運命の出会い、底知れぬ高揚
ハルカへのお見合いの申し込みは、期待していた通り、存外すんなりと通った。 土日に申し込みボタンを押し、祝日には早くもシステムが『受諾』のログを返した。ゴールデンウィークという非日常の熱気に街が沸くさなか、わずか一週間足らずで彼女との邂逅がセットアップされたのだ。
相手の相談所の事務処理を考慮すれば、これは極めて順調な進展と言えた。婚活市場という広大な海において、これほど淀みなく『接続』が許可されるのは、互いのスペックが最適に噛み合っている何よりの証拠ではないか。この淀みのないプロセスに、ノリトの胸には確かな手応えが宿っていた。
週末、彼女に会える。
その期待は、成功という名の麻薬に浸った彼の心を、静かに、だが確実に高揚させていた。
再開発に沸く駅周辺の喧騒を抜けた、落ち着いた一角。その静謐な街並みに溶け込むように位置する連盟専用のラウンジで、ノリトは約束の十分前からその時を待っていた。
自動ドアが静かに開き、春の木漏れ日を凝縮したような黄緑色のスカートが視界に飛び込んできた瞬間、ノリトの思考は白白と止まった。白のブラウスに同色の鞄を携え、プロフィールの言葉通り淡い色彩を纏って現れた彼女は、画面の中の虚像を遥かに凌駕する瑞々しさと、その奥に潜む揺るぎない知性を放っている。
「カワノハルカです」
小さく会釈した彼女の瞳に、写真以上の深く澄んだ知性を見出したとき、ノリトの理屈の防壁は音を立てて崩れ去った。それは、合理性を信奉してきた彼が初めて経験する、あまりにも決定的な一目惚れだった。
しかし、動揺を悟られぬよう、ノリトは即座に「理想的な自分」という磨き抜かれた外殻を纏う。
「ヒロセノリトと申します。お写真通りの綺麗な方で恐縮してしまいます。今日は楽しくお話ししましょう」
淀みのない言葉を選び、最適化された振る舞いで、非の打ち所のない「ハイスペックな男」を演じていく。
ノリトが女性という存在に対して、透明で強固な壁を構築し始めたのは、思春期にまで遡る。
「ねえ、ヒロセ君って〇〇さんのこと好きなんでしょ?」
中高生特有の、根拠のない噂話と無責任な決めつけ。主観と憶測だけで他人の領域を土足で荒らすその「非論理的な騒がしさ」に、彼は猛烈な嫌気がさした。感情という不確定要素を他人に解析されることは、彼にとってシステムをハッキングされるに等しい屈辱だった。
以来、彼は自身のポートを閉じ、外部からの不要なアクセスを遮断してきた。 その壁を初めて、そして唯一深く踏み越えてきたのが、かつての妻・ミカだった。
だが、彼にはもう一人、消し去りたいログがある。学生時代に交際していた恋人だ。 当時のノリトは、自身の核となる研究に没頭していた。しかし彼女は、彼が自分に向けない情熱を研究に注ぐことに嫉妬し、「かまってほしい」という身勝手な理由で、彼を研究から遠ざけようと画策した。サボりを促し、彼のプロ意識を棄損(きそん)しようとするその行為は、ノリトにとって愛ではなく「システムの破壊」でしかなかった。
「自分の研鑽を邪魔する異性は、人生における致命的なバグだ」
その教訓が、彼のポートを閉じさせ、外部からの不要なアクセスを遮断させてきた。だからこそ、目の前で知的な専門用語を使いこなし、自律したプロフェッショナルとして振る舞うハルカは、彼にとって「完璧な回答(アンサー)」に見えたのだ。
ハルカとの会話は、驚くほどスムーズだった。彼女は臨床試験の進捗を、まるで数式を解くような明晰さで語る。ノリトはその心地よいテンポに酔いしれながら、自らが築き上げた壁の感触を確かめていた。
だが、彼は気づかない。ハルカが時折見せる、道端の蕾を愛でる時の柔らかな沈黙や、舞台の幕が下りた後の震えるような溜息――その「言葉にならない余白」にこそ、彼女の真実が宿っていたことを。
翌日、ハルカからも交際希望が届いた。
「いい人だといいなぁ」
ノリトの「精緻な計算」とは裏腹に、彼女の願いは、驚くほど「シンプル」で、それゆえに切実なものだった。
ノリトはそれを知る由もなく、自らの「完璧なシステム」が正常にデプロイされたことに、ただ満足していた。