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【スクープ】京大教授”出世論文”改ざんの舞台裏 告発した研究員は3カ月後に雇い止めを告げられた

2025年11月4日、京都市内で開かれた日本生化学会の大会。「がん悪性化の分子機構と治療への応用」と題したセッションの会場には、午前8時45分という早い開始時間にもかかわらず、大勢の参加者が詰めかけた。特に、司会も務めた京都大学生命科学研究科の小田裕香子教授による講演は立ち見の人も並び、注目度の高さがうかがえた。

小田氏が発表したのは、「JIP(ジップ)」と名付けられたペプチド(複数のアミノ酸がつながってできた分子)に関する研究成果だ。外界と体の内部、あるいは体内のさまざまな器官の内外を仕切っている細胞層を「上皮」と呼ぶが、小田氏は2021年、JIPが上皮の細胞同士の接着を誘導すると論文で報告している。

米学術誌サイエンス・アドバンシズに掲載された
この論文は高く評価され、発表当時、助教だった小田氏は、准教授、そして教授へと順調に昇進を重ねた。将来の医療応用も期待され、複数の公的研究費や民間の財団による助成金も獲得した。

小田氏の研究室はその後も一貫してJIPに関する研究を続けている。後続の論文はまだないものの、がん化によって損なわれる上皮組織の細胞間接着が、JIPによって回復できる可能性が出てきたという。

「JIPによって(がん細胞を)正常な状態に近づけることができるんじゃないかと考えております」

新たなデータをスライドで示しながら発表する小田氏。だが、その約4カ月半前、京大が設置した調査委員会は、一連の研究の出発点となった2021年の論文についての内部報告書をまとめていた。告発を受けて複数の疑義について調査した結果、1組の図に小田氏による改ざんがあったとする内容だった。

小田氏による不服申し立てとその却下を経て、26年3月31日、京大は調査結果の概要を公表した。調査概要で「研究の進展への影響は低い」という判断が示されていたからか、あるいはすでに退職した教員や研究員による他2件の研究不正と併せての発表だったためか、各メディアの扱いは小さかった。

しかし、改ざんを認定された実験や他の疑義の詳細について取材を進めていくと、調査が不正を矮小化したのではないかと疑いたくなるような事実がいくつも浮かんできた。

東京大学を上回る 10人のノーベル受賞者を輩出し、巨額の支援を受ける「国際卓越研究大学」の認定候補にも選ばれた名門国立大学で起きた研究不正の深層に、3回の連載で迫る。第1回では、告発した研究者が受けた理不尽とも言える処遇について取り上げる。
                   須田桃子(科学ジャーナリスト)

3億円近い公的研究費を獲得

ペプチド「JIP」が細胞接着やその修復に関わっているとする論文(以下、JIP論文)は、2021年11月に発表された。筆頭・責任著者の小田氏は、当時、京都大学ウイルス・再生医科学研究所(2022年に医生物学研究所に改名)の豊島文子教授(現・東京科学大学教授)の研究室の助教だった。

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JIP論文の実験が行われた京都大学医生物学研究所(研究当時はウイルス・再生医科学研究所)

論文発表後、小田氏は飛躍を遂げる。翌年3月、優れた女性研究者に贈られる「京都大学たちばな賞」を受賞。4月には京大iPS細胞研究所(CiRA)の准教授に昇進し、PI(研究室主宰者)として初めて自分の研究室を構えた。

JIPに関する研究では、多額の競争的研究費も獲得した。研究代表者として獲得した研究費だけでも総額は約2億8000万円に上る。いずれも狭き門で、例えば日本医療研究開発機構(AMED)の2022~25年度の研究費「革新的先端研究開発支援事業(PRIME)」は採択率10.8%だった。

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民間からの支援も多く、2022年以降、約10の民間財団から助成金を受けている。今回の研究不正を受けた措置として、小田氏は今後3年間、公的な助成金である科学研究費助成事業(科研費)やAMEDの補助金を受けられないが、民間は別だ。

3月半ばには、キヤノン財団による3年間で3000万円の助成金に選ばれている。

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4月17日に行われた研究助成金贈呈式での小田裕香子氏(左、キャノン財団のHPから)

論文発表の2年後に疑義の通報

京大の公正調査監査室に、JIP論文に関する複数の疑義について告発があったのは、論文発表から約2年後の2023年12月だった。通報したのは、当時小田研究室に博士研究員として在籍していたA氏である。

JIP論文の発表当時は技術補佐員で、JIP論文の一部の実験や図の作成を担当し、共著者にもなっている。

以下は、A氏の話に基づく経緯である。

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技術補佐員当時の業務記録を見ながら取材に応じるA氏(須田桃子撮影)

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A氏は23年9月、外部の研究者との議論をきっかけに、培養細胞にJIPをかけて細胞同士の接着を誘導するという、JIP論文中の実験の追試を試みた 。

以前、小田氏や研究室のメンバーから、小田氏以外の誰も追試したことがないと聞いたことがあり、気になっていたという。複数回実験したが、JIP自体が凝集(互いに引き合い、集まって固まること)するだけで、細胞間接着が形成されたという結果は得られなかった。

JIPには元々、凝集しやすい性質がある。A氏は、JIPが凝集した影響で細胞群の見た目が変わり、あたかも細胞間接着が誘導されたかのように見えているのでは、と考えた。小田氏は別の実験で凝集しにくいJIPを使って効果がみられたと主張したが、A氏が実験試料を見せてほしいと頼むと「もう捨てた」と言って見せてくれなかった。A氏はさらに他の実験についても追試をしたいと申し出たが、小田氏が必要な実験装置を外部に貸し出すと言ったため、実現しなかった。

小田氏の態度に不信感を抱いたA氏は、論文中のマウス実験の1つについて、当時の実験記録を確認した。すると、論文のグラフを作るにあたり都合の悪いデータを削除したとみられる不審な点が見つかった。

2023年10月10日、A氏は別の研究員1人も同席のもとで、失敗に終わった追試の結果やマウス実験のデータの削除に気づいたことを小田氏に伝えた。

A氏によると、小田氏は論文の不備を一部認めながらも、「Aさんはラボを潰したいですか」などと発言。このままJIP研究を続ける方針を示し、A氏に対し「あなたは自分がしたいことをすればいいじゃないですか。少額であれば研究させてあげますよ」と告げたという。

翌日から小田氏に無視されるようになり、もはや研究室内での解決は難しいと感じたという A氏は、2日後にCiRAの相談室に相談した。

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京都大学iPS細胞研究所(CiRA)

相談内容は髙橋淳所長(当時)まで報告され、CiRA の仲介で、11月下旬には JIP 論文発表時の小田氏の所属先である京大医生物学研究所(医生研)の教授2人にも相談している。それまでには、他の複数の実験についても不審な点が見つかっていた。

教授の1人は A氏の説明に「問題がなかったとは言えない」との見解を示し、別の1人は「もう個人の判断で通報しても良いのではないか」と口にした。

相談すれば CiRA と医生研が何らかの対応をしてくれるのではないか ―― 。内心そう期待していた A氏だったが、両研究所が動く気配はなく、逡巡の末に、自ら告発することを決意したという。

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「本当は私個人で告発するのは避けたかった。でも、JIP論文を根拠に多額の公的研究費が取得され、医療応用を見据えたさまざまな共同研究も進んでいる。共著者として責任を感じ、科学者としても、気づいた以上はこの論文をそのままにしておくことはできないと思った」(A氏)

A氏の通報を受け、京大は約1カ月間の予備調査を経て2024年3月29日に本調査を開始。小田氏はその直後の4月1日に、CiRAとは別の部局である生命科学研究科の教授に昇進した。CiRAの准教授の職は7年契約の任期制だったが、今度は無期雇用のポジションだ。

同研究科の科長、井垣達吏教授は小田氏の共同研究者で、自身も22年度から、JIPと老化との関連を調べる研究でAMEDの競争的研究費(27年度まで。これまでの配分総額は1億7556万円)を獲得している。

京大への取材で、教授選考の過程や試用期間中に、小田氏の主要な研究業績であるJIP論文に疑義があることは考慮したのかを尋ねたが、回答はなかった。

事務スタッフから雇い止めの通知

研究不正の調査中に栄転を遂げた小田氏。一方、A氏は厳しい現実に直面していた。

A氏の説明や京大の調査委員会の報告書などによると、小田氏は10月10日を境にA氏と直接のコミュニケーションを一切取らなくなり、メールや Slack (仕事用の連絡ツール)による業務連絡にも返信しなくなった。

話し合いの場での小田氏の言動にショックを受け、体調を崩したというA氏は、12月上旬まで仕事を休んだ。その間に、A氏が取り組んでいた研究プロジェクトは、事前の相談もなく別の研究員に引き継がれていた。

CiRAはA氏に対し、研究室から離れたスペースで働くことを提案。A氏は机と椅子だけのそのスペースに出勤を続けた。

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CiRAがA氏に用意した隔離スペース(A氏提供)

通報から約3カ月後の24年2月末、CiRAの事務スタッフに呼び出されたA氏は、思いもよらない通知を受けた。年度末で研究員としての雇用が終了するという。

「小田先生の生命科学研究科への異動に伴い研究室の予算規模が縮小するため、人件費を確保できないと聞いています」。

スタッフはそう説明し、小田氏からのメッセージだとして、体調不良により直接対応できないことや判断や通知が直前となったことを詫び、A氏の貢献に感謝の意を伝える短い文面を読み上げた。

続いてスタッフは、「CiRAとしての特別の配慮」として、24年4月から3カ月間、同じ給与条件で雇用を継続することを提案した。A氏は後日、一方的な雇い止めを受け入れたことにならないのを前提にその提案を受け入れた。その後も小田氏と顔を合わせる機会はないまま、6月末にCiRAを退職した。

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告発者への不利益な取り扱いか

博士研究員は通常、1年間の任期制で、年度ごとに雇用契約を更新する。年度の変わり目に雇い止めに遭うことは決して珍しくない。

だが、A氏によれば、研究室の移転に伴って雇用を打ち切ると小田氏が口にしたことはそれまで一度もなかった。

井垣氏が代表を務める2025年度末までの大型科研費事業に小田氏とともに参画していたほか、23 年初夏には小田氏から生命科学研究科の教授選に応募することを打ち明けられ、選考に向けたスライド発表資料の作成にも協力した。小田氏から「Aさんもあっち(生命科学研究科)の方が研究しやすいと思う」など、移転後を見越した言葉を掛けられたこともあったという。

文部科学省や京大の指針では、研究不正の告発者に対し不利益な取り扱いをしてはならないと定めている。

論文の不備を指摘した直後から対話を拒まれ、まともな研究活動ができなくなったこと、そして通報からわずか3カ月後の一方的な雇い止めの通知は、まさに不利益な取り扱いにあたるのではないか――。

A氏は京大本部の窓口に相談した。

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京大はその後、A氏が雇い止めの通知前に受けた対応について、パワーハラスメントにあたるかどうかを調査している。2024 年 11 月に A氏に伝えられた報告によると、調査委員会は A氏の申告内容のほとんどを事実として認定し、一部は「(小田氏は) PI としてやや配慮を欠き、あるいは若干至らない対応であったと言わざるを得ない」と評価したものの、いずれもハラスメントには該当しないと結論付けた。
 
京大は A氏に対し、雇い止めが不利益な取り扱いに当たらないかを別途調査すると伝えたが、こちらは退職から 2 年近く経つ今も結論は出ていない。 A氏によれば、26年4 月下旬に担当部署から申告内容の詳細を尋ねる「調査票」への回答依頼がようやく送られてきたという。

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京都大学「調査結果」への疑問

組織内の不正を社会や公共の利益のために明らかにする通報は「公益通報」と呼ばれ、通報者に対する減給や降格、解雇といった不利益な取り扱いをすることは、公益通報者保護法で禁止されている。契約社員やアルバイトといった非正規雇用者も保護の対象だ。

また、2026年12月に施行される改正法では、通報後1年以内の解雇や懲戒処分は、公益通報を理由に行われたものだと推定されることになった。

ただし、この法律の通報対象は「国民の生命、身体、財産その他の利益の保護に関わる法律」で刑事罰や過料の対象となる法令違反に限定されている。

公益通報者保護制度に詳しい三浦直樹弁護士は「研究不正に関する通報は、基本的には公益通報者保護法上の通報対象事実には当たらない」としたうえで、「改正法の理念に則って考えれば、Aさんの雇い止めは通報を理由とするものであると推定される。文部科学省の指針や京大の規定に違反するのではないか」と話す。

ハラスメントに該当しないと結論付けた京大の調査結果についても「事実認定された内容を見る限り、全くの第三者が判断した場合、『パワハラにあたる』と評価される可能性は十分にある」との見解だ。

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三浦弁護士は「パワハラに当たると評価される可能性は十分にある」

A氏への不利益な取り扱いの調査がこれまで事実上、放置されてきたことについて、研究不正や大学政策に詳しい一般社団法人科学・政策と社会研究室の榎木英介代表は「人権侵害の恐れが生じた際は、誠実な対応をスピーディーに行うのが当然のことだ。学内でこの問題の優先度が低かったとすれば問題で、自己規範の欠如した組織だとみなされかねない」と指摘する。

A氏の退職までの経緯については、京大とCiRAの髙橋所長(当時)、小田氏のそれぞれに取材を申し込んだが、京大は個別の取材を断った。髙橋氏や小田氏への質問を含む質問状を送ったところ、 京大は「個別の具体的な状況に関する問い合わせについては回答を控える」として回答しなかった。

明日(5月13日)の連載第2回では、不正の矮小化の疑惑に迫っていく。

須田桃子(すだ ももこ)
科学ジャーナリスト/東京農工大学特任教授。毎日新聞、NewsPicksを経て2024年に独立。『捏造の科学者 STAP細胞事件』で2015年に大宅壮一ノンフィクション賞、科学ジャーナリスト大賞を受賞。取材班キャップを務めた共著『誰が科学を殺すのか』で2020年に科学ジャーナリスト賞。NewsPicksの特集「虚飾のユニコーン 線虫がん検査の闇」で2024年にInternet Media Awards、調査報道大賞奨励賞などを受賞。2冊目の単著に『合成生物学の衝撃』がある 

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