巨大なデジタルサイネージに目が止まる。
そこには、飲料メーカーの広告として、ミツキ、カナ、サキ、リンの4人が爽やかに微笑んでいた。
「……あ」
俺は立ち止まった。
その広告の自分を見て、一瞬、自分の「正体」がわからなくなる感覚に陥った。
そこに映るミツキは、あまりにも完璧だった。隣で笑うカナたちの、本物の、無垢な輝きを微塵も損なわせることなく、それどころか彼女たちをより気高く見せるための「核」としてそこに存在している。
(俺は、こいつを守らなきゃいけないんだ。この、嘘っぱちの聖女をな)
ホテルへの帰り道、ドラッグストアに寄って強力な口臭消しと、身体の火照りを鎮める冷却シートを買い込む。
明日の昼過ぎには、マネージャーが迎えに来る。
東堂のラボで、俺の「もう一つの身体」が、一億円のナノリペアを経て蘇っているはずだ。
ホテルに戻り、シャワーでラーメンの匂いを落とす。
ベッドに大の字になると、昼間のニンニクのせいか、それともビールの残り香か、身体が妙に熱い。
俺は再び週刊誌を手に取った。
『ミツキ、浮いた噂ゼロの秘密に迫る! 徹底した自己管理と、仲間への無償の愛』
そんな見出しの横に、メンバー4人で焼肉を食べているオフショットが載っていた。
日付からして、熱海に行く数日前のものだ。
俺はあの日、肉を焼く係に徹していた。サキが「ミツキちゃんも食べて!」と口に運んでくれた肉の味。リンが「あなたはセンターなんだから、もっと栄養を摂りなさい」と、さりげなく俺の皿に野菜を盛ってくれたこと。
「あいつら、本当に……」
俺は腕で目を覆った。
彼女たちは、俺を「最高に綺麗で、頼れるお姉さん」だと信じている。
その純粋な信頼こそが、俺にとっての最大の報酬であり、同時に、一億円の負債よりも重い足枷だ。
もし、この皮が剥がれたら。
もし、この35歳のおっさんが、彼女たちの「夢」を汚したことがバレたら。
その時、あいつらはどんな顔をするだろう。
「考えるな。石黒。お前はただの、集金装置だ。あいつらの夢をガソリンにして、借金を焼き払うだけの機械だ」
自分に言い聞かせるように呟くが、喉の奥に熱いものが込み上げる。
俺は週刊誌を閉じ、サイドテーブルに置いた。
隣には、飲みかけのミネラルウォーター。
明日からは、再びこの透明な液体と、嘘にまみれた甘いメロンソーダだけを喉に通す日々が始まる。
深夜、窓の外を流れる車のライトを見つめながら、俺は深い眠りへと落ちていった。
夢の中では、俺は皮を脱いだまま、カナたちと一緒に本物の笑顔で歌っていた。
それが、絶対に叶わない残酷な幻想だと分かっていながら。
翌日、午前10時。
ホテルの部屋のドアを叩く、一定の、そして冷徹なリズム。
俺は再び、パーカーを深く被り、荷物をまとめた。
「準備はできているな?」
ドアの向こうから聞こえるマネージャーの声。
俺は鏡に向かって、最後の一瞥をくれた。
そこには、ただの石黒がいた。
「ああ。……行こう。一億円の『聖女』を迎えに」
俺は部屋を出た。
昨日食べた二郎系ラーメンの脂っこい後味は、もう、どこにも残っていなかった。

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都心から少し離れた工業地帯の一角。古びた印刷工場の地下にある、外部からはその存在すら察知できない極秘のラボラトリー。
マネージャーの車を降りた俺は、深く被った帽子の下で周囲を警戒しながら、重厚な気密扉をくぐった。
中は、奇妙なほど静まり返っていた。
いつもなら数人の白衣の補助員が慌ただしく動いているはずだが、今は稼働しているマシンの低い駆動音と、液体の流れる音だけが響いている。
「……誰もいないのか?」
俺の問いに答えるように、ラボの奥から足音が聞こえてきた。
現れた東堂は、幽霊のような凄惨な顔をしていた。
白衣は皺だらけで、その瞳の周りには、まるで見開いたまま固定されたかのような、どす黒い隈が張り付いている。
「人払いも兼ねて、不眠不休で作業してたからね。邪魔な連中はさっき全員帰らせた。……私も、この処置が終わったら、死んだように寝るつもり」
彼女は充血した目で俺を一瞥すると、顎で部屋の中央を指した。
そこには、巨大な円筒形の強化ガラス槽が鎮座していた。
中には青白く発光する特殊なナノリペア液が満たされ、その中央で、俺の「もう一つの身体」が、無数の極細ケーブルに繋がれた状態でゆらゆらと漂っていた。
「……ミツキ」
思わず声が漏れた。
主を失ったその抜け殻は、液体の中で優雅に手足を伸ばし、まるで深い眠りについた女神のような神々しさを放っている。
一億円。
その対価を注ぎ込まれた結果、表面の傷や微細な亀裂は完全に消失し、肌は陶器よりも滑らかに、瑞々しく再生されていた。
「これで当分は大丈夫。回路のバイパスも強化したし、表面の耐摩耗性も三倍に上げた。一ヶ月は、どんなに激しいダンスを踊っても剥がれやしないわ」
東堂がタブレットを操作すると、ガラス槽内の液体がゆっくりと排出され始めた。
ミツキの肌が空気に触れ、しっとりと濡れた輝きを放つ。
俺は、その再生された姿をまじまじと見つめた。だが、何かが違う。
「おい。見た目は変わらないように見えたが……これ、少し違和感があるぞ」
「あら、何のこと?」
東堂はわざとらしく小首を傾げたが、その口元には、狂気的な技術者特有の愉悦が滲んでいた。
俺は一歩近づき、ミツキの腰の曲線と、溢れんばかりの胸部のボリュームを凝視した。
「胸と尻、大きくなってないか? それに、ウエストも以前より一段と細くなってる。全体的なシルエットが、より……扇情的になってるぞ」

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俺の指摘に、東堂は待ってましたと言わんばかりに、枯れた声で笑った。
「ふふ……よく気づいたね。石黒さん、あなたは自分の身体(ミツキ)をよく見てる。そうよ、構造リペアのついでに、骨格フレームと筋肉層の密度を再構築したわ。ウエストをマイナス3センチ絞り、その分の質量を胸部と臀部に……そうね、以前の1.2倍ほど上乗せして再分配した」
「勝手なことを! これじゃ、衣装のサイズが変わるし、何より不自然だろうが!」
「不自然? いいえ、これが『今のファン』が求めているミツキの進化系よ。来週の特番、大物司会者のお気に入り……。彼のような男は、常に刺激を求めている。昨日と同じ美しさじゃ、飽きられるのよ。それに、今のmicoron.sの勢いなら、『過酷な合宿で身体が絞られ、女性らしく成長した』っていうストーリーで、ファンは喜んで納得するわ」
東堂はふらつきながら俺に歩み寄り、冷たい指先でガラス越しのミツキの頬をなぞった。
「難易度の上がった新しいダンス……あれを完璧に、そして最高にエロティックに見せるには、この黄金比が不可欠なの。一億円の報酬に、私のささやかな『ファンサービス』を上乗せしてあげたのよ。感謝してほしいくらいね」
「狂ってるな、あんたも。この姿で踊る俺の身にもなってくれ」
「いいじゃない。あなたは最高に美しい、人類の夢を形にした『化け物』なんだから。……さあ、液体の排出が終わるわ。石黒さん、あなたの『自分』に戻る時間よ。私は……もう限界。この部屋の鍵は閉めておくから、装着が終わったら勝手に出ていきなさい……」
東堂はそう言い残すと、崩れ落ちるようにラボの隅にある簡易ベッドへ潜り込んだ。
静まり返ったラボで、俺は一人、開かれたガラス槽の前に立つ。
再生され、より美しく、より毒々しく進化した「聖女」の皮。
俺はゆっくりとその滑らかな肌に手を触れた。
一億円の重みと、技術者の歪んだ欲望。
それらすべてを再び身に纏い、俺は35歳の男を捨てて、再び偽りの光の中へと戻っていく。
この新しい、より「女」としての厚みを増した身体で、全国放送という名の断頭台へ上がるために。

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静寂に包まれたラボの中で、排出されたリペア液が排水溝へと吸い込まれる不気味な音だけが響いている。
俺は、まるで深海から引き揚げられた女神のような輝きを放つ「ミツキ」の前に立ち、覚悟を決めてその肌へと指を沈めた。
この皮の原理は、俺という人間に備わった現代科学の常識を遙か後方に置き去りにしている。
単に表面を覆うスーツではない。
指先を入れ、内側に身体を滑り込ませた瞬間、ナノ単位の超微細なマニピュレーターが俺の筋肉組織に噛み合い、カルシウムの構造さえも一時的に組み替えていく。
石黒としての無骨な骨盤は内側に窄まり、代わりに女性特有の緩やかな曲線へと再構築される。
喉仏は沈み、肋骨のケージは小さく、しなやかに。
装着を終えたとき、そこには35歳の男の面影など微塵もない、完璧な「生物学的女性」としてのミツキが完成していた。
「くっ、あ……」
骨格が書き換えられる鈍い衝撃が収まると、俺はラボの隅に置かれていた、マネージャーからの「支給品」が入ったバッグを手に取った。
中を確認し、俺は奥歯を噛み締める。
「あの野郎、やっぱり知ってやがったな」
用意されていたのは、明らかに以前のサイズより一回り、いや二回り大きな白のレース生地の下着だった。
東堂が施した「ファンサービス」という名の大幅な肉体改造。
胸と尻のサイズアップを、マネージャーは事前に把握し、あらかじめこのサイズのランジェリーを特注していたのだ。
俺は鏡も見ずに、慣れた手つきで新しいブラジャーを手に取った。
リペアされたばかりの、吸い付くような弾力を持つ乳房。
それを、繊細なレースが施されたカップの中に収めていく。
以前より明らかに重みを増した双丘が、掌にずっしりと沈み込む。
フロントホックをパチンと留めると、寄せて上げられた肉が中央で深い谷間を作り、薄いレースを内側から猛烈に押し広げた。
「ぴったりじゃねぇか。趣味の悪い狸オヤジが」
憎まれ口を叩きながらも、俺は次に用意された白のオフショルワンピースに袖を通した。
生地は上質なコットンで、肩のラインが大きく露出するデザインだ。
細くなったウエストを強調するようにリボンが絞られ、そこから下は、東堂が「増量」したという豊かなヒップラインをなぞるようにタイトに設計されている。
鏡の前に立つ。
そこには、清純さと、隠しきれない色香が同居する「進化したミツキ」がいた。
脚には、光沢を抑えた黒のストッキングを滑らせる。
細く引き締まった足首から、逞しくも柔らかな曲線を描く太もも。仕上げに、上品なピンクのヒールに足を滑り込ませた。
カチリ、と硬質な音がラボの床に響く。
数センチ高くなった視界。
一億円のメンテナンスを経て、文字通り「一皮剥けた」聖女。
俺は、眠り続ける東堂に背を向け、ラボの出口へと歩き出した。
この身体はもう、俺だけのものではない。一億円の負債、マネージャーの野心、技術者の狂気、そして仲間の夢。そのすべてを、この新しく、より扇情的になった肉体に詰め込んで、俺はふたたび「ミツキ」として世界を騙し続ける。
「さて。お披露目といこうか」
変声機を通した、甘く、冷たいラボの中に溶けていった。
ドアの外には、すべてを承知の上で俺を待っている、あの食えないマネージャーの車が停まっているはずだ。

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ラボの外、曇天の空の下に停まった黒塗りのワゴンの前で、マネージャーは手持ち無沙汰にライターを弄んでいた。
俺がピンクのヒールを鳴らして近づくと、彼はタバコをポケットにねじ込み、まるで新車を納品されたディーラーのような、品定めするような視線を向けてきた。
「随分と時間がかかったな、ミツキ。だが、待った甲斐はあった。東堂の仕事は完璧だ」
その厚顔無恥な態度に、俺は「ミツキ」の可憐な外見を維持しながらも、声音に隠しきれない棘を込めて言い放った。
「完璧すぎて、サイズが合わない服が出てきそうですぅ。ねぇ、マネージャー。あの下着のサイズ、どうして着替える前にあんなにぴったりだって分かったんですかぁ? もしかして、私の知らないところで東堂さんと密談でもしてたんですかぁ……?」
俺の執拗な嫌味に、マネージャーは眉ひとつ動かさず、車のドアを開けながら鼻で笑った。
「何のことだか分からんな。サイズについては、日頃の君の活動と成長速度を計算して、プロとして先読みしただけだ。無駄な脂肪を削ぎ落とし、必要な場所に栄養を回す……君のプロフェッショナリズムが、肉体的な美しさを引き出した結果だろう。喜ぶべきことじゃないか」
「プロフェッショナリズム……。一億円の修理代と、ウエストを削って胸に盛る改造がセットなんて、聞いてませんよぉ。それにこのオフショルのワンピ……。狙いすぎてて、まるでどこかの大物司会者に『どうぞ召し上がれ』って言ってるみたいじゃないですかぁ。下品ですよぉ、マネージャー」
俺は車内に滑り込み、隣に座ったマネージャーをじろりと睨みつける。
だが、彼はのらりくらりと視線をかわし、タブレットでスケジュールの確認を始めた。
「下品? 心外だな。それは『洗練された魅力』と言うんだ。ミツキ、君は今やこの事務所の稼ぎ頭だ。最高級の宝石には、それに相応しい台座とカットが必要なだけだ。それに……。君自身、この『性能』の向上には満足しているんだろう? さっきの歩き方、以前よりずっと重心が安定して、しなやかだったぞ」
「性能だなんて……私は機械じゃないんですよぉ。これじゃあ、次にみんなと会った時、なんて説明すればいいんですかぁ? 『熱海でたくさんお魚を食べたら、急に胸が大きくなりましたぁ』って、そんなバカな言い訳、リンちゃんが信じるわけないでしょう?」
俺が畳み掛けるように嫌味をぶつけても、彼は「いいじゃないか、それ。成長期、あるいは集中レッスンの成果。ファンは奇跡を信じたがっているものだ」と、まるで他人事のように受け流す。
「……本当に、性格悪いですよねぇ、あなた」
「最高の褒め言葉として受け取っておこう。さあ、次は事務所に戻って、新しいダンスの最終チェックだ。一億円の価値があるところを、スタッフ全員に見せつけてやれ」
マネージャーの冷徹な、それでいてどこか愉悦を含んだ横顔。
俺は深いため息をつき、柔らかなシートに身を預けた。
嫌味の一つや二つでは、この男の鋼鉄の図太さは削り取れない。
ならば、この新しく、より扇情的になった「武器」を使って、本番のステージで誰よりも高く飛び、彼が夢見る以上の数字を叩き出してやる。
それが、この皮の中で悶える35歳の男が、この状況に対して唯一取れる、最も強烈な意趣返しだった。

a2c7ff32 No.3471

ワンボックスカーの後部座席は、防音仕様の仕切りによって運転席から完全に隔離された密室となっていた。
外の景色が猛スピードで流れていく中、俺は「ミツキ」として、背筋を伸ばし、しなやかな指先で膝の上のワンピースを整えながら話し出した。
「ねえ、マネージャー……。例の『あの方』からは、何か連絡はあったんですかぁ? 熱海のあの日以来、呼び出しがあったらどうしようって、ミツキ、ずっと不安で……」
わざとらしく上目遣いで、湿り気を帯びた声を作る。
マネージャーはタブレットから目を離さず、鼻を鳴らした。
「今のところ、向こうからの具体的な招集はない。あの大物も新番組の改変期で多忙を極めているからな。だが、今回の演出変更や衣装の差し替え……これらすべてが彼の鶴の一声で動いた以上、いずれしかるべき形でお礼に伺う必要はあるだろうな。お前も分かっているはずだ、ミツキ」
「お礼、ですかぁ。やっぱり、またあの別荘みたいな場所に行かなきゃいけないのかなぁ……。あの方はとっても『情熱的』だから、ミツキ、体が持つか心配になっちゃいますぅ」
俺は震える肩を抱く仕草をしてみせる。
皮の内側の石黒は、その「情熱的」という言葉の裏にある、吐き気のするような生々しい記憶を必死に押し殺していた。
「今は余計な心配をするな」
マネージャーが冷徹な声で遮る。
「まずは、一週間後の特番だ。7分間のメドレー、そして大トリのバックダンサー。この二つを完璧に、文字通り『伝説』になるレベルで成功させることが先決だ。いいか、ミツキ。お前にとって、そして事務所にとって、あの方は『パトロン』だが、それ以上に冷酷な『投資家』でもあるんだ。商品価値がないと判断されれば、今後二度と相手にもしてもらえんし、俺たちの居場所もなくなる」
「商品価値、ですかぁ。冷たい言い方ですねぇ。でも、もしそのお礼の席で……また無茶なことを求められて、せっかく一億円かけて直したこの『身体』が壊れちゃったら、どうするんですかぁ? また東堂さんに泣きついて、借金を増やすなんて……そんなの、ミツキ、怖くて夜も眠れなくなっちゃいますぅ……っ」
俺は潤んだ瞳でマネージャーを凝視した。
これは演技であり、同時に石黒としての切実な懸念でもあった。
一億円の修理代は、俺の人生をあと何度売り飛ばせば返せるのか見当もつかない。
するとマネージャーは、ようやくタブレットを閉じ、初めて俺の顔を正面から捉えた。
その眼光は、獲物を狙うハゲタカのように鋭かった。
「壊れたらどうする、だと? 決まっているだろう。それ以上の『大型案件』を、お前自身がもぎ取ってくればいいだけの話だ。CM、映画の主演、あるいは冠番組……。あの方を満足させ、視聴者を熱狂させれば、一億円程度の修理代などはしたがねに見えるほどの金が動く。壊れることを恐れるな、ミツキ。壊れるほどに使われて、なお輝きを増すのがトップアイドルの宿命だ」
「壊れるほどに使われて、ですかぁ。マネージャーって、本当に酷い人。でも、ミツキが頑張れば、みんな(カナたち)の未来ももっと明るくなるんですよねぇ……?」
「ああ。お前が『汚れ』を引き受け、最高のパフォーマンスを見せる限り、他の三人は泥を被らずに済む。お前がmicoron.sの絶対的な防波堤なんだよ」
マネージャーの言葉は、呪いのようであり、同時に唯一の救いのようにも聞こえた。
俺は窓の外に目を向けた。
ガラスに映る「ミツキ」の美しさは、リペアを経てさらに現実離れしたものになっている。
「分かりましたぁ。ミツキ、精一杯、あの方を……そして世界中を虜にしてみせますぅ。その代わり、ミツキが壊れそうになったら、ちゃんと支えてくださいねぇ……?」
「善処しよう。さあ、間もなく事務所だ。お前のその『進化した身体』で、スタッフ共の度肝を抜いてこい」
車は都心の喧騒の中、事務所の地下駐車場へと吸い込まれていった。
35歳の男、石黒の心は冷たく凪いでいた。
これから始まるのは、一億円の命を削りながら踊る、嘘と欲望のダンスだ。
俺はシートから立ち上がり、ピンクのヒールの重心を確かめる。
準備は、もうできている。

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地下駐車場の重苦しい静寂の中、エンジンのアイドリング音だけが微かに響く。
俺はシートに深く腰掛けたまま、新しくなった太もものラインを指先でなぞり、ふと思い出したように問いかけた。
「ねえ、マネージャー。ミツキが『体調不良』で休んでる間、みんなにはなんて説明してたんですかぁ? それに、みんな、どんな反応だったのか……詳しく教えてほしいなぁ。ミツキ、心配で……」
マネージャーは手元の書類をまとめながら、鼻の先で笑った。
「説明なら、お前のイメージを損なわない程度にやっておいたよ。『熱海での極限状態のレッスンによる脱水症状と、それに伴う重度の貧血』だ。医師の診断で完全休養が必要だと伝えたら、あいつら、自分たちのせいだって顔をしてたぞ」
「みんな、責任感じちゃったんですかぁ?」
「特にな、カナだ。あいつはリーダー気質が裏目に出た。『私がもっとミツキちゃんの変化に気づいて、休憩を促すべきだった』って、半泣きで自分を責めてたよ。しまいには『ミツキちゃんが戻ってくるまで、私たちが三倍練習して、彼女の負担を減らせるようにレベルを上げる』なんて言い出して、昨日は深夜までスタジオの明かりが消えなかったらしい」
俺は胸の奥がチクリと痛むのを感じた。カナの真っ直ぐな情熱が、俺の嘘を鋭く突き刺してくる。
「サキはサキで、お前の部屋の前に毎日『お守り』と称した怪しいグミの詰め合わせを置いていくしな。マネージャー、これミツキちゃんに渡して!って、目を真っ赤にして食い下がってきて弱ったよ。あいつにとって、お前はただのメンバー以上の……なんだろうな、絶対的な保護者か何かなんだろう」
「ふふ、サキちゃんらしいなぁ……」
「……一番厄介だったのはリンだ」
マネージャーの口調が少しだけ重くなった。
「あいつは鋭い。『貧血で丸二日も完全に音信不通になるのは不自然だ』って、何度も俺に詰め寄ってきた。事務所の対応が隠蔽体質だって食ってかかってな。挙句の果てには『ミツキが壊れるようなスケジュールを組んだのは誰よ』って、俺を睨み殺さんばかりの勢いだった。……まあ、お前への依存度が一番高いのは、案外あいつかもしれないな。お前がいないスタジオで、あいつは一度も鏡を見なかったよ。自分の踊りを確認する気が起きないんだそうだ」
三人のリアクションを聞きながら、俺は「ミツキ」の潤んだ瞳を維持するのに必死だった。
一億円かけて直したこの皮の下で、石黒という一人の男が、彼女たちの純粋な想いに押し潰されそうになっていた。

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「みんな、本当に優しいなぁ。ミツキ、早く会って、大丈夫だよって抱きしめてあげたい……」
俺がしなやかな手で目元を拭う仕草をすると、マネージャーが不意に、上着のポケットから小さなプラスチックの容器を取り出し、俺の前に放り投げた。
「綺麗事はこのくらいにしておけ。それより、お前。さっきから『ミツキ』のツラをして喋ってるが、吐く息が猛烈にニンニク臭いぞ。ラーメンか、焼き肉かなにかの後遺症か。そのままじゃ、会った瞬間にリンに正体を見破られるぞ」
「あっ。……バレちゃいましたぁ?」
俺は咄嗟に口元を抑えた。
石黒としての食欲が、聖女の香りを台無しにしていた。
マネージャーが投げたのは、強力なレモン味のブレスケアだった。
「これでも飲んで、少しは『花の精』らしく振る舞え。じゃあ、俺は先に行く。十分後、着替えを済ませた体でスタジオに来い」
「はーい。ありがとうございますぅ」
俺は容器の蓋を親指で弾き飛ばした。
中には、黄色い粒がぎっしりと詰まっている。
本来なら数粒ずつ飲むべきものだが、俺はそれを一気に、ガラガラと口の中にすべて流し込んだ。
「……っ!」
口内を埋め尽くす大量の粒。俺はそれを、ミツキの可憐な顎に力を込め、ガリガリ、ボリボリと一気に噛み砕いた。
強烈な、殺人的なまでの酸味とメントールの刺激が鼻腔を突き抜け、涙が溢れそうになる。
ニンニクの脂ぎった臭いを、化学的なレモンの香りが力技で塗りつぶしていく。
「んぐっ、ぷはぁ……。……ミツキ、レモン味、大好きなんですぅ……」
俺は、舌に残る痺れるような刺激を楽しみながら、バックミラーに映る自分の顔を整えた。
胸は膨らみ、尻は突き出し、呼吸はレモンの香り。
35歳のニンニク臭いおっさんは、今、完全に死んだ。
俺はピンクのヒールをコツン、と鳴らし、戦場へと向かうために車のドアを開けた。

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地下駐車場の冷たい空気から逃れるように、俺はエレベーターに乗り込んだ。
胸元が大きく開いたオフショルのワンピース、そして歩くたびに微かに香る人工的なレモンの匂い。
鏡張りのエレベーターの中で、俺は「ミツキ」としての重心を再確認する。
ウエストが細くなった分、以前よりも下半身の動きがダイレクトに上半身へ伝わる。
スタジオの重い防音扉の前に立つ。
中からは、激しいビートと、三人の荒い呼吸、そして床を叩くスニーカーの音が漏れ聞こえていた。俺は一度、深く息を吸い、石黒としての意識を脳の最深部へと沈めた。
扉を、ゆっくりと開く。
「……ただいま」
音楽が止まったわけではなかった。
だが、その声が響いた瞬間、三人の動きは糸が切れた操り人形のように止まった。
鏡越しに、そして振り返った彼女たちの瞳に、俺の姿が映り込む。
「ミツキちゃん……?」
最初に声を上げたのはサキだった。
彼女は手に持っていたタオルを床に落とし、信じられないものを見るような目で俺を凝視した。
その瞳には、瞬く間に大粒の涙が溜まっていく。
「ミツキちゃん! 本当にミツキちゃんなんだよね!? 具合、もういいの? どこも痛くないの?」
サキは全力で駆け寄り、俺の腰に抱きついた。
その衝撃を受け止めた瞬間、リペアされたばかりの豊かなヒップがわずかに揺れる。
以前よりも柔らかく、そして存在感を増した俺の「身体」に、サキは顔を埋めて泣きじゃくった。
「よかった……。もう二度と会えないかと思ったんだからぁ!」
カナは、その場にへたり込むようにして座り込んだ。
強がっていたリーダーの仮面が剥がれ、安堵で肩を震わせている。
「バカ。心配させすぎだよ、ミツキちゃん。私、自分のことばっかりで、ミツキちゃんがそんなに限界だったなんて気づけなくて……。本当に、リーダー失格だって……」
そしてリン。
彼女は一人、離れた場所で立ち尽くしていた。その鋭い眼光は、俺の全身を、隅から隅まで射抜くように見つめている。
一億円のリペアを経て、より扇情的に、より完成された美しさを得た俺の輪郭。
彼女は何かを言いかけ、唇を噛み締め、やがて視線を床に落とした。
「顔色が、良すぎるくらいね。……死ぬほど心配したんだから。次は、勝手に消えたりしないで」
三人の溢れ出すような情熱、後悔、そして歪なまでの依存。
俺は彼女たち一人ひとりの顔を見つめ、最後に、自分でも驚くほど静かで、重みのある声を絞り出した。
「……ごめんなさい」
その五文字は、スタジオの空気を一変させた。

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マネージャーは、壁際で腕を組みながら、その言葉を「商品としての謝罪」と受け取った。
一億円もの負債を負わせ、スケジュールを狂わせた「欠陥品」が、ようやく自覚を持って頭を下げたのだと。
彼は冷徹な笑みを浮かべ、これでようやくビジネスが再開できると確信していた。
カナにとって、その言葉は「弱さを見せられなかったことへの謝罪」だった。
一人で抱え込み、倒れるまで頑張りすぎてしまった親友からの、精一杯のSOSだと。
彼女は俺の手を握り、「謝らないで、私たちがもっと支えるから」と、より一層その絆を深める決意を固めた。
サキにとって、それは「心配をかけたことへの、優しいお姉ちゃんの言葉」だった。
寂しい思いをさせてごめんね、といういつもの慈愛。
彼女は「もういいよ、戻ってきてくれただけでいいの!」と、子供のように顔を輝かせた。
だが、リンだけは違った。
彼女は、俺の「ごめんなさい」の響きに含まれた、到底アイドルとは思えない、どこか枯れた男のような、あるいは深い罪悪感に苛まれた者のような「澱(おり)」を感じ取っていた。彼女にとってその言葉は、「何か、取り返しのつかない嘘を隠していることへの、断罪を待つ声」に聞こえていた。
そして、俺自身にとって。
(ごめんなさい。俺は、お前たちが信じている聖女じゃない)
(ごめんなさい。一億円の修理代のために、俺はまたあの男に抱かれるだろう)
(ごめんなさい。この美しい身体は、おっさんの借金を返すための、ただの作り物なんだ)
あらゆる嘘、あらゆる背徳、そして彼女たちの純真を裏切り続けている自分への、救いようのない絶望。
そのすべてが集約された「ごめんなさい」を、俺は微笑みの仮面の下に隠したまま、三人の温もりの中に身を沈めた。
レモンの香りが、涙の匂いと混ざり合う。
俺は、新しくなった胸の中にサキを抱き寄せながら、これから始まる地獄のような本番へのカウントダウンを、心の中で静かに始めた。

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静まり返った更衣室。
練習へと向かうメンバーの喧騒が遠ざかり、そこには空調の低い唸りだけが残っていた。
俺は、自分専用のロッカーの前で立ち止まり、鍵を開ける。
中には、数日前までの俺――石黒としての魂を封じ込めていた「ミツキ」の戦闘服が、整然と並んでいた。
清潔な柔軟剤の香りが漂う、白のスポーツブラとショーツ。その横には、脚のラインを完璧に拾い上げる黒のスパッツと、何気ないようでいて鎖骨のラインを美しく見せるように計算されたオーバーサイズの白いTシャツ。
俺は、マネージャーが用意したあのワンピースの背中のファスナーに手をかけた。
リペアされたばかりのシリコンの肌は、驚くほど滑らかで、指先が触れるたびに吸い付くような質感を返してくる。
ファスナーをゆっくりと下ろすと、白のオフショルが肩から滑り落ち、重力に従って床へと崩れ落ちた。
続いて、あの東堂が「盛り込んだ」という一億円の成果――以前よりも明らかに質量を増した双丘を締め付けていた、白のレースブラのホックを外す。
「はぁ……」
解放された胸が、瑞々しい弾力を持って跳ねる。
寄せて上げられていた肉が、本来の「進化した位置」へと落ち着こうとして、プルンと重厚に震えた。
次に黒のストッキングのウエスト部分を指にかけ、脚の付け根から爪先まで、ゆっくりと剥がしていく。
露わになったのは、東堂の執念が結晶化した、芸術的なまでにしなやかな太ももと、キュッと引き締まった足首。
そして最後に、食い込むように装着されていたレースのショーツを脱ぎ捨てる。
一瞬、俺は全裸のまま鏡の前に立った。
ウエストは骨を削ったかのように細く、そこから急激なカーブを描いて張り出した、ボリュームのあるヒップ。
胸の膨らみ、首筋の細さ、肌のキメ。
どこをどう見ても、一億の価値がある絶世の美少女がそこにいた。
35歳の石黒の意識は、この完璧な造形美を前に、しばし呼吸を忘れた。
俺は、ロッカーから練習用の下着を取り出した。
無機質な、しかし機能的な白のスポーツブラに胸を収める。
レースの時とは違い、肉を力強くホールドする感触。
次に、白のコットンショーツを穿く。
清潔な布地が、東堂が「増量」した豊かな臀部を包み込んでいく。
続いて、黒のスパッツに脚を通した。
伸縮性の高い素材が、肌に密着しながら腰まで引き上げられる。
仕上げに、白いTシャツを頭から被った。
着替えを終えた俺は、鏡の前で最終的な調整に入った。
ショーツの裾が少しだけずり上がり、スパッツの下で違和感を生んでいた。
俺は躊躇なく、黒いスパッツのウエスト部分から右手を滑り込ませた。
「……んっ」
自らの、しかし「ミツキ」の肉体である、驚くほど柔らかく、かつ引き締まった臀部に指が触れる。
スパッツの圧迫感の中で、ショーツの端を指先で摘まみ、正しい位置へと引き戻す。
手のひら全体で、盛り上がったヒップの形を整えるように撫で下ろした。
鏡の中の俺は、今まさに「アイドル」が更衣室で見せる、無防備で生々しい仕草を体現していた。
スパッツの薄い生地越しに浮き上がる、ショーツの縫い目――パンティーライン。
それは、清潔な練習着を纏いながらも、東堂が施した「エロティックな黄金比」を隠しきれていなかった。
丸みを帯びた尻の曲線が、スパッツを内側から猛烈に押し広げ、そこに走る一本のラインが、見る者の視線を否応なしに吸い寄せ、卑猥なまでの想像力を掻き立てる。
「完璧だな。東堂の野郎、本当に性格が悪い」
俺は自分の腰に手を当て、左右に軽く振った。
ウエストを絞ったことで、重心の移動が以前よりも鋭敏に、かつ扇情的に周囲へ伝わるようになっている。
俺は脳内の「ボディイメージ」を、この一億円の最新モデルへと完全に同期させた。
数秒前までの、石黒としての「男の休息」はここで完全に終わりだ。
俺は唇を指先でなぞり、そこに一筋の「聖女」の光を宿した。
更衣室の扉を開ける。
レモンの香りと、磨き上げられた一億の肉体。
俺は、三人の仲間と、そして世界中の欲望が待つスタジオへと、ピンクのヒールをスニーカーに履き替え、軽やかに踏み出した。

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スタジオへ戻る廊下を歩きながら、俺は自分の足裏に伝わる感覚の違いに驚愕していた。
スニーカーのクッションが地面を捉えるたび、以前とは比較にならないほどの軽快なレスポンスが返ってくる。
「何これ、嘘でしょ……?」
以前の「皮」は、あくまで精巧な外装に過ぎなかった。
いくら稼働範囲が広くても、中身は35歳の男。関節には慢性的な軋みがあり、長時間のダンスでは乳酸が溜まって、シリコンの中で筋肉が悲鳴を上げていた。
だが、今の俺は違う。
スタジオの壁に手をつき、軽いウォーミングアップで深く屈伸してみる。
かつて感じた、骨盤の重みや膝の奥の詰まり――あの「おっさんの身体」特有の停滞感が、完全に消失している。
(まるで、最初からこの身体で生まれたみたいだ……)
東堂が施した「構造フレームの再構築」は、見た目の美しさだけが目的ではなかった。
重心バランスが理想的な位置へと完全に補正され、ナノリペアされた筋肉層は、まるで高反発のバネのように躍動的なエネルギーを供給している。
スタジオの扉を開けると、そこでは三人が新しいダンスの振り付けを反復練習していた。
「ミツキちゃん! 戻ってきたんだね、もう大丈夫なの?」
カナが顔を上げ、心配そうに駆け寄ってくる。俺は自然な流れで、その場で軽くその場でステップを踏んで見せた。
「うん、なんだか前よりずっと体が軽くて……魔法みたいだよぉ!」
「……すごい」
リンが練習を止めて、俺の動きをじっと観察している。
「さっきまでより、ターン時の軸のぶれが皆無に近いわ。それに、そのキレ……。本当に貧血で倒れてた人?」
「あはは、自分でもびっくりしちゃった。……でも、今の私なら、どんな難しい振り付けも踊りきれそうな気がするよ!」
俺は強気な言葉を口にしながら、内心で深く感謝していた。
(ありがたや……本当に、ありがたやだ)
かつて、借金返済のために皮を被り、ステージでヘトヘトになっていた日々。
あの日々は、ただの労働だった。
だが今は、まるで身体そのものが、このステージに立つためだけに最適化された「究極の楽器」のようだ。
踊れば踊るほど、身体の内側から快感が湧き上がってくる。
疲れを感じない。筋肉が焼けるような痛みがやってくる気配すらもない。
これなら、あの阿久津先生の鬼のような特訓も、何倍でも耐えられる。
「よし、じゃあ早速、メドレーの頭から通すわよ! ミツキ、遅れを取り戻すわよ!」
阿久津先生の号令と共に音楽が鳴り響く。
イントロの音圧が、今の俺の身体には心地よい刺激として伝わってくる。
ステップを踏むたびに、黒いスパッツの中でしなやかな筋肉が爆発的な推進力を生み出し、ウエストを捻るたびに、増量された胸と尻が絶妙な遠心力で身体をリードする。
(最高だ……!)
俺は、一億円の恩恵を全身で噛み締めた。
鏡に映るミツキが、まるで生きているかのように輝いている。
もはやこれは、借金のための労働ではない。
俺が「石黒」であることを忘れ、この完璧な聖女の皮の中で、ただ最高の踊りを追い求めるための、至高の遊戯だった。
三人の仲間が、驚いたような顔で俺の動きを追っているのが視界の端に入る。
彼女たちの視線を、そのダンスの技術で完全に支配していく。
疲れ知らずのこの身体さえあれば、俺は何度だって、あのステージの頂点に君臨し続けることができる。
「行くよ、みんな!」
俺は心からの笑みを浮かべ、かつてないほど高い跳躍を見せた。
照明の光が汗に反射し、スタジオ中に光の粒子を散らした。
その光景を見つめる三人の瞳には、信頼と、そして自分たちも負けていられないという熱い闘志が宿っている。
一億円の身体。
ニンニク臭い息をレモンで塗りつぶした、35歳の「おっさんの聖女」。
彼女たちの夢を支える防波堤は、今、かつてないほど強固で、そして美しく完成されていた。

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スタジオに入り、再び爆音で流れるメドレーのイントロに身を投じた瞬間、俺は自分の身体が「別物」に変貌していることを確信した。
以前のミツキの皮は、石黒という35歳の男の肉体を無理やり押し込め、外部から無理やり補正をかけているような、どこか「着ぐるみを操っている」ような微かなタイムラグがあった。
しかし、一億円を投じたリペア後の身体は違う。
東堂が施した分子レベルの再構築は、俺の神経系とシリコンのセンサーをより深く、密接にリンクさせていた。
「ワン、ツー、スリー、ハイ!」
阿久津先生の鋭いカウントに合わせて、俺は一気に跳ねた。
驚いた。
脚の筋肉が地面を蹴る反動が、寸分の狂いもなく腰から背中へと伝わり、爆発的な推進力を生んでいる。
ウエストを絞り、体幹のフレームを強化したことで、激しいターンを繰り返しても軸が全くぶれない。
(軽い。信じられないくらい、身体が軽いぞ)
これまでは、35歳の肺が悲鳴を上げ、乳酸が溜まっていくのを「ミツキ」の涼しい顔で隠すのに必死だった。
だが今はどうだ。心拍数の上昇が緩やかで、どれだけ激しく四肢を振り回しても、エネルギーのロスがほとんど感じられない。
東堂が言っていた「バイパスの強化」は、石黒の肉体的限界を、ミツキという高性能な殻が完全に肩代わりし、最適化していることを意味していた。
「ミツキ、今のターン最高よ! キレが合宿の時とは段違いじゃない!」
阿久津先生が、初めて満足げに声を張り上げた。
俺は流れるような動きで、次のフォーメーションへと滑り込む。
隣で踊るカナと視線が合う。
彼女は驚きと喜びに目を見開き、俺の覚醒に呼応するように、さらに自身のダンスを激化させた。
サキも、リンも、俺が放つ圧倒的な「躍動感」に引きずられるように、パフォーマンスの精度を上げていく。
一億円のメンテナンスは、ただ見た目をエロティックに変えただけではなかった。それは、ステージという戦場で生き残るための、究極の「軍事転換」に近いアップグレードだった。
「はぁ、はぁ……っ!」
30分間のぶっ通しの通し稽古。
以前なら、終わった瞬間に膝をついて倒れ込んでいたはずだ。
だが、最後のポーズを決めて音が止まった時、俺はまだ肩で少し息をする程度で、余裕を持って立ち続けていた。
全身から噴き出す汗さえも、肌を滑り落ちる感触が心地よく、不快感がない。
むしろ、動けば動くほど身体が馴染んでいくような、全能感に近い感覚。
(ありがたい。これなら戦える)
俺は、練習用のTシャツを捲り上げ、滴る汗を拭った。
スパッツの上で、リペアされたばかりの腹筋がしなやかに波打っている。
この一億円という法外な対価は、俺の自由を奪う鎖であると同時に、誰にも負けない最強の鎧でもあった。
「ミツキちゃん、すごすぎるよ! 全然疲れてないじゃん! 私、もう足がパンパンなのに……」
サキが俺の肩に寄りかかってくる。彼女の体温と、一生懸命に踊った後の心地よい汗の匂い。
俺は「ミツキ」の微笑みを浮かべながら、サキの頭を優しく撫でた。
「ふふ、お休みしてた間に、たっぷり充電できたみたい。みんなを引っ張っていけるように、ミツキ、もっともっと頑張るねぇ」
石黒としての意識が、静かに拳を握る。
疲れを知らない身体、狂気的なまでの美貌、そして研ぎ澄まされたキレ。
一週間後の本番。
あの男が待つ、欲望に満ちた特番のステージ。
俺はこの「進化したミツキ」を乗りこなし、誰一人として追いつけない高みへと、彼女たちを連れて行く。
一億円の「延命」が切れるその瞬間まで、俺は一秒たりとも、この完璧な夢を途切れさせはしない。

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練習が一段落し、スタジオに充満した熱気が少しずつ落ち着きを見せ始めた頃、サキがバタンと床に大の字になった。
「……もうダメ、一歩も動けない。お腹と背中がくっついて、消えてなくなっちゃいそうだよぅ……」
「大げさね。でも、確かに今日はみんな動きが良すぎて、消費カロリーが半端じゃないわ」
リンが滴る汗をタオルで拭いながら、俺の方をちらりと見た。
その視線は、メンテナンスを経て「劇的な進化」を遂げた俺の肉体と、その圧倒的な運動量を改めて観察しているようだった。
「ねえ、これからみんなで何か食べに行かない? 合宿の打ち上げも兼ねて、パァーッとさ!」
カナの提案に、サキがバネが弾けたように飛び起きた。
「行く行く! 私、ガッツリしたものがいい! なんかこう、スタミナがつくやつ!」
その時、サキがクンクンと鼻を鳴らした。
「……ねえ、なんかさっきから、すっごくいい匂いしない? どこからだろう……食欲をそそる、こう、パンチの効いた……」
「ああ、それ、私も気になってた。……ニンニクの匂いよね?」
リンが眉をひそめながら、スタジオの空気を探るように言った。俺は一瞬、心臓が跳ね上がるのを感じた。
(ヤバい。あのブレスケア、ガリガリに噛み砕いてレモン味で塗りつぶしたはずなのに、石黒の胃袋に沈んだ『二郎系』の残り香が、毛穴から、あるいは呼吸の隙間から漏れ出しているのか……!?)
「あっ、本当だ! ニンニクだ! 誰か食べたの? それとも隣のスタジオ? うわぁ、急に口の中がニンニクを求めてきた気がする!」
サキがはしゃぎながら俺の腕にすがりついてくる。
密着した彼女の鼻が、俺の首筋のあたりを無防備に探る。
冷や汗が流れるのを「ミツキ」の微笑みで必死に抑え込む。
「ふふ……、誰でしょうねぇ? スタジオの換気扇から、外の飲食店の匂いが入ってきたのかなぁ……?」
「でも、この匂いを嗅いだら決まりだね。今夜はスタミナ料理にしよう! 恵比寿に、凄く美味しいニンニク料理の専門店があるんだって。ホイル焼きとか、ガーリックシュリンプとか、ニンニク丸ごとのペペロンチーノとか!」
カナがスマホを取り出して画面を見せる。
そこには、背徳的なまでに黄金色に輝くニンニクが並んでいた。
「明日も明後日もレッスンだけど、今夜ならまだ大丈夫よね? 阿久津先生にも『体力をつけろ』って言われたし!」
「……いいわね。今の私たちには、それくらい毒のある栄養が必要かもしれない。ミツキはどう? 具合が悪くなったばかりだし、刺激が強すぎるかしら?」
リンの気遣わしげな問いに、俺は内心で(もう胃の中はニンニクでパンパンなんだよ!)と叫びながらも、可憐な小首を傾げて答えた。
「ミツキも、みんなと一緒なら食べられる気がするなぁ。スタミナをつけないと、また倒れちゃったら大変だもんねぇ」
「決まり! じゃあ、着替えたらすぐ出発ね! ニンニクパワーで、特番まで突っ走るぞー!」
サキとカナがハイタッチをして更衣室へ駆け出していく。
俺はその後ろ姿を見送りながら、密かにレモン味のブレスケアをもう一粒口に放り込んだ。
(一億円の聖女が、仲間を連れてニンニク料理屋へ……。これもまた、シュールな地獄だな)
石黒の胃袋はまだ重たかったが、彼女たちの純粋な食欲と笑顔に抗う術を、俺は持っていなかった。
レモンの酸味と、消しきれないニンニクの香りが混ざり合う中、俺はしなやかな足取りで、彼女たちの後を追った。

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恵比寿の隠れ家的なニンニク料理店。
「アイドルがこんなの食べていいの?」という背徳感は、皿が運ばれてくるたびに歓喜へと変わった。
ガーリックシュリンプに、丸ごとのホイル焼き、極めつけは山盛りのガーリックチャーハン。
四人で夢中で突き回し、気が付けばスタジオに戻る車内は、およそ「花の精」とは程遠い、凶暴なまでのスタミナ臭に包まれていた。
事務所の地下駐車場に戻ると、そこには待ち構えていたマネージャーの姿があった。
彼は車から降りてきた俺たちの顔を見るなり、目に見えて額に青筋を立て、般若のような形相で俺を睨みつけた。
「お前ら、今の自分たちが何を放り出したか分かっているのか?」
「あはは、マネージャー、そんなに怒らないでくださいよぉ。スタミナ補給ですぅ」
俺がミツキの声で茶化そうとしたが、マネージャーの視線は鋭く俺を刺し抜く。
(ミツキ、お前……。一億円かけてナノレベルでリペアしたその身体に、何を流し込んでいるんだ。毛穴から『二郎』と『ガーリック』の悪魔が手を取り合ってダンスしてやがるぞ)
そんな無言の圧力が、痛いほど伝わってきた。
「明日、特例で午前中はオフにしたはずだ。しっかり休んで、その『臭い』を抜いておけ。午後からは過酷なスケジュールが待っているんだからな」
マネージャーの言葉に、カナがパッと明るい顔で答えた。
「マネージャー! 実はみんなで話してたんですけど、明日の午前中、自主練習にすることにしたんです! ミツキちゃんの動きが今日すごすぎて、私たちももっと追いつきたいって思っちゃって」
「えっ……?」
俺は思わず声を漏らした。
石黒としての俺の予定では、明日の午前中は身体を休めるはずだった。
「そうよ。あの新しい振り付け、まだ身体に馴染んでない部分があるわ」
リンが真剣な眼差しで付け加え、サキも「ミツキちゃんも付き合ってくれるよね? リーダーシップ、お願い!」と俺の腕を揺さぶる。
マネージャーは、呆れたように、そして同情するように俺を見て、短く吐き捨てた。
「……だそうだ。ミツキ、休んだ報いとして、仲間の熱意には応えてやるんだな」
「……はぁい。分かりましたぁ。ミツキ、喜んでお供しますぅ……」
俺の返事を聞き届けると、マネージャーは手帳を開き、事務的なトーンに戻った。
「いいか。明日の夕方には、テレビ局側が用意した『新衣装』の完成品が届く。全員で最終的な衣装合わせを行う。サイズ等に問題がなければ、そのまま宣伝用のスチール撮影に入る。本番まで時間がない。一発勝負だと思え」
その言葉に、スタジオに緊張感が走る。
露出を抑え、それでいて「清廉な次世代のアイコン」としてデザインされた巫女装束。
それが俺の、そしてみんなの新しい鎧になる。
「さあ、明日は早い。今日はもう解散だ。……各自、消臭と洗顔を念入りにしろ。寮の廊下までニンニク臭を漂わせるなよ」
マネージャーの最後通牒を受け、俺たちはそれぞれの部屋があるフロアへと向かった。
エレベーターの中、お互いのニンニク臭に「くっさーい!」と笑い合いながら、一人、また一人と自分の部屋へ消えていく。
「おやすみ、ミツキちゃん! 明日の朝、一番にスタジオでね!」
サキが元気に手を振り、最後はリンが「……あまり無理しないで、ちゃんと寝るのよ」と静かに扉を閉めた。
一人、自分の部屋に残された俺は、真っ暗な部屋の中で深い溜息をついた。
窓に映るミツキの影は、月の光を浴びて神々しいほどに美しい。
だが、その口からは隠しきれないニンニクの香りが漏れている。
「一億円の聖女が、自主練に衣装合わせ、か」
俺は「ミツキ」のままでベッドに倒れ込んだ。
リペアされた身体は驚くほど軽いが、心の中の「石黒」は、迫りくる過密スケジュールと、明日袖を通すことになる「新しい衣装」への期待と不安で、胸をざわつかせていた。
嵐のような特番前の一週間。
俺たちは、ニンニクの匂いと情熱を抱えたまま、束の間の眠りへと落ちていった。

f126ae24 No.3516

カーテンの隙間から差し込む朝の光が、部屋の隅々を冷ややかに照らし出していた。
俺はベッドの上で、自分の身体の重みに微かな違和感を覚えて目を覚ました。
昨日、一億円のメンテナンスを経て増量された胸と尻。
ブラとショーツのままで泥のように眠っていた俺は、寝返りを打つたびにその「新しい肉体の質量」を意識せざるを得なかった。
「……あー、身体が熱いな。やっぱりニンニクのせいか……」
石黒としての意識が、重い瞼を押し上げる。
鏡を見るまでもなく、今このベッドに横たわっているのは、世界中の男たちが夢に見る「癒やしの聖女」の完璧な肢体だ。
だが、その内側には昨夜のガーリックチャーハンの残り香を抱えた、疲れた35歳の男が潜んでいる。
俺はよろよろと立ち上がると、まずは浴室へと向かった。
壁一面の鏡に映る、朝の光を浴びたミツキの裸体。
ブラから溢れそうな胸の曲線と、スパッツなしではより強調される豊かなヒップライン。
東堂が作り上げた「黄金比」は、寝起きの乱れた姿ですら、暴力的なまでの美しさを放っていた。
俺は首筋の端に指をかけ、慎重に、かつ手際よく「ミツキ」を脱ぎ捨てていく。
骨格がミツキから石黒へと再構築される、あの特有の軋むような感覚。
数分後、そこには無精髭が少し伸び、肩を落とした一人の男――石黒が立っていた。
「まずは、俺自身の汚れを落とさねえとな」
熱めのシャワーを浴び、皮膚の奥から染み出したニンニクの残滓を、強い洗浄力のボディーソープで徹底的に洗い流す。
鏡に映る「おっさん」の姿に戻ってようやく、俺は深く息を吐くことができた。
シャワーを終え、身体を拭くと、今度はハンガーに吊るされた「ミツキ」を手に取る。
一億円の価値を持つ、世界で最も精巧な「皮」。
俺は再び、その冷たく滑らかな感触の中に自らの四肢を滑り込ませた。
脚を入れ、腰を引き上げ、腕を通す。
石黒の肉体が再び削り取られ、理想の少女へと変貌していく。
最後に顔のパーツを完全に同期させると、鏡の中には、朝露に濡れた花のような透明感を持つミツキが復活していた。
俺はそのまま、ミツキとして二度目のシャワーを浴びた。
これは儀式のようなものだ。
皮の表面に付着したかもしれない、昨夜の生活臭や石黒の形跡を完全に消し去るための洗浄。指先で丁寧に、シリコンの肌にこびりついた「現実」を洗い流していく。
シャワーから上がり、髪を乾かすと、俺はロッカーから今日の私服を選んだ。
淡いパステルブルーのニットに、白のフレアスカート。
着替えを終え、ドレッサーの前に座る。
「……よし」
慣れた手つきで、軽い化粧を施していく。
自主練習とはいえ、メンバーと顔を合わせるのだ。
厚塗りにならないよう、あくまで「元から綺麗な少女」を演出するための最低限のベースメイク。
唇には薄く、桜色のグロスを乗せる。
鏡の中のミツキは、少しだけ首を傾げて微笑んだ。
完璧だ。
昨夜のニンニク臭も、石黒としての倦怠感も、すべてはこの美しい「作り物」の下に隠蔽された。
「おはよう、ミツキ。……さあ、戦場に行こうか」
鈴の鳴るような自分の声を確認し、俺は部屋の鍵を手に取った。
一億円の聖女は、今日もまた、誰にも知られない孤独な変身を遂げ、仲間が待つスタジオへと向かう。

f126ae24 No.3517

スタジオの床を叩くスニーカーの音が、激しいドラムビートのように反響していた。
午前中の自主練習という名目は、阿久津先生が「指導してやる」とフラリと現れた瞬間に、地獄の特訓へと変貌を遂げていた。
「ミツキ! ターンの後の重心がコンマ数秒遅れてる! カナ、隣に引きずられない! リン、指先の神経が死んでるわよ、もっと鋭く!」
先生の怒号が飛ぶ。
リペアされたばかりの俺の身体は、その過酷な要求に驚くほど忠実に応えていた。
骨格から作り直された新しいバランスは、どれほど激しく動いても軸がブレず、むしろ動けば動くほど、東堂が計算した「機能美」が熱を帯びて研ぎ澄まされていく。
「はぁ、はぁ……っ! ミツキちゃん、すごすぎるよ……全然、バテてない……っ」
サキが膝をつき、肩を大きく揺らしながら俺を見上げる。
俺は額の汗を拭いながら、ミツキの可憐な声で「みんな、頑張ろう? あと一回通せば、きっともっと綺麗に見えるよぉ」と励ましの言葉を投げかける。
内側の石黒は、この疲れを知らない肉体の化け物じみた性能に、恐怖すら覚え始めていた。
正午を回り、ようやく休憩の指示が出た。
スタジオのドアを開けて入ってきたマネージャーの手には、無機質なコンビニのビニール袋がいくつか提げられていた。
「ほら、昼飯だ。午後からは衣装合わせと撮影がある。腹が出ないよう、中身は俺が選んだ。文句は受け付けん」
ガサガサと広げられたのは、蒸し鶏のサラダ、ゆで卵、そしてプロテインバー。およそ「食の楽しみ」を奪い去ったような、高タンパク・低脂質の兵糧攻めだ。
「ええっ! マネージャー、これだけぇ!? せめておにぎり一個くらい……」
サキが悲鳴を上げる。マネージャーは冷徹な視線で彼女の腹部を一瞥した。
「昨夜、あんなにニンニクと炭水化物を詰め込んだんだろう? 調整するのはプロの義務だ。特にミツキ、お前だ。一口でも余計なものを食って、撮影で影が出たら承知せんからな」
「……分かってますよぉ。ミツキ、サラダだけで十分ですぅ」
俺はフォークで味の薄い鶏肉を口に運ぶ。
石黒の胃袋はもっとジャンクなものを求めて暴れていたが、マネージャーの言う通り、この「一億円の曲線」を維持するためには、毒にも薬にもならない食事が正解だった。
食後、マネージャーは時計を見やり、俺たちを見渡した。
「よし、一時間後に衣装が届く。その前に全員、シャワーを浴びて汗を流しておけ。メイクも一からやり直しだ。清潔感がないアイドルに、あの神聖な衣装を着せるわけにはいかないからな」
スタジオに併設されたシャワー室は二つ。メンバーは四人。
必然的に、二組に分かれて入ることになる。

f126ae24 No.3518

「よーし! じゃあ私はミツキちゃんと入る! ミツキちゃんの新しいシャンプー、貸してほしいなー!」
サキが当然のように俺の腕に絡みついてくる。俺の心臓がドクリと跳ねた。
「ちょっと、サキ! ミツキちゃんは病み上がりなんだから、あんたみたいに騒がしいのと入ったら余計に疲れちゃうでしょ。ここは私とミツキちゃんで、静かに身体を休めるべきよ」
リンが割って入り、俺のもう片方の腕を掴む。
彼女の瞳は真剣そのもので、どこか「ミツキを独占したい」という独占欲が透けて見えた。
「えーっ、リンちゃんだってミツキちゃんと内緒話したいだけでしょ! ズルい! カナちゃんだってそう思うよね!?」
振られたカナは、腕を組んでうーんと唸る。
「うーん、私としては、リーダーとしてミツキちゃんの体調を間近で確認しておきたい気もするんだけど……。でも、リンとサキのペアだと、中で喧嘩が始まりそうで怖いのよねぇ……」
「ミツキちゃん! 誰と入りたい!? 指名して!」
三人の視線が俺に集中する。
俺――ミツキを纏った石黒は、冷や汗が止まらなかった。
二組に分かれるということは、狭い個室の中で、密室で、一億円の「皮」を晒した状態で誰かと二人きりになるということだ。
いくら精巧なリペアが施されているとはいえ、至近距離で、それも同じお湯を浴びながらの接触は、正体露見のリスクが跳ね上がる。
「あ、あのね、みんな……。ミツキ、今日はまだ少しのぼせやすいみたいだから……。一人でゆっくり入りたいなぁ、なんて……」
「ダメよ! 時間がないんだから!」
リンに即答で却下される。
「じゃあ、じゃあさ! どっちが先に入るかジャンケンで決めようよ! 勝ったチームのどっちかが、ミツキちゃんを選べるってことで!」
サキの提案で、スタジオ内に「最初はグー!」の掛け声が響き渡る。
俺は一億円の聖女の姿のまま、処刑台を待つ罪人のような心地で、その勝敗の行方を見つめていた。
マネージャーだけが、壁際でニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべ、この「地獄の入浴タイム」を楽しもうとしていた。

76ce1938 No.3519

「あ、あの……本当に、ミツキ、一人で大丈夫だから。みんなで入ると狭いし、ほら、まだ病み上がりでちょっと恥ずかしいというか……」
俺の必死の抵抗は、興奮状態の三人の耳には届かなかった。
「何言ってるのミツキちゃん! 遠慮は禁止! ほら、いくよ! 最初はグー、ジャンケン……ポン!」
「ポン!」
「ポン!」
サキ、リン、カナの手が同時に突き出される。
グー、チョキ、パー。
見事なまでの三すくみ――あいこだ。
「あーっ! もう一回! ジャンケン、ポン!」
「ポン!」
またしてもあいこ。
三人の意地と「ミツキと一緒にシャワーを浴びたい」という執念がぶつかり合い、一歩も譲らない。
「ちょっとサキ、今パー出そうとしたでしょ!」
「リンちゃんだって、ミツキちゃんを独占しようとして指が震えてるよ!」
「二人とも落ち着いて!……ジャンケン、ポン!」
(……今だ)
三人がジャンケンのループに陥り、互いの手元しか見ていないこの一瞬。
俺は音を立てないように、忍び足で更衣室の奥にあるシャワー室へと滑り込んだ。
心臓が口から飛び出しそうだ。
一億円のリペアを施されたこの身体を、至近距離で見られるわけにはいかない。
特にリンの鋭い観察眼と、サキの無邪気なスキンシップは、石黒としての正体を暴きかねない猛毒だ。
俺は素早くシャワー室の鍵をかけ、服を脱ぎ捨てた。
「ふぅ……。助かった……」
温かいお湯を頭から被る。
メンテナンスされたばかりのシリコンの肌に、水滴が弾けて真珠のように転がり落ちる。
東堂が調整した「新しい黄金比」は、鏡で見てもやはり溜息が出るほど完璧だ。
胸の重み、引き締まったウエスト、そして以前より一段と豊かになったヒップの曲線。
だが、安堵の時間は短かった。
(……!? 足音が……)
バタバタと更衣室に駆け込んでくる三人の足音と、騒がしい声が扉越しに聞こえてきた。
「あーっ! ミツキちゃんがいない!」
「ズルい! ジャンケンの隙に一人で行っちゃうなんて!」
「ミツキ、開けなさい! 一人で倒れたらどうするのよ!」
扉がドンドンドンドン! と激しく叩かれる。俺は慌ててシャワーを止め、備え付けの大きなバスタオルを身体に巻き付けた。
「ご、ごめんねぇ! みんながあまりに熱心だったから、先にお邪魔しちゃった!」
「もう! ミツキちゃん、水臭いよぉ!」
ガチャ、と鍵を開けると、そこには頬を膨らませたサキ、腕を組んでジト目を向けるリン、そして苦笑いするカナが立っていた。
「……あら」
リンの視線が、俺の肩口から鎖骨、そしてバスタオルで隠しきれない胸元のボリュームへと注がれる。
昨日よりも一段と「女」としての存在感を増した俺の姿に、彼女の瞳が一瞬、獲物を見つけた肉食動物のように細められた。
「……ミツキ、やっぱりあなた。……少し見ない間に、また……」
「あ、あはは……。ほら、みんなも早く入らないと! マネージャーがもうすぐ衣装を持ってきちゃうよぉ!」
俺はリンの追及を遮るように、彼女たちの間をすり抜けて脱衣所へと逃げ出した。
背後で「やっぱりミツキちゃん、なんかいい匂いする!」「待ってよミツキちゃん、背中流してあげるってば!」と騒ぎ声が続く。
更衣室の鏡に映る俺の顔は、湯気のせいだけではなく、極度の緊張で赤らんでいた。
正体露見の危機を薄氷の思いで切り抜けたが、これから始まるのは「衣装合わせ」。
さらに過酷な「密着」と「観察」が待ち受けている。
俺は震える手で、新しい練習着を身に纏い、迫りくる本番への覚悟を再び決め直した。

76ce1938 No.3520

スタジオに運び込まれた四つの大きな衣装ケース。マネージャーがその蓋を一つずつ開けるたびに、スタジオの空気が一変した。
「これが、お前たちの新しい『武装』だ」
マネージャーの声に導かれ、俺たちは吸い寄せられるように衣装を手に取った。
一目見て、制作陣の並々ならぬ気合が伝わってきた。
コンセプトは「現代に舞い降りた聖なる巫女」。
しかし、それは伝統装束ではなく、最先端のモードとアイドルとしての可憐さが絶妙なバランスで融合した、究極の清楚系デザインだった。
四人それぞれ、少しずつシルエットが異なっている。
情熱的な赤を基調としたカナの衣装は、アクティブに動けるショート丈の袴風スカートに、力強い刺繍が施されている。
クールな青を纏うリンの衣装は、袖が長く、風を孕むたびに知的なエレガンスを感じさせるロングシルエット。
元気な黄色のサキは、カボチャパンツをアレンジしたようなキュートな足回りに、フリルがふんだんにあしらわれていた。
そして、俺――「おっとり癒やし系」のセンター、ミツキに用意されたのは、混じりけのない純白。
「……綺麗」
思わず声が漏れた。
俺の衣装は、光沢を抑えた上質なシルクをベースに、デコルテラインを上品に魅せるボートネック気味の仕立てになっていた。
東堂が「増量」した胸部は、決して以前のような露骨な露出で強調されるのではない。
生地の絶妙なカッティングと、ウエストから絞り上げられた帯風のベルトによって、女性らしいしなやかで豊かな曲線が、そこにあるべくして存在するように「浮き彫り」にされている。
それは「見せる」ためのエロティシズムではなく、内側から溢れ出す「気高さ」を表現するための、高潔な女性らしさだった。
「……ミツキ、あんた。これ、測ったみたいにぴったりね」
リンが自分の青い衣装に袖を通しながら、俺を凝視する。
俺は頷き、それぞれのパーソナルカラーに合わせた厚手のタイツを履き、その上から衣装を纏っていった。
カナは鮮烈な赤のタイツ。
リンは深いネイビー。
サキは陽だまりのようなマスタードイエロー。
そして俺は、透け感のない、完璧に計算された純白のタイツ。
衣装の重みが肩にかかる。
白のレースとシルクが肌に馴染み、ウエストのベルトをきつく締め上げた瞬間、リペアされた骨格がカチリと「アイドルの形」に固定されたような感覚があった。
鏡の前に四人が並ぶ。
赤、青、黄、そして中央で全てを包み込む白。
清楚でありながら、どこか神話的な力強さを感じさせるその並びは、これまでの「崖っぷち」だった彼女たちの姿を完全に上書きしていた。
「……いける。これなら、勝てるよ」
カナが赤の袖を翻しながら、鏡の中の自分たちを見据えて言った。
俺も、純白の衣装に包まれた自分の姿をじっと見つめる。
この皮の下には、35歳のおっさんが、一億円の借金が、そして救いようのない嘘が隠されている。
だが、この神聖な衣装を纏っている間だけは、俺は本物の「聖女」になれる。いや、ならなければならない。
(……この白を、汚させはしない)
情熱を燃やすカナ、理知を湛えるリン、笑顔を振りまくサキ。
彼女たちの中心で、俺は慈愛に満ちたミツキとしての微笑みを深く刻んだ。
タイツの引き締まった感覚が、これから始まる戦いへの決意を、静かに俺の足元から支えていた。

76ce1938 No.3521

スタジオの空気は、スチール撮影特有の鋭い緊張感に包まれていた。
いくつものストロボが焚かれ、高解像度のレンズが俺たちの「嘘」と「真実」を余すところなく記録していく。
俺はカメラの前に立ちながら、ある一つの「戦略」を心に決めていた。
それは、徹底して「影」に徹することだ。
今回の衣装は、ミツキとしての女性らしさを極限まで高めている。
特にリペアを経てボリュームを増した胸部やヒップラインは、この純白の衣装を通すことで、かえって彫刻的な美しさを放ってしまっている。
しかし、ここですべてをさらけ出すのは得策ではない。
(本当のインパクトは、本番まで取っておく。今は、カナたちの「色」を引き立てるキャンバスになればいい)
俺はポージングの際、あえてカナの肩越しに顔を半分隠したり、リンの背後に寄り添うようにして全身のシルエットをぼかした。
指先の動き一つとっても、自分を主張するのではなく、隣にいるメンバーのラインを強調するような添え物としての動きに終始する。
「ミツキ、もう少し前に出て! センターなんだから!」
スタッフから指示が飛ぶが、俺は「おっとり癒やし系」の仮面を崩さず、ふんわりとした仕草でそれをかわした。
「えへへ。ミツキは、みんなが輝いているのを見ているのが一番幸せなんですぅ」
そんな、いかにもミツキらしい「一歩引いた美徳」を演じながら、俺は視線だけで撮影監督へと合図を送った。
この監督は、数々の浮き沈みを見てきたベテランだ。
俺が何を狙っているのか――新衣装の全貌を、今はあえて霧の向こうに隠し、本番のステージで一気に爆発させる「飢餓感」を作ろうとしていることを、彼は瞬時に察してくれた。
「なるほどな。面白い。よし、ライティング変更! ミツキは逆光気味に落とせ。輪郭をあいまいにしろ。その代わり、カナの赤とリンの青を前面に押し出すぞ!」
監督の采配は鮮やかだった。
CM用の映像でも、俺は常にフレームの端や、ピントの合わない後方に配置された。
しかし、それがかえって「あの白い子は誰?」「よく見えないけど、ものすごく綺麗じゃないか?」という、視聴者の好奇心を煽る仕掛けへと昇華されていく。
もちろん、鋭いファンなら気づくだろう。
CMの端々に映る俺のシルエットが、合宿前よりも明らかに「厚み」を増し、より成熟した女性のラインを描いていることに。
SNSでは「ミツキ、なんか雰囲気変わった?」「衣装のせいか、スタイルが神がかってる」といった憶測が飛び交うはずだ。
だが、その正解を提示するのは今じゃない。
(本番のライトを浴びた瞬間、この白がどれほどの光を放つか……。その時まで、俺はただの背景でいい)
撮影の合間、モニターをチェックするメンバーの横顔を見る。
カナは自分の情熱的な赤に満足げに頷き、リンはクールな青の映りに納得の表情を見せている。
彼女たちが主役として輝けば輝くほど、その中心に潜む「空白」としての俺の存在感は、逆説的に強まっていく。
「ミツキちゃん、全然目立とうとしないんだからぁ。次はもっと一緒に映ろうよ!」
サキが屈託のない笑顔で言ってくる。俺はその頭を優しく撫でながら、心の中で石黒としての冷徹な計算を走らせていた。
さすがは海千山千の芸能界だ。
監督は、俺の意図を汲み取った上で、映像の中に「隠された美」という名の毒を巧みに仕込んでくれた。
撮影が終わる頃には、俺たちの「新衣装」は、全貌が見えないがゆえの神秘性を纏っていた。
俺は純白のタイツに包まれた脚を揃え、重厚な衣装を脱ぐために更衣室へと向かった。
次は本番。
その時、この「進化した皮」と「神聖な白」が融合した真実の姿で、俺は世界を、そしてあのパトロンをも、完膚なきまでに跪かせてやる。

76ce1938 No.3522

翌日の午前中、テレビ局の巨大なリハーサル室。
本番と同じ広さにバミりが打たれたフロアは、独特の緊張感と熱気に包まれていた。
「あの男」――番組のキャスティングに絶大な影響力を持つあのパトロンは、別スタジオでの収録が押しているとのことで不参加。
俺はその事実に、内側で石黒として深い安堵の溜息をついた。
奴の粘つくような視線がないだけで、これほどまでに身体が軽いとは思わなかった。
「新衣装は汚さないように。今日はジャージのまま、動きの確認に集中しろ」
マネージャーの指示通り、俺たちは練習用のスウェットやTシャツ姿でフロアに立った。
衣装を纏わないことで、かえってメンテナンスされた「ミツキ」の肉体の変化が剥き出しになる。
昨日のスチール撮影では影に徹したが、動きの最終確認であるリハーサルではそうはいかない。
イントロが流れた瞬間、俺は自分の中のスイッチを切り替えた。
東堂が施した新しい黄金比は、激しいダンスの中でその真価を遺憾なく発揮する。
ウエストを絞ったことで生じた急激なカーブが、ヒップを振るたびに扇情的な残像を残し、ボリュームを増した胸が激しく弾む。
「ミツキ、あんた。衣装なしだと余計に……その、ダイナミックね」
リンが、フォーメーション移動の合間に耳元でそう囁いた。
彼女の鋭い視線は、俺の腰の動きから一瞬たりとも逸れない。
俺は「あはは、一生懸命練習したからかなぁ?」と、ミツキの無垢な微笑みでそれを受け流した。
そして、この日の最大の山場は、番組の大トリを務める大物歌手のバックダンサーとしてのリハーサルだった。
その歌手は、業界でも完璧主義で知られるベテランだ。
若手のアイドルが自分のバックを務めることに、当初は難色を示していたという噂もあった。
張り詰めた空気の中、彼のヒット曲のイントロが流れる。
俺たちは、あくまで「引き立て役」としての矜持を保ちつつ、ミツキを中心に一糸乱れぬダンスを展開した。
俺は、自分自身の美しさを主張するのではなく、彼の歌声に寄り添い、その楽曲の世界観を肉体で視覚化することに全神経を注いだ。
曲が終わると、スタジオには一瞬の沈黙が流れた。
大物歌手はゆっくりと振り返り、俺たちの顔を一人ずつ見渡した。
そして、最後に俺の瞳をじっと見つめ、小さく頷いた。
「いいじゃないか。ただの飾りだと思っていたが、芯がある。君たちのダンスからは、このステージを汚さないという『覚悟』が見えるよ」
その一言で、スタジオ中のスタッフが安堵の表情を見せた。
ベテランに認められた瞬間、micoron.sは単なる「パトロンの愛玩動物」から、一人の「アーティスト」としての市民権を得たのだ。
「ありがとうございますぅ。精一杯、お力添えさせていただきますぅ」
俺は深々と頭を下げた。
髪が揺れ、練習着の襟元から覗く鎖骨が、緊張の糸が解けたことで微かに赤らんでいる。
マネージャーは壁際で、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
衣装を脱いだリハーサルで、これほどの評価。
そして、本番であの純白の衣装を纏い、より完成された姿を披露したとき、会場がどのようなパニックに陥るか。
「よし。リハは完璧だ。」
マネージャーの低い声が、俺の耳に届く。
俺は頷き、三人の仲間たちと汗を拭い合った。



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