クマの脅威、江戸時代も 弘前藩庁日記に記述 青森大・竹内客員教授分析
青森大学客員教授の竹内健悟氏(保全生態学・動物史)=青森県弘前市=が、元禄時代の県内のクマ被害や駆除の様子について、弘前藩の公式記録「弘前藩庁日記」の記述を基に分析した論文を4月、「青森自然誌研究」に発表した。竹内氏は「江戸時代も人々はクマの脅威にさらされていた」と解説。一度人を襲ったクマは再び人を狙う可能性があるとし、「駆除だけでなく、事故現場に近づかないことや地域ぐるみの予防策が重要だ」と訴えている。 竹内氏の論文「駒籠(こまごめ)山の人取熊(ひととりぐま)・人喰熊(ひとくいぐま)の記録~『弘前藩庁日記』から」によると、弘前藩庁日記には元禄8~11(1695~98)年の4年間に「駒籠山」周辺で10人がクマに襲われ死亡、2人が負傷、1人が行方不明になった記録が残る。特に元禄9(1696)年には4~7月に8件の被害が相次いだ。いずれも山菜採りなどで山に入り襲われている。駒籠山の位置は不明だが、竹内氏は駒込川上流部の八甲田北麓一帯だった可能性が高いとみている。 日記には「死骸を熊喰い罷(まか)り有るに付き(死骸をクマに食べられていたため)」「熊に喰い殺され、足の先四寸程残し置き候(そうろう)(クマに食い殺され、足先だけが12センチほど残った状態だった)」など、生々しい記述がある。 人がクマに食べられたとの記載が複数あることから、竹内氏は「一度人を襲ったクマは再び人を餌として狙う可能性がある」と指摘し、「現在でも事故が起きた場所には駆除するまでは近づかないことが大切だ」と警鐘を鳴らす。 弘前藩はクマの駆除のため足軽による鉄砲撃ちを派遣したが、成果が上がらなかったため、狩猟に熟練したマタギ、さらに今別地域に住んでいたアイヌに駆除を命じた。アイヌは毒矢を使った仕掛け弓、やりで駆除に当たったとされる。 元禄11(1698)年3月、危害を加えていた「白沢の人取熊」と「青戸の沢の人喰熊」の2頭を駆除して事態は収束したが、「青戸の人喰熊」はマタギ13人とアイヌ4人の計17人がかりで討ち取った。マタギやアイヌは「このような大きなクマは見たことがない。今後、人がクマに襲われることはないだろう」と大喜びしたという。 藩庁日記によると、江戸時代後半には、オオカミの被害対策として、鉄砲による「脅し」「追い払い」など予防策が進み、被害が減ったとされる。竹内氏は「江戸時代のオオカミ対策と同様、現代のクマ対策でも、電気柵やベアドッグによる追い払い、鳥獣を誘引する収穫残渣(ざんさ)の放置防止など、地域ぐるみの予防策・環境管理を、時間をかけて進める必要がある」と話した。