新作「妖怪大戦争 ガーディアンズ」の公開(8月13日)を記念して16日から東京・角川シネマ有楽町で「妖怪・特撮映画祭」が開催される。その中には、昭和ガメラの最終作「宇宙怪獣ガメラ」(1980年公開)も上映。主演は元女子プロレス選手でタレントのマッハ文朱(62)だった。公開から約40年の年月が流れるが、今も根強いファンが多い。マッハが「出演できたことは私の誇り。映画の力を逆に教わった」と当時を振り返りながら語った。(内野 小百美)
「40年たった今も出演した映画が愛されている。光栄で誇り」。マッハは迷わずに答えた。15歳だった1974年に女子プロレス初のアイドルとして鮮烈デビュー。わずか2年8か月で惜しげもなくリングを降りたが、引退後も美貌(びぼう)と明るさ、知性を兼ね備えたタレントとして幅広く活躍してきた。
しかし自分が今作に配役されたことは長年不思議に思っていたという。ある日、製作関係者に聞くと、「自分で言うのは恥ずかしいのですが、当時、私の配役に反対される人は誰もいなかったそうで。キラキラしたイメージを持っていただいて役名もキララに。最近、知ったんです」と照れくさそう。
地球侵略をもくろむ宇宙海賊を阻止するため、正義の宇宙怪獣ガメラを“召還”するスーパーガールたちのリーダーを演じた。タイツ地の独特の衣装姿。砂の上でバレーボールの回転レシーブのような動きなど派手なアクションも、もちろんスタントマンなしで乗りきった。耳を触る変身ポーズを考えたのもマッハで、主題歌まで担当した。
今も根強い人気がある昭和ガメラの最終作。カギを握る少年の夢の中にガメラが銀河鉄道999、宇宙戦艦ヤマトと一緒に宇宙を移動するという仰天シーンまで飛び出す。CG技術でも実験的な要素を含み、怪獣映画の歴史に残る1本とされている。
「最初に見せてもらった時、『えっ?』と絶句したんですよね」と正直に明かす。記者も今回見て目が点になるシーンが。一瞬インタビューが不安になったが、撮影の背景を知り、作り手の思いが詰まっていることが分かって、印象は変わった。
公開から41年。この間、何度か怪獣映画特集のイベントにゲストで呼ばれた。登壇すると、日米両国で本人が戸惑うほどの大歓迎を受けた。「長い年月がたっているのに集まった人々の中の記憶は鮮明。私の姿を見て喜んでもらえるなんて、いかに幸せか。怪獣映画を愛するファンのピュアさに感動して。同時にこれが『映画はいつまでも残る』と言われるゆえんなんだ、と身をもって理解できたんですね」
デビューから約半世紀。還暦を超えていると思えない若々しさ。お世辞抜きに今も輝いて見え、よどみない受け答えからもエネルギッシュさが伝わってくる。国際結婚し、2人の娘を出産。30歳の時に通信教育で高校を卒業し、米国で心理学、経済学を学ぶために大学にも通った。「一見すると違うことをバラバラにやっているように思われるでしょう。でも私の中ではいつも本当にやってみたいことを全力で取り組んできたので」。人生の経歴の全てが地続きで相乗効果を生んでいるという。
この取材は米国から帰国し、コロナの隔離明け直後に行われた。気遣いの人らしく、自分の都合で取材日を待たせたことをわびた。プロレス選手時代の必殺技は空手の技を用いたマッハスペシャル「回転地獄蹴り」。背中はまっすぐに伸び、体形もほとんどそのまま。「今も現役の子たちと戦ったら、それなりにやれる気がするんですよね」と笑顔を見せた。
◆マッハ文朱(まっは・ふみあけ)1959年3月3日、熊本県生まれ。62歳。72年「スター誕生!」で山口百恵らと同時に決戦大会に進むもスカウトの札が上がらず。174センチの長身がネックだったことを後日聞かされる。姉の勧めで74年に全日本女子プロレス入門。歌手デビュー曲「花を咲かそう」(75年)が40万枚のヒット。76年に引退し、映画「マルサの女」(87年)などに出演。93年に台湾系米国人パイロットと結婚し、2女の母に。13年から日本でも仕事を再開し、講演など日米で活動中。

















































