令和の皇室で繰り広げられる…最後の戦い。
これは令和の皇室に至るまでの物語。
礼宮さまと川嶋紀子さんの出会いから、小和田雅子さんの入内、悠仁親王殿下のご誕生、そして令和に行われる異常なまでの秋篠宮バッシングについてです。
秋篠宮皇嗣同妃両殿下の出会い
礼宮さまと川嶋紀子さんの出会いは1985年4月のことでした。
礼宮さまは19歳、紀子さんは18歳です。
礼宮さまが大学構内にあった書店で、
「こちら、川嶋教授のお嬢さまです」と
店主から紹介されたのが、川嶋紀子さんだったのです。
礼宮さまは自分の使命を理解されておりました。それは皇統を繋ぐこと。その為に「皇后をも務まる女性」を探しておられました。
現在の皇室を見ても分かる通り、皇族の結婚は非常に難しい。
礼宮さまは「自分のような立場の人間は学生の内でないと結婚出来ない」という危機意識をお持ちだったのです。
礼宮さまが「学習院でお妃を探された」ことには理由があります。
当時の学習院は今とは違って、
「基本的に身元や思想がしっかりしている人」が多かったこと。
勿論、学力があり授業料が払えれば出自に関係なく通えますが、
それでも皇族が通う大学なだけあって、婚姻相手を探す環境としてはまだ機能していたのです。礼宮さまの妹である紀宮さまが嫁いだ黒田さんも学習院出身です。
安全圏とまでは言いませんが、礼宮さまは「お妃に相応しい女性が存在している可能性が十分にある」中でお相手を探されていたのです。
そして何より、礼宮さまの慧眼ですね。
川嶋紀子さんの曽祖父は学習院初等科長を務められた川嶋正一郎氏、紀子さんの父は学習院教授の川嶋辰彦氏。
つまり「皇族を指導してきた由緒正しき血筋」。
川嶋紀子さんは血筋も思想も完璧に保証された女性であったのです。
礼宮さまが川嶋紀子さんを求めたのは道理です。
昭和天皇は川嶋紀子さんを大歓迎されます。
歓迎された証拠となる富田メモ。
(富田メモとは、元宮内庁長官・富田朝彦さんがつけていたとされるメモ)
「礼宮 陛下も承知し、喜んでいる」
だからこそ紀子さんのお印には昭和天皇が愛されていたお花である「那須檜扇菖蒲」が贈られたのです。
上皇后陛下「那須檜扇菖蒲…!紀子ちゃんのお印に頂いた…」
上皇陛下「昭和帝もお喜びだった…」と
仰っています。
昭和天皇の隣にはいつも礼宮さまがおられたのです。
その礼宮さまのご結婚を昭和天皇はどれほど喜ばれたか。
昭和天皇は紀子さんのことを「秋篠寺の伎芸天に似ている」と仰ったこともあったとか。
「秋篠寺」だから「秋篠宮」なのです。
昭和天皇と秋篠宮家の絆の深さ…。
時系列を先にご紹介
1989年1月7日 昭和天皇崩御
1989年6月中 礼宮さま、喪明け
1989年9月12日 礼宮さま•川嶋紀子さん
婚約会見
1990年1月8日 天皇皇后両陛下(当時)喪明け
1990年1月12日 納采の儀(婚約)
1990年6月29日 結婚の儀
1990年11月12日 天皇陛下(当時) 即位の礼
が行われます
礼宮さまと川嶋紀子さんは「喪中婚」ではありません。
昭和天皇の崩御による礼宮さまの喪は婚約会見時明けています。
続柄によって、一人一人喪に服す期間が異なるのです。
皇室においては、天皇陛下(当時)を中心とするため「喪中」と一部で誤解されたようですが、礼宮さまの喪は明けています。
また、昭和天皇の第四皇女であられる順宮厚子内親王(池田厚子さん)は、貞明皇后の崩御から2か月後、服喪期間中に皇族会議も経ず、昭和天皇自らの裁可によってご婚約を発表されております。
礼宮さまと川嶋紀子さんはそもそも「喪中婚」ではありませんが、仮に喪中だったとしても問題がないのです。
1989年8月25日に天皇皇后両陛下(当時)が川嶋紀子さんに結婚の申込みをされ、皇太子殿下(当時)が「強く結婚を勧め」て背中を押したという事実があります。
礼宮さまと川嶋紀子さんの婚約会見は1989年9月12日です。
皇室から大歓迎されていますね。
皇室側が川嶋紀子さんの婚約を急かしたのには理由があります。
それは当時とっくに決まっている筈の皇太子妃が不在で、重要な代替わりを若い世代の妃に体験させる必要があったから。
御成婚から僅か4ヶ月後に平成の即位の礼が行われ、紀子さまは筆頭宮妃としての御重責を見事に果たされました。
秋篠宮同妃両殿下の最初の住宅は、築60年の職員住宅でした。筆頭宮家として相応しい宮邸を与えられなかったのです。末端宮家である高円宮家と比べるとその異常性が分かります。上が高円宮邸、下が秋篠宮邸。ほぼ同時期1990年あたり。
秋篠宮同妃両殿下の結婚生活が始まります。
紀子さまはとても幸せそう。大好きな秋篠宮殿下と一緒にいられるだけで紀子さまには十分だったのです。
両殿下は公務に邁進していきます。
時には猛吹雪の中でのご公務も。
しかもこの時、紀子さまは御懐妊中だったのです。
1991年10月23日に眞子さまが誕生されます。
天皇皇后両陛下(当時)の初孫として誕生された眞子さまは大変注目度が高く、日本中から愛されるようになりました。
天皇陛下は眞子さまのことを目の中に入れても痛くないと言ったご様子で、皇室は幸せに包まれます。
眞子さまの誕生で順調な秋篠宮家。
しかしその頃、皇室では問題がありました。
皇太子妃が決まらないのです。皇太子はもう30代。これまで数多くのお妃候補が居ましたが、どれも決定打には至らず、暗礁に乗り上げていました。
秋篠宮殿下が皇統継続に危機感を抱いていたのはこういう事情もあったのです。
皇太子妃の条件として
・3代前を遡れる、身内に公害関係者がいない
・思想に問題がない
・健康である
・交際経験がない
・就労経験がない
等がありました
美智子さま、紀子さまは満たしていますね。
そこで香淳皇后の実家である久邇家のご令嬢が最有力候補とされていたのです
しかしその時…
1993年1月、皇太子妃に小和田雅子さんが決定したと報道がされます
久邇家では婚約の為の振袖まで用意されていた段階でのスクープ
決まりかけていた…いや、決まっていた皇太子妃が覆されたのです
それでは、小和田雅子さんとはどのような女性なのでしょうか?
伏線は7年以上前から貼られていました
【麗しき外交官の卵】
1986年から小和田雅子さんは表舞台に姿を現します。
Focus、フライデー、日経新聞…etc
写真は小和田雅子さんと皇太子殿下が、
「同じ週刊誌」に掲載された時のもの。
偶然でしょうか?
何故こんなにも注目されるのでしょうか?
1986年10月16日
スペインのエレナ王女歓迎パーティーにて皇太子殿下と小和田雅子さんが出会います
この時、雅子さんを招待したのは高円宮殿下。高円宮殿下は皇太子殿下の兄のような存在だと言われ、この記事には
高円宮妃の久子さまは雅子さんの母、小和田優美子さんと旧知の仲であると書かれています。
高円宮家は深く物語に関わってきます。
高円宮殿下と久子さまは出会ってから僅か
1ヶ月で婚約。
久子さまの旧姓は「鳥取久子」なのですが、結婚前は仕事の時、名前のバランスを良くしたいという理由で、「鳥取恒久子」という名刺を使われていました。
雅子さんの父親の名前は「小和田恒」です。
1987年4月25日に
高円宮邸での夕食会に皇太子殿下と小和田雅子さんが招かれる
1989年1月頃~
小和田雅子さんが本命では、と記事にされ始める
『消えたお妃候補たち』という本によると
1989年2月に、
皇太子は側近に「小和田雅子さんではだめですか?」と尋ねたそう
マスコミは小和田雅子さんが「本命」だと騒ぎます。
しかし、昭和天皇ご存命時の宮内庁は名指しで「雅子さんの皇太子妃はない」と発表したのです。
このように宮内庁が強く拒絶の意を示したのは雅子さんだけです。
理由は公表されませんでした。
そして現に雅子さんの名はお后候補から一時消えたのです。
理由が公開されなかったことが、世間に論争を起こします。
それは、雅子さんの祖父がチッソの社長だからではということです。
雅子さんの祖父である江頭豊はチッソの経営権を握った後もしばらくの間、自らの工場排水が水俣病の原因である事を認めず水銀を垂れ流した人物でした。
誤解されがちですが、江頭はチッソの創業者ではありません。チッソの立て直しのために出向した人物です。その江頭が行った「立て直し」が問題。水俣病の原因が工業排水と知っていながら、利益追求のために垂れ流し続け、「被害を拡大」させた人物。工業排水が原因だと知らずに公害を起こした創業者らよりも遥かに悪質かつ元凶なのです。
公害病の関係者の身内が「皇室に入内」した場合、その皇族に忖度した結果、公害病について「正しい報道」がされなくなってしまう恐れがあります。
苦しんでいる患者がいる中、チッソ江頭豊の孫娘が皇太子妃・皇后になり、いずれ天皇の母になるということを宮内庁は忌避したのではと囁かれました。
小和田雅子さんの入内は完全に立ち消えたように思われました
しかし、1989年1月7日に昭和天皇が崩御されます
思い出して頂きたいのですが、先程紹介した皇太子の「雅子さんではいけませんか」発言は1989年2月頃のものとされています
昭和天皇崩御後、雅子さんは再びお妃候補として復活したのです。
1993年1月、ついに小和田雅子さんの皇太子妃が決定します。
皇太子は33歳、雅子さんが29歳でした。
皇太子と雅子さまの婚約会見が行われます。
皇太子はそこで「チッソのことで宮内庁からも慎重論」があり、一時は雅子さまを断念したと話しました。
一見ここで、雅子さまが宮内庁から拒否された理由の「答え合わせ」がされたように思えます。
しかし、本当にこれ「だけ」が原因だったのでしょうか?
宮内庁は皇族を守る為に、お后候補の出自や経歴を詳しく調べます。
しかし、小和田雅子さんの家系を調査しようとした所、
それは「差別」だから止めろと、
「部落解放同盟」から抗議が来たのです。
他の「皇太子妃候補者」や、紀子さまの時は何も言わなかったのに。
雅子さまの父系が小和田金吉から遡れないのです
旧家であれば、家系調査なんて一週間もかからず終わる
小和田家先祖の墓として紹介されたものは「ツギハギの個人墓」一基のみ
その上、
雅子さまは「士族の小和田家」の流れだという報道をその士族の小和田家は「全然知らない人達」と否定したのです
最初に挙げた皇太子妃の条件を思い出して下さい。
・3代前を遡れる、身内に公害関係者がいない
・思想に問題がない
・健康である
・交際経験がない
・就労経験がない
等です。
雅子さまは出自についての条件を満たしていません。
では他の条件はどうでしょうか?
交際経験はどうでしょうか?
雅子さまがお妃に内定直後の1月11日にアメリカの日刊紙「シカゴ・サン・タイムズ」が
“小和田雅子さんの元ボーイフレンドが彼女のトップレス写真を持っている”
といった衝撃的な内容の記事を掲載しました。
その元ボーイフレンドとされるデビット・カオ氏は強盗?に射殺されたそうです。
他の条件はどうでしょうか?
就労経験がない→満たしてません
では健康、つまり妊娠についてはどうか。
当時30歳で高齢出産とされる時代、雅子さまは29歳で入内しました。
雅子さまは結婚して「8年後」の37歳に愛子さまを授かっています。
後ほど詳しく説明しますが、相当な時間を用していますね
思想に問題はないはどうでしょうか?
つまり反日思想ではないかということです。
皇太子妃・皇后が売国奴だったらとんでもないですよね。
雅子さまの父親である小和田恒について見ていきましょう。
小和田恒は【天皇陛下(当時)の訪中を主導した張本人】だということが分かっています。
宮内庁のHPにある「東宮御所」での写真の中心に、
雅子さまの父親(小和田恒)が写っていますね。
因みに、
上皇后陛下のご尊父様は、この様な事は一切されていない。
左の看板は、
「雅子さまのお父さま(小和田恒)生誕記念」に立てさせたもの。百歩譲って雅子さまの物なら分かるけど、何故か父親の。
右の石碑は、
安達峰一郎氏の生家を訪ねた
小和田恒が
その 「安達峰一郎氏の生家の敷地」に建立した、自らの直筆名前と
手形を掘り込んだ
「来町」記念碑です。
小和田恒の会見。
「アフリカに…日本が植民地主義の欧米列強の尻馬に乗って一緒になって…」
日本がアフリカを植民地にした事実はありません。
この会見をアフリカ人が信じて、日本に報復にでも来たらどうするつもりなのか。
日本単独開催の筈だったワールドカップは、 高円宮家と小和田恒がタッグを組んで、 日韓共同開催にされました。
「国連本部」で壇下から、
「潘基文」ら朝鮮人に頭を下げる「徳仁天皇」。
例え一瞬の切り取りだとしてもこんな光景を撮られてはいけなかった…。
そして「潘基文」と握手をする小和田恒。このような人物が雅子さまの父親です。
皇太子妃の条件である
・3代前を遡れる、身内に公害関係者がいない
・思想に問題がない
・健康である
・交際経験がない
・就労経験がない
を雅子さまは何一つ満たしていないのが分かります。
だからこそ宮内庁は「チッソ」を理由のように見せかけて小和田雅子さんを一度断ったと見るべきです。
皇太子妃としての条件を満たさない雅子さまを入内させる為に小和田家は、
「学歴」・「キャリア」・「語学力」こそが、
皇太子妃の条件であるかの如く、プロパガンダを行ったのです。
つまり、
「ハーバード」・「外交官」・「通訳」です。
それが、1986年からの報道の真実。
藤原光明子の美談伝説や、道鏡のインテリ設定(外国語ペラペラ)などは、「正統性」がないのを、ご優秀伝説で誤魔化そうとしていたのです。
「血筋より人格や能力」という言葉は皇位簒奪の為に古から悪用されてきました。
雅子さまの「ハーバード」・「外交官」・「通訳」について。
ハーバード→雅子さまがラドクリフ大学に入学した後に、ラドクリフがハーバードに合併。
雅子さまはラドクリフ卒なのかハーバード卒なのか?
因みにラドクリフには「アファーマティブアクション」による無試験入学枠があった。
「外交官」について
雅子さまは外交官ではなく「外務省の一般職員」。父親の小和田恒氏も「雅子は外交官に向かない」と当時発言。因みに当時の外務省には外交官の子弟に優先枠、つまりコネが認められていた。
遅刻や内規違反を繰り返していた。
外務省での「あだ名」は「コピー機の番犬」とも。
「通訳」について。
雅子さまの語学力は「非公開」。
6ヶ国語に堪能だと言われるが、雅子さまが実際に話される姿が報道されたことはない。
雅子さまが英語で話される動画すら殆どない。
雅子さまは「ご優秀」だという理由で従来の皇太子妃の条件を無視したのに、その「ご優秀」には「実態」がない
話を婚約会見に戻します。
有名な「僕が一生全力でお守りします」発言。
この発言があったと証言したのは飽くまでも雅子さま自身であり、皇太子が婚約前に雅子さまに本当に言ったか分からないのです。そもそも皇太子の一人称は「僕」ではない。
これまでの入内の経緯を踏まえた上で見て見ましょう。
1993年6月9日に皇太子と雅子さまの
「結婚パレード」が行われます。
この時に、振られた「三色旗」にご注目下さい。
三色旗は創価学会のシンボルです。
恋焦がれた小和田外務次官が長女・雅子を娶った皇太子が手に入れたもの…。それはなんであったのか?虚飾に満ちた菊のカーテンが取り払われたその時、そこには人の望みも祈りをも飲み込む深淵が横たわっていた。
御成婚の際、水俣市長が雅子さまの入内を祝福され、ご来訪を歓迎しますというコメントを出しました。
国民は「当然真っ先にでも皇太子ご夫妻が水俣に行かれるもの」と思っていたのです。
それが「皇太子妃の第一歩」なのだから。
雅子さまの公務に注目が集まります。
雅子さまは初めての公務で「居眠り」をされました。
その後、
「妃殿下、初めての公務のご感想はいかがですか」
と記者が尋ねた所、
雅子さまは、
飛びのくように壁ぎわへ身を翻され、記者に視線を向けず、本当に困ったという表情を浮かべ、小走りに立ち去られようとされました。
一生懸命公務に励まれている雅子さま。
では、お世継ぎはどうなっているのでしょうか?
雅子さまはもう30歳、日本中が案じておりました。
そんな中、雅子さまは「2年は子供を作らない」と仰せになりました。
1994年に紀子さまの佳子さまご懐妊が発表されます。
雅子さまは翌日の公務で「泣き腫らした目」で登場されました。
週刊誌は紀子さまに「長男嫁に遠慮しろ!」、「子供が出来ない雅子さまに配慮がない」と書き立てバッシングしました。
以後、秋篠宮家の懐妊は10年以上ストップします。
雅子さまは会見で他皇族の薨去には触れていますが、佳子さまご誕生には一言も触れませんでした。雅子さまが一言でも祝辞を述べれば、紀子さまバッシングは収まっていたのに。
高円宮妃の久子さまが、「男子だったらどうするつもり」と、紀子さまを詰ったと。
秋篠宮殿下は「女の子として産まれてきてくれた佳子は親孝行な子だ」と仰ったそう。
1995年1月17日に阪神淡路大震災が起きます。
雅子さまはその4日後に紅白の衣装を着て外国に行かれました。
日本国民の死体が瓦礫の下に埋まっている中、ラクダレースを笑顔で楽しまれた雅子さま。
『お国が大変だから、帰国されては』とヨルダンのサルワット妃が進言し、漸く帰国することに。進言により、2日早い帰国になったそうです。
皇太子殿下は「死海が見られなくて残念」と仰いました。
1995年2月、ダイアナ妃が来日。
雅子さまは何とダイアナ妃に衣装を被せます。
偶然でしょうか…?しかしこれだけではないのです。
1995年7月の晩餐会、紀子さまと雅子さまの衣装が丸被りします。紀子さまには衣装を被せる「動機」がありません。目上の方に衣装を被せたら「非礼」だと非難される上、その衣装は二度と使えなくなるからです。※予算の乏しい秋篠宮家には大ダメージ
衣装は被らないよう、身位が高い人の情報が低い人に予め伝えられます。
つまり全ての衣装の情報は高円宮家が握ります。
1999年、雅子さまはベルギーに行かれました。
この時雅子さまは、なんと御懐妊中でした。
懐妊を隠して外国に行かれたのです。
兵藤長雄大使が、雅子さまがワインをがぶ飲みしてたと証言しています。
このことが原因か分かりませんが、雅子さまは流産されました。
雅子さまはもう36歳です…。
2000年に香淳皇后が崩御されます。
昭和天皇の皇后として、日本国民の母として愛されていた香淳皇后の死に、日本中は悲しみに包まれます。
眞子さまと佳子さまは幼いながらも、香淳皇后を見送られました。
雅子さまは香淳皇后の本葬に当たる「斂葬の儀」を「夏バテのようなもの」で欠席されました。
葬儀に出席した各国の大使からも、84歳の三笠宮崇仁殿下が参列されているのに、
なぜ、プリンセス・マサコは夏バテぐらいでお休みになるのかと疑問の声が上がりました。
香淳皇后まで失った皇室は、史上最大の危機に直面していました。
跡継ぎの男子が居ないのです。
秋篠宮家は雅子さまに遠慮させられ、絶讃産児制限中。そして肝心の雅子さまは紀子さまの懐妊を妨害しながら、不妊治療を嫌がります。
実は雅子さまは入内時、ブライダルチェックを拒否しているのです。
現状を言い訳する為に、
雅子さまのお抱えライターである友納尚子に「雅子さまが如何に不妊治療で苦しまれているか」を書かせます。
「卵管癒着の処置が辛かった」と文春に書いたそうです。
卵管癒着って性病なんじゃ…。と大騒ぎになり、その後単行本では削除されます。
雅子さまが子宝に恵まれなかったこの頃、秋篠宮同妃両殿下は、雅子さまに子供が授かるよう祈りを捧げておいででした。
愛子さまがご誕生された後は、
神様にお礼をしに再び参られたそうです。
2001年5月15日。
ついに雅子さまがご懐妊されます。
雅子さまは37歳。雅子さまが入内されてから実に8年もの時が流れました。
2001年12月1日、愛子さまが誕生されました。
皇太子夫妻にとって漸く授かった初めてのお子様です。
愛子さまが誕生された時「外戚」であるにも関わらず小和田恒は会見を開きました。
「会見」で母親の「小和田優美子」が
付けている「ブローチ」は、
雅子さまが「公務用」にオーダーした品とも。
小和田優美子氏は天皇皇后両陛下より先に愛子さまを抱っこしました。
韓国の金大統領が愛子さまの誕生に祝電を出します。
そして、何故かハワイの帰化韓国人により『コリアンプリンセスベイビー像』として、雅子さまと愛子さまを模した母子像が作られます。ハワイの韓国戦勝記念館にあり、たまたま訪ねた日本人観光客が見つけ、ブログに投稿して大騒ぎに。
慌てた韓国戦勝記念館はネームプレートを削って韓国人看護師と子供の像と誤魔化しましたが、写真つきブログの効力に勝てず、像を撤去しました。
※説明にJapanese princess Masako with her baby とある。
皇室に次世代を担う若い男系男子がおらず、皇位継承問題が深刻化します。
湯浅長官が「皇太子夫妻に第二子を、秋篠宮夫妻に第三子」をと発言。
雅子さまはこの発言に激しくショックを受けられたそうです。
※雅子さまは秋篠宮家に10年以上、産児制限かけている真っ最中です。
雅子さまは長官の発言の「翌日」から「長期療養」と発表され「療養」が始まります。
雅子さまにもう子供を産む気はありません。
どうするか…。小和田恒は考えます。愛子さまを天皇にするしかないと。ここから「愛子天皇論」が始まったのです。
2004年12月30日に紀宮さまの婚約が内定。
「皇室典範に関する有識者会議」は2004年12月27日に設置決済。当然紀宮さまが皇室からいなくなる事を把握していました。
邪魔な紀宮さまを排除してから、女性皇族の継承権について議論するのが目的だったのでしょう。
小和田恒は小泉総理に働きかけます。
小泉総理はそもそも「男系」と「女系」の違いすら理解すらしていませんでした。
こうして愛子さまを天皇に据えるべく、
「皇室典範に関する有識者会議」が開かれたのです。
2005年9月24日に秋篠宮同妃両殿下が、
コウノトリを放鳥。
そして2006年1月12日「歌会始の儀」で、両殿下は「コウノトリ」のお歌を詠まれます。
文仁親王殿下
人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく
文仁親王妃紀子殿下
飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる
皇統の危機は最早、公に叫ばれるようになりました。
愛子さまご誕生の後、当然次もお生まれになると国民は思っていたのですから。
しかし、皇太子夫妻の次のお子様は望めなかった。
2000年以上続いてきた日本は終焉に突き進んでいました。
2006年2月7日、
正に皇室典範が改正されようとするタイミングで、小泉総理が皇統に手をかけようしたその瞬間。
紀子さま御懐妊の報が、国会に届いたのです。
紀子さまの御懐妊の報を聞いた小泉総理は驚愕します。
性別は不明でしたが、それでも小泉総理は
「畏れた」のです。
安倍晋三さんが、小泉総理を必死に説得します。
これにより有識者会議は凍結され、
愛子天皇は砂状の楼閣と化しました。
紀子さまの御懐妊が速報された際、民主党の岡田克也さんが、
紀子さまのお名前を「のりこさま」と間違える事件が発生。
皇位継承順位2位(当時)の重要人物である秋篠宮殿下の妃の名前すら知らない…。
この程度の認識の方々が、
女性・女系天皇を議論していたのです。
紀子さまのご懐妊は世界中から注目されます。
【懐妊発表の翌日、表情は硬かった…
秋篠宮妃、笑顔を!】
【秋篠宮家の決意】
突然の慶事はタイミングも絶妙。
「男の子」ならば、女性天皇容認の皇室表範改正議論も吹き飛ばす。
伏線は2年前、兄・皇太子の「人格否定発言」のころから、既に張られていた。
時間の針を2年前まで巻き戻します。
皇太子殿下の「人格否定発言」。
「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」
この皇太子殿下の発言は日本中に衝撃を与え、大論争を引き起こしました。
婚約会見の「一生全力で守る」発言を踏まえたものであるのは明白です。
人格否定発言に代表されるように、いつも皇太子殿下の側が雅子さまに気を使います。
それはいけない事なのです。后妃とは、天皇に守られるのではなく天皇を護る立場。
上皇后陛下が身を挺して上皇陛下を庇われたように。
皇太子殿下の養育係であった浜尾実さんは皇太子殿下を諌めます。
何故なら「人格否定発言」は「誰かを責め、傷つける」発言だったからです。
未来の天皇が国民を敵視してはいけないのです。
秋篠宮殿下は、皇太子殿下の「人格否定発言」に対して、
「まずは家族に相談して欲しかった」と訴えました。
因みに
2003年 上皇陛下が癌手術
2004年 人格否定発言
です。
秋篠宮殿下はどれほど苦しまれていたのでしょうか…。
そして決意されたのでしょう。
自分が全てを護りきると。
雅子さまは上皇陛下の誕生日会を2時間47分中座した挙句、雅子さまが気まずい思いをされないよう外で待たれていた紀子さまと黒田清子さんに「どうも」の一言で済ませたこともありました。
余りのことに紀子さまは泣かれた。
紀子さまの御懐妊はこの事件の直後。
紀子さまも覚悟を決められたのです。
秋篠宮殿下は、
「もうそろそろ良いよ」とお許しがあったと仰いました。
雅子さまの男子出産の可能性が無くなってから、漸く産児制限が解かれたのです。
紀子さまは39歳、命の危険がある高齢出産となります。
紀子さまへのバッシングが始まります。それは、佳子さまを御懐妊された時の繰り返し、そして、それ以上に遥かに苛烈であったのです。
「そんなにまでして男子が欲しいか!」「長男の嫁に配慮しろ!「女性は子供を産む道具か!」
そしてそれは、今尚続いています。
常軌を逸したバッシングの中でも、紀子さまは公務を続けられました。
秋篠宮同妃両殿下は覚悟されていたのでしょう。
しかし、まだ幼い眞子さまと佳子さまはどんな気持ちだったのでしょうか。
何故、大切な母がここまで痛めつけられるのかと苦しまれていたとしか思えません。
紀子さまの御出産の日が近づいてきました。
高齢出産と前置胎盤(実際に報道されました)により命の危機があった紀子さまは、
最期かも知れないからと、出産前に家族写真(この画像)をお撮りになりました。
「もう母は帰ってこないかもしれない」と
眞子さまと佳子さまは覚悟されています。
一方その頃、雅子さまは「コマツナ」を収穫して、召し上がったと報道されました。
小松菜=コマツナ=子待つな
承子女王の会見改竄事件も起きます。
高円宮家の承子女王に対し「紀宮さまのご婚約と、秋篠宮妃殿下の御懐妊について」記者から質問が出たのですが、承子女王はこれを完全スルー。しかも公の場の質問であったのに宮内庁HPではこの質問だけ載せず(他の質問は掲載)完全に「無かったこと」に。これは成年を迎えたばかりの承子女王ではなく、高円宮家を取り仕切っている久子さまの意向だと思われます。
敵意剥き出し。
因みに、承子女王は留学中の出来事をmixiに書いていたのが発覚。余りの奔放ぶりに国会でもこの件について取り沙汰されるなど大騒ぎに。 ※妹君(絢子さん、典子さん)がご結婚されているのに長女の承子女王が未だ独身なのはこの件が尾を引いていると言われます。
高円宮妃の久子さまも独身時代、芸者ガールの格好をされていたことが発覚。 先程の承子女王殿下のmixi事件と合わせて、 「承子女王の奔放ぶりはお母様譲りでは…?」と書かれてしまいます。
2006年9月6日、紀子さまの帝王切開が行われます。
病室には拳銃を持った女性警官が待機していました。
マスコミは紀子さまの入院している病院の見取り図を公開していたのです。
挙げ句の果てに、紀子さまの入院している部屋の番号付きで。
紀子さまは正に命懸けの御出産に臨まれました。
悠仁親王殿下、ご誕生
悠仁親王殿下のご誕生された9月6日は、
道鏡が失脚して和気清麻呂が上京し、名誉回復を果たした日
日本に接近していた台風が逸れたり、二重の虹がかかったり…いやその前に日本が滅ぼされようとした国会に、紀子さま御懐妊の報せ…
秋篠宮殿下以来、41年ぶりに男系男子が誕生
日本中が歓喜した瞬間だった。
皆、口には出せなかったけれど日本国民は皇統を護ってほしいとずっと思っていたのだ。
そして、その願いを秋篠宮家が叶えてくれた。
悠仁親王殿下のご誕生時の、上皇上皇后両陛下と川嶋夫妻とのやり取り。
『両陛下は「自分たちのことは気にしないで(病室に行かれて欲しい)」と望まれたという。
しかし川嶋夫妻は眞子様、佳子様の時と同様、両陛下の前に見舞うことを遠慮したという。』
お互いを思い遣る美しいやり取りです。
江頭豊が死にます。
雅子さまは香淳皇后の本葬を「夏バテのようなもの」で欠席されたのに、ご自身の祖父である、チッソの江頭豊の葬儀に皇太子を連れて参列されました。
江頭豊の死亡日は2006年9月24日
悠仁親王殿下のご誕生は2006年9月6日
江頭豊は悠仁親王殿下のご誕生を見てから、死んだのです。
悠仁親王殿下がご誕生され、マスコミは悔しさと憎悪を露わにしました
・喪服に黒ネクタイ
・両陛下をおじいちゃんおばあちゃん呼び
・産み分け疑惑に言及
・「一応おめでとうと言っておいた方が良いですね」と発言
・「(皇族が)外国の方(中韓人?)と結婚するような事になれば親近感が沸く」等と発言
悠仁親王殿下がご誕生され、皇統が繋がったことで、女性女系天皇を目的とした有識者会議は完全に白紙撤回され、無かったことになります。
そして、江頭豊が死にました。
一つの時代が終わったのです。
しかし、反日勢力は諦めません。
ここから第二部です。
悠仁親王殿下のご誕生から2年後の2008年、愛子さまが学習院初等科に入学されます。
それは、地獄の始まりでした。
2010年3月、小学2年生の愛子さまが不登校となります。
東宮大夫の野村一成が定例会見にて「愛子さまの学習院初等科の欠席が続いていること」を正式に認め、「学習院初等科の男子児童が愛子さまを含む複数の児童に乱暴していることが原因」だと説明したのです。
つまり、愛子さまが虐めを受けていると
この年の会見で上皇陛下は、
「愛子に、登校が難しくなるという思い掛けない問題が起こり、心配しています。皇太子、皇太子妃の心配も大きいことと案じています。そのようなことから愛子と会う機会も限られ、残念ですが、交流としてお話しできるようなことはまだありません」
と仰っています。
学習院は愛子さまへの「虐め」を否定します。
そもそも、愛子さまには大人のSPが複数人付いているのに、初等科の子供達がそれを掻い潜って愛子さまを虐めるというのは無理があると言わざるを得ません。
一体どういうことなのでしょうか?
またしても雅子さまのお抱えライターの友納尚子が、「下駄箱に頭を突っ込まされる」といった暴力行為を愛子さまが受けたと記事にしましたが、「そもそも学習院初等科の下駄箱はとても小さくて子供の頭なんか入れられる大きさではない」と下駄箱の写真付きで論破されます。
皇太子殿下は2011年の会見で、
「愛子は学校で辛い思いをした」と仰ってしまいました。
愛子さまが虐めに遭っていた証拠すらないのに次期天皇が公然と、学校と子供達を攻撃したのです。
その後、加害者とされた児童達はこの騒動の後にそれぞれの理由で転校していきました。
この子達が皇室や天皇を敬うことは、最早永遠にないでしょう。
これで虐め騒動は有耶無耶にされていきます。
真実は一体なんだったのでしょう?
SPが付いている愛子さまへの虐めは不可能です。
なら何故こんなトラブルが発生したのか。
それは愛子さまの「特性」を隠す為だったのです。
愛子さまが生まれるまでの経緯を振り返りましょう。
雅子さまの御出産は「37歳」。
子供が発達障害を患って生まれてくる可能性がグンと高くなる年齢でした。
そして、愛子さまは「お辞儀」がずっと出来なかったのです。
自閉症の特徴として、幼少時に人と視線が合わない、対話が成立しない、表情が乏しい、感覚過敏、丸暗記は得意で天才扱いされがち、などあります。
感覚過敏→愛子さまは成年まで「フラッシュ撮影」が出来なかった。
丸暗記→4歳で力士の名前を丸暗記という報道がなされる。
典型的な症状でした。
自閉症に素養がある人なら、一目で察していました。
そして、ついに海外が「愛子さまは自閉症ではないか」と記事にしたのです。
この報道がされた際、宮内庁が「自閉症とは不本意だ!」と怒りの発表をしました。
皇室がこのような反応をしたら、自閉症の方々の立場がない為、批判が集中します。
何故、雅子さま達はここまで激しく愛子さまの障害疑惑に拒否反応を示すのでしょうか?それには理由があります。
雅子さまは歌開始の儀で「知恵遅き子ら」と言う表現をお使いになり、これが差別にあたるのではないかと騒ぎになりました。
他にも会見で「(我が子は健常だが)そうでない方も居るので恵まれている」と発言されております。
雅子さまはオーストラリアで、
足の不自由な少年に、「ヨタヨタ歩きの愛子さまの写真」を見せて「like you(お前と同じ)」と仰いながら、嗤いました。
これらを見ると分かりますが、
雅子さまは障害者を見下しています。
だからこそ、愛子さまに障害があるなんて認められる訳がなかったのです。
愛子さまの「不登校」について総括します
愛子さまの「特性」を受け入れなかった雅子さまは、普通のクラスに愛子さまを捩じ込んだのです
当然「トラブル」が起きます
愛子さまが不登校になられたのも、それ故のものだった
だけど、実態を認めるわけにはいかないから、「虐め」をでっち上げたのです
その頃、秋篠宮家では悠仁親王殿下が「お茶の水幼稚園」に入園されました。
未来の天皇である秋篠宮家は、悠仁親王殿下の進学先に「学習院」を選ばなかったのです。
お分かりですね?とんでもない一家が学習院を破壊していたからです。
学習院と縁の深い両殿下にとって苦渋の決断だったことでしょう
そしてもう雅子さまは、皇室利用を隠すことすらしなくなります
平成22年5月、次期総裁である以上、皇太子妃が必須の日本赤十字大会に欠席した同日に、ユニセフ事務局長(雅子さまの母が日本ユニセフ、妹がユニセフ)と元気にお会いだったのです
愛子さまの不登校が報じられてから2ヶ月後のことです。
「やりたい放題」を「苦しまれた日々」に変換する雅子さま。
「スキー旅行」出発の朝に、
「国民」から、「税金泥棒!」「仮病サボりの税金泥棒!」「皇室から、出て行け!」と言われます。
雅子さまの会見集。
雅子さまのお母様、小和田優美子さんは、自分の娘(雅子さま)の為に、 「日本も皇室も変わらねば」とご希望です。これは小和田家による皇室破壊の宣戦布告だと思われます。
「医師団の発表」による、雅子さまの病状のまとめ。
2004年 回復傾向にある
2005年 着実に回復している
2006年 徐々に快復に向かっている
2007年 回復が早くなってきている
2008年 着実に快復してきている
2009年 着実に快復に向かっている
2010年 引き続き着実に快復してきている
2011年 着実に快復してきた
2012年 引き続き治療が継続
2013年 まだ快復の途上
2014年 ご快復は着実に進んでいる
2015年 ご快復は着実に進んでいる
2016年 着実に回復してこられている
2017年 ゆっくりと回復している
2018年 体調には依然波
2019年 ご体調にお疲れ
2020年 快復の途中で依然として波
2021年 依然、快復の途上
2022年 ご体調は「三寒四温」
2023年 快復の途上、依然として波
2024年 回復の途上、依然として体調に波
2025年 快復の途上で体調に波
2010年2月に発表された文書については、はっきりと「大野医師の文書に雅子さまが納得せず、手を加えて発表する」と発表されたそう。だから雅子さまは「医師の見解文に手を加えられて」おります。医師の見解文に患者が手を加えるのは「違法」ではないかとの見方もあります。
・天皇陛下が必死に顔を覗かせる中、 犬の手お手振りを国民に見せつける雅子さま。
・上皇陛下を心から敬い、 美しいお辞儀をなさる上皇后陛下。
・秋篠宮皇嗣殿下だけでなく、吾が子である前に、生まれながらの皇族である悠仁親王殿下にも敬意を払い、下座に徹する紀子さま。 この違い…。
吾が子である眞子さま、佳子さまにまるで付き従うように歩かれている、
秋篠宮皇嗣妃殿下(紀子さま)。「吾が子」であっても、それは神武天皇の男系子孫である本物の皇族だからです。 秋篠宮皇嗣家は、身位をしっかり守られています。
雅子さまの精神状態が悪化します。
2013年、雅子さまはシワシワのドレスでオランダ即位式に行かれます。これは政府も宮内庁も天皇陛下も通さずにゴリ押しした小和田恒による「二元外交」であると言われます。 コラムニストの勝谷誠彦さんも指摘。
挙句の果てに雅子さまはオランダ滞在最後の夜、
ご両親(小和田恒・小和田優美子)と会います。
…思いっきり、公私混同…。
イタリアで「引きこもり(HIKKOMORI)」の記事があり、そこで雅子さまの顔写真がどでかく使われていた事も…。こんな画像まで作られます。
廃太子論が叫ばれます。
誤解されがちですが、これは「雅子さま達を思い遣った提案」でした。適応障害ですから、何らかの形で状況を変えるしかない。皇后になったら責任は皇太子妃の比では無い。離婚か別居か廃太子。廃太子なら仲睦まじく一緒に静かに過ごせる。最も現実的で人道的な案でした。
2011年11月3日に悠仁親王殿下の着袴の儀が行われます。
雅子さま達は悠仁親王殿下の着袴の儀をボイコットされました。
雅子さまは家族の集まりを徹底的に拒絶していきます。
2012年2月、上皇陛下が心臓の手術で入院されます。紀子さまが上皇陛下のお見舞いに行きたいと要望された時、雅子さまが「順序が違うのではありませんか!」とお怒りになった。これにより雅子さまより身位の低い眞子さんらのお見舞いも不可能に。しかし雅子さまはお見舞いに行こうとしないという事件ありました。雅子さまは紀子さまにマウント取りたかったのでしょうが、このせいで生まれながらの皇族方ですら遠慮させられた。ついに上皇陛下は入院中に眞子さま達に会えなかった。雅子さまによって国民の目の前で行われた皇室弾圧です。
どうして雅子さまはこんな酷いことばかりするのでしょうか?
イギリスの「タイムズ」紙は『雅子さまは、上皇上皇后両陛下に対し、敵意を持っている。』と、【二人が死ぬのを待っている】と報じます。
佳子さまが2014年に学習院を退学されます。必修外国語は中国語か韓国語に限られ上、中国か韓国への海外研修も必須。当時在学中だった佳子さまを南京に誘い、「日本が悪うございました」と謝罪させる魂胆だったのです。この年は愛子さまが中等科に進学された年、つまり雅子さまが学習院を完全支配した年です。
愛子さまは2014年に中学生になるまで、一度も参拝されていませんでした。
愛子さまは「皇族」として育てられていなかったのです。
秋篠宮家はこんな幼い頃から、悠仁親王殿下に国見をさせてきました。
国民に寄り添われ、国民と共にあられたのも、質素でありながら、品位を保ち、高い能力を示されている秋篠宮家。
この時の悠仁親王殿下が絶賛されたことに恐れをなした雅子さまが慌てて愛子さまを参拝させたという経緯です。
悠仁親王殿下に障害があるというデマを流されても、秋篠宮家は決して「反論」されません。何故なら皇族がそれをしたら、障害を持つ方々の立場が無くなってしまうからです。 これが国民の為に「祈ること」でなければなんなのでしょうか? 秋篠宮家は正に「天皇」であらせられます。
悠仁親王殿下は暗殺された崇峻天皇の遺児である蜂子皇子のお墓参りをされたこともあります。勿論、パフォーマンスでも公務でもなく自然に… 。大政奉還を受けた明治天皇が真っ先に崇徳院を祀ったように、天皇とはそういうことを大切になさるもの。悠仁親王殿下は正に天皇になるべくしてご誕生されたのだと分かります。
この和舟遊びも、実は何かの神事ではないかと囁かれます。 3歳の悠仁親王殿下が船を降りる際はこのようにお1人で、誰も触れようとせず見守っています。 上皇上皇后両陛下のお顔からも、次世代に託す希望が感じられます。
上皇上皇后両陛下は降嫁されてからの紀宮さまを「清子」と呼ばれるようになりました。黒田清子さんは「皇族ではなくなった」からです。 そして、平成14年では「敬宮」を使われていらっしゃったのを、平成22年から「愛子」と呼ばれるようになりました。 深い意味があると言わざるを得ません。
2015年、雅子さまは上皇上皇后両陛下から託された、本来5月中にやるべき「こどもの日公務」を1ヶ月以上延期した挙句、6月16日の香淳皇后の慰霊祭に【ぶつけた上で、慰霊祭を欠席】されました。
画像はその時のもの。人前でイヤリングを直されています。
この「こどもの日公務」は上皇陛下が、1年ほど前から「皇太子夫妻と秋篠宮夫妻に、こどもの日と敬老の日の公務を交替でさせる」と発表されていたものです。つまり、皇太子夫妻と秋篠宮同妃両殿下を、国民に比べさせたんです。これは上皇陛下からの「テスト」であったのです。
秋篠宮同妃両殿下は完璧にこなされました。しかし、雅子さまは祭祀や公務を、そして、歴代天皇皇后全てを愚弄なされたのです。
そしてその後、上皇陛下は
東日本大震災追悼式を、秋篠宮同妃両殿下に託されたのです。皇太子夫妻ではなく。そして退位のビデオメッセージでは「象徴天皇が【途切れる事無く】続く」事を願われた。
その意味は余りに大きい。
因みに雅子さまは香淳皇后の葬儀なども欠席されていますよね。
どうして雅子さまはここまで香淳皇后を拒絶するのでしょうか?それではここで、冒頭でご紹介した「富田メモ」を思い出して下さい。
紀子さまの時は、昭和天皇は大歓迎されていました。
歓迎された証拠となる、富田メモ。
「礼宮 陛下も承知し、喜んでいる。」
因みに富田メモは何故全部公開されないのかと、とある番組で話題になった時、「雅子さまの入内の是非が書かれているから公表出来ない」と、話した方がいらしたそう。
だから雅子さまは香淳皇后を嫌うのです。雅子さまがお妃候補に復活したのは昭和天皇の崩御後です。
雅子さま達の行状が酷すぎるので、愛子天皇論は相手にされません。
この状況を打破するにはどうするか?
愛子天皇実現の為、秋篠宮家を下すべく、小和田家は巨大な陰謀を巡らせていきます。
中国が動き始めます。
田原総一朗氏が、
「悠仁さん」は、事故に遭う(死ぬ)から、
「愛子さま」が、天皇をやるべき。
と、番組で
悠仁親王殿下の「事故死」を予言します。
※実際に3ヶ月後に悠仁親王殿下が交通事故に
番組放送 2016年8月26日
交通事故 2016年11月20日
2017年5月、眞子さまと小室圭の婚約が発表されます。
秋篠宮バッシングの始まりです。
2016年7月、
出所の分からない生前退位報道によって、平成の天皇皇后両陛下が退位する方向へと追い込まれ、
皇太子殿下の即位と、雅子さまの立后が決まります。
平成の天皇陛下を退位させ、徳仁親王と雅子さまが頂点に。そして「直系じゃないから」と秋篠宮殿下の立太子を阻止、直系長子キャンペーンを行い、愛子さまを神格化、眞子さまの結婚問題をきっかけに秋篠宮家を誹謗中傷で潰す。
これが計画の全貌。
そして愛子さまはこの時期、激痩せされます。
【愛子さまの影武者疑惑について】
愛子さまに影武者がいるという噂があるのはご存知ですよね?ざっくり解説しておきます。
愛子さまは顔が変わりすぎなんです。それが影武者説が囁かれる一番の理由です。そして実際に、皇太子が連れていた幼少期の愛子さまの写真なのですが、これは明らかに愛子さまではないように見えるのです。
この写真は2chの奥様方の研究では、「愛子さまとは別人」と断定されております。
つまり、
・愛子さまの顔があまりに変わりすぎ。
・実際に皇太子には影武者を連れていた前科がある。
・影武者という弱みを握っているから小和田家が皇室をやりたい放題できるのでは?
というのが影武者説の根拠になっているのです。
恐らくは、愛子さまの「特性」を隠すのが目的。
次に、影武者説はあり得ないとする意見もご紹介していきます。
影武者がいるとして、管理とかどうするの?どっから連れてきたの?という意見です。当たり前ですが、管理大変そうですよね。
もし発覚したら炎上どころでは済まない大問題ですし、流石にそこまでのリスクを負ってまでする必要があるのか?と思います。
影武者が本人に似ているのはまあ当たり前なんですが、流石に揃いも揃って愛子さまに似すぎているし、性能もそんなに良くなさそう。それに、影武者を立てる気力があるなら、普通に男子製造してるだろとも思います。
つまり、
・管理の問題
・リスクの問題
・手間暇考えたら、普通に男子製造しているのが自然
ということです。
【まとめ】
面白いのは影武者説が真実であろうと、誤りであろうと、これまでご紹介してきたストーリーには矛盾が生じないということです。ですからこの件については、皆様の自由に考えて頂くのが良いと思います。私は影武者説はあまり信じていませんが、否定するつもりもないというスタンスです。
話を本筋に戻します。
【雅子さま「眞子さまを皇室から追放させろ」】
「渋谷節子」(雅子さまの妹)が、
「国際基督教大学(眞子さまの大学)」に勤務中の「2012年」に、小室圭と眞子さまが出会ったのです。
そして雅子さま達は、小室圭に皇室の専用車を貸し与え、「東宮御所正門」を通ることまで許可していたのです。
雅子さまには妹が二人います。池田礼子と渋谷節子です。
小和田「優」美子
皇后「雅」子
池田「礼」子
渋谷「節」子
「敬」宮「愛」子
優雅礼節敬愛、これが「敬宮愛子」の由来と思われます。
これはあくまで噂ですが、
池田礼子氏の息子の名前は、愛子さまに婿入りしても違和感ないように、 「池田睦仁」、「池田裕仁」 と名付けられたそうです。
※睦仁=明治天皇の真名 ※裕仁=昭和天皇の真名
小和田王朝。
「2ch」で、「秋篠宮家への荒らし」として、有名だったマドレーヌという人物がいた。「池田礼子」(雅子さまの妹)が、 Amazonでの自作自演レビューが騒がれた時、それと同時に マドレーヌによる荒らしがピタッと止まり、マドレーヌ=池田礼子説が根強くなった。という出来事も。
2008年の3月に、皇室の宝物がヤフオクに出品されるという、通称「ヤフオク事件」が起こります。写真に写り込んでいた人物が雅子さまの妹に似ていると話題になりました。 ※参考までに 皇太子夫妻(当時)のお写真は498000円、 秋篠宮同妃両殿下のお写真は6800円で販売。 事件発生直後、旧皇族も含めた緊急集会もあったとか。
このような人物達が眞子さまに接近していたのです。
ヤフオク事件は未解決です。ポイントは「警察が動かなかったこと」。それではこの写真をご覧下さい。
真相は闇の中ですが、警察が動けなかった以上、そういうことなのでしょう。またこれが事実なら、雅子さま達は「お金に困っている」ということになります。後ほど解説しますが、愛子さまがティアラを製作しなかったことを思い出してください。雅子さま達には何故か常に「金の問題」が付き纏っていますよね。衣食住の全てが用意され、大抵の望みは叶えられる立場にあるのにどうしてまだ金が必要なのか?
だから雅子さまは皇室から出ていかないのです。
立后が決まると同時に、雅子さまが公務にお出ましになるようになります。分かりやすいですね。
秋篠宮殿下が「皇太子」でも「皇太弟」でもない「皇嗣」に…。内廷皇族でもなく役目だけ押し付けられて「傍系」にされます。
これは現代の長屋王の変、正当な系統が押しやられる段階です。
2019年5月1日、皇太子殿下が即位、雅子さまが立后されます。
5月1日は「水俣病啓発の日」です。わざわざこの日にぶつけてきたのです。
雅子さまは未だ水俣に行かれていません。
雅子さまが立后された1週間後の5月8日に、悠仁親王殿下を刺そうとした、暗殺未遂事件が発生します。捜査関係者によると長谷川容疑者は「皇位継承のあり方に批判を持っていた」と。
2019年10月「即位礼正殿の儀」が行われます。
雅子さまの「鬼の形相」…。
雅子さまが皇太子妃時代に出席すべき祭祀は300回以上ありましたが、お出ましになったのは数回。
場慣れしていないのです。
令和の即位の礼での紀子さまのお姿。
紀子さまにとっては二度目の即位式です。
本当に、輝くばかりの御美しさですね…。
お年を召して衰えるどころか、益々美しさが増している。
祭祀や公務に真摯に取り組み、何一つ疎かにされず、鍛錬を積まれてこられたからです。
安倍晋三さんが「天皇陛下万歳!」と、
令和の御代を寿ぎます。
この光景を皆様、覚えておいて下さい。
これから何が起きるのか。
即位の礼ではまた象徴的な事件が起きます。高円宮家の降嫁した姉妹がティアラを着用してきたのです。
降嫁した一般人の分際で未だ「女王さま」気取りの「高円宮」。
黒田清子さんは公の場でティアラを着用されません。降嫁した以上線引きをしっかりされているからです。
画像は、
元「内親王」の清子さんを
差し置いて、
「降嫁」しているにも関わらず、
「ティアラ」を着用する
元・高円宮家の姉妹。
「女系」で皇統を乗っ取ろうとする高円宮と、
「皇室」と「国民」を守ろうとなさる黒田清子さん。
降嫁された黒田清子さんは伊勢祭主に御成で皇族時代と変わらず、国民の為に祈られております。
頑なに一般人としての姿勢だった黒田清子さんも、女性宮家問題が浮上すると、宮中晩餐会にいらっしゃった。
これは女性宮家など不要、公務は降嫁後でも十分出来るという黒田清子さんからのアンサーなのです。
簡単に言えば、
上皇上皇后両陛下、秋篠宮家、黒田清子さん、旧宮家が正義。
今上陛下、雅子さま、高円宮家、小和田家が悪という図式です。
【旧宮家とは】
旧宮家はGHQの陰謀により、無理やり皇籍離脱させられた歴とした神武天皇の男系子孫の方々です。昭和天皇の第一子である照宮さまが嫁がれた東久邇宮家(勿論男系)を始めとした旧宮家にはお若い男系男子が複数人いらっしゃいます。
旧宮家は皇室と共に並び立ち、ずっと皇室を守り支えて来られた方々です。旧宮家が復帰して悠仁親王殿下を支えてくだされば、皇室は安泰です。
因みにこの立札には皇太子殿下のお名前がありません。雅子さまと結婚してからです。旧宮家と皇太子家、果たしてどちらが皇室を支えてきたのでしょうか?
そしてこの画像をご覧ください。伊勢神宮に参拝された時の悠仁親王殿下。悠仁親王殿下の後ろにいる人物に注目です。
この男性は旧宮家の久邇朝尊さんと言います。「久邇」…。皆様聞き覚えがありませんか?
久邇朝尊さんは香淳皇后の親戚であり、妹は「久邇晃子」さん。
そう、雅子さまによって皇太子妃の座を奪われたあの久邇家の方なのです。
久邇家では婚約の為の振袖まで用意されていた段階での、雅子さまの入内のスクープでしたよね。
決まりかけていた…いや、決まっていた皇太子妃が覆されたのです。これにより久邇家の面目はズタズタにされました。そして久邇家は香淳皇后の実家。香淳皇后の葬儀をサボったり、慰霊祭を愚弄される雅子さまを間近でご覧になってどのような感情を抱かれていたか想像に難くありません。
久邇家は悠仁親王殿下を護り、支えると決めたのです。これがどれほど大きな意味を持つか、しかも久邇家にはお若い男系男子がおられるのです。
【上皇陛下が退位された真意】
上皇陛下が譲位(退位)されたのは、今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、そして悠仁親王殿下への道筋を確定させ、今上陛下が「愛子ではいけませんか」と言い出さないようにする為であったのです。今上陛下と雅子さまの即位を認めるかわりに、秋篠宮家までの皇位継承を一旦は呑ませたのです。それが、「立皇嗣の礼」。これを行わなければ、今上陛下の即位は認めない、これが上皇陛下の策略。
上皇陛下の「退位」と今上陛下の「即位」と秋篠宮殿下の「皇嗣」はセット。 秋篠宮殿下の「皇嗣」が無ければ、 今上陛下の「即位」も無かった。 秋篠宮皇嗣同妃両殿下は、 令和の「皇太子同妃両殿下」です。
2019年11月10日、令和の即位パレードが行われます。
天皇皇后両陛下に並び立つ秋篠宮皇嗣同妃両殿下。
雅子さまはついに皇后となられました。
雅子さまに指図する人はもういません。
雅子さまの手の届かないものはあと一つ。
今、その間に立つのは秋篠宮家だけです。
2019年11月22日、即位の礼に続く親謁の儀
雅子さまは【結婚前からの馬アレルギー】のため馬車を使われなかったと、報道がされます。
遊ぶ時は平気で【乗馬】。
馬車の乗り降りが面倒くさい時は 「重度の馬アレルギー」を作り出す雅子さま。「仮病」もやりたい放題です。
皇后になられた雅子さまは、世界中に恥をばら撒いていきます。
2022年9月、エリザベス女王の葬儀にて、
雅子さまは、「天皇」は汚れに触れてはいけないという慣例を破り英国に行った挙句、
「チャールズ新国王」主催の
「晩餐会」(レセプション)を
ドタキャン。
日本を出発する前から
「晩餐会」があるのは、
通知されていた筈なのに。
2022年6月、雅子さまがインドネシアをご訪問。
雅子さまは「インドネシア大統領」に対し、
「you feed them?」
(餌、やってんの?)と、
「タメ口」で、質問されました。
その他雅子さまは、インドネシア要人主催の晩餐会は平気で欠席されたのに、インドネシア滞在中は血税で高級ホテルと日本大使館のシェフを24時間拘束し、好きな時間に美食を楽しめるよう手配されました。
これらが遠因かは知りませんが、雅子さまがインドネシア「滞在中」にインドネシア政府は「日本が不利になる決定」を公表しました。
皇后陛下(雅子さま)の「皇室外交」とは何だったのでしょうか…。
2020年11月8日、立皇嗣宣明の儀。
天皇陛下
本日ここに、立皇嗣宣明の儀を行い、皇室典範の定めるところにより文仁親王が皇嗣であることを、広く内外に宣明します。
秋篠宮皇嗣殿下は歌会始では「ひつぎのみこ」と呼ばれ、黄丹御袍を召し、壺切御剣を授けられ、東宮相伝の行平御太刀も受け継ぎ、秋篠宮皇嗣妃殿下(紀子さま)は上皇后陛下の御成婚パレードでも知られる「皇太子妃の第一ティアラ」を被られている。
完全に「皇太子同妃両殿下」です。
無事、立皇嗣の礼が終わり、次代が確定した安堵と喜びも束の間…。
【皇位継承争い、激化。】
悠仁親王殿下の誕生日である2021年9月6日にわざわざ雅子さま達が引っ越し。秋篠宮皇嗣同妃両殿下を呼びつけて頭まで下げさす。
2021年10月26日、眞子さまと小室圭の結婚が確定。
秋篠宮皇嗣殿下は、儀式無しの結婚という形で、小室圭は皇室とは無関係であると示したのに、あろう事か宮内庁は皇統譜に小室圭の名を入れました。
皇統譜は穢され、宮内庁がまともじゃないことがまたしても明らかに。
【悠仁の卒業式は愛子の成年会見で潰す。秋篠宮家に希望は無いと思い知らせろ】
2022年3月17日の悠仁親王殿下の中学卒業式に延期されていた愛子さまの成年会見がぶつけられる。卒業式は当然動かせない。
何故、この日にぶつけたか?
平安時代の皇室や貴族でもよくある事です。
ライバルを潰すには、同じ日に行事をぶつける。
今上陛下と雅子さまは、未来の天皇陛下に敵愾心を持ち、潰そうとされた。
愛子さまが成年されます。しかし、雅子さま達はティアラを製作せず、黒田清子さんのものを借用すると発表しました。共布のバッグもありません。
愛子さまのティアラが制作されなかった理由について、「コロナ禍に配慮して国民のために作らない」との報道でしたが、制作に数年かかる以上、コロナ禍以前に制作を始めないと間に合わないので、「コロナ禍に配慮」との説明は余りにも不自然です。 国庫に予算を返金したとかいう訳でもないので、何の節約にもなっていません。借り物なので一人だけ明らかに頭に合っていませんね。
挙げ句の果てには黒田清子さんから借りたティアラを、自分の頭の形に合うように無理やり「加工」されたそうです。 加工までしたのにこの有様なのです。借りた物を「加工」するって非常識としか思えません。最早、清子さんへの嫌がらせにしか思えないです。
前述のヤフオク事件で説明したように、雅子さま達には「金の問題」が付き纏います。ティアラ代なんてケチる必要がないのにケチる。今上御一家の金の流れは一体どうなっているのでしょうか?
カフェに50億費やすのに、ティアラ代3000万は出せない摩訶不思議な雅子さま。
2022年7月8日、
【安倍晋三元総理、暗殺】
皇統の男系継承を護って下さった安倍元総理が暗殺されます。
同日、同時刻の天皇陛下と雅子さまは…
【皇位簒奪の宣戦布告】
2023年1月2日、「新年一般参賀」
「国民」が見ている前で、白昼堂々、
「秋篠宮皇嗣殿下」を退かして「立ち位置」を
奪った愛子さま。
一体何が問題なのか解説します。平成の時の一般参賀をご覧下さい。
これを見れば分かるように、天皇皇后両陛下の両隣は「皇位継承者」の立ち位置なのです。
立ち位置が位を表すのですから、厳格に守らねばなりません。続いてこちらをご覧下さい。
昭和の一般参賀では男女で区別されていますが、天皇皇后両陛下の両隣は皇太子夫妻。皇位継承者が一目で分かりますよね。愛子さまはこの皇位継承者の立ち位置を秋篠宮皇嗣殿下から奪ったのです。
外国の方がこの光景を見たら、どう思うでしょうか。日本は雅子さまが女帝の国と勘違いするでしょう。愛子さまの行動は国内外に【危険な信号】を送ってしまったのです。
あれだけ国民の前で完璧な皇后として振る舞ってこられた上皇后陛下が狼狽えます。
上皇后陛下は愛子さまを凝視されます。あの上皇后陛下が国民を見る余裕すら無かったのです。
その後、愛子さまが立ち位置を間違えたことを誤魔化すため、秋篠宮皇嗣殿下が立ち位置を間違えたのだとでっち上げ記事を書かせます。
そして今回の愛子さまの「間違い」を隠す為、
今回は「身位順」ではなく「家族順」による並び方であったとしたのです。
この「家族順」が曲者。良く覚えていてください。これは悠仁親王殿下を叩き潰す為に巧妙に仕掛けられた「罠」なのです。
愛子さまが立ち位置を間違えられたのは、偶然ではないかもしれないのです。
2024年9月6日に、悠仁親王殿下が18歳の誕生日を迎えられます。
本来であれば、成年会見は9月6日に、悠仁親王殿下の成年式である「加冠の儀」も近日中に行われる筈でした。
しかし、成年会見は2025年3月3日まで延期され、加冠の儀の日程は「未定」と発表されたのです。
成年会見の延期は、悠仁親王殿下の学業への影響を配慮したことが理由です。大学入試・入学の大切な時期ですから。それらが一段落ついた3月にきちんと行われました。
問題は加冠の儀です。悠仁親王殿下の大学生活が始まる前の3月中に行われるべきだったのですが、何故か延期されます。
理由は「天皇陛下がご多忙だから」と発表されました。
2025年3月の天皇皇后両陛下の御日程を見てみましょう。
…ご多忙でしょうか?
結局、加冠の儀は2025年9月6日、悠仁親王殿下の19歳の誕生日まで延期されることになります。
2025年9月6日、【悠仁親王殿下、加冠の儀】
未来の天皇陛下の成年式です。
この画像をご覧下さい。
愛子さまが悠仁親王殿下に頭を下げておいでです。皇位継承者である親王は、内親王より上なのです。
【愛子さまと悠仁親王殿下はどちらが上か?】
悠仁親王殿下が成年されたことにより、これからは公的行事に出席されることになります。
皆が気になっているのは愛子さまと悠仁親王殿下の序列ですよね。
まず、秋篠宮皇嗣同妃両殿下>愛子さまなのは確定しています。園遊会の並びでも示されていますね。
愛子さまと悠仁親王殿下の序列については、男系派の中でも意見が分かれています。
だからこそ「家族順」が産み出されたのです。
愛子さまが2024年1月2日の一般参賀で秋篠宮皇嗣殿下を退かしたのはそういう意味もあったのです。
それでは、2024年11月26日に行われた三笠宮妃の百合子殿下のお葬式での「並び順」をご覧下さい。
愛子さま>佳子さま>悠仁親王殿下の順番ですね。これがやりたくて、愛子さまの背後にいる人物はあの時愛子さまに秋篠宮皇嗣殿下を退かさせたのです。
因みにこの時、「高円宮家」の3女である守谷絢子さんが嫁いだ守谷慧さんが悠仁親王殿下を凝視されていました。
繰り返しますが、この「家族順」が悠仁親王殿下を貶めていくのです。
2025年9月30日、衝撃的なニュースが流れます。
三笠宮家の彬子女王と母である信子さまが確執の果てに決裂し、彬子女王が三笠宮家の当主に、信子さまは「寛仁親王妃家」を新たに創設することとなったのです。
三笠宮家の彬子女王と信子さまの確執は有名でした。信子さまの兄は麻生太郎さん。皇室典範改正の鍵を握る重要人物です。
婚約相手が早逝した為、桂宮淑子内親王の行き場がなく、その救済措置として、幕末に一例だけ女性が宮家当主になるという前例ができました。これは勿論「生涯独身」が前提のもの。
高円宮家を久子さまが取り仕切っているように、女性が「トップ」になるのは皇室では前例がありますし、問題はないのです。
問題はこの前例を「悪用」され、「婚姻を伴う女性宮家」をゴリ押しされることです。
三笠宮家は皇位継承者も居ないのに、やりたい放題では?という批判もありますが、まあ皇室の前例には則っています。
ただやはり、【とりあえず「女性が当主」となる宮家を創り出し、「婚姻を伴う女性宮家」に繋げようとする勢力】に三笠宮家の母娘喧嘩が利用されたのだと思います。
2026年1月1日、新年祝賀の儀。
悠仁親王殿下が初めて参加されます。
悠仁親王殿下は愛子さまより後ろを歩かされました。
もし、女性皇族が婚姻後も皇室に残るようになれば、愛子さまの夫と子供は悠仁親王殿下の前を歩くことになります。
【まとめ】
今までの流れを整理しましょう。
・初期の構想としては、小和田雅子さんを皇太子妃にして男子を産ませ、自然な形で皇室を反日思想の小和田家で乗っ取り、それを中国が良いように利用することだった。
・しかし、雅子さまには内親王しか授からないという大誤算。
・愛子さまを天皇にして女系天皇を生み出せば、皇統を完全破壊しつつ、日本人に偽天皇を拝ませられるという中韓にとって理想的な状況を作り出せると気づき、愛子天皇を画策。
・秋篠宮家が日本と国民を守る為に、命懸けで立ち向かい、悠仁親王殿下をご出産して愛子天皇が御破算になる。
・なまじ日本終了一歩手前まで行けたものだから、諦めきれず秋篠宮家を何としても潰すことを決意。
・愛子天皇が理想だが、実現が難しいため皇室をグチャグチャにすることを狙う。
・眞子さまを罠にかけて、秋篠宮家の正統性を失わせようと画策する。
・男系護持派の安倍元総理を暗殺する。
・三笠宮家の母娘喧嘩を利用して、とりあえず「女性が当主」となる宮家を創り出し、「女性宮家」に繋げようとする。
・「家族順」の名の下に「皇位継承者」である悠仁親王殿下を愛子さまの後ろに歩かせる。
・愛子さまを婚姻後も皇室に残れるように、世論を誘導していく。愛子さまの夫と子供が皇族になれないのは不自然だという流れに持っていく。
ということです。
反日勢力は「全て」を利用して、秋篠宮家を破滅させようとしているのが良く分かります。
随時更新していきますが、一旦ここで止めておきます。今、旧宮家の皇籍復帰が議論されています。注視していきましょう。
雅子さまに関する醜聞がデマだと言うのであれば、雅子さまが皇室に入ってからの実績を何か一つでも挙げてみて下さい。入内後すぐに水俣で慰霊をされたり、お子さんをきちんと躾けて幼少時から参拝をさせたり、 六か国語の会見でも、原稿を見ないで英語でスピーチされる動画でも良いですよ。 そういう画像や映像を何故皆出さないのですか?

