ストーリー

第4回本2千冊、読まないのに捨てられない 38歳男性が執着した優越感

編集委員・岡崎明子

連載「ためこみ症」④

 男性(38)の部屋は、本に占領されていた。月に数十冊の本を買い込み、本棚に入らなくなると床の上に積んでいく。やがて、足の踏み場もなくなった。

 仕方なく段ボール箱に本を詰め、廊下に置いた。それにも収まらなくなると、10年ほど前に亡くなった父の部屋を物置にして押し込んだ。その数、約2千冊――。

 「部屋中が本であふれかえってぐちゃぐちゃでも、汚いとか、おかしいとはまったく思いませんでした」

 それほど価値がないものをためこみ、どうしても手放すことができない。この病気の背景には、「心の傷」があります。

 本を大量に買い込むようになったのは、大学の卒論執筆がきっかけだった。源流は、高校時代にさかのぼる。

 私立の進学校に進んだ。おとなしい性格だったが、「お調子者キャラ」をつくり、周囲になじもうとした。

 当初は周りも「あいつ、面白いじゃん」という目で見てくれた。ただ、それを快く思わなかったクラス内のスクールカースト上位の男子に目をつけられ、ある日突然、無視されるようになった。

 シャープペンの芯を首のあたりに飛ばされ、「やめてくれ」と言っても笑われるだけだった。担任も助けてくれなかった。不登校が始まり、2年生で退学した。

 ひきこもり状態の中、自宅で勉強を続けて高卒認定試験に合格し、第1志望の大学にも合格した。

引きずられたいじめの後遺症

 しかし、1日も通えなかった。いじめの後遺症を引きずり、集団生活の中でやっていく自信がなかった。

 大学に行かない間は、岩波文庫の「古典」と呼ばれる名作を、片っ端から読んだ。

 「周りは進学したり働いたりしている。でも、古典をこんなに読んでいる自分は知識では負けない。そう思うことで、『マウント』を取りたかったんだと思います」

 日本文学を学びたいと、通信制の大学に入り直した。だが卒業に必要な単位は取れたものの、原稿用紙50枚分の卒論が書けなかった。

 最初は夏目漱石、途中から宮沢賢治にテーマを変え、まずは全集を買い込んだ。

 次いで参考文献を買い、論文の書き方の本も手に取った。「何かヒントになるかも」と評論家の本を買い、ついには岡本太郎や政治の本まで、脈絡なく買いあさった。

読み通すことができない本

 そのうち、道を歩いているとメモの切れ端やレシートなど、自分の物が落ちていないか気になるようになった。道を戻って確認せずにはいられなくなった。

 強迫症と診断された。

 外に出るとエネルギーを使い果たしてしまうので、アルバイトもできない。本代は母親からもらった。

 「また買ったの?」「もういらないよ」。そう言われても、やめられなかった。

 いくら費やしているのか。どこに本をしまえばいいのか。まったく気が回らなかった。

 ただ、買っても最後まで読み通すことができなかった。そして、読まない本がたまっていっても、捨てることができなかった。

「ゴミ屋敷の一歩手前」になった家

 「いざ読みたい」と思ったときに、読めなくなるのが怖かった。それに、本にメモする癖のせいで「自分の個人情報が流出するのでは」という不安もあった。

 それだけ本をためこんだのに、卒論は書けなかった。学費だけを約10年間、払い続けた。

 次第に本だけでなく、レシートやノートも捨てられなくなった。服も必要ないのに「もったいない」とためこんだ。症状はエスカレートしていった。

 「家は、ゴミ屋敷の一歩手前でした」

 35歳のとき、卒論の執筆を諦めた。体調を崩して学費を振り込む期限を過ぎ、大学を除籍されたのがきっかけだった。

 「これからは別の道を進もう」

 そう思うと、少しホッとした。就労を支援する施設に通うようになり、強迫症の専門的な治療も受けるようになった。

 そこで医師から「ためこみ症の症状もある」と言われた。

初めての就職で広がる世界

 あえて不安になる行動を取っても、平気なことを確認する暴露療法を通じて、不安に対する耐性を身につけた。「本を捨てても大丈夫なんだ」と少しずつ思えるようになった。

 昨年6月、生まれて初めて就職した。今は週5日、事務の仕事をしている。毎日、通勤は大変だが、少しずつ世界が広がっていることを感じる。

 「本の世界は奥深く、高校時代のいじめっ子たちの人間性のように軽薄ではない。いま思えばそこに価値を見いだして、ためこむことで自分を守ってきたんだと思います」

 ためこみ症は、遺伝する割合が高いと言われる。実は母も、割り箸やストロー、ホテルでもらうアメニティーなど何でもためこみ、捨てられない人だった。

 最近、初めて段ボール4箱分の本を古本屋に売った。「やったじゃん」。母もさりげなく、喜んでくれた。

 部屋も心も少しだけ、空間が広がった。

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この記事を書いた人
岡崎明子
編集委員|イチ推しストーリー編集長
専門・関心分野
医療、生きづらさ、ジェンダー、働き方

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