性暴力の加害者は他責をし、被害者は自責する傾向がある。専門家や支援者の中ではよく知られた事実だが、世間一般に広く浸透しているとは言えない。被害者に追い討ちをかけるような強姦神話やセカンドレイプ的な言説がまかり通る理由のひとつとしては、このような実態が知られていないことがあるのではないか。
罪の自覚のない加害者たち
私が痴漢という犯罪について調べ始めた初期の頃に、ある男性に出会った。その男性のお子さんが高校生の頃に繰り返し同じ人物から電車内で性暴力被害に遭い、裁判をしたことがあるという。
犯人の男は、警察の取り調べで「冤罪だ」と主張。そしてそれが通らないとわかると、「被害者から誘ってきた」と供述を変えた。その時点で、男には痴漢の前科があることがわかっていた。男はその後、執行猶予のない実刑判決となった。
この話を聞いたとき、私はとても驚いた。なぜならそれまで、「痴漢冤罪」を主張する人は、本当に冤罪なのだろうと思っていたからだ。世の中で報道される冤罪の深刻さから考えて、本当に痴漢しているのに冤罪を主張するような図太い人がいると想像できなかった。
しかしその後、取材先で加害者の図太さをたびたび目にするようになり、平和ボケな自分の視野の狭さを思い知らされた。たとえば、以下のような加害者を私は見てきた。
・制服窃盗をした男が、「制服を盗まれたことが理由で被害者はその後いじめに遭って不登校になった。いじめはかわいそうだが、自分の行為で直接的に傷ついたわけではない」という趣旨の発言をした。
・コーチをしていた女児にわいせつ行為をして執行猶予判決を受けた男は、法廷でそうしないと誓ったにもかかわらず、裁判が終わるとすぐに女児の行動範囲に近づいた。
・加害心理については自分が詳しいのだから、自分の経験を語らせてくれと強引に性犯罪の被害当事者や支援者に近づく痴漢常習者がいた。
「惨めな気分になったのは女性のせいだから痴漢しても良い」
もちろん中には真摯な反省をする人もいるだろうし、罪を償った人の社会復帰の観点から考えても、人はやり直せると信じたい。というか、そう信じていたからこそ、一部の加害者たちのあっけらかんとした自己肯定や他責に驚いた。
これまで2000人以上の性加害者と榎本クリニック(東京都豊島区)で対峙してきた経験を持ち、『男が痴漢になる理由』『「小児性愛」という病―それは、愛ではない』などの著書を持つ斉藤章佳氏は、以前、私の取材に対して、「彼らはマジックを使う」と言った。
彼らはよく“マジック”を使うんですよ。自分の責任を軽くしようとしたり、相手が悪かったからやったとか責任転嫁したり、そういう話を巧妙に作り上げる。(引用:「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”)
斉藤氏が著書や講演などでたびたび取り上げるのが加害者の「認知の歪み」だが、ここから他責傾向が伺えるものをピックアップすると次のようになる。
(2)こちらをチラチラみている女性は痴漢されたい。
(3)車内で寝ていたり、終電に乗っていたり、女性専用車両に乗っていないような女性は隙があるので触られても仕方がない。
(4)惨めな気分になったのは女性のせいだから痴漢をしても許される。
(5)痴漢の多い路線だからやってもいいだろう。
(6)妻とセックスレスだから痴漢しても仕方ない。
(1)(4)(5)については、そんな責任転嫁は許されないと感じる人が多いだろう。しかし、(3)や(6)はどうだろうか。性犯罪に関するネットニュースのコメント欄を覗けば、被害者の「隙」を指摘したがる人が少なくないことがわかるし、性犯罪の裁判を傍聴すれば、被告人の妻が出廷し、情状酌量を乞うためか自分の「非」を口にすることがある。
つまり社会の側でも、加害者の「他責」や「責任転嫁」のロジックを一部共有しているし、加害者は社会規範の一部を都合よく利用して自分を守る。前編で述べたとおり、被害者でさえそのロジックに支配され、自分を責めてしまうことがある。
加害者の説得力のある語り
ちなみに、(2)こちらをチラチラ見ている女性は痴漢されたい、についてはどう思うだろうか。この一文だけ見れば「加害者側の自意識過剰だ」と呆れる人が多いだろうが、たとえば加害者の状況説明が具体的で詳細であったり、加害者がそれなりに魅力のある人であったりする場合、「そういうこともあるかもしれない」と思う人もいるのではないか。
実際、前編で紹介したリアルナンパアカデミーの「塾長」は、自分がいかに異性からモテていたかを法廷でまくし立てた。被害者や共犯者の証言とは食い違いがあるのだが、彼の話だけを聞けば「魅力的な男性だから、犯罪ではなく、被害者側も望んだ行為だったのではないか」と、それなりに説得力を感じる人もいただろう。
上記のように加害者の認知の歪みだけを箇条書きで取り出せばある程度わかりやすいものとなるが、それが日常の会話の中で表出される際には、非常に巧妙だ。斉藤氏は、インタビューの続きで下記のように述べている。
私も男性なので、知らないうちにその巧妙に仕組まれたストーリーに近寄っていく自分がいることに気付きます。定期的に被害者支援の方々にお会いしたり、被害者の方の話を聞いたりして自分の中にあるバランス感覚を見直していかないと天秤が崩れてしまいます。それが加害者臨床の中で最も難しいバランス感覚です。(引用:「性犯罪者は“マジック”で自己正当化する」 加害者臨床から見た“男が痴漢になる理由”)
刑務所の中のメンズトーク
加害者の他責を指摘する研究者は他にもいる。
昨年の秋、上智大学で「性暴力をなくすために男性ができること」というタイトルのシンポジウムがおこなわれた。この中で、少年刑務所での性犯罪者処遇プログラムなどに携わってきた立命館大学の中村正教授は次のように話していた。
「性犯罪の加害者の中には、他罰性がとても強い人がいる。他者非難を行うことで加害的な自分を減じていくスキルに長けている。
裁判所が悪い、検察官が悪い、被害届を出した被害者が悪い。その理屈に私たちを巻き込もうとするのです。たとえば、自分はこんなに熱心に反省しているのに…と見せつける。刑務所は男性的な組織なので、その語りが(刑務官や臨床の)担当者の“男性性”に火を点けることがある。
同じ男性だということで共同体をつくるんです。(刑務所内のグループワークなどで)そのような状態になってしまいそうなとき、私は『メンズトークになってるよ』と注意します」
見ず知らずの女性の家に侵入して強姦したケースでさえ、「嫌がっていなかったはずだ」「通報するつもりのなかった女性から警察が無理やり話を引き出した」などと口にする加害者は実際にいる。そしてその思い込みを大胆かつ詳細に語ることにより、聞く側が信用してしまうことがある。
加害者は社会の意識を養分にする
改めて中村教授に取材を申し込んだところ、印象的な言葉が返ってきた。
「加害者と社会は共軛(きょうやく)関係にある」(中村教授)
共軛とは、2つのものが結びつき同様の作用をもたらすこと。
「社会の中にも、『強姦神話』や『No means Yes』のように被害者にも非があるとする意識があります。隙があったとか、男を勘違いさせる態度を取ったんじゃないかと被害者を責める風潮。加害者たちは、その意識を養分にします」(同)
また、加害者たちが他責し、自分の否を認めようとしない心理について、中村教授は「暗黙理論」という言葉を使って説明する。
「加害者は、その行為を正当化するために自らの中に『暗黙理論』を持っています。暴力の肯定論者たちは、社会の中にある情報の中から自分に都合の良い情報だけを取捨選択していきます。そうして自らの暗黙理論をさらに強化していくのです。彼らは、そうやって作り上げた物語の中を生きています」
たとえば、子どもを性的加害行為の対象にする人たちは、「子どもが大人と性行為を望むことがある」という情報ばかりを取得しようとする。痴漢の常習者は、「痴漢行為を望む女性もいる」というフィクションに執着する。
ときどきネット上で、そういった加害者たちのつぶやきを目にすることがあるが、彼らは「性被害に遭うことを望んでいる被害者の方が多い」とさえ思っているかのように見える。
そして加害者たちは、自分の中に「暗黙理論」があることに気付いていない。女性蔑視発言をする人がたしなめられたときに「これは差別じゃない」と言うのと同じように、本人にとっては自分の物語が歪んだ認知に基づくものだと気付いていないのだ。
中村教授は、加害者臨床として、この暗黙理論に気づかせ、なぜそのような暗黙理論を持つことになったのか加害者本人に語らせることに取り組んでいる。
ちなみに中村教授は、性犯罪の加害者だけでなくDVや虐待の加害者臨床も行う。DVや虐待の場合も、加害者は暴力を肯定する暗黙理論を持つという。
加害者が過去の被害を語ること
ところでときどき指摘されるが、加害者自身も過去にいじめや虐待などの被害経験を持つことがある。これは前出の斉藤氏も指摘していることだ。
そうであるならば、加害者が自分の罪を真摯に向き合うためには、まず自分の「被害経験」を癒やし、克服することも一歩なのではないか。私が改めてそう聞いたところ、斉藤氏の答えは明確に「No」だった。
「加害者の多くが逆境体験を持つことは確かです。だから被害者性の承認をすることで加害者が自分の加害行為に初めて向き合えるという考え方もありますが、私自身はその考えには否定的です。
というのは、それをやると、ことごとくそこから動けなくなる。自分のトラウマや被害者性を承認することの方が、加害性を自覚することより居心地が良いからです。それは加害行為の責任性を放棄する世界観につながるリスクがあります。
加害者臨床では、原因と責任は別次元の話です。性加害者の場合、加害行為を止めることが最優先ですので、そのリスクマネジメントよりも彼らの被害者性の承認が優先されるのは順番が違うと私は考えます」
中村教授も、「注意しないといけない」とする。
「虐待やいじめの被害経験が加害につながるというのはわかりやすい話ですが、もちろん被害経験のある人すべてが加害者になるわけではなく、簡単に結びつけられるものではありません。
非常に難しいところですが、現在の問題について、過去との因果関係だけで語らせない方が良いと思います」
「男は性欲があるのだから仕方ない」ではない
ちなみに、女である私が性犯罪加害者の問題に触れようとすると、「男を全員加害者扱いするな」「男性差別主義者なのか」といった感情的なコメントが飛んでくることがある。下記に書くようなことは、理解のある人にとっては蛇足に過ぎないと思うのだが、たびたび寄せられる少数のコメントに辟易しているのであえて書く。
「すべての男に加害性がある」とは思っていない。「すべての人に加害性がある」と思っている。強い立場に立ったときに、弱い立場の者をいじめたり攻撃してしまったりする可能性は誰にでもある。そのスイッチの入りやすさに個人差があるだけだ。
女性も自分より力や立場の弱い相手に、性加害を含む加害欲を向けることは当然ある。
その上で指摘したいのは、男性から女性への加害が「性的な加害」であるとき、「男は性欲があるのだから仕方ない」と寛容になる、あるいは諦める風潮が未だにあること。そしてそれを加害者が利用していることだ。
一部の人が常識であるかのように思っている「男は性欲を理性で抑えられない生き物だ」という考え方を、誰よりも利用するのは性加害者だ(女性の性加害者は『男性に性被害はない』という間違った考え方を利用するかもしれない)。
ハロウィンの渋谷で起こる性犯罪について、ネットニュースのコメント欄に「こんなところに行く方も悪い」と書き込む人がいるが、加害者はそのようなコメントを誰よりも真に受けて、自分の加害行為の「言い訳」に使っている。「ハロウィンの渋谷で性犯罪が多発した」という報道は、防犯の呼びかけになる一方で、加害者が「それなら自分もちょっとぐらいやっていいだろう」と自分を納得させることにもつながる。
そのような加害者心理が一般にもう少し知られれば、今後の防犯や教育の議論も深まるはずだ。