会話

相変わらずのトランスフォビアっぷり。ま、個人のご意見なので、お好きにされればいいと思います。そういうご意見も当然あって然るべきだと考えますし。 ただ、トランスジェンダーを認めることが、どうして女性の権利を脅かすことになるのか、今一つピンとこないのです。トイレ問題は実際にあるから、それは分かるんですけど。僕もFtM男性(トランス男性)が男子トイレに入ってくる、って思うと少し抵抗を覚えますし。 でもそれって性としての権利を損なうことになるでしょうか。他の解決策を考えることはできないのか。 もちろん、トランスジェンダー用のトイレを新設するのは合致しない(予算も膨大だし、逆にトランスジェンダーが自然に生きる権利を阻害することになる)し、僕にもどうすればいいのか分かりません。でも考えてみようか、って意思することはできるはず。 建設的対話ってあるけど、こうした問題にこそ相応しいのでは。ハナから「生物学的性別が絶対」と例外を認めない社会って、なんだか生き辛いと思うのです。 僕の個人的な印象ですが、人間の性的指向ってものすごく曖昧で。時期や日によってすら変わると思うのです。僕自身そうだし、僕の周囲で真剣に悩んで苦しんでいる友だちもいます。結婚して家庭があるのに、自分は女性としてありたいと願う男性とか、ね。 こうした性的指向は、自分で選べる世界じゃない。そりゃ、何も知らない奥さまはお気の毒に思えるけど、旦那さんが真面目に悩んでいるのだし、愛して籍を入れたのなら、夫婦として一緒に考えるべきだと僕は考える。 そうした人の曖昧さを排斥していった社会に、救いも、愛もないと僕は考えるんです。そんな凝り固まった社会のために僕は生きてるんじゃない。 この意見が正しい、ってことはない。反対の意見は常に社会にあって、反対する方も不快感や苦しみを抱えておられるのだろうし、相互に個別に模索するしかない、いずれの意見も否定されるべきではない、というのが僕の考え方なんですが、これって日本人だからなんでしょうね。海外では意思のない人間って言われるんだろうな。 権利という言葉はとても暴力的で。正しさゆえに一方的な押し付けや妄信になりがち。僕は客観的な視点を常に持ちたいから、権利を声高に主張する意見ほど疑ってしまうのです。 生きてる命に、「正しくない」なんてあるだろうか?
引用
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@street99fight2
【完全勝利】 ハリー・ポッターの著者、J.K.ローリング。 彼女が「女性の定義」を巡る戦いで、歴史的な勝利を収めました。 ■法廷での闘い 女性の法的定義を「生物学的性別」に限定するよう求めた裁判。 ローリング氏は約1,370万円(7万ポンド)の訴訟費用を全額支援。
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