会話

ad hominemの用法は「普通」はそうなのですね。ありがとうございます、大変勉強になりました。 「言説の型」の具体例ですが、堀田先生が直近の応答記事の注であげておられる、 「(1)男性の加害を批判する人、とくに女性に対して、「でも女性も加害することもあるでしょう」といった仕方で批判を相対化しようとする。 (2)男性の「加害」行為の要因を、当人にではなく別のところ――例えば「社会」や「ジェンダー役割」、「圧力」など――に求めて免責し、しかし社会や規範などの内容は曖昧にする。 (3)男性の暴力等の加害行為の少なくとも一因を、女性(個人であれ一般であれ)の選択に転嫁する。例えば、男性の暴力事件などを批判する女性やフェミニストに対して、「でも、乱暴な男性が好きな女性もいるんじゃないの?」といった揶揄。」 がまさにそうだと思います。ちゃんとあげてて堀田先生偉くないですか? これに「最初っから上げろよ」って言いたくなる気持ちはあるかもしれませんが、これがおそらく私の言った「ホモソSNS」の認識とかとかぶる話になります。 少なくとも私の周りでは堀田先生の言うような具体例が蔓延しています。X内だけでなく。その正にagentたちを「よりマシ」にするために、またその被害者への処方箋を提示するために、アカデミア以外で本を書き言論活動をしています。どうしてそんなことをしているのかというとこれまで加害者だった自分の死ぬまでの罪滅ぼしです。「加害者性の自覚→苦痛中心倫理→ケア倫理→局所的実践」って感じです。 「そういうふうに対象をぼかしていかにもありそうな話をするのは、読者を馬鹿にしていると思うのです」とありますが、私は論敵を間接的にぼかして名指しする書き方を肯定します。私には戦略上必要です。そして「馬鹿にしてる」っておっしゃられると悲しいのですが確かに読者は選別しています。相手を明示せずとも相手には自分のことだとワンチャン分かるように。そして、私などにとっては「ありそうな話」ではなく事実でしかないのです。その事実を示せと言われて示すのは被害者がいるので丁寧に行わなければならないし、「応答記事の注」くらいの書きかたでも苦しくなる人はいると思うので、慎重にです。堀田先生を批判するわけではありません。 あと、ちょっと自分の中で書きかたとして気になっているのですが、「イラつかせてしまってすみません」というのは厭味でも何でもないのです。江口先生が誠実でなく愚かでするべきではないと思われる言論を私がしていて、時間もとられ傷ついているのなら本当にすみません。「ほんとに、なんでこんなことXに書かなきゃいけないんだ。」と悲しみを吐露されていますから、それに対して申し訳なく思っております。 それで、その様な姿勢の私の言論活動の一環として、5/27に幻冬舎新書から『生まれたくなんかなかったのに』を出します。反出生主義の話ですが、このポストでお話ししていることに関連したことを諸々書いております。恐縮ながら最後に宣伝させて頂きます。