【オールA】東大理一、現役生の逆転不合格体験記【不条理】
はじめまして、こんにちは。
現役で東京大学理科一類に合格し、無事シティーガールとなるはずが、悲しきかな転げ落ち浪人生となってしまった人間です。(お気づきかもしれませんが、私は理一志望では希少な方の性別です。東大が欲しい方の性別のはずなんだけど。)
姑息な書き方のタイトルからもわかる通り私は「秋模試で」(駿台・河合・東進)オールAを獲得し、部活も勉強も両立させた受かる現役生の流れに乗っておきながらもなんと逆転不合格してしまったのです。悲しいね。
まずは逆転不合格の香ばしさを皆さんに感じていただくため、現役時代の成績を見ていきましょう。
※この流れ、難関大逆転不合格note界隈(そんなんある?)では有名なある方を彷彿とさせますが、実際勝手にかなり参考にさせていただいてます。不合格直後にあのnoteを見てかなり救われたので、自分も何かやってみようと思い立ちました。そのためある程度の既視感はご了承ください。
模試成績
高1〜高2
校内テスト成績(身バレ防止のため文字で)
(全体は300人ほどです、受けてない人もいる)
高1 全体順位(各科目よかったもの)
46位(国語1位)→13位(国語4位)→32位(国語5位)
高2
40位(英語12位)→36位(英語12位)→21位(国語1位、化学12位)
高3
13位(数学13位、化学4位、国語16位)
地方進学校なので入ってすぐに実力テストと呼ばれる校内テストがあるわけですが、私は初回に運よく優秀者欄に載り、なんと国語では1位を獲得。幸先のいいスタートを切ります。勉強のモチベーションも高く実力テストでは常に優秀者欄に載っていました。最後には数学も克服して安定した成績、受かりそうなワードですね〜
(高1〜高2とかいって高3の成績があるのは勘弁してください。)
全統高1模試
この頃私は家族や周囲の影響もあり、ずっと京大理系を志望していました。担任に東大にしないかと言われることもありましたが、京都という土地に憧れがあったので高3の夏までずっと京大志望のままでした。(これが夏の東大模試の成績まで含めてオールAと言うことができない理由でもあるのです。駿台も河合も受けてないんだもの!)
とはいえ成績も科目バランスもよく、得意科目の国語と英語で安定した得点を取り、数学は最低限というスタイルを貫いていきます。
高3
第一回駿台全国模試
高3の夏、自分のやりたいことがうまく定まらないままなんとなくで周囲に合わせて京大を志望していた私は突如として理科一類という選択肢を思い出します。
「せや、やりたいこと決まらんから理一にして先延ばしにしたろ!」
東大志望に変えた私は勉強にもう一段階ギアを上げます。
…しかし。時すでに遅し、夏模試(駿台・河合)の申し込みはすでに京大でしてしまいました。渋々代ゼミのネット申込に滑り込み東大プレを受験します。そしてまだ過去問に1年も手を付けないまま東大プレへ。
夏東大プレ
普通にDを取ってしまいました。Eじゃないだけいいんですけど。理科の解答用紙の形式も東大プレで初めて見たので面食らった。
しかし私は生粋のポジティブ人間、Super-optimistなので「40%なら行けるやんけ!こっから上がるし!」と思い、特に気にしないことにします。あと受験者少なすぎで信憑性低いしちなみに京大オープン、京大実戦はともにB判定でした。共テ次第で京大にする可能性もまだ考えていたので、これも嬉しかった。
ベネッセ駿台共テ+記述模試
部活を早期に引退し、高3になる頃には順調に成績を伸ばしていきます。京大建築はなんと学科内3位、阪大の工学部は学部内1位を獲得。京大建築や阪大工学部合格者の方は私が受験しなかったことに感謝してほしい※ベネ駿は正直なところ超有名進学校の方は受けないこともある模試なので、たいていは地方進学校同士で殴り合ってるだけです。結果は結果なので良いことですが、雲の上の方は私とは戦ってもいないということですね。
加えてこの頃、私は東進主催の夏の全国統一高校生テスト(いわゆる全統高)でなんと運よく高3生内順位で100位以内を叩き出し、全統高の決勝へと向かいます。もちろん理一含め判定はすべてAでした。(医学に興味がなく理三はずっと書いてない)
全統高はもちろんほぼビリで向かったわけなので(高3の上位100人が参加できるうちの93位!)、ボコボコにされました。全統高についてはまた機会があれば書くと思います。
とはいえ全統高決勝なんて世界の違う天才が向かう場所だと思っていた私は(数弱は天才にはなりえないと思っているので自分は天才だと全く思えなかった)、その天才たちの舞台に立ってしまったことでモチベーションが爆増。
ウキウキのまま夏休みの勉強を進め、秋模試へと挑みます。
10月東大本番レベル模試
無事東進の本番レベル模試でA判定。軽やか(いろんな意味で)な採点のおかげで東進は返却が早いので、たしかこの結果がA判定の第一号でした。
しかし有名冠模試ではないため気を抜かずに勉強を継続。まだA判定は続きます。
東大秋実戦
鬼のような難化を果たした東大実戦の数学に打ちのめされながらも、なんとかA判定を勝ち取りました。いままで物理はにっちもさっちもいかない感じで微妙な科目だったのですが、ここで初の物理偏差値65超え&校内1位を達成。
「自分は物理も得意科目なんだ!」と、理一にふさわしい人間像に近づけたような気がしてここから数学に重点を置き、物理の勉強をサボリ気味になります。(これが痛手になるとは…)
東大秋オープン
このときは数学がそこそこでき、初めて偏差値50超えを達成。苦手な数学を克服した形でのA判定に私はさらに確信を強めます。
「私は受かる!」
そんな思いを抱えながら、無事入試へ向かいます。
入試の体験記はまた別に書きますが、総評としては絶望でした。
正直数弱の私にとって数学の難化はありがたかったですが、配点含め最大の得点源である英語が異様に難しい。難しすぎる。
直前期はさすがに焦って理科の勉強に力を入れていましたが、物理はなあなあのままで数学にかなりの時間を割いた結果、数学の超難化で爆死。
なんと理科が易化し、疎かにしていた物理が崩れ、直前期の対策がほとんど無となります。(理科ゲーとか現役殺しか?)
終わったあとは「落ちたかもしれん…でも……あんな判定があったし、受かっているはず!」と思い、自分を励ましつつ合格発表までを過ごしました。
合格発表当日
地方勢なので当然東大に向かえるはずもなく、地元の自宅でパソコンを開き合格発表に備えます。
自宅には家族もおり、親も私もまあ受かるだろうと思っていたのでウキウキでカメラを構え、合格の瞬間を捉えようと動画を撮影していました。
友人のライングループには冗談半分で
「落ちてたら好きな寿司ネタ書くわ笑」と送り、その時を待ちます。
自分の受験番号と生年月日を打ち込み、合格発表に備えます。
銀魂の期間限定YouTube配信を姉が流してくれたので、それで笑いつつ、ついにそのときが訪れます。
私はA判定なんだ、私はA判定、A判定、A判定……!
カチ…
…???
現実が受け入れられない。世界の音が止まったようでした。
同じ結果が出るに決まっているのに、阿呆のようにもう一度受験番号と生年月日を打ち込んでみます。夢であれ、夢であれ…!
カチ…
そう、私はなんと秋模試オールA、最高順位355位を達成しながら、本番で700人近くからの怒涛の逆ごぼう抜きで理科一類不合格を決めてしまったのです。
私は愚かにも自分の絶望する顔を内カメで収めてしまったわけですね。(まだ消そうにも消せないでいます)
合格発表後
しばらく私はぶつぶつと「え?落ちてる」「落ちた」「え?」「落ちてる」と口で繰り返し、涙も出ないまま家のソファにへたり込みました。天井が白い。天井が白い。落ちてる。え?落ちたの?
失意の中、私は自分の言葉を思い出します。
「落ちてたら好きな寿司ネタ書くわ笑」
……やるしかありません。
勇敢にもE判定ながら京大に突っ込んだ友人は不合格でしたし、A判定の私も不合格。寿司ネタ祭りです。こんなにも切ないサーモンがあったでしょうか。
京大志望の別の友人にもおなじネタでふざけていたので、「サーモン」と送信します。友人に対してはこの人が受からないとおかしい、と思っていたので無事合格しており一安心。よく一緒に帰っていた3人組のうち、2人は無事京大に羽ばたいてゆきました。
しかし、私も「この人が受からないとおかしい」人だったはずなのです。どうして。
現実が受け入れられない私は「A判定 落ちた」「A判定 東大 不合格」で検索を繰り返します。(私はこの時の鬱ネットサーフィンであのnoteを発見し、「みんなやるんだ…」と感じ入りました。)
ああ、ありえない話ではないのか。ありえない話ではなくて……
…だからなんだ?
A判定は通常合格可能性80%を意味します。秋の全ての模試でA判定ということは、少なくとも私の合格可能性は統計上80%ほどあったということです。
だからなんなのでしょう。私は落ちました。
20%、5分の1を不運か実力か引き当ててしまった私は、確率の人生への無意味さをこれでもかと実感します。
落ちたならA判定に意味はない。あんなにいろんなことを我慢して、大好きな絵を描くことからも離れて勉強に没頭した夏、秋、冬。全ての記憶が頭を巡ります。落ちた。落ちたんだ。
担任の先生や塾の先生への報告を済ませ、ようやく不合格がじわじわと現実味を帯びてきた頃、私の頬に涙がこぼれます。
この春私は東京大学に行って東大生になることは叶わない。しかし後期試験は待ってはくれません。涙に暮れながら2日後の後期試験へ向けて後期の過去問を検索します。
なんとか涙をこらえ数学の過去問を開き、10分………
無理でした。涙が止まりません。
どうしてこんなことになっているのか。今頃春休みの間友達と遊ぶ予定を立てているはずだったのに。合格体験記を後輩のためにウキウキして書く予定だったのに。
ノートにぼたぼたと涙がこぼれ落ちます。
不合格、その3文字が私の脳に片頭痛のように響きつづけ、勉強なんてとても無理でした。
後期試験
無情にもその日は訪れます。
後期試験は地元の国公立を受験しましたが、私の成績であれば当然受かるだろう、というところを受験しました。
とはいえ私がした勉強はせいぜい1、2年分、3月11日の間だけ。私立は共テで合格していましたが点数の確認用で入学する気もなく入学金を払っていません。それに、私は当然受かるだろうと思っていた東京大学に落ちたのです。もう何も信じられず、崖っぷちの試験です。
当日、無事理科を終え、数学の試験問題を開きます。見開きに収まる大問たちを眺め、ぼんやりと私はこう思います。
簡単すぎる。
そう、腐っても理一秋模試A判定、後期試験はあまりにも簡単すぎました。
すらすらと一本道で解ける問題に対し解答を丁寧に記述していくたび、苛立ちにも似た虚しさが訪れます。簡単すぎる。簡単すぎる。私はこんな問題を解くはずじゃなかったのに。もっと、もっとできたのに。
涙をこらえながら虚しくも30分を残して全完し、念のため見直しを全大問何度か繰り返して試験終了を待ちます。
もしかしてほかの受験生も同じように満点なんだろうか、そう思い回収される解答用紙を覗きましたが、私の教室ではほぼ全員が白紙の大問が一つくらいはあり、やはり虚しさが募りました。じゃあなんで落ちたんだよ。こんなところでお山の大将やってもなんにもならないんだよ。虚しい。虚しい。
後期試験合格発表
後期試験の合格発表当日は受かっても落ちてももうなんでもいいから遊ぼうと思い、友人との予定を入れていました。家を出る前に合格発表をちらりとのぞきます。
私の番号がそこにありました。
見るまではすこし不安でしたが結果を見てみればまあ、さすがにねえ、と思いました。…とは言いつつかなり嬉しかったのは事実です。
この時私は完全に浪人しか見ておらず、ありがたいことに家族も私のこれまでの頑張りや模試の成績を鑑みて、一浪までなら…と浪人を許可してくれました。
つまり、東大前期より遥かに簡単なこの後期試験の合格は来年の合格への必要条件だったわけです。私は無事必要条件の1つ目をクリアし、浪人への道を歩み始めました。
予備校選びに関しては、両親のありがたい言葉もあり、金額よりも合格可能性で選ぶことにしました。(浪人して東大に受かれば出世払いの期待値が高いことも理由にありましたが)
金額としては代ゼミが全額免除となり、河合塾は行ってないのでわかりません。免除出たのかな。
結果としては全く免除のない駿台で1年間100万円以上も支払わせて浪人をさせてもらうことにしました。決め手は私と面談をしてくれた先生です。
その先生は本来駿台お茶の水校3号館(東大受験専門の場所。いわゆる駿茶)で担当をされている方で、私と似たようなある受験生の話をしてくれました。
すこし長くなるのではしょったものになりますが、その方は先生にほとんど質問をせず、自分だけでなんでも考えて解く生徒で、とても成績優秀だったそうです。しかし結果は東大に不合格。なぜ落ちたのか。謙虚さが足りず、自己完結をして質問をしなかったからだ、と担当の方は伝えたそうです。その話を受けてその生徒は見違えて質問をするようになり、愛される生徒となって一浪を経て無事合格。
まあ、セールストークというか、洗脳にも聞こえる話ですが、この話を聞いて私はとても耳が痛かったです。
私はこれまで学校の先生に質問をしたことがほとんどありませんでした。それは自分の不出来が晒されるのが怖かったからです。恐怖から自分で考えてできればいいや、実際できるし、と傲慢になっていました。
もちろん自学は素晴らしいことですが、イギリスではコーヒーハウス(カフェみたいなもの)で異種の研究者が対話し交流を深めたことから研究が爆発的に進んだという話からもわかるように、学問とは本来交流をすること、聞くことが不可欠なものです。
たかが受験勉強ごときで学問とはなんだ、と思うかもしれませんが、しかし東大受験にはたかが受験勉強であっても学問を軽んじる姿勢は命取り(であるべき)です。この時の私にとっては自分が落ちた理由がそれに思えてなりませんでした。
質問をすることのメリットは数え切れないほどあります。これを見ている優秀な現役生の方がいれば、こんな思いをしないためにも質問をしましょう。私は落ちて初めてそれに気づきました。
「今年は手のかかる生徒になろうよ」とのひと言に背中を押され、ここで合格したい、と思い立ち駿台予備学校での浪人を決めました。アツい話ですねえ。
最後に&これから
最後に、このアカウントは受験の体験記や模試の成績を気が向いたら載せると思います。時間がもったいないな〜と思ったらこれきりかもしれません。
もし書くのであれば、首都圏から遠い地方で浪人される方は駿茶とかに通えなくて不利だよなあと思うので、そんな方にとって支えになることが書ければと思います。
これから私は予備校で浪人をすることになります。浪人なんて少しもしたくなかったです。でも、まだ合格もしていないですが、今になって思えばこれは私の人生に必要だったことなのではないかとも思えています。
東大志望の方なんて皆さんそうかもしれませんが、小さい頃から勉強が得意で、わりと大抵のことを習熟するのが早かった子供だった私は、大きな、積み重ねた努力が報われないような大きな失敗をしたことが人生で一度もありませんでした。
勉強だけでなく特技の絵画もずっと誰より上手と言われ、大会でも結果を出し、なんとなくで藝大を目指して美術予備校に通っていた時期は先生にあなた描けるね、とよく言われていました。
東大受験なんてごくごく一部の人だけが考えるような地方に生まれ、その小さな地域のなかでまさに絵に描いたような才児だった私にとって、結果を出す自分こそが自分でした。だから今回の不合格は人格否定にも繋がるような手痛いものになったのです。自分のやったことは無駄だったと絶望もしました。
けれど人生はうまくいくことばかりではないし、仮にここで合格していたとしていつかは失敗します。努力が報われないときは悲しいかな来てしまうでしょう。聞いたことのある言葉かもしれませんが、そのときにどうするのか、自分の失敗をどう人生の糧にするか、それが一番大事なのです。
失敗という泥水を啜る中で、すこしでも大きくなるための栄養を得て立ち上がれるような、そういった経験にこの一年を昇華できたらいいなと思っています。手痛い失敗を経て私は、何かをできることは素晴らしいが、それが自分の価値を決めるものではないとも思えるようになりました。
不合格の瞬間、あれほど涙が出たのは、もちろん努力したからでもあります。けれど幼い頃からなまじ結果が出てしまったばかりに、結果と自分の肯定がぼんやりと同一視されてしまっていて、存在否定をされたような感覚に陥っていたのもあると思います。
ついでに言えば無駄だったと思った努力や模試の判定のおかげで(金銭的に許可してもらえる環境があるという恵まれもあり)浪人をさせてもらえたわけですから、全てが無駄にもなりませんでしたし。
浪人をさせてもらえない、そもそも女子が東京に行かせてもらえないこともあるような地方に生まれた中で、わざわざ高いお金を払って浪人をさせてくれる恵まれた暖かい家庭に生まれたことに感謝しながら、失敗から学べることもある、と胸を張って言える1年にしたいです。
ここまで読んでいただきありがとうございました。がんばるぞー。
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