現実をハックしない
ハックという言葉は、元々は既存の仕組みを変える便利な工夫のことを指していましたが、転じて、PCへの不正侵入などの意味でも使われてきました。現代社会では、ハックというと、最初は効率的な小ワザとかコツをそう呼んでいましたが、今では社会の穴を突いて裏技的に制度や相手を出し抜くような手法も意味するようになっています。
少し前に、起きたXでの議論から、このハックについて考えました。Xでは毎日何らかの議論が起きていて、発端はノンアルコールで居酒屋に長居する人でした。なぜそんなことを休日に議論しなきゃいけないのかさっぱりわかりませんが、居酒屋大好き人間として喜々として参戦した私は同じ穴の貉でしょう。
個人としては、居酒屋だけでなく飲食店全般では「混んでる店で何も注文しないで居座るな」、「並んでるのに食い終わった後ダラダラ喋ってるな」くらいは常識かと思っていましたが、いろんな意見に目を通していると、そうではない人もいて、けっこう驚きました。その主張としては「そういう価格設定にしてるんだから、店の責任だ。それを利用するのは悪いことではない」という自己責任論、言い換えれば、そういう穴があるのだから”ハック”することは罪ではない、というものです。
そういった意見は1件だけではなく、複数件あったのです。ただ、これが浅はかな考えだということはすぐにわかるでしょう。もし、全員がそれをやったら目先の自分の利益は多少増えるが、社会全体の利益が減って、最終的には自分の不利益になるということも容易に予想がつきます。たとえば居酒屋問題で全員がそれをよしとしたら、ルールが増えて使い勝手は悪くなり(ノンアルお断りとかね)、立ち行かなくなる居酒屋が出てきて店の数が減り、結果的にノンアルで行ける店が減ってしまうでしょう。
まるでタコが自分の足を食ってるようなもので、アホらしいとしか言いようがないのですが、こういった現実のルールの穴を突くハックは居酒屋だけでなく、社会の他の場所でも起きています。ラーメン屋で、役所で、学校で、会社で、コンビニで、スポーツジムで。もしかしたら家庭で起きてる場合もあるかもしれません。読んでる方でも、現実がハックされている場面に遭遇した人は多いでしょう。
これだけ広範囲で事象が確認できるということは、全体の利益の総量を減らしながらも、自分だけは目先の利益を得ることに汲々とするこの「ハック思想」は一部の特殊な人間だけが持つものではなく、ある程度の数がいる層の傾向だと思えます。では、なぜそういったことが起こるのでしょうか? いろんな反応や意見をもらったので、それを基に考えてみました。
1.SNSによる知識の伝達
いくら現実をハックしたくても、その方法がわからないとできません。ネットのない昔は、そういったルールの穴を突くようなやり方や穴がある場所は、本を読むか口コミでしか手に入らず、一部の「知っている」人間にしか手に入りませんでした。
しかし、今はSNSでいくらでも手に入ります。「たった〇〇円でコスパよく飲める居酒屋3選」「最安値で〇〇をゲットできる5つの方法」などなど、インスタなんかを見ていると、10分間で無限にそういう情報が流れてくるでしょう。
本来はそういった知識を得ることができない層にも、その情報は簡単に流れてきてしまいます。道具を持ったら、人間は必ず使いたくなりますよね。それを振り下ろした時に、何が起こるのかわかっていたとしても。
2.世間からの圧力の低下
昔はそういうことをしていたら、「粋じゃない」とか「ダサい」とか身内が窘めていたものですが、その身内という共同体概念がここ何十年かでほとんどだいぶ縮小あるいは消滅してしまいました。これは、ここ百年ほど世界を席巻した”自由”という宗教の隆盛のおかげですが、ともかく口うるさく言ってくる親戚や仲間がいる人は減りました。
もちろん、今回のようにSNSから壮絶に叩かれることはありますが、SNSで叩かれたところで、せいぜいインプレッションが増えるくらいで、無視すれば実害はほとんどありませんからね。ハックを抑制する要因にはならないでしょう。
また、共同体への所属意識が希薄ということは、共同体に不利益があっても特に問題にならないということでもあり、自分以外の事を考える必要性がより薄くなりますね。どうなってもいいですもん。
3.自分だけが損をすることを許容できない
要因としては、これがかなり大きいんじゃないかと思います。若い人と話していると、「ものすごく得をしたい!」というポジティブな欲望よりも「絶対に自分だけ損をしたくない…!!」というネガティブな欲望のほうがより大きいように感じました。
この「損をしたくない」という感情があるのになんで全体で損をする選択をするの? と思うかもしれませんが、「自分だけ」というのがミソです。ハックをみんながしている(と少なくとも自分は思っている)ので、目の前を通り過ぎるハックの機会を逃すと、自分だけがマイナスを被ってしまう。なので、たとえ最終的には自分が損をするのはなんとなくわかっていても、自分だけが損をするよりはマシなので、やってしまうのです。
目の前に近道の橋があって、その橋はショートカットになるけれど耐久性がなくていずれ橋が落ちることは明白。しかし、他の人が橋を渡っているのを見ていると、どうしても遠くの回り道をすることはできない。そんな感じでしょうか。
この内的な強迫観念ってけっこう大きいらしく、ほとんど無意識にやってる人たちもいるんじゃないでしょうか。社会全体にとってマイナスになるというのも、むしろマイナスになったほうがいいくらいの感覚もあるかもしれません。
4.ハックはクール
「ルールなんておとなしく守ってる奴がばか!」
最近は、そんな論調が増えました。ルールを守らない人がやり玉に挙げられて炎上している光景を日常茶飯事で見かける一方、ルールの穴を突く行為は「クレバー」として賞賛されます。
ひろゆきやホリエモンなんかが始祖なんでしょうかね。ルールに汲々と従うのはただの豚野郎のやることで、いかにルールの穴を見つけるか、制度の隙を突けるかが、人間の能力の1つの指標となりました。
そうすると、ハックをすること自体に快感や価値が出てきます。実際、転売屋なんかは、商品を手に入れるための労力を考えるとバイトしてたほうがよっぽどマシなんてケースもけっこうあるそうですが、それでも転売という行為で現実をハックすること自体が目的になっている場合が多いので、報酬の多寡はあまり関係がないのでしょう。
このハック=クールという考え方だと、明らかに黒な行為でも明文化されていなければオッケーという無理筋な主張が出てきます。たとえば映画館で全裸になるなということは特に明文化されていないわけですが、書いてないから「全裸になってもオッケーなんですね!」みたいな極端なことを言うやつがでてきます。映画館で全裸になりたいか? と言われたら私はイエスと答えますが、禁止行為に「全裸」と書かれてしまうので、私はやりません。そういう問題じゃないんですよ。
5.「いい奴」の価値低下
上記のクレバーな行為が賞賛される一方、いわゆる「いい奴」の価値が大恐慌なみに暴落しています。ちょっと杓子定規でどん臭いけど進んで雑事をしてくれる裏方的な人、あるいは、わざわざ手間をかけてみんなの要望を聞いて仕切ってくれる幹事的な人。そういったいい人ってなんだかんだ言われても一目置かれていたんですが、ここ最近は価値が急落しています。
しかし、それも当然なんですよね。共同体に奉仕してもリターンがないわけですし、長期的に能力がプラスになったりしてたのもそんな先のことはわからない。だとしたら、このコスパ時代にわざわざ一時的に損失を進んで取りにいっているいい人は、バカにしか見えないですもん。
リーダーや裏方の不在は、集団をさらに縮小させます。より小さい単位に、より少ない人数に、人間は孤立化していき、ハックすることがより正解に近くなっていくでしょう。
6.まとめ それでも回り道をする
以上、いろんな要因を考えてきました。その他にも理由はあるのでしょうが、こういった要因が重なって意識が変わり、さらにそれがSNSなどで可視化されるようになったので、より”ハック”する意識が一般的になってきたと推測されます。
この意識が増加することはあれ、あまり逆戻りすることは考えづらいですね。共同体はよりミクロになっていき、機会損失がより可視化されていく以上、ハックする者が正しい=ハックされる奴はただの間抜けという風潮は加速していくでしょう。彼らは自分たちのハックを正当化するために、その隙を作るものたちを責め続けることになります。そんなわけはないんですがね。
やられる側もただ手をこまねいているわけにはいかないので、ルールの厳格化と排除の徹底が行われることになります。今までグレーでやっていたところを白と黒にきっちりと分けなければならず、それにはハック側も膨大なコストを払うことになりますが、それはコインの裏表のようなものであり、避けられない未来です。
その先にあるのは、息苦しく、余白のない殺伐とした世界です。こういった世界にしないためには、どうすればよいでしょうか? 中々、潮流に逆らうのは難しいかもしれません。しかし、少し損をする勇気を持つことが必要じゃないでしょうか。
目の前に渡れる橋がある。それをぞろぞろと渡っていく人がいる。しかし、いずれ崩れるその橋を渡らずに、少し回り道をする。自分だけが長く歩くかもしれない。目的地には遅くつくかもしれない。しかし、その長く歩いた距離だけ足は強くなるし、その途中で美しい虹を見るかもしれない。もしかしたら新たに人に出会うかもしれない。
理想論にしか聞こえないかもしれませんが、それを選べる人生というのは悪くないんじゃないかな、と思います。無駄を、余白を、愛しましょう。



はてなブックマークに載ってるコメントを見ました. 確かに, "nodrink飲食店" より "選択的無子無婚" の方が遥かに社会への負影響が大. 子孫の生産量を含めると, 有子の方が数十倍社会への貢献をしている.