オタク迫害の歴史 ~ なぜ彼らは憎まれ、排除されてきたのか ~ ④「おたく」誕生以前の名称、概念。そして悪趣味(ロリコン)ブーム
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先鋭化して加害・迷惑行為を行う 「オタク集団・オタク族」 と 何となくマンガアニメが好きなだけで「おたくっぽい雰囲気を出している」だけの 「オタク層」 は似て非なるものです。
ここが混同されているのは大いなる悲劇と言えるでしょう。 その最悪の例が「連続幼女誘拐殺人事件」の宮崎勤(最悪の意味での「オタク族」)です。
彼によって
「ただのオタク層」
が異常な殺人鬼である「オタク族」と同一視され、多大な迷惑をこうむりました。 「一部オタクがこんな加害をしていた」 から 「クラスの陰キャをいびりぬいていい」 は成立しません。
それが許されるのであれば、日本においてプロ野球ファンは大勢いますが、ということは当然「プロ野球ファンによる犯罪」も相当数起こっているはずです。 にもかかわらず、「プロ野球ファンは犯罪者予備軍だから幾らでもいじめてよい」という世論が形成されたことなどありません。
まともな判断力があれば「プロ野球を愛好すること」と「犯罪」の間の因果関係を信じることなど出来ないでしょう。 万が一仮に本人が「ホームランを打つ要領で人の頭を打ってみたかった」などと証言したとしても、「物凄く特殊かつ愚かな人間が一人いた」だけのことと判断し、プロ野球ファン一般に偏見を拡大することなど無かったでしょう。 にもかかわらず、こと「オタク」分野に関してはそうした忖度が一切行われませんでした。 それどころか日本を挙げてのパニックとなりました。
世間が「オタク認定したもの」は事実がどうであれ「一方的に叩いてよいもの」とされ、その影響は極論すれば2026(令和8)年の現在にすら続いています。
それは何故なのか。
また、この「オタク迫害史」を連載するにあたって「いや、オタクの加害の歴史もかなりひどいものがある」という指摘が絶えません。
ところがよくよく聞いてみると、彼らが言う「オタクの加害」とやらは主に
「2000年以降、インターネットが普及した後」
に行われているものが大半です。
私は主に 「1989年(宮崎勤事件)以降、2000年ごろまでのオタク迫害」 について述べています。
つまり、彼らの言う「オタク加害」と因果を形成していません。
まあこの頃は「岩を割る」という少年マンガ典型の修業の一点をもって
「ダイの大冒険」(1989年連載開始)は「鬼滅の刃」(2016年連載開始)のパクリ
などという「時空がねじれた」説をも簡単に信じ込んでしまう層が少なからずいます。
彼らの「オタク加害からのオタク被害(因果応報)」の話を聞いていると「時系列がムチャクチャ」であることが少なくありません。
つまりそういうことだったのです。
一部に「何が何でもオタクを叩きたい」層がおり、「オタクにも責任があった」ということにしたいために「説得力のあるオタク迫害の歴史」を編纂されるのは都合が悪かったのでしょう。
なので 「1989~2000年頃のオタク迫害の話をしたいだけ」 と言い切ってさっさと話しをまとめればよかったんですが、「1989年(宮崎勤事件)以前の話もしろ!」という圧力が凄く、ここまで来てしまいました。
であれば乗りかかった船なので現代にいたるまでの話もしますが、まずはこの大前提を押さえていただきたいと思います。
★オタク加害史&迫害史
「オタク加害史(オタクがいかに他者を攻撃・排除してきたか)」と「オタク迫害史(オタクがいかに社会から疎外されてきたか)」という、被害と加害の二面性からアニメブームの歴史を紐解く…と言う形で。
なんだか「オタク迫害史」で始めたのに加害史も同時にってのはやってて複雑ではありますが。
1970年代後半の「第1次アニメブーム(宇宙戦艦ヤマト)」から、1980年代前半の「第2次アニメブーム(機動戦士ガンダム)」に至る時代は、オタクたちが社会からの「迫害(冷笑と白眼視)」から身を守るために強固な城を築き、その城の中で知識を武器にして他者を叩く「加害者(マウンティングと排除の主体)」へと変貌していく過渡期でした。
この2つの波における、彼らの趨勢と「加害/迫害」の構造を解説します。
① アニメ第一の波(宇宙戦艦ヤマト期):ファンダムの誕生と「熱狂の暴力」
1977年の『宇宙戦艦ヤマト』劇場版公開を皮切りとする第一の波では、「アニメファン」という巨大な集団が初めて社会に姿を現しました。
【迫害の面】「モラトリアム」という社会からの白眼視
前述した通り、当時の彼らは社会から「いい年をしてテレビまんがの列に並ぶ異常な若者」として白眼視されました。また、上の世代である「SFファン(活字層)」からは「ヤマトのSF考証はデタラメだ。あんなものはSFではない」と、知的な面からの激しい迫害(冷笑)を受けました。彼らは社会からも、サブカルチャーの先輩からも「居場所」を否定されていたのです。
【加害の面】「設定至上主義」の芽生えと、制作者への「口出し(ファン心理の暴走)」
しかし、この迫害に対する反発が、彼らを「加害者」へと変えていきます。 彼らは「自分たちが愛するヤマトは、決して幼稚なものではない」と証明するために、作品の「設定」や「メカニック」を異常なまでに細かく分析し始めました。これが暴走し、以下のような「加害性」を生み出します。
制作者への過剰な要求
「俺たちのヤマトを汚すな」というファン意識が肥大化し、プロデューサーや監督の意向に対して「設定と矛盾している」「こんな展開は認めない」と、ファンジン(同人誌)や投書で激しいバッシング(作品の私物化)を行うようになります。
私は「うる星やつら」ファンなので、原作に先んじて中途半端に終わったTVアニメのプロデューサーに対する個人攻撃などをよく覚えています。
こうした「一部ファンの暴走」は後の「ラブライバー」が引き起こした騒動などもあり古くて新しい問題です。
「にわか」への攻撃
ヤマトブームに乗っかってきた純粋な子どもや、キャラクターだけを楽しむ層に対して、「メカの構造も分かっていないくせに」と見下す、「オタクによるオタク・非オタクへのマウンティング(知的な加害)」の萌芽がここで生まれました。
② アニメ第二の波(機動戦士ガンダム期):エリート主義と「オタク」の誕生
1979年放送開始の『機動戦士ガンダム』は、この「設定を楽しむ」というファンの気質に完璧に合致し、1981年の劇場版公開(アニメ新世紀宣言)で第二の波がピークに達します。この時期、ついに「オタク」という呼称(蔑称)が誕生します。
この「オタク」概念誕生についてはかなり分厚いお話になってとても面白いので別口でやります。
【迫害の面】「キモい・ダサい」という身体的・スクールカースト的な迫害
1980年代に入ると、世の中はバブル経済の足音が聞こえ始め、若者文化は「サーフィン、ディスコ、DCブランド」といった、明るく消費的な方向(いわゆるリア充文化)へ急旋回します。
これ!この「おたくはダサい」は一面で
「イケてる」
層が半面にいたことが大きいんですよね。
なのでそこに乗り切れない層の「バブル文化」へのルサンチマン(怨念)は相当なものがあります。
一部のオタクライターのこの時代へのこじらせぶりは皆さんもご存じの通り。
「オタク」以前の呼称:「マニア」と「ネクラ」
1970年代後半から1980年代初頭にかけて、彼らを一括りにする便利な名詞はまだ存在していませんでした。世間やメディアは、彼らを以下のような言葉で表現していました。
マニア(アニメマニア、SFマニアなど): 最も一般的な呼称です。「〇〇ファン」よりも異常な執着を持つ者として、ややネガティブなニュアンスを含んで使われました。
ネクラ(根暗): 1980年代初頭に流行した言葉です。「根が暗い」の略であり、彼らの趣味そのものよりも、コミュニケーション能力の欠如や、内向的な性格を指し示す言葉として使われました。
「オタク」という蔑称の誕生(1983年):
コラムニストの中森明夫が、コミックマーケットに集まる栄養失調気味で、度の強いメガネをかけ、ダサい服を着た少年少女たちを「おたく」と名付けて揶揄しました。
「オタク」という呼び名が登場したことで「概念」として定着したのか、というのは物凄く大きなテーマなので一項を立てます。次回をお楽しみに。
スクールカーストの最底辺へ
これにより、彼らは単なる「趣味の変わった人」から、「見た目が不潔で、コミュニケーション能力がなく、暗い連中」という「生理的嫌悪の対象」へと迫害のフェーズが一段階引き上げられました。彼らは学校の教室において、息を潜めて生きることを余儀なくされます。
【加害の面】知識によるマウンティングと「女性ファン」の排除(ミソジニー)
教室で迫害され、カーストの底辺にいた彼らは、自分たちのサンクチュアリ(同人誌やアニメ雑誌の読者欄、模型店)の中では、極めて攻撃的な「加害者」として振る舞いました。
「リアルロボット至上主義」による他ジャンルへの攻撃:ガンダムの「ミノフスキー物理学」などの緻密な裏設定(架空のリアリティ)に酔いしれた彼らは、それ以前の『マジンガーZ』のようなスーパーロボット作品や、それを楽しむ子どもたちを「非科学的なオモチャ」と激しく見下しました。「俺たちはガンダムの複雑な政治劇と科学設定を理解できるエリートだ」という強烈な特権意識が、他ジャンルへの激しい攻撃(加害)を生みました。
女性ファン(キャラクターファン)の徹底的な排除
ガンダムブームを牽引したもう一つの巨大な勢力は、シャアやガルマといった美形キャラクターの悲劇に熱狂した「女性ファン(後の腐女子層を含む)」でした。
しかし、男性のメカ・ミリタリー系オタクたちは、彼女たちを「ガンダムの高尚なSF的テーマを理解せず、男の顔ばかり見ているミーハーな女ども」と激しく嫌悪し、雑誌の投書欄などで凄惨なバッシング(女性排除)を行いました。
「女にはガンダムは分からない」という、ホモソーシャル的な加害構造がここで完全に定着します。
この項まとめ
「迫害」の痛みが「加害」の牙を研ぎ澄ませた
第一の波(ヤマト)から第二の波(ガンダム)へと至る1970年代末〜80年代前半のオタク史は、「迫害の歴史であると同時に、内なる加害性の醸成期」でもありました。
一般社会やスクールカーストから「暗い、ダサい、キモい」と迫害され、現実社会での権力を持たなかった若者たちは、「架空世界の知識(設定)」という武器を手に入れました。そしてその武器を使って、自分たちより知識のない「にわかファン」を叩き、作品を自分たちの思い通りにしようと「制作者」に牙を剥き、コミュニティに介入してきた「女性ファン」を異物として排除(加害)したのです。
「外(社会)から叩かれた者が、安全な密室の中で、より立場の弱い者(あるいは異端者)を叩く」
この時期に形成された「知識によるマウンティング」と「純血主義(にわか・女性排除)」という加害的な構造は、その後のインターネット時代(2ちゃんねる等)におけるオタクたちの攻撃性の、最も深いルーツとなっています。
★「ロリコンブーム」という闇
これを読んでいる皆さんの中で「ロリコンブーム」について知ってる人の方が少数派かもしれません。
ハッキリ言って「日本はロリペド大国」などという言い分に私はかなり立腹してはいるんですが、これに関しては全く申し開きが出来ません。
ということで「ロリコン・ブーム」について。
1980年代の「ロリコン(ロリータ・コンプレックス)ブーム」は、オタク史において非常に特異かつ、のちの社会的な大バッシングの直接的な火種となった極めて重要な現象です。
ご指摘の通り、このブームは初期こそ「インテリ層による意図的な悪趣味(アバンギャルドな表現)」や「マッチョな劇画へのアンチテーゼ」という“サブカルチャー的な言い訳”でコーティングされていました。しかし、1980年代末の凶悪事件によってその言い訳は完全に吹き飛び、社会から「弁解の余地のない社会悪」として断罪されることになります。
その発生から崩壊までの歴史的経緯を、年代と代表的な作家を交えて解説します。
1. 黎明期(1979年〜1981年):劇画への反発と吾妻ひでおの登場
1970年代の青年漫画は、劇画(さいとう・たかを等に代表される、リアルで汗臭く、男らしさを強調した劇画タッチ)が主流でした。この「男の情念」や「汗と血」といった重苦しい表現に対する反発として、全く新しい美意識を持ち込んだのが吾妻ひでおです。
代表的作家:吾妻ひでお彼はSFや不条理ギャグの文脈の中に、「丸みを帯びた、記号的に可愛らしい美少女(ロリータ)」を登場させ、そこにライトなお色気要素を絡めました。彼の描く、現実の生々しい女性像から切り離された「二次元的な美少女」は、当時のSFファンやアニメファンに熱狂的に受け入れられました。彼こそが「美少女コミック(ロリコン漫画)の祖」とされています。
2. 爆発と商業化(1982年〜1985年):専門誌とOVAの誕生
1980年代に入ると、この局地的なブームを出版社や映像メーカーが「金になる市場」として発見し、一気に商業化(ジャンル化)が進みます。
専門誌の創刊:『レモンピープル』(1982年・久保書店)日本初のロリコン(美少女)漫画専門誌として創刊。大ヒットを記録し、雨後の筍のように類似誌が創刊されます。
『漫画ブリッコ』(1983年・白夜書房)とオタクの命名:この雑誌もロリコンブームを牽引しましたが、特筆すべきは、中森明夫が「おたく」という言葉を初めて活字で定義したのが、この『漫画ブリッコ』の連載コラムだったという歴史的事実です。つまり「オタク」という概念と「ロリコンブーム」は、全く同じ胎内から生まれています。
代表的作家:内山亜紀吾妻ひでおがギャグやSFのオブラートに包んでいたのに対し、より直接的で過激な性的描写を確立したのが内山亜紀です。彼の極端にデフォルメされた幼児体型のキャラクターによる性描写は、のちに警察や社会からの激しい糾弾のターゲットとなります。
OVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)『くりいむレモン』(1984年):テレビの放送コードに縛られない「ビデオ販売」という新しいメディアを利用し、美少女アニメと性描写を直結させた本作は大ヒットし、アニメ市場における美少女エロスのジャンルを確立しました。
3. 「悪趣味」という知的言い訳:大塚英志らの批評空間
なぜ、このような(現実の児童を性的に消費しかねない)危険なジャンルが、当時の若者たちの間で流行したのか。それは、当時のサブカルチャー界隈がこれを「高度な知的遊戯(言い訳)」で武装していたからです。
のちに評論家となる大塚英志(当時『漫画ブリッコ』編集者)らは、こうしたロリコン漫画を「現実のロリコン(小児性愛)ではなく、記号としての少女を消費するメタ・フィクションである」「家父長制的なマッチョイズムを解体するポストモダンな表現である」と批評しました。
つまり、読者である高学歴な大学生や若者たちは、「俺たちは本物の変質者ではなく、意図的に『悪趣味(バッド・テイスト)』を楽しんでいるエリートである」という、ある種のスノッブな知的情悦に浸っていたのです。
4. 崩壊とハードな迫害(1988年〜1989年):宮崎勤事件
しかし、この「これは記号のお遊びである」というインテリ層の言い訳が、凄惨な現実の前に木っ端微塵に粉砕される日が来ます。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(1988年〜1989年):逮捕された宮崎勤の自室からは、大量のホラービデオと共に、前述した『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』といったロリコン漫画誌、アニメ雑誌、そして同人誌が数千冊単位で発見されました。
「言い訳」の無効化と社会の断罪:マスコミは部屋の様子を連日報道しました。世間や警察から見れば、「記号の消費」も「悪趣味のポストモダン」も関係ありません。「ロリコン漫画やアニメを読むから、現実の幼女を殺すのだ」という、直接的な因果関係(犯罪の教唆装置)として完全に同一視されました。
これ以降、社会からのオタクに対する視線は、それまでの「暗くてダサい(ソフトな迫害)」から、「放っておけば子どもを襲う潜在的な性犯罪者(ハードな迫害)」へと決定的に激化します。内山亜紀などの単行本は書店から姿を消し、有害図書指定の嵐が吹き荒れました。
この項まとめ:「記号の遊戯」が「社会的抹殺の烙印」に変わるまで
1980年代前半のロリコンブームは、オタク文化が劇画や旧世代の価値観から脱却し、「二次元の美少女キャラを消費する」という現在の萌え文化の直接的な原点を作り上げた重要なムーブメントでした。
しかし、彼らが「知的な悪趣味」として安全な密室(同人誌やマイナー雑誌)の中で肥大化させていた性的逸脱の表現は、宮崎勤事件という現実の惨劇と結びついた瞬間、社会全体から一斉射撃を受ける最大の弱点となりました。この時オタクたちが受けた「犯罪者予備軍としての激しいバッシング」のトラウマは、その後の表現規制問題や、現在のSNSにおけるオタクとフェミニズムの衝突にまで続く、深い爪痕を残しているのです。
実は私も世代ではないこともあって「ロリコンブーム」についてはリアルタイムに知っているわけではありません。
オタク第二世代として「少年マンガに登場する幼児的に可愛い女の子」はもう「当たり前の様に存在する」ものでした。
この辺り「高尚な趣味」として男性の同性愛を使っていた「耽美」が欲望に忠実な「やおい」としてカジュアルに消費されるに至るのとパラレルと言えます。
それにしても「おたく」用語を生んだ『漫画ブリッコ』が当の「ロリコンマンガ誌」だったというのはタチの悪い冗談みたいな悪夢です。
ということで次回は「おたく」と言う用語の成立時期の話。これが「有力な説」が私の調査でも3つくらいあるカオスなことになってます。
情報がある方は教えていただければ幸いです。
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