「手術して家に帰ってきたらゲームボーイが見えなかった」0.03あった視力も手術で喪失…“盲目のピン芸人”濱田祐太郎(36)が直面した“絶望の2択”
学校で友達を笑わせたことも、家族に面白い話をしたこともない
――お笑いに惹かれたのはいつ頃なんですか。 濱田 最初のきっかけは、小6の時に大阪でやってた西川きよしさんMCの漫才番組です。アニメを見たくてテレビ大阪をつけてたらそのCMが流れて、なんとなく「見てみよう」って。いざ番組を観たら、ビッキーズさんとハリガネロックさんがすごくて「漫才ってこんなに面白いんや」となりました。 ――漫才という「しゃべる芸」にそこで出会ったんですね。 濱田 で、ちょうど1カ月後に第1回のM-1グランプリの決勝があったんですよ。ハリガネロックさんが出てたから「絶対この人たち優勝やん」と思ってたら、中川家さんが倒して優勝した。「まだまだ面白い人たくさんいるんや」って。 ――お笑いにハマってからは、どんな番組を。 濱田 「人志松本のすべらない話」とか「内村プロデュース」はDVDを買うくらい観てましたね。いろんなゲストが出てくる「ごきげんよう」も好きでした。ずっと浴びるようにお笑いを観てました。 ――学校では友達を笑わせるようなタイプだったんですか。 濱田 全然でした。物静かな方なんで。 ――家族に面白い話をすることは? 濱田 それも全くなかったですねえ。
養成所にも入っていないのに、独学でR-1の準決勝に
――完全に「見る専」だった。でも濱田さんは養成所にも入っていないタイミングで「R-1ぐらんぷり」の準決勝に進出していますよね。 濱田 高校を卒業してからはマッサージのアルバイトをしてお金をためて、22歳の時にNSCに入ろうと思って願書を出したんですけど、その前に自分の力を知りたくてR-1に出ました。1回戦、2回戦で落ちるんやったら才能ないんやろうから早めに試しておこうと思って。 ――お笑いの経験は何もないですよね? 濱田 もちろんないです。台本もないし、構成がどうのとかも知りません。ネタ時間2分か3分で、自分が面白いと思う話を面白い順にバーッとしゃべりました。3回戦なんか、その日の朝起きて「あ、これ面白いな」って思ったことを、そのまま舞台でしゃべった。 ――それがウケるのはセンスありすぎませんか。 濱田 いま思うと、テレビで一級品のトークをずっと聞き続けてきたから面白いのハードルだけは最初から高いところにあったのかもしれません。ただ人に向けてしゃべったことはなかったので、友達も家族もびっくりしたと思いますよ。「こいつ面白いこと考えてるやつやったんか」って。 「濱田は通さない」と構成作家に拒絶された記憶が…“盲目のピン芸人”濱田祐太郎(36)が「R-1」決勝当日まで“出演取り消し”に怯えた理由 へ続く
二瓶 仁志
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