【女装が「日常」になる日を、まだ諦めていない話】
大学四年生の頃、Amavelのフリフリの服に袖を通し、朝5時にこっそり町内を一周した。
それが、人生で初めての女装外出だった。
人目が怖くて、知り合いに見られない時間帯を選び、息をひそめるように歩いたあの日から、気づけば10年以上が経った。
それでもおれは、いまだに女装を続けている。
今ではもう、早朝にこそこそ外に出ることはない。
名古屋でも、東京でも、大阪でも、人目を気にせず女装で外出できるようになってしまった。
それでも――
バッチリメイクを決めて、可愛い服に身を包む瞬間の高鳴りは、今も変わらない。
日常では味わえないドキドキとワクワク。
女装という趣味は、本当に良いものだと、つくづく思う。
10年も経てば、いろいろなものが変わる。
羞恥心が死んだのか、自分に自信がついたのかは分からないが、「恥ずかしい」という感情はほとんど消えた。
彼女は妻になり、髪は日に日に薄くなっていく。
そして、自分の内面だけでなく、世間の空気も少しずつ変わってきたように感じている。
昔は、女装趣味なんて口が裂けても言えなかった。
けれど今では、一定の理解が示される時代になってきた。
アングラな存在だった女装のお店は、コンカフェの一ジャンルとして確立しつつある。
女装体験ができる店も増え、女装インフルエンサーが登場し、地下アイドルとはいえ「男の娘アイドル」まで現れた。
本当に、時代は変わった。
ただ――
「受け入れられ始めた」と「普通になる」には、まだ距離があるとも思っている。
ここで言う「普通」とは、女装が日常に溶け込んでいる状態のことだ。
たとえば、一般的な会社員が女装して出社する。
そんな光景は、まだまだ現実的とは言えない。
MTFとして出社している方は見かけるが、ビジネスシーンに“女装”が自然に登場することは、ほぼない。
できることなら、おれはその日のスーツの色を決める感覚で、
「今日は女装」「今日は男装」と選んで出社したい。
けれど、それができない理由も理解している。
まだ女装は「イロモノ」だからだ。
会社という組織は、基本的に冒険しない。
人手不足とはいえ、女装で面接に行けば、よほどの魅力や実績がない限り落とされる。
正直、おれが面接官でも落とすと思う。
今の時点で、女装して面接に来る人を雇うメリットがないからだ。
特におれは営業畑の人間だ。
会社の「顔」になる営業が女装していたら、どんな印象を持たれるか分からない。
営業会社なら、まず間違いなく不採用だろう。
ただし、ここで一つ考えたい。
「今はメリットがない」だけで、
「これから先もメリットがない」と言い切れるのだろうか。
もし女装が、社会や会社にとってメリットになるとしたら。
そのとき女装は、イロモノではなく「日常」になるのではないか。
前置きが長くなったが、ここで書きたいことはこれだ。
女装は、ブームとして一過性で終わるのか。
それとも、生活の一部として日常に溶け込むのか。
この違いは、「メリットがあるかどうか」に尽きると思っている。
別にやってもいい。
やらなくてもいい。
使ってもいいし、使わなくてもいい。
ただ、「使ったときにメリットがある人が使う」存在になるかどうか。
分かりやすい例が、アニメや漫画文化だろう。
一昔前まで、アニメ好きは「オタク」と笑われていた。
それが今では「クールジャパン」と呼ばれ、誇れる文化になった。
おれ自身、小学生の頃に「将来オタクになってそうな人ランキング」3位に入って本気で怒っていたのに、
今では堂々とオタクを公言している。
(当時の同級生は慧眼だね)
かつてはデメリットだった「オタク」という属性が、
今では共通の話題を生むメリットに変わったからだ。
自己啓発本やビジネス書が漫画で解説されるようになったのも同じ理由だ。
読み手は理解しやすく、書き手は伝えやすい。
アニメや漫画は、「使えるもの」として日常に溶け込んだ。
女装という文化も、同じ状態になれたなら。
スーツの色を選ぶ代わりに、スカートの色を選んで出社する。
そんな世界が来るかもしれない。
では、女装は社会にどんなメリットをもたらせるのか。
女装界隈だけでなく、さまざまな場所に女装で顔を出してきたおれが、
強く感じたメリットと、そこから考えられる社会的価値について書いていこうかなと思う。