これを読んでいる皆さんの中で「ロリコンブーム」について知ってる人の方が少数派かもしれません。
ハッキリ言って「日本はロリペド大国」などという言い分に私はかなり立腹してはいるんですが、これに関しては全く申し開きが出来ません。
ということで「ロリコン・ブーム」について。
1980年代の「ロリコン(ロリータ・コンプレックス)ブーム」は、オタク史において非常に特異かつ、のちの社会的な大バッシングの直接的な火種となった極めて重要な現象です。
ご指摘の通り、このブームは初期こそ「インテリ層による意図的な悪趣味(アバンギャルドな表現)」や「マッチョな劇画へのアンチテーゼ」という“サブカルチャー的な言い訳”でコーティングされていました。しかし、1980年代末の凶悪事件によってその言い訳は完全に吹き飛び、社会から「弁解の余地のない社会悪」として断罪されることになります。
その発生から崩壊までの歴史的経緯を、年代と代表的な作家を交えて解説します。
1. 黎明期(1979年〜1981年):劇画への反発と吾妻ひでおの登場
1970年代の青年漫画は、劇画(さいとう・たかを等に代表される、リアルで汗臭く、男らしさを強調した劇画タッチ)が主流でした。この「男の情念」や「汗と血」といった重苦しい表現に対する反発として、全く新しい美意識を持ち込んだのが吾妻ひでおです。
代表的作家:吾妻ひでお彼はSFや不条理ギャグの文脈の中に、「丸みを帯びた、記号的に可愛らしい美少女(ロリータ)」を登場させ、そこにライトなお色気要素を絡めました。彼の描く、現実の生々しい女性像から切り離された「二次元的な美少女」は、当時のSFファンやアニメファンに熱狂的に受け入れられました。彼こそが「美少女コミック(ロリコン漫画)の祖」とされています。
2. 爆発と商業化(1982年〜1985年):専門誌とOVAの誕生
1980年代に入ると、この局地的なブームを出版社や映像メーカーが「金になる市場」として発見し、一気に商業化(ジャンル化)が進みます。
専門誌の創刊:『レモンピープル』(1982年・久保書店)日本初のロリコン(美少女)漫画専門誌として創刊。大ヒットを記録し、雨後の筍のように類似誌が創刊されます。
『漫画ブリッコ』(1983年・白夜書房)とオタクの命名:この雑誌もロリコンブームを牽引しましたが、特筆すべきは、中森明夫が「おたく」という言葉を初めて活字で定義したのが、この『漫画ブリッコ』の連載コラムだったという歴史的事実です。つまり「オタク」という概念と「ロリコンブーム」は、全く同じ胎内から生まれています。
代表的作家:内山亜紀吾妻ひでおがギャグやSFのオブラートに包んでいたのに対し、より直接的で過激な性的描写を確立したのが内山亜紀です。彼の極端にデフォルメされた幼児体型のキャラクターによる性描写は、のちに警察や社会からの激しい糾弾のターゲットとなります。
OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)『くりいむレモン』(1984年):テレビの放送コードに縛られない「ビデオ販売」という新しいメディアを利用し、美少女アニメと性描写を直結させた本作は大ヒットし、アニメ市場における美少女エロスのジャンルを確立しました。
3. 「悪趣味」という知的言い訳:大塚英志らの批評空間
なぜ、このような(現実の児童を性的に消費しかねない)危険なジャンルが、当時の若者たちの間で流行したのか。それは、当時のサブカルチャー界隈がこれを「高度な知的遊戯(言い訳)」で武装していたからです。
のちに評論家となる大塚英志(当時『漫画ブリッコ』編集者)らは、こうしたロリコン漫画を「現実のロリコン(小児性愛)ではなく、記号としての少女を消費するメタ・フィクションである」「家父長制的なマッチョイズムを解体するポストモダンな表現である」と批評しました。
つまり、読者である高学歴な大学生や若者たちは、「俺たちは本物の変質者ではなく、意図的に『悪趣味(バッド・テイスト)』を楽しんでいるエリートである」という、ある種のスノッブな知的情悦に浸っていたのです。
4. 崩壊とハードな迫害(1988年〜1989年):宮崎勤事件
しかし、この「これは記号のお遊びである」というインテリ層の言い訳が、凄惨な現実の前に木っ端微塵に粉砕される日が来ます。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988年〜1989年):逮捕された宮崎勤の自室からは、大量のホラービデオと共に、前述した『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』といったロリコン漫画誌、アニメ雑誌、そして同人誌が数千冊単位で発見されました。
「言い訳」の無効化と社会の断罪:マスコミは部屋の様子を連日報道しました。世間や警察から見れば、「記号の消費」も「悪趣味のポストモダン」も関係ありません。「ロリコン漫画やアニメを読むから、現実の幼女を殺すのだ」という、直接的な因果関係(犯罪の教唆装置)として完全に同一視されました。
これ以降、社会からのオタクに対する視線は、それまでの「暗くてダサい(ソフトな迫害)」から、「放っておけば子どもを襲う潜在的な性犯罪者(ハードな迫害)」へと決定的に激化します。内山亜紀などの単行本は書店から姿を消し、有害図書指定の嵐が吹き荒れました。
この項まとめ:「記号の遊戯」が「社会的抹殺の烙印」に変わるまで
1980年代前半のロリコンブームは、オタク文化が劇画や旧世代の価値観から脱却し、「二次元の美少女キャラを消費する」という現在の萌え文化の直接的な原点を作り上げた重要なムーブメントでした。
しかし、彼らが「知的な悪趣味」として安全な密室(同人誌やマイナー雑誌)の中で肥大化させていた性的逸脱の表現は、宮崎勤事件という現実の惨劇と結びついた瞬間、社会全体から一斉射撃を受ける最大の弱点となりました。この時オタクたちが受けた「犯罪者予備軍としての激しいバッシング」のトラウマは、その後の表現規制問題や、現在のSNSにおけるオタクとフェミニズムの衝突にまで続く、深い爪痕を残しているのです。
実は私も世代ではないこともあって「ロリコンブーム」についてはリアルタイムに知っているわけではありません。
オタク第二世代として「少年マンガに登場する幼児的に可愛い女の子」はもう「当たり前の様に存在する」ものでした。
この辺り「高尚な趣味」として男性の同性愛を使っていた「耽美」が欲望に忠実な「やおい」としてカジュアルに消費されるに至るのとパラレルと言えます。
それにしても「おたく」用語を生んだ『漫画ブリッコ』が当の「ロリコンマンガ誌」だったというのはタチの悪い冗談みたいな悪夢です。
ということで次回は「おたく」と言う用語の成立時期の話。これが「有力な説」が私の調査でも3つくらいあるカオスなことになってます。
情報がある方は教えていただければ幸いです。