オタク迫害の歴史 ~ なぜ彼らは憎まれ、排除されてきたのか ~ ②1960年代のSF研から、1970年代後半の『宇宙戦艦ヤマト』によるアニメブームへの移行
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当時の彼ら(まだ「オタク」という言葉はなく、「アニメファン」や「マニア」と呼ばれていました)が世間からどう見られ、叩かれていたかについてですが、結論から言えば、1980年代後半のような「社会悪としてのバッシング(迫害)」はまだ受けていませんでした。
当時の社会からの視線は、迫害というよりも
「激しい困惑」
と
「『いい大人がみっともない』という冷笑」
だったみたいです。
この頃大人である人が40~50歳くらいと考えると生まれは1930~40年代です。ゴリゴリの「戦中派」。若い頃には戦争を兵隊として経験したような人も多いので、現在の「大人」とも全く違うことを念頭においてください。
詳しく考察してみましょう。
1. マスメディアの視線
「迫害」ではなく「珍獣扱い」
1977年に『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版が公開された際、公開前夜から映画館に高校生や大学生が長蛇の列を作りました。これが日本初の「アニメブーム」の象徴的な事件です。後に言う所謂「アニメ第一の波」ですね。
社会の困惑
当時の一般社会にとって、アニメは「テレビまんが」であり、小学生までが観るものでした。そのため、新聞やテレビは「なぜ中高生や大学生が、子供向けの『テレビまんが』のために徹夜で並ぶのか?」と、社会現象として大々的に報じました。
危険視はされていない
この報道は、「理解できない奇妙な若者たち」というニュアンス(いわば珍獣扱い)でしたが、「犯罪予備軍だ」「社会の脅威だ」といった危険視やバッシングではありませんでした。受験戦争が激しかった時代背景もあり、「勉強もせずに……」という教育的な呆れ声が主流でした。
2. 「活字」vs「映像」の対立
SFコミュニティ内部での摩擦
実はこの時代、世間からの冷笑以上に激しい「叩き合い」があったのは、サブカルチャーの内部においてでした。何やってんだ一体…。
旧世代(活字SFファン)からの批判
1960年代から活動してきた大学SF研などの「活字SFファン」たちの一部は、ヤマト熱狂するアニメファンを一段低く見ていました。「ヤマトのSF考証はデタラメだ」「あんなものはSFではない」といった厳しい批判が、ファンジン(同人誌)などで展開されました。
ある程度の年齢のSFファンは「ロボットアニメだのアニメだのはSFとしては邪道!SFの本道・王道は小説だ!」とよく言いますね(例:岡田斗司夫)。
「アニメファン」の独立
こうした上の世代からの「知的ではない」という批判への反発から、ヤマトファンたちは「自分たちはSFファンではなく、アニメファンである」という独自のアイデンティティを形成していくことになります。
この「SF論争」は一部SFファンによる言ってみれば歪んだエリート意識によってもたらされました。笑ってしまいますが長年にわたって「スター・ウォーズはSFではない」といった論が幅を利かせていたそうです。
あれがSFでなくて何がSFなのか?と若い方は思うでしょうが、「スペース・オペラ」なんだそうです。
そんな細かい用語の使い方なんてどうでもいいじゃないか!と思います?そう。どうでもいいのです。
そしてそんな事ばっかりやってるSF界は大変なことになります。
この調子で何でもかんでも「こんなものSFじゃない」とやり続けた結果、折角のSFブームは完全にしぼんでしまい、その後「SF」と付いた商品は売れなくなるという「SF冬の時代」を招いてしまいます。
SFファン(オタク)はこの時代を大いに反省しているとされますが、かの「新世紀エヴァンゲリオン」が伝統ある「SFマガジン」で紹介された時も旧来のSFファンからかなり反発があったそうなのであんまり変わってないですね。
閑話休題。
3. 「迫害」どころか「巨大な市場」として発見された時代
1970年代後半がそれ以前と決定的に違うのは、社会がアニメファンをただ冷笑するだけでなく、「巨大なビジネスの対象(金づる)」として発見したことです。
アニメ雑誌の創刊と商業化
1978年に徳間書店から『アニメージュ』が創刊され、大ヒットします。出版社やレコード会社は「中高生・大学生のアニメファンは、関連商品にお金を落としてくれる優良な消費者である」ことに気がつきました。
市民権への第一歩
大人社会は彼らの趣味を「幼稚だ」と内心では見下しながらも、商業的には大歓迎しました。これにより、彼らは「迫害」されるどころか、声優のレコード、設定資料集、セル画といった独自の消費文化を堂々と享受できる環境を手に入れたのです。
1970年代は「発見と困惑」の時代
1960年代のSF研の学生たちが「思想なき現実逃避」として学生運動家から糾弾(ある種の迫害)されていたのに対し、1970年代のヤマトブーム期の若者たちは、初めてマス社会にその姿を現し、世間の大人たちを「困惑」させた存在でした。
彼らは「テレビまんがに熱中する幼稚な若者」として社会から冷笑されつつも、同時に「新しい巨大な消費者」として商業システムに組み込まれていきました。この「世間からはオモチャにされ(あるいは見下され)ながらも、強固な消費市場を築く」という構造こそが、1980年代以降の本格的な「オタク文化」へとそのまま接続していくことになります。
とはいえここまでだとただのオタク史です。
なので「オタク迫害史」ってことでこの時代にオタク迫害に繋がる様な動きは無かったのかと調べて見るとそろそろ出てきてます。
1. 「悪書追放運動」の延長線上にあった教育的バッシング
1970年代の社会において、漫画やアニメは依然として「子供の教育に悪影響を及ぼす低俗なもの」というレッテルを貼られていました。
PTAと学校による抑圧
1950年代の「悪書追放運動(漫画を校庭で燃やすなどの焚書運動)」の余波は70年代にも強く残っていました。
「漫画を読むとバカになる」「アニメは小学生まで」という価値観が支配的であり、中高生や大学生になってまでそれらに熱中する若者は、親や教師から「いつまでも幼稚で恥ずかしい」「現実逃避の落伍者」として激しく非難され、時には趣味の品を捨てられるといった家庭内・学校内での迫害(抑圧)を日常的に受けていました。
食うや食わずだった戦後に比べるとある程度は豊かになってきた世相は「受験戦争」時代に突入してたんですな。
それでいて「面白いもの」はどんどん出てくるのでそりゃ食い合わせは最悪でしょう。
2. メディアによる「異常現象」としてのレッテル貼り
遂にマスメディアが牙をむき始めますな。
1977年の『宇宙戦艦ヤマト』劇場版公開時、徹夜で映画館に並ぶ若者たちの姿をメディアは大きく報じましたが、そこには明確な「見下し」の視線がありました。
「モラトリアム青年」という分析
当時の新聞や雑誌の論調は、「彼らはなぜ、たかがテレビまんがに熱中するのか」という困惑と共に、「受験戦争や厳しい管理社会から逃避し、大人になることを拒絶している子供たち(ピーターパン・シンドロームやモラトリアム)」という精神分析的なレッテルを貼りました。
これは犯罪者扱いではないものの、社会的に「不健全で未熟な集団」として公的に定義された(一種のバッシングを受けた)瞬間でもありました。
そういや子供の頃やたらと「ピーターパン・シンドローム」という単語は聴かされました。
ただ、大人と子供の間の「若者」という状態が出現し始めるのは第二次世界大戦が終わって冷戦時代となり、かりそめの平和が訪れたことで世界的な傾向となります。
とはいえ紛争や社会不安が大きかった国ではそうした産業は育ちにくかったのも確かで、現在世界中で希求されている日本のアニメが成立したのも「平和だったから」という側面は大きそうですね。
3. コミックマーケット設立(1975年)が証明する「居場所のなさ」
オタク的なものが社会からどう扱われていたかを最も端的に示しているのが、1975年の「コミックマーケット(コミケ)」の誕生です。コミケは、単なるお祭りとして始まったわけではなく、激しい疎外感からの「避難所」として作られました。
既存コミュニティからの排除
当時、漫画の評論や研究を真剣に行おうとしていた若者たち(コミケ創設の中心となった批評集団「迷宮」など)は、一般社会から冷眼視されていただけでなく、SF大会などの既存のサブカルチャー・コミュニティの内部からも「漫画なんて一段落ちるもの」として軽視されていました。
…まったく、オタクはすぐに順列を付けたがるなあ。
「商業主義」と「世間の目」からの隔離
彼らは「自分たちが好きなものを、誰にも馬鹿にされず、社会的評価も気にせず語り合える絶対的な安全地帯」を必要としました。
コミケが長年「一般社会(マスコミ)の介入を拒む閉鎖的な空間」として運営されてきたのは、初期の参加者たちが世間からの「冷笑」や「教育的指導」というバッシングに深く傷つき、警戒していたからです。
4. 学校空間における「同人活動=不良行為」という扱い
当時の同人市場を分析すると、同人誌を作る行為そのものが、学校社会に対する一種の「反逆」と見なされるケースが多々ありました。
学校に隠れてガリ版を刷り、同人誌を制作・販売することは、当時の校則や生活指導の観点からすれば
「不健全な不良行為」
でした(!!!)。
同人誌が見つかって停学処分になるようなケースもあり、彼らにとって同人ネットワークは、文字通り「見つかってはいけない地下活動(アンダーグラウンド)」の性質を帯びていました。
「見下し」という軟性バッシングが、強固な城(市場)を作った
ヤマト時代までのオタク(マニア)たちは、凶悪なレッテルこそ貼られませんでしたが、「幼稚」「現実逃避」「教育上の悪」という教育的・道徳的なバッシングの只中にいました。
彼らはその抑圧から逃れ、自分たちの愛する作品を堂々と肯定するために「コミックマーケット」という巨大な防空壕(あるいは独自の経済圏)を構築しました。世間が彼らを「バッシング(見下し・排除)」したからこそ、彼らは自分たちだけで成立する強固な同人市場を作り上げることができた、と言えます。
こうして調べて見ると、なんだかんだでこの時代の「オタク」(まだその用語は無いのですが)は
「たくましいな」
と感じます。
ちょっとオタク呼ばわりされるとすぐげんなりしちゃう世代とは違って、地下に潜ってレジスタンス活動よろしくそれでもやっちゃうんだから。
…と言う風に簡単に割り切れればいいんですが、事態はそう単純ではありません。
何しろ「宮崎勤事件」以降のバッシングの凄まじさたるや筆舌に尽くしがたいものがあるからです。
ということでまだまだ続きます。
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