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現実社会に必要なのは「納得解」を導き出す力

絶対解と納得解とは、民間企業出身者で、公立中学校の校長先生も務められた藤原和博さんが体系的に整理し、広めた言葉とされますが、私もこの考えに賛成です。

藤原さんは「ダイヤモンド・オンライン」の記事で次の発言をされています(「成長社会から成熟社会のターニングポイントで生き残れる人、生き残れない人の分かれ目とは?」2023年3月19日)。

日本の教育は「正解至上主義」なんです。でも、私がいたリクルートはそれが通用しない世界でした。想定外のこと、二律背反の出来事が毎日どころか毎分起こる。それらに対処していくには、知識や情報の「処理力」だけでは足りません。必要なのは、自分で仮説をたくさん立て、他者からの仮説も集めつつ、その中から自分が一番納得し、さらに関係者も納得できる解、つまり「納得できる仮説」=「納得解」を導き出す力です。

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ここでは、私なりの解釈も加えて話してみたいと思います。

絶対解というのは、もう答えが決まっているということですね。一般的に言えば正解主義です。テストの点数で測れる「学力」です。1+1=2というのが絶対解です。

現在の日本の教育現場の主流でしょう。「できる・できない」で子どもたちを分けるものでもあります。100点満点としてできない問題の点数を引いていく減点法の評価基準とも言えます。

これはじつは、排除の論理へと向かいがちです。できないから、そのできない状態がひどいから「来年度は支援学級に」という構図も、ある意味生まれやすくなってくると思います。

私の立場は、この絶対解的な考え方をすべて否定するということではありません。子どもが社会に出ていくにあたり、暗記すべき項目やルールというものは存在します。それができるか、できないかという厳しさは必要なものです。

しかし、「それがすべてではない」ということです。「絶対解だけだ」というのが、絶対解ではないのです。

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