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漢文 一日一話コミュの【漢詩  三国志編】

詩経、楚辞から始まって日本には馴染みの深い唐詩選。

詩がいっぱいの中国古典ですが、個人的に三国志が好きなので

三国志関連の詩を何個か紹介させて下さい。

コメント(15)

(前書き)詩の背景を少々・・・

蔡文姫は博学で弁がたち、とりわけ音楽に優れていた。
ある夜、父が琴を奏でていると突然絃が切れた。
「第二絃が切れましたわ」 蔡文姫が指摘した。
「ほほう まぐれ当りだ」 父はそう言って今度はわざと別の絃を切った。
「第四絃です」 今度もピタリと当てた。

その後、蔡文姫は嫁いだが夫に先立たれ子がなかったため実家に戻った。
興平年間、天下は乱れに乱れ蔡文姫は匈奴の兵に捕まり南匈奴の左賢王の妻にされた。
以来、匈奴の地に留まること12年、二人の子まで生まれた。

ところで曹操は蔡文姫の父親とは昔から親しかった。
そこで彼に後継ぎがいないことを惜しんだ曹操は使者を匈奴に派遣し
金銀宝玉を贈って蔡文姫を取り戻した。
そして自らの部下である董祀と再婚させた。

ところで董祀は法を破ったかどにより死刑の宣告を受けた。
蔡文姫は夫の助命嘆願のため曹操のもとに駆けつける。
ちょうどその時曹操は広間で謁見中で公卿はじめ名士の賓客で
ごった返していた。  曹操は彼らに呼びかける。
「亡き我が友人の娘が広間の外に来ている。 諸君にも会ってもらおう」
髪を乱し裸足で進み出た蔡文姫は夫の無実を訴えた。

その爽やかな弁舌と聞く人の胸を打つ切々とした訴えに一同いずまいを正して聞き入る。
曹操が言った。 「真実訴えの通りならば、まことに気の毒なこと。
だがもはや判決文を送ってしまったのだ。 どうしようもあるまい。」
「将軍の厩には万を越す馬が居り、勇士もたくさん居られますのにどうして早馬
一つ仕立てて下さらないのですか?
たったそれだけで風前の灯火のわが夫の命を救えるのでございます」

その嘆願に感じ入った曹操は早速早馬を出し、董祀の罪を許してやった。
曹操はこの後、蔡文姫に言った。
「そなたの家には、たくさんの蔵書があったと聞く。 まだはっきりと記憶している
ものもあろうな?」
「その昔、亡き父から四千冊ばかりの書物を頂きました。 けれども他国をさすらい、
辛酸をなめたゆえ、もはや手元には一冊もございません。 今でも完全に暗誦できる書は、
たかだか四百あまりしかありません」
「では、書記10人をそなたの元に遣わそう。 それだけでも書き留めたい」
「男女にはそれぞれの道があり、直接異性に教えるのは礼にもとると申します。
紙と筆をお与えくださいませんか。 わたくし自身が楷書でも草書でもご指示のとおり
書いてまいります」

それからしばらくして、蔡文姫は清書した書を曹操に送った。
誤字脱字はまったくなかった。
かわいい1-1 悲憤の詩 第一  蔡 琰(蔡文姫)


蛮族の地は中国と全てが異なり、風俗習慣も礼節に欠けるところが多い。

年中、霜や雪におおわれ、春でも夏でも冷たい北風が吹きすさぶ。

はたはたとわが衣をひるがえし、ぴゅうぴゅうとわが耳元を吹き抜けていく。


折に触れて故郷の父母が想い出され、たまらなく寂しくなる。

「中国から人がきた!」 そう聞くたびに胸は高鳴る。

とび出して父母の消息を訊ねてみるが、同郷の人であったためしがない。



思いがけなく普段の願いが実現し、親しい人(曹操の使者)が迎えに来てくれた。

我が身は赦され、自由となったものの、我が子をおいて行かねばならない。

血のつながりが母子の愛を育んできたのに、ひとたび別れればいつまた会えることか…

安否も知りえず、永久に離れ離れになるかと思うと、どうして別れを告げられよう。

ちょうどその時、子供が私にすがりついて尋ねる。

「お母さんはどこへ行くの? みんなが、お母さんはもう戻ってこないと言ってるよ。 

いつも優しい母さんなのにどうして急に私達を見捨てるの? こんなに小さい私達

のことが心配ではないの??」


ひきとめようとする我が子を見ては、おのが身は崩れ、呆然として気も狂わんばかり。 

ただ泣き伏して、子供らの頭を撫でさすり、いざ出発となっても、後ろ髪を引かれる。

同じ囚われの身の女たちが別れの挨拶にやってきた。

帰る私をうらやんで、泣き叫ぶ声が私の心を引き裂く。

見送る人はみな涙を流し、旅立つ私も嗚咽を抑える事ができない。


はるばる行くこと三千里。 ようやく我が家にたどり着いたが人影も見えない。

城郭は山林と化し、庭には雑草が生い茂る。

誰とも知らぬ白骨がむき出しにあちこちに散らばっている。

故郷のあまりの荒廃ぶりに打ちのめされて、高台に立っては遠くを眺め、二人の子供に想いを馳せる。

そして今、董祀さまにこの身を託し、立派に添い遂げようと努めている。

しかし私は流亡の果てに匈奴の妻となって汚れた身、あなたに捨てられはしないかと

心配ばかりしている。

いつまで生きる命かわからないが、こうして私は憂いを抱きつつ死んでいくのであろう。


                    参考書籍
                    平凡社 漢書・後漢書・三国志列伝選
                               の後漢書・列女伝
かわいい1-2 悲憤の詩 第二  蔡 琰(蔡文姫)


ああ、薄幸なのであろうか? 乱世の混乱に遭い、

一族は死に絶え、家系は尽きてしまった。

私は匈奴に拉致され、西の関を越え、

険阻な山々をいくつも越えて、野蛮人の地へとさらわれてしまった。

山谷は遥か彼方、道は延々と続いている。

故郷を思い振り返って見るが、ただ悲しみがこみあげるばかりである。

夜床につこうとも、安らかに眠る事も出来ない。

どんなに空腹でも食事が喉を通らない。

涙のためにいつも目が乾くことはない。

次第に夢も希望も薄くなり、このまま死のうかとも思えてきてしまう。

いたずらに生き長らえていても誰の表情もすっかり死んでしまっている。

遠く故郷を思うが、この北の果ては太陽からもすっかり遠ざかり

夏でも雪が降るありさま。

砂漠が故郷までの道を遮り、風に舞う砂塵のために空まで暗い。

草木はある事にはあるが、春になっても緑一面になるようなことはまずない。

人は獣さながらに匂いのきつい生肉を食べている。

人々はまったく理解できない言葉を話し、顔かたちもむさ苦しい。

歳も暮れを迎え、時は早く過ぎ去っていくけれど

夜があまりにも長く、門は閉じられ

寝付くこともできず辺りをさまよってしまう。

宮殿に登り、広い庭を望み見れば

黒く暗い雲が重なり合って月や星を隠し

北風はひゅうひゅうと吹きすさび寒くていられない。

そんな中で胡茄(楽器)を吹けば、辺りから馬のいななきが聞こえてくる。

雁が巣に帰ろうとしながら鳴く声は仲間を呼ぶ声だろうか。

楽師が興じて琴を弾き始めれば

奏でられる音は、悲しげでもあり一層寂しさが増す。

心の思いを吐露し、胸は憤りが満ちてくる。

気持ちを伝えようにも、さっきのように馬が怯え騒ぐのを恐れ、

悲しみむせび泣きながら、涙が首を伝って流れ落ちる。


私を連れ戻しに使者がやってきたのだから、帰郷すべきなのだろうが、

帰ろうにも我が子をこの地に残していかなければならない。

我が子らは、私を呼び叫び続けるも、言葉にならず

私はとてもそれ以上子らの声を聞いていられず耳を塞いでしまった。

私の乗る馬車の後を、ただ一人泣き叫びながら子が追ってくる。

走り、転び、また走り、顔も体も泥だらけになっている。

我が子のこの様を振り返って目にした時、人として母としての心は崩壊した。

この土地での私はたった今死んだ。しかしまた、故郷での生が始まる。


                           後漢書 列女伝
かわいい2-1 洛神賦(洛水の女神の賦)  曹植


【前書き】
曹植あざなは子建、三国志の英雄・曹操の子で魏の初代皇帝曹丕の弟。
中国文学史上の黄金期の一つと言われる建安文学の集大成者であり、
詩や文学においての天才と聞きます。
500年後の唐の杜甫が現れるまで最高の詩人として崇拝の対象に。

叶わぬ恋の相手として兄嫁に想いを寄せ、ある時洛水のほとりで休息している時のこと、
洛水の女神の幻影を兄嫁に重ね合わせて作ったのがこの詩ということです。
最終的に恋の相手である兄嫁は夫(曹丕)に死を賜りますが、その死後に形見として
与えられた枕を生涯大切にしたと聞きます。

****************************************************************************

【本文】
 黄初三年(AD222)、私は朝廷に参内し、帰途洛水を渡った。 古人の言い伝えでは
この川の神の名を宓妃と呼ぶとのことである。 私はかつて、宋玉が楚の襄王に神女の事を
説いたことに思いを馳せ、この賦を作った。 その詞章は・・・

 私は都洛陽より東の方わが領土に帰ろうとし、伊闕をあとにし、轘轅山を越え、
通谷を通り、景山に登った。 日はすでに西に傾き、車は傷み、馬も疲労してきた。
かくて車を草深い沢に停め、馬に霊芝の生える畑で飼葉をやり、楊柳の林で休憩し
洛水を眺めやる。 やがて精神は移ろい変わり、いつしかに想いは遥かな彼方に飛翔する。
伏してみるうちは気が付かなかったが、仰ぎ見て眼をこらせば一人の麗人が巌石の傍らに
立っている。 そこで御者を引き寄せ、彼に告げた。
「お前は彼女に会ったことがあるかね? 彼女は何者だろうか。 なんと美しいのだろう」
御者は答えて
「洛水の神で宓妃という方がおられると聞いております。 殿がご覧になったのは
この方なのではないでしょうか。 その模様はいかがでございましたか? 私にお聞かせ
願いたいものです」
私は彼に以下のように告げた。
「その姿かたちは不意に飛び立つ雁のように軽やかで、天かける龍のようにたおやか。
秋の菊よりも明るく輝き、春の松よりも豊かに華やぐ。 うす雲が月にかかるようにおぼろで
流れくる風が雲を舞わすように変幻自在。 遠くより眺めれば白く輝いて太陽が朝もやを昇るよう
、近づき見れば赤く映えて、蓮の花が緑の波間よろ現われ出でるよう。 肉置は細からず
太からず。 背格好は高からず低からず。 肩は巧みに削り取ったよう。 腰は白絹を
束ねたよう。 すんなり伸びたうなじ、真っ白な肌がまばゆいばかり。 香しい脂をつけず、
白粉も塗ってはいない。 雲なす髷はうず高く、長い眉は細く弧を描く。 赤い唇は
外に照り映え、白い歯は内に鮮やかに輝く。 美しい瞳はなまめかしく視線を動かし
頬にはいとおしい笑窪が浮かぶ。 類稀な姿はあでやかさこの上なく、立ち居振る舞いの
物静かでしとやかなこと。 しなやかな風情、ゆったりとした物腰、魅力ある言葉遣い、
この世のものとは思われぬ珍かな衣装、その姿かたちは画中の神仙にふさわしい。
さらさらとうす絹を身にまとい、美しく彫刻された宝玉の耳飾をつける。 頭には黄金や
翡翠の髪飾りをし、繋がった真珠をからませ、まことにまばゆいばかり。 足には「遠遊」
という刺繍のある履物を履き、あや絹の裳裾を軽やかにひく。 ゆかしく香りを放つ蘭の
あたりに見え隠れし、山の一隅をゆるやかに歩む。 やがて突然にのびやかに遊びたわむれる。
左方の色取りした旗に寄り添うかと思えば、右方の桂の竿の旗に身を隠す。 さては
神のまします汀において、袖をからげて白い腕をあらわにし、たぎつ早瀬の玄い芝をつむ。
かわいい2-2 洛神賦(洛水の女神の賦)の続き


 私の心は、その清らかな美しさに惹かれつつも、胸は不安に高鳴って落ち着かぬ。
我が想いを通じるにも適当な仲人が居ない。 せめてさざ波に託して言葉を伝えよう。
願わくは、なにより真心が彼女に通うように。 そこで佩玉を解いて我が心の証とする。
ああ、佳人のなんと素晴らしいこと、ああ、奥ゆかしくも礼儀をたしなみ、詩の道にも
明るいことよ。 美しい玉をふりかざして、私に答え、深い淵を指して誓いをたててくれた。
しかし一方、切々たる慕情を抱いているが、この女神が私を欺きはしないかと不安を覚え、
鄭交甫が女神から約束を反故にされたことを想起し、心は沈み、疑い晴れやらず、ためらう。
そこで顔色をただし、心を平静にし、礼法に従って、自己を厳しく規制した。
かくて洛水の女神はこれに感じ、去りもやらず、あたりをさまよえば、光彩は陸離として、
姿の見え隠れにつれ、時には暗く、時には明るくなる。 さては軽やかな身体をそびやかして、
鶴のように爪立ち、まるで今にも飛び立とうとするありさま。 山椒茂る道を歩けば、
馥郁たる香り生じ、香り草茂る原を行けば、芳香あたりに漂う。 永久の慕情を込めて、
長く尾を引きつ歌えば、その声は哀調に満ち、いついつまでもつづく。

 そのうちに神々は集い、互いに仲間を呼び合って、清らかな流れにたわむれたり、
聖なる渚に飛び翔ったり、真珠を採ったり、翡翠の羽を拾ったりする。
またある神は湘水の二人の妃をつき従え、ある神は漢水に遊ぶ女と連れ立ち、ある神は
天にひとりかかる匏瓜星のように連れ合いがないのを嘆き、ある神は牽牛星のように
ひとりいる心を歌う。
かわいい2-3 洛神賦(洛水の女神の賦)の続き


 女神は綺麗な打掛をひるがえし、長い袖をかざして遠くを眺めつつ
もの恋しげにたたずむ。 だが次の瞬間その挙措は飛び立つ鴨よりも素早く
さながら神霊にふさわしい異能を示し、波を踏んでゆるやかに歩めば
薄絹の靴下より塵が立つ。 動作には筋道がまるでなく、崩れそうであり、
またゆるぎないようでもある。 進むも止まるも予期するのは難しく、
往くようであり、また帰るようでもある。 ながし目すれば強烈な光を生じ
玉のような顔はつややかさを増し、もの言いたげなその口もと、息づかいは
さながらゆかしい香りを放つ蘭のよう。
美しくしなやかなその姿、食事することさえ忘れてしまう。

 時に風の神は風を収め、河の神は波を静め、馮夷は鼓を打ち、女媧は高く澄んだ歌を歌う。
飛び魚は飛び上がって車の先ぶれをし、玉の鈴を鳴らしつつ一斉に発進する。
六匹の龍はいかめしく首を揃え、女神の乗る雲の車をゆるやかに引く。
くじらは躍り上がって車の左右を守り、水鳥は天翔けって護衛する。

 かくして北の中洲を越え、南の丘を過ぎると女神は白いうなじをめぐらし、
涼やかな瞳をふりむけ、紅い唇を動かし、もの静かに男女の交わりの定めを説き、
人と神の越えられぬ隔たりを恨み、会った時期の遅かりしを悔やみ、薄絹の袖をあげて
涙を拭えば、涙はとめどなくはらはらと襟にこぼれる。
二度と楽しい会合を持てぬのを悼み、一旦ここを立ち去れば、まったく界を異にするを悲しみ、
これ以後はささやかな愛情の表現もかなわぬゆえ、今ここに江南の真珠の耳珠を献じましょうと
贈ってくれた。 たとえ鬼神の住む世界に隠れいるとも、いつまでも君を想っておりますと、
言い残すや、女神の所在はわからなくなり、悲しくも茫々たる空間にその光芒を隠してしまった。

 かくて私は低い土地を避けて、高みを選んで登っていった。 足は進むが、心は
後に残るばかり。 しきりに女神の姿を想い描き、振り返っては愁いに沈む。
そこで女神が再びあらわれることを願いつつ、軽い舟をあやつって流れを遡り、
どこまでも漕いでゆき、帰ることも忘れてしまったが、神はいまさず、恋々として
思慕の情はいよいよ募る。 夜も心は休まらず、一向に寝付けぬまま、激しい霜に身を濡らし、
明け方を迎えたのである。 召使に命じて車の準備をさせ、私は東の方に帰ろうぞと心を決め、
そえ馬の手綱を取り、鞭をくれようとしたが、胸はふさがって、思い切りがつかず、
出掛けることができないのであった。

                           【完】

                        参考文献
                        平凡社 中国古典文学大系23
                        漢・魏・六朝・唐・宋散文選
かわいい3 短歌行    曹操


【前書き】
曹操の生きた時代から800年後の北宋の詩人蘇東披は『曹操が南征して荊州を討ち、
その勢いに乗って大船団を連ね、孫呉をも制圧しようと長江を下る。 この時
船縁に立った曹操が「槊(ホコ)を横たえて詩を賦した」のがこの「短歌行」であった』
と名作「赤壁の賦」の中の一節に取り上げています。 曹操が生きた800年後とは言え
現代から見ると1000年前に生きた人物ですので現代では散逸して見つからない何かしらの
資料があったのかも知れませんが、現代に残る資料ではこの「短歌行」が赤壁の戦い
直前の作であるのかどうかわからず、制作時期不明の詩として扱われています。 

更に下って蘇東披から300年後に羅貫中がまとめた「三国志演義」では建安13年の秋、
赤壁の戦い直前の作であるとして小説の中に取り込んでいます。 これは蘇東披の
「赤壁の賦」の影響なのかも知れません。

いずれにしても赤壁の戦いを想い浮かべながらロマンに浸るも良し、曹操の文学的才能を
感じるも良しで紹介させて下さい。

            参考文献 
              『集英社 人間三国志?詩人の憂鬱 林田慎之助著』
****************************************************************************

【短歌行 本文】

対酒当歌   酒に対いてはまさに歌うべし      
人生幾何   人生は幾何ぞ          
譬如朝露   譬えば朝露の如し
去日苦多   去りゆく日は苦だ多し

酒を飲む時はおおいに歌うがよい。
人の命はどれほどあるというのか。
たとえてみれば朝露の如く儚いものだ。
去ってゆく日々だけがなんと多いことよ。



慨当以慷   慨して当に以て慷すべし
憂思難忘   憂思は忘れ難し
何以解憂   何を以て憂いを解かん
唯有杜康   唯だ杜康有るのみ

おおいに嘆き憤るがよい。
憂いの思いはなかなか忘れ難いものだ。
辛い思いは何をもって癒そう。
それには酒以外に何があろうか。



青青子衿   青青たる子の衿こそ
悠悠我心   悠悠たる我が心なり
但為君故   但だ君が為の故に
沈吟至今   沈吟して今に至れり

青い衿の君らこそ
我が心の慕う者。
ただ君らがあればこそ
我は思いふけて今に至った。

※『青青子衿』(青い衿の君)=出典は『詩経』で周代の太学生は青い襟の服を着ていた。
 人材を広く求めた曹操が優秀な才能ある者を例えて「青青子衿」を引用している。



呦呦鹿鳴   呦呦として鹿は鳴き
食野之苹   野の草を食む
我有嘉賓   我に嘉き客有らば
鼓瑟吹笙   琴を鼓し笛を吹かん

鹿は群れを慕い鳴き
野の草を食べ楽しむ。
我に素晴らしき客があれば
琴をつま弾き笛を吹いてもてなそう。



明明如月   明々として月の如し
何時可掇   何れの時にか拾うべし
憂従中来   憂いは心より来る
不可断絶   断ち絶つべからず

あかあかと輝く月の如き人こそ
いつのときに巡り合うことができようぞ。
それを思う心の奥から憂いは来
断つすべもなく憂いは来る。



越陌度阡   百を越え千を渡り
枉用相存   枉げて用て相存ねん
契闊談讌   契闊談讌して
心念旧恩   心に思うは古き恩ぞ

さまざまに道をたずね
はるばると良き客が来たならば
心をくだいて酒席をしつらえよう。
つもる話によしみを温めよう。

※『契闊』=出典は『詩経』で「堅い契りを交わす」こと。



月明星稀   月明らかに星稀なり
烏鵲南飛   烏鵲は南へ飛ぶ
繞樹三匝   樹をめぐること三度
何枝可依   何れの枝にか依るべけん

月明かりが照り渡る夜空に星影は薄れゆき
その中をカササギが南をさして飛んでゆく。
そのカササギが幾度も樹をめぐり始めた。
ねぐらとすべき枝を求めてなお、決めかねて。



山不厭高   山は高きを厭わず
海不厭深   海は深きを厭わず
周公吐哺   周公は食みしものを吐き
天下帰心   天下みな心を寄せぬ

山はいくら高くともよく
海はいくら深くてもよい。
食事中に食べた物を吐き出してまで面会した周公旦に
天下の人々が心を寄せたように我もありたい。

          出典 『文選』
          参考文献
             『平凡社 中国古典文学大系16 漢魏六朝詩集』
             『集英社 人間三国志5詩人の憂鬱 林田慎之助著』
かわいい4 薤露(カイロ)    曹操


【前書き】
暴虐の限りをつくした董卓は劉辯を廃して劉協(献帝)を擁し洛陽を焼き払い、長安に遷都した。 
その際、曹操も五千の私兵を率いて連合軍に参加、
この時曹操は時代の挽歌を二首つくっています。
『薤露』と『蒿里行』と題する五言詩の二篇がそれです。
今回は『薤露』を紹介させていただきますが、この詩の中には具体的な人物名が
誰一人登場していない為、訳が難解な詩とされています。

最初に「原文」と「訓読」を、最後に「2種類の口語訳」を書いてみます。
あなたならどちらの訳が曹操の真意だと思いますかexclamation & question

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【薤露 本文】

惟漢廿二世   これ漢の二十二世
所任誠不良   任ずるところ誠に良からず 
沐猴而冠帶   沐猴(もくこう)にして冠帯し
知小而謀疆   知は小にして謀(はかりごと)は彊(つよ)し

1
漢王朝が始まり二十二世に及んだが
任用された宦官はなんと不徳の輩ばかりであろうか
宦官どもは猿が冠をかぶっているようなものであり
知恵は乏しいわりに謀は大それている

2
漢王朝が始まり二十二世に及んだが
任用された者はなんとつまらない者であろうか
何進の如きは猿が冠をかぶっているようなものであり
知恵は乏しいわりに謀は大それている



猶豫不敢斷   猶予して敢えて断ぜず
因狩執君王   狩に因りて君主を執(とら)う
白虹爲貫日   白虹は為に日を貫き
己亦先受殃   己も亦(また)先ず殃(わざわい)を受く

1
しかも帝(霊帝)はぐずぐずと世継を決めかねているうち亡くなり
何進が身内を守り劉辯を天子にすえた
そのために白虹が太陽を貫く不吉な兆しが現れ
何進がまず殺されることとなった

2
それでいてぐずぐずしていて断行できず
狩りにかこつけて少帝を捉えたが
白虹が太陽を貫く不吉な兆しが現れ
何進は宦官に殺されてしまった



賊臣持國柄   賊臣国柄を執り
殺主滅宇京   主を殺して宇京を滅す
蕩覆帝基業   帝の基業を蕩覆(とうふく)し
宗廟以燔喪   宗廟以って燔喪(はんそう)す

1
代わって賊臣董卓が国権を握り
劉辯を殺して洛陽の都を壊滅させた
これで漢の王朝の基礎は覆り
宗廟は焼き払われてしまった

2
代わって賊臣董卓が国権を握り
劉辯を殺して洛陽の都を壊滅させた
これで漢の王朝の基礎は覆り
宗廟は焼き払われてしまった
 


播越西遷移   播越して西に遷移し
號泣而且行   号泣して且つ行く
瞻彼洛城郭   彼の洛城の郭を贍(み)て
微子爲哀傷   微子(びし)為に哀傷す

1
洛陽の人々は流離放浪して西のかた長安に移り
号泣しながら歩いていった
かの洛陽の城郭を振り返れば
殷の廃墟をみて涙した微子のごとく私の胸は痛む

2
洛陽の人々は流離放浪して西のかた長安に移り
号泣しながら歩いていった
かの洛陽の城郭を振り返れば
殷の廃墟をみて涙した微子のごとく私の胸は痛む

             参考文献
             『集英社 人間三国志5詩人の憂鬱 林田慎之助著』
****************************************************************************

どちらの訳が正しいにせよ、挽歌である以上これは死者を弔う葬送の詩です。
しかし死者を弔うわりには宦官(何進)を痛烈に批判しているあたりが
なんとも曹操ですね。

いやぁ~三国志って本当に面白いですねほっとした顔
かわいい5 蒿里行(コウリコウ)   曹操


【前書き】

前回載せた薤露も、今回の蒿里行も曹操作の挽歌です。
挽歌とは葬送曲で霊柩車の縄を引く人が死者を弔うために唱和する歌です。

曹操作の詩は(挽歌に限ったことでなく)大きく二つの特徴があると思います。
弔う性質よりも史実を盛り込んで史書的な性質をもたせたのが特徴の一つ、
二つ目は戦火に巻き込まれる民衆や兵士の悲哀を反映させていることです。

よく三国志ファン同士で史実を語る場合に
「○○帝紀(××列伝)には~~」といった史書の引用をしますが
意外と詩も当時を知るにはあてになる史料にもなったりします。
また、史書は基本的に本人ではない別人が書いているのに対し
詩は本人が書いているため、ダイレクトに曹操本人の感性、知性、感情などの
人間臭さが伝わってくると思います。

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【蒿里行 本文】

関東有義士     関東に義士有り
興兵討群凶     兵を興して羣凶を討つ
初期会盟津     初め盟津に会するを期し
乃心在咸陽     乃(すなわ)ち心は咸陽に在り
軍合力不斉     軍合するも力は斉(ととの)わず
躊躇而雁行     躊躇して雁行す
勢利使人争     勢利人をして争わしめ
嗣還自相戕     嗣(つ)いで還(ま)た自ら相戕(あいそこな)う
淮南弟称号     淮南の弟は号を称し
刻璽於北方     璽を北方に刻む
鎧甲生蟣蝨     鎧甲(よろいかぶと)には蟣蝨(きしつ)を生じ
万姓以死亡     万姓以って死亡す
白骨露於野     白骨は野に露(さら)され
千里無鷄鳴     千里鶏鳴無し
生民百遺一     生民百に一を遺すのみ
念之断人腸     之(これ)を念(おも)えば人の腸を断たしむ


関東(函谷関の東)には忠義の士たちがいて
兵を起こして董卓一味を討つこととなった
最初は孟津の地に集結して打って出る約束であり
忠義の士たちの志は咸陽に向けられていた
しかしせっかく連合したにも関わらず足並みがそろわず
董卓に恐れをなしてか躊躇して先を争って打って出ない
そのうち連合軍の諸将が互いに勢力争いをはじめ
返って同士討ちをする結果を招いた
淮南の袁術が帝を僭称し
袁紹は献帝の存在を無視し、幽州牧・劉虞を天子に据えるため勝手に御璽を刻んだ
かくして戦乱は長期化し、兵士の鎧兜にはシラミが湧き
万民は死に絶えてしまった
白骨は野ざらしにされたままで
千里四方には鶏の声すら聞こえない
民が生き残れる確率は1%に過ぎず
これを思えばまさに断腸の思いである

             参考文献
             『集英社 人間三国志5詩人の憂鬱 林田慎之助著』
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【後書き】

盟津=孟津 と考えていいようです。

ところで詩中に 『孟津の地に集結して』 とありますが
これは殷周伝説の中で周の武王が殷の紂を討つときに
八百諸侯を集結させたのが孟津であった故事の例えで、実際に集結したのは
酸棗の地ですね。

また曹操たち連合軍が目指したのはあくまで長安であって咸陽ではありませんが
『忠義の士たちの志は咸陽に向けられていた』 と詠んでいるのは
項羽と劉邦が秦の本拠地である関中を目指したのが咸陽であった故事に例えてのようです。

いやぁ~ 三国志ってホントに面白いですねわーい(嬉しい顔)
かわいい6 飲馬長城窟行   陳琳


【前書き】
建安の七子の一人で檄文の名手、陳琳の作品です。
「飲馬長城窟行」の「長城」は“万里の長城”の長城です。

陳琳は曹魏に仕える前は袁紹に仕えていたのは有名ですが、袁紹は曹操との前に幽州の
公孫瓚と対決しています。 最終的に袁紹が公孫瓚を易京に破って河北の覇者になるわけ
ですが、その折に陳琳も幽州遠征に従軍したことと思います。 その時詠んだのが
「飲馬長城窟行」?なのかどうか断定できませんが、少なくとも長江以南出身で南人である
陳琳にとってこの時が初めて万里の長城を見るチャンスだったと思います。

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【飲馬長城窟行 本文】

飲馬長城窟        馬を長城の窟(いわや)に飲(みずかい)す
水寒傷馬骨        水寒うして馬骨を傷しむ
往謂長城吏        往きて長城の吏に謂(い)わん
慎莫稽留太原卒      「慎んで太原の卒を稽留(けいりゅう)せしむ莫(なか)れ」と
官作自有程        「官作自ら程(きまり)有り
挙築諧汝声        築を挙げて汝の声を諧(ととの)えよ」と
男児寧当格闘死      「男児は寧(むし)ろ当に格闘して死すべし
何能怫鬱築長城      何ぞ能(よ)く怫鬱(ふつうつ)として長城を築かんや」


長城の岩窟で馬に湧き水を飲ませると
馬の骨も氷るほどに水は冷たかった
進み出て役人に訴える者がいる
「どうか太原(山西省)出身の人夫をひき留めずに帰してやって下さい」
「お上の作業には日程があるもの
(ぐずぐず言わず)声をそろえて汝らの仕事に励むよう」
「男ならば戦場に死ぬのが望み
築城に明け暮れて死にたくはない」


長城何連連        長城何ぞ連連たる 
連連三千里        連連として三千里
辺城多健少        辺城に健少多く   
內舍多寡婦        内舎に寡婦多し
作書与内舍        書を作りて内舎に与(あた)う
便嫁莫留住        「便ちに(ただ)嫁して留住する莫(なか)れ
善事新姑嫜        善く新姑嫜(しんこしょう)に事(つか)え   
時時念我故夫子      時時我が故(もと)の夫子(おっと)を念(おも)え」と


長城はよくも長々と連なっていることよ
連なり続いて三千里
辺境のここには強健な若者が多いが
それだけ郷里には妻たちがその帰りを待つ
手紙を書き郷里の妻にいう
「すぐに我が家を去って他家に嫁し
新しい舅姑によく仕え
時には元の夫のことを想いだして欲しい」


報書往辺地        報書の辺地に往く      
君今出語一何鄙      「君今語を出す一に何ぞ鄙(みだ)りなるや」
身在禍難中        「身は禍難の中に在り
何為稽留他家子      何為(す)れぞ他家の子を稽留せん
生男慎莫挙        男を生まば慎みて挙ぐる莫れ
生女哺用脯        女を生まば哺するに脯を用てせよ
君独不見長城下      君独り見ずや長城の下
死人骸骨相撐拄      死人の骸骨相(あい)撐(とう)拄(しゅ)するを」


妻からの返事が夫の下に届けられた
「なんと情けないお言葉よ」
(夫はさらに返書して)「我が身は今災いの渦中にある以上は
どうしてよその嫁(となれるべき)を我が家に引き留めておけようか
いつの日か(再婚相手の)男子を産めば養わず
女子を産めば大切に育てるがよい
(僕は毎日見ているが)見ていない君はわかっていない
苦役のために死んでいった骸骨たちが重なり合っているさまを」


結髮行事君        「結髪してより行きて君に事(つか)え  
慊慊心意間        心意の間に慊慊(けんけん)たり
明知辺地苦        明らかに辺地の苦を知る
賤妾何能久自全      賤妾(せんしょう)なんぞ能く久しく自ら全(まっと)うせんや」


(妻はさらに返書して)
「年頃になって貴方の下へ嫁いでお仕えしたが
契りは浅く 貴方を慕う想いはしきりに募る
辺境ではご苦労も ひとしおと察するにつけ
貴方にもしものことがあれば どうして私だけが生きながらえておられましょうか」

             参考文献
            『平凡社 中国古典文学大系16 漢・魏・六朝詩集』
            『集英社 人間三国志5詩人の憂鬱 林田慎之助著』
【後書き】  陳琳について


陳琳はまぎれもなく建安七子の一人で当時の文学サロンではTOP10に入る人物
ではありましたが、こと「詩」や「賦」の世界では必ずしも評価が得られていない
ばかりでなく、むしろ否定的に見られている傾向がありますので考察してみたいと思います。


かわいい曹丕の陳琳評

  曹丕著の典論・論文篇では阮瑀と陳琳を並べて
  「上奏文や書簡文は当世に傑出したものである」と褒めつつも、詩や賦については
  評価の対象にすらしていない。

  また陳琳の死後に書かれた呉質に与うる書(呉質への手紙)の中では
  得意の上奏文ですら「やや繁雑だ」と指摘。

かわいい曹植の陳琳評

  詩や賦においては曹丕よりも格上とされる曹植も楊徳祖に与うる書(楊修への手紙)
  の中で「彼(陳琳)は文学的才能はあるが、辞賦においては未熟だ。 にもかかわらず
  司馬相如と同格だと思い込んでいる」となじっている。

かわいい陳寿の陳琳評

  三国志著者の陳寿は、共に親友同士でありながら攻められる臧洪と降伏を勧める陳琳の
  手紙のやりとりに関して臧洪の書を全文掲載している。 対して陳琳の返書は
  一言半句も載せていない。 いくら臧洪の手紙が名文で感動を呼ぶといっても
  いくらかは陳琳の言い分も載せてもいいのではないだろうか。


超一流の詩人からみれば、陳琳の詩の才能は本当にたいしたことがなかったのでしょうか。
それとも陳琳の生き方を否定的にみてしまったがために文学の才能までも否定して
しまっているのでしょうか。  私ごときではわかりませんが、少なくとも
陳琳の書いた檄文は反董卓連合を結成させ、また曹操の頭痛を治させるほどの偉大な
文章家であったことは間違いないことです。
かわいい7 侍五官中郎将建章台集詩   応瑒


【前書き】
建安七子の一人に数えられながらも応瑒は今ひとつはっきりしない人物です。
孔融を除いて他の建安七子の6人を知るには『三国志魏書王粲伝付記』に
見えるわけですが応瑒に関してはあまりにも簡略すぎてほとんどわかりません。
(むしろ祖父である応奉、叔父の応劭の方が後漢書に独立して伝があるくらい。)
応瑒自身どんな詩や賦を残したのかさっぱりわかりませんが、
探してようやく一つだけ見つけました。
(他に知っている方がいらっしゃれば教えてください)

*********************************************************************

【本文】
朝雁鳴雲中        朝雁雲中に鳴く
音響一何哀        音響ひとえに何ぞ哀しき
問子遊何郷        問う いずこの郷に遊びしか
戢翼正徘徊        翼をおさめて正に徘徊すと
言我寒門来        言う 我寒門より来たり
将就衡陽棲        将に衡陽に就き住まんとす
往春翔北土        往春は北土に翔けり
今冬客南淮        今冬は南淮に客たり
遠行蒙霜雪        遠行して霜雪を蒙り(こうむり)
毛羽日摧頽        毛羽 日に摧頽す(さいたいす)
常恐傷肌骨        常に恐る 肌骨をやぶり
身隕沈黄泥        身は落ちて黄泥に沈まんことを
簡珠堕沙石        簡珠 沙石に堕つ
何能中自諧        何ぞ能くうちに自らかなわん

欲因雲雨会        雲雨のめぐりにより
濯翼陵高梯        翼を濯ぎて高梯を凌がん
良遇不可値        良遇は値うべからず
伸眉路何階        眉を伸ぶるに 路 何ずくにかよらん
公子敬愛客        公子 客を敬愛し
楽飲不知疲        楽飲して疲れを知らず
和顔既以暢        和らぐ顔 既に以って暢び
乃肯顧細微        すなわちあえて細微を顧みる
贈詩見存慰        詩を贈りて存慰せらるも
小子非所宜        小子の宜しき所にあらず
為且極歓情        ためにしばらく歓情を極め
不酔其無帰        酔わずんばそれ帰ることなかりし
凡百敬爾位        凡百 その位をつつしみ
以副飢渇懐        以って飢渇の懐いに副わん


【口語訳】
朝、雁が雲の中で鳴く
その声はなんという哀しさ
どの地方にゆくつもりですか? と雁に尋ねる
今は翼を休めてあちこち彷徨っているけれど
雁は答えて 私は寒いところから来ました
南の衡陽に行って棲もうと思っています
去年の春は北の土地に飛び
今年の冬は南の淮水の客となる
遠く旅行して霜雪をかぶり
羽毛は日々、砕け散る
常に恐れている 肌や骨を傷つけ
体も落ちて泥に沈んでしまうことを
選ばれるような玉が砂や石の間に落ちれば
どうして自分の思うところに沿うことができようか

あまねくゆきわたる恵みのようなこの素晴らしい宴会にきっかけに
翼を洗って高いはしごをのぼりたいと思う
良い巡り合わせはなかなかない
しかめた眉を伸ばすにはどの路を通ったものやら
公子(曹丕)は客を敬愛し
楽飲して疲れを知らず
和らぐ顔は既に満足のご様子
かえって細かいことまで気づかわれる
詩を贈って尋ね慰められるが
私にはもったいないことでございます
貴方様のために楽しみを極め
酔わないうちは帰らないことにしよう
皆様、ご自身の位を謹んで
公子の、賢者を求める切なる願いにそうように


                     参考文献
                     なし(ネットにて検索の結果)
かわいい8 別詩二首 の第一首  応瑒



朝雲浮四海      朝雲は四海に浮かび
日暮帰故山      日暮れて故山に帰る
行役懐旧土      行役して旧土をおもひ
悲思不能言      悲思して言うあたわず
悠悠渉千里      悠々たるかな千里に渉るも
未知何時旋      未だ何れの時にかかえるを知らず


口語訳がなくとも(極端には原文だけでも)
土木工事か何かで労役する男の感情
故郷を遠く離れ、いつ終わるとも知れない苦役の悲憤が
伝わってきますね。


               参考文献
               集英社 人間三国志5詩人の憂鬱 林田慎之助著
【あとがき】   応瑒について


応瑒は建安の七子の一人で豫州汝南郡の出身。
汝南郡と言えば当時は潁川郡と並んで「名士」を大量に輩出した地域です。
また、当時の文学界では間違いなく十指に入る存在。
にも関わらず応瑒については三国志にも記述が少なく、
魏書の王粲伝の付記としてわずかに載っている程度です。
まず本伝には

・最初は曹植の文学コーチであった。
・その後、曹否の文学コーチの座が空席になったため栄転して就任。 
 (これは同じ建安の七子であった前任者である劉楨が不敬罪に問われたため)
・文と賦を数十篇残した(逆に言うと書物は残していない)。

たったこれだけです。
次に裴松之の注釈を見ると祖父・伯父・父などの家系について触れている。
いずれも一千~二千石クラスの高官であり、著述作も多い。
また汝南郡の出ということから、ほぼ間違いなく応家は名士の家柄で
あったと思われます。
裴松之の注釈をもってしてもたったこれだけしか記述がない。
というよりも、人間・応瑒(キャラクター)が伝わるものが何一つない。


ただし曹否著の「典論・論文」、同じく曹否の書いた「呉質に与うる書」には
若干ながら文学評論という形で応瑒の記述がみえます。

まずは論文をみてみることにします。
ここで曹否は文学を細分化しジャンル分けをし、
「文学の形式は一種とは限らなく、辞賦や詩・上奏文や議事文・書簡文や評論文
・銘文や追悼文など4つの形式がある」としている。
問題の応瑒はと言うと劉楨と一くくりにして

「応瑒の文章は穏やかであるが勇壮さに欠け、
劉楨は勇壮であるが緻密さに欠ける」

としている。
特にこの二人がどのカテゴリを得意とするかは述べていない。
そして典論の中ではこれだけしか応瑒については触れていない。
しかしここでわかることは応瑒と劉楨は同じカテゴリの才能の持ち主と
曹否はみている点です。 -1

ところでこの典論の中では各カテゴリのあるべき理想も述べている。
「上奏文や議事文は典雅であるが良く、書簡文や評論文は論理的であるが良く、
銘文や追悼文は事実に合致することが重要で、詩や賦は美しくあるのが望ましい」
と。

応瑒と劉楨に共通して登場するワードは「勇壮さ」ですね。
とすれば典雅さが求められる上奏文や議事文や、
論理的であることが良い書簡文や評論文、
事実に合致しなければならない銘文や追悼文には「勇壮」のワードを
使っての評論はしないと考えるのが普通。 -2


次に「呉質に与うる書」を見てみます。
応瑒について触れられている部分は以下の通り。
「応瑒はかねてより輝かしい資質の持ち主で著述をなそうとの志がありました。
彼ほどの才能と学識があれば書物を著すのに十分なのですが、あたら志を
遂げずにじまいに終わったのは返す返すも残念でなりません」
と、応瑒には著述の意志があったことについては触れているものの、
どんな著述を目指していたのかまでは触れられていない。

しかし劉楨についてははっきりとこう評論している。
「劉楨の五言詩で傑作と称される作品は、同時代では卓越したものがありました」
と。 -3


よって123により、応瑒は文学の中でも
詩や賦のカテゴリの人であると曹否は評論していると解釈します。
書簡文や評論文に求められるのが論理的思考だというなら
詩や賦はその反対の「情緒的」「感情的」思考といえるのではないだろうか。

「応瑒は(どちらかといえば)情緒的、感情的な人」とするならば、
感受性が高く、繊細でなロマンチストな男だったのだと思う。
ちなみに曹否に言わせると応瑒は「穏やかながら勇壮さに欠ける」
ということなので、きっと内に秘めたロマンチストだったんだろうなあ、と妄想しますわーい(嬉しい顔)
かわいい9-1 室思一首   徐幹


【前書き】
陳琳、応瑒に続いて建安七子の一人、徐幹の詩を紹介させて下さい。
尚、二つ書きたいと思いますが、長いため数回に分けて書いていきます。
一つ目は「室思」、二つ目が「情詩」です。
いずれも六朝・梁代に編まれたアンソロジー『玉台新詠』収録されたことで
散逸を免れた作品です。

****************************************************************************

一章

【原文】       【書き下し】
沈陰結愁憂    沈陰愁憂を結ぶ(ちんいんしゅうゆうを結ぶ)
愁憂為誰興    愁憂誰が為にか興る(しゅうゆうたが為にか興る)
念與君生別    念う君と生別して
各在天一方    各々天の一方に在るを
良會未有期    良会未だ期有らず
中心摧且傷    中心摧け且つ傷む(ちゅうしんくだけかついたむ)
不聊憂飧食    飧食を憂うるに聊らず(そんしょくを憂うるによらず)
慊慊常饑空    慊慊常に饑空なり(けんけん常にきくうなり)
端坐而無為    端坐して為す無く(たんざして為す無く)
髣髴君容光    君が容光を髣髴す(君がようこうをほうふつす)


【口語訳】
重苦しい空の下 心は憂いにふさがれる
この憂いは誰のためにおこるのだろう
思えばあなたと生き別れて
各々がこの空を隔てた一方にいる身となった
楽しい語らいはいつともわからない
胸の内は張り裂けんばかり
食べることに事欠いているわけではないけれど
いつも飽き足らずひもじいような思い
ぼんやり座ったまま為すこともなく
あなたの面影を思い描くばかり

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