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編集長の記憶 〓 ハイティンクにあんなに怒られるとは

今回は巨匠指揮者ベルナルト・ハイティンクに怒られた話。場所はドイツ・ドレスデン。時期は2003年だったか、2004年に入ってからだったか、ちょっとはっきり覚えていない。が、巨匠を怒らせて、予定していたインタビューが吹っ飛んだことだけは強烈に覚えている。2004年5月に予定されたドレスデン・シュターツカペレ(ザクセン州立歌劇場管弦楽团)の日本公演の、プログラムの変更をお願いに行った時の出来事だ。

ゼンパー・オパーとも呼ばれる歌劇場の音楽総監督の部屋に入って挨拶を交わした直後、巨匠がかなりの剣幕で捲し立て始めた。要は「なぜ、ショスタコーヴィチをやらない、どういうわけだ?」。巨匠とはこの時が初対面。彼について書かれたものなどから、勝手に温厚といったイメージを思い描いていただけに、自己紹介などを吹っ飛ばしての、いきなりの叱責に私はもちろん、通訳も面食らったに違いない。

なんと答えようか考える間もなく、「客が入らないからです」という言葉が勝手に口から出ていた。それが通訳されると、巨匠はお前はバカか?、とでも言いたそうな表情。その後、ショスタコーヴィチをいま演奏する意義について話し出したが、私の冴えない表情が影響したのか途中からトーンダウン、黙り込んでしまった。

オーケストラ側は既にこの時点で、日本公演のプログラムについてホームページで以下のように発表していた。
 ・ブルックナー:交響曲第8番
 ・モーツァルト:交響曲第41番《ジュピター》
 ・リヒャルト・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》
 ・シューベルト:交響曲第7番《未完成》
 ・ショスタコーヴィチ:交響曲第8番

その中の、ショスタコーヴィチの交響曲第8番をブラームスの交響曲第1番に変えてもらう、それを巨匠に直接会って了解してもらう、それがこの日の私の最大のミッションだった。変更については、招聘元の音楽事務所からオーケストラに事前に伝えてもらっていたが、巨匠はそれに納得がいっていない、という連絡をもらっていた。

その役割がなぜ私に回って来たのか、いまとなっては思い出せない。ただ、来日公演には産経新聞が共催として入っていた。そのため、編集長を務めていた月刊誌「モーストリー・クラシック」で大々的に特集を組むことにしていた。そこに巨匠のインタビュー載せる必要もあって現場に出掛けたのだと思う。

ドレスデン・シュターツカペレには「燻し銀の響き」というフレーズが付いて回る。半世紀も前、私がクラシック音楽を聴き始めた時からそれが決まり文句。分厚い、腰の据わった、どっしりとしたサウンドを持ち、ドイツのオーケストラがかつて持っていたとされる重厚な響き、それをいまも紡ぎ出す、と。

なので、せっかく自分が興行を手掛ける公演なら(たぶん、人生で一度だけだろうから)私はショスタコーヴィチよりも、円熟を迎えていた巨匠の指揮で彼らのベートーヴェン、ブラームスが聴きたかった。まずはそれだった。そうすれば、プログラムをドイツ音楽で統一できて、売り出し易いとも思っていた。

巨匠が1982年に手兵のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したショスタコーヴィチの8番は名盤の誉れ高いことは知っていた。しかし、私の肌感覚では、ショスタコーヴィチの回だけ客の入らないであろうと思っていた(いまも!)、なのでそれを外して興業面のリスクを減らしたい、と。ただ、それを最初に口にしたことで、巨匠の怒りを爆発させてしまったのだが。

オーケストラの前回の来日は2000年のこと。首席指揮者のジュゼッペ・シノーポリと。彼が2001年4月にオペラを指揮中に心臓発作で倒れて急逝、2002年から後任を急きょ引き受けたのがハイティンクだった。ベートーヴェンはシノーポリとの来日時に交響曲第7番と《第9》、シューベルトは《未完成》をやっていた。

巨匠からのお叱りの後、ショスタコーヴィチの代わりにベートーヴェンからブラームスを、ブラームスは出来れば、日本人によく知られていて、ドイツのオーケストラが最近はあまりやらなくなった1番を、とゆっくり訴えた。もちろん、「燻し銀の響き」の話も交え、それをあなたの指揮で彼らの響きでそれが聴きたいのだ、と。

ただ、巨匠はあまり語らず。その後も「では巨匠、これからインタビューをお願いします」と切り出せるような雰囲気にはならなかった。帰国後、「モーストリー・クラシック」2004年2月号で22ページもの大特集を組んだが、インタビューが欠けてしまったのはそういうことなのだ。

結局、オーケストラからシューベルトとショスタコーヴィチを外し、ウェーベルン、ハイドンとブラームスを入れた提案があり、自動的にそれに決まった(笑)。「ドイツ音楽の真髄に酔う。450年の伝統、黄金の響き、再び。」というキャッチ・コピーを掲げた日本公演は音楽的にも興行的にも成功を収め、多くの聴衆に感動を与えてくれた。

ただ、日本でプログラムの変更をアナウンスした後も、オーケストラのドイツ語のホームペ−ジには、当初のプログラムがずっと掲載されていたのは意味深。巨匠は2021年10月21日に亡くなった。この事件後、忙しさにかまけて、インタビューの機会を模索しなかったことは、いまも残念。あの時のことも含めて話を聴いてみたかった。

写真:Berliner Philharmoniker

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