再反論します(後編)
※プリキュアについて「普通の」記事が読みたい方はこちら
長年のプリキュアファン、KLPです。
記事を引用した方からの返信について、引き続き再反論していきたいと思います。
この記事は一応「スタンスと反論」に入れておきますが、この方個人とのやり取りという面が強く、史上最長の文章になったので、投稿しておいてなんですが、読むことはおすすめしません。
※この記事は前編から続いています。
「男の子プリキュアは男児のため論はどう足掻いても差別」
まず、擁護派が「男児のため」論を唱えているという前提が既に短絡的です。
多くの擁護派が言いたいのは「男の子プリキュアがきっかけでファンになった男児がいたら嬉しいね」くらいの結果論であり、「男児のために男の子プリキュアは絶対に必要だ」という極端な要望ではありません。
現に、擁護派が「男児は女の子プリキュアを好きになるな」と言っている場面を、私は見かけたことがありません。
これは元記事ではなく、別な記事に書いたことですが、私自身は公式サイドが「男児のため」論を挙げていないことも知っています。
「必要」と「不要」の間にも、物事は存在します。柔軟に考えましょう。
むしろ、批判派の方こそ「男児のため」と決め付けて、「プリキュアは女児のもの、男児の方を向く必要はない」と勝手に怒っている人が多いイメージです。
そして元記事の繰り返しですが、「男児は男の子プリキュアがいると興味を持ちやすい」と、「男児が女の子のプリキュアを応援してはならない」は、同じではありません。
どちらから興味を持った男児も、両方同時に歓迎することはできます。
キュアウィングの衣装騒動については、まず、あのお母さんが違う衣装を提案しなかった、という前提は何なのでしょうか。投稿やインタビュー記事からは、したともしなかったとも分かりません。何をしても立ち直れないほど男の子はショックだったかもしれませんし、お母さんが対応を誤ったのが悪い、と言いたげなのはいかかがなものかと思います。
あのお母さんの対応の良し悪しに関係なく、特定のファンだけ参加できない仕組みにしていたイベント側の落ち度は何ら変わりません。ここでお母さんを責めるのは、二次加害と同じではないでしょうか。
まして批判派の間の、ウィングを口実にすることをあげつらう向きは論外です。
例えば、「女性は家庭に入るべき」という周りの偏見のために、泣く泣く仕事を辞めたと語る女性がいたとしましょう。その女性を「あなたが仕事を辞めたせいで、女性への偏見がまた強くなった」と責めることは正しいでしょうか?
悪いのは、女性に仕事を辞めさせるほどの偏見に満ちた周りの環境のはずです。二次加害では何の解決もしません。
あの男の子が「男の子がプリキュアを見てもおかしくない」という正しさに自信を持てず、いつまでもイベントに行けないくらいなら、ウィングを口実にしてでも踏み出して、楽しい思い出を作った方がよほどいいです。
楽しい思い出も子どもには必要ですし、正しさなんてその後でいいのです。
どのみち、イベント側の落ち度で悲しい思い出になったわけですが……。
あたかも、自分なら完璧に子どもの機嫌を取りつつ、完璧に正しさを通せたとでも言いたげですが、そうして見知らぬ親子を責めることで誰を助けられたのでしょうか?
あのお母さんの言動をあげつらって満足するだけなら簡単です。全国のウィングファンを助けるのに、あのお母さんより賢い方法があったと言うなら、あんな事件が起きる前に、自分がすれば良かったでしょう。
あのお母さんの行動は、全国規模で人を助けました。私も含め、あのときそれに敵う人はいなかったのです。
ちなみに、私はあのお母さんが「息子がわんぷりも楽しく見ている」と投稿したのを見ました。
兎組が変身していなかった時期の出来事です。女の子プリキュアしかいないわんぷりを見ている息子さんを肯定していたのですから、やはり「男児のため」論の人ではなかったわけです。
男の子がわんぷりを楽しんでいること自体、お母さんが「男児のため」論を唱えていない証拠でもあります。
だからといって、人目を気にせずイベントに行けるまでにはなっていないかもしれませんが。
「方法は増えていない」
・男女とも女の子プリキュアを応援する
・男女とも女の子プリキュアも男の子プリキュアも応援できる
「プリキュアを好きになるパターン」は増えていますね。選択肢が増えれば単純にきっかけも増えます。シンプルに考えましょう。
きっかけの多さ自体を嫌がる人はいる、は視点が別です。話のすり替えで、屁理屈です。
「制約はある」
では、公式サイドの制約の全てをご存知なのですか。
私が言いたいのは、「一視聴者が審査員めいた目線で、「こうでなければならない」「こう考えれば正しい/間違い」というのは極端なので、もっと柔軟に考えてみましょう、もしかしたら公式サイドもそういうスタンスかもしれませんよ」ということです。
おっしゃるとおり、だから肉弾戦なしも認められたのでしょうから。
それとどうにも勘違いされている気がするのですが、元記事は批判派の大まかな動向を見て書いているもので、この方だけをどうこう言っているわけではありません。
この方の記事は批判の一環で引用したのであり、この方個人の考えの細かな部分に当てはまらない反論があるのは当たり前です。
ですので「私はそんなこと言っていない」と言われても、他に言っている批判派がいるので、そちらを想定して書いているだけです。
「ぼくプリ第2弾のテーマは「男の子だってお姫様になれる」」
ぼくプリ第2弾をそのまま見たら、そんなテーマは出てきません。
やたらとカグラの変身前の「女の子らしい」舞を引き合いに出しますが、戦いの決着はそこでついたわけではありません。その後カグラは変身しますし、5人とも肉弾戦を含めて暴れに暴れた後、合同の浄化技で勝利を収めています。
変身前で通用したのが一度きりなのも、「女の子らしい」のがカグラだけなのも既述のとおりです。
その舞にしても、再三書いたように攻撃の手段です。そのまま見たら、むしろ「お姫様」からは程遠いです。
そして第3弾では、カグラの舞は「女の子らしい」ままですが、やはり変身前に攻撃として通用するシーンはありません。
それどころか、5人とも強化フォームで死力を尽くして戦います。
この方の理屈だと、例え第2弾に「お姫様」のメッセージがあったとしても、第3弾では薄れてしまったことになりますね。
また、第2弾でロザリアードの「男には分からない」に対応したのは、カグラではありません。
トップの「俺たちも絶望は知っている」という、ややざっくりした答えが返されます。
「楽しく踊れたら勝ち」のトップに言わせれば、何にせよ性別はこだわる部分ではありません。カグラの舞はそのメッセージの一部であって、全てではないのです。
性別はこだわる部分ではない。だから男の子プリキュアを「男の子だから」と反対する声へのカウンターになる、というわけです。
「「受け入れられた」は「歓迎された」ではない」
値上げは歓迎されないのが常ですが、買わなければならないものもあるため、受け入れざるをえません。
アニメのキャラは見ないのも買わないのも自由で、受け入れる必要もないので、受け入れた時点である程度は歓迎しています。「推しではないが、嫌いでもない」「いても構わない」程度の消極的な受け入れ方でも、作品にとってプラスになることはあっても、マイナスになることはありません。
加えて、「値上げを受け入れた」は近年炎上した失言ですが、これは「受け入れる」がポジティブに聞こえる言葉だから炎上したわけです。ネガティブに使うには、「いやいや」とか「しぶしぶ」などと付ける必要があります。
公式サイドの「受け入れられた」発言の文脈は、
「男の子が入ってファン層が広がった。否定的な意見もあったが子どもたちはすんなり受け入れていた。『多様性』は既成概念のある大人の発想であり、子どもには全てが初めて。だから選択肢を当たり前にすることが大事」
このようなものです。前後がポジティブなのに、「受け入れた」だけネガティブだったら文章として変でしょう。
公式サイドにはもともと、事情の全てを視聴者に明かす義務はありません。
もし失敗していたのなら、視聴者の反応など言及せず、「男の子プリキュアに挑戦しました。これからも様々な挑戦をします」くらいで済ませておくのが無難でしょう。
わざわざ踏み込んだということは、少なくともある程度の手ごたえはあったと考えられます。
ですので、「受け入れた」は歓迎寄りと取るのが自然でしょう。
そもそも、「受け入れられた」に対して「いや、受け入れられていない」ときっぱり返すことができず、「受け入れる」という言葉の微妙な解釈に終始している時点で、決着はついています。
私がこの点を撤回するとすれば、公式サイドが「ウィングは失敗した」とはっきり言い切ったときです。
「男の子プリキュアは随分前からありえるとされている」
それは他の批判派に言ってあげてほしいです。「女の子が絶対条件だったはずだ」と怒っている人が多いようですから。
擁護派も、というより私も、そのことは知っています。ありえると知っていたから、「実際に誕生するのを見てみたい」と思っていましたし、もともとありえたものが実現したことに的外れな批判が多いと感じているのです。
一方で、可能なルールだけがあるのか、実例があるのかは大きな違いです。
実現したのはつい最近で、少数派なのも事実です。正式メンバーのプリキュアは未だウィング一人ですし、固定観念がないとまでいくと、まだまだ言いすぎでしょう。
人数ではなく、「登場する作品」にすり替えるのはズルいです。
「思考過程をそのまま書いている」
では、その都度整理するか、まとまってから書き始めることをおすすめします。
こねくり回した過程をそのまま書けば、「どうしてこのポイントからこの結論になるのか」「これは邪推、これは言いすぎ」の連続です。矛盾も起きかねません。
誤解を招くような表現をしてから、懸命に補足しているような部分もあるようですし、微妙に噛み合わない定義同士が混在していたりもするので、世に出す前に精査することは大事でしょう。
一本の線につながる……は、あまり当てになりません。どんなに寄り道をしても一本とは言えます。「1-1」から始まって「2」という答えにこじつけるのだって、一本でやろうと思えばできるでしょう。
先に結論を決め、それに合わせた解釈だから一本になる、ということもありえます。
「男の子批判派ではない」
基本的には、やはり批判派なのではないでしょうか。
元記事に書いたとおり、「他の過激な批判派とは違う」とは感じますが、結局は他の批判派と同じつっこみどころがあったり、同じ発想だったりする部分はあります。
「男の子プリキュアは「お姫様」を表現しているので正しい」というのは擁護に見えますが、「「お姫様」でなければ正しくない」という解釈の狭さの裏返しでもあり、実際この方が「お姫様」で肯定している部分は、ここまで述べたとおり、大して実態に合っていません。
書かれている言葉の端々にも妙に棘を感じますし、擁護の皮を被った批判、といった感じでしょうか。
それに正直なところ、もし心の底から擁護するつもりだとすると、いろいろなことが腑に落ちないのです。
なぜ「受け入れられた」と聞いて喜ぶのではなく、「歓迎ではないかも」とネガティブに捉えるのでしょうか?
なぜウィングの衣装を手に入れた子どもに対して、真っ先に「よかったね」と言えないのでしょうか?
ウィングについて、ハーレム願望とか、時に性犯罪も絡む男性保育の問題とか、値上げとか、わざわざネガティブな発想を絡めてくるのも、「よっぽど嫌いなのが滲み出ているなあ」と感じます。
ぼくプリに至っては、かなり分かりやすく批判的なトーンが現れています。
キミプリコラボの事前の記事など、どうせぼくプリはちょっと出てくるだけと想像がつくのに、2週間後の放送を見れば全て分かるのに、綿密にあれこれとポイントを引っ張りだしてネガティブな予想のオンパレードです。
ここでちょっと想像してみます。
まず、もともと批判的だったところにパドドゥの件でショックを受け、全てを否定されたと感じたところから始まり、「こうしてキラキラを否定するのがぼくプリの意味なのかもしれない」という発想の転換に行き着きます。
この「キラキラの否定」が転じると擁護が成り立たないので、続編が不確定なうちに「第1弾は確定したラスト」としたのではないか、と私は思います。ショックだったので、どのみち続編ができても確かめる気はなく、自分の中で終わらせるつもりだったのかもしれません。
しかしぼくプリは続編が決まり、その後はわんぷりの兎組の変身が話題を呼びました。
なので男の子の変身・活躍の一貫性を見いだすべく、そこで「お姫様」を引っ張りだします。
やっと視聴したぼくプリ第2弾のカグラを見て、「公式サイドは「男の子もお姫様」を描いている」を更に推し進めます。
こう考えると、私の中で一本につながりました。
私には、最初に「第1弾で終わっている」「キラキラの否定が男の子の意味」という無理やりな理屈に持っていったところから、既に無茶だったように思います。
ただ「妖精の裏切りなんてプリキュアでは観たくなかった。こんなのプリキュアとは認めたくない」という感想でとどめておけば良かったのではないでしょうか。
無理に擁護しなくても、批判したままで良かったのです。
また、この方にTwitterを勧められましたが、Twitterはざっと見ただけで伝わってくるほど、ブログ以上に批判的なスタンスです。
例えばぼくプリのキミプリコラボについて、アニメ側がコラボをやりたがっていない(舞台側に強いられている)と決めつけたり、ぼくプリのチケットの売れ行きが悪い(だからコラボしたかいがない)と喧伝したりしています。
その主張が正しいかどうか以前に、アニメ側がコラボダンス動画をリツイートしているかどうかや、ぼくプリのチケットの売れ行きをこまめにチェックするスタンスが、いかにも執拗に欠点を探しているように見えます。
更には、続編が2つもできたぼくプリを未だに成功した作品と認めていないニュアンスもあり、本当に驚きました。
「続編が2つもできて、今まで交わらなかったアニメとコラボも実現して、ここまで大きくなったんだね」と喜ぶわけではないあたり、やはり擁護派の態度とは思えません。
(なお私が見た限りでは、アニメでのコラボを予告された後、ぼくプリのチケットはキミプリがアフターイベントに出演した12月7日分を中心に売れ行きが良くなり、「これを機に配信で第1・2弾を見た、面白かった」「配信で見て気に入ったので第3弾のチケットも買った」という報告もたくさん見ました。
12月7日のイベントも盛り上がった報告が数多く上がっています。コラボしたかいは確実にあったでしょう。)
兎組やキミプリの響カイトについての記述もなかなか興味深いです。
彼らについてのかつての予想は(ブログの記事複数とTwitterを合わせて)、概ね「変身しない」に傾いていました。
擁護派が…というより積極的な擁護派でなくてもそれなりに多くの視聴者が、「これは変身フラグではないか」と感じるポイントに限って、逆に「変身しないフラグ」と見なしているんですね。
結果は知ってのとおり、兎組はプリキュアとほぼ同じ変身を遂げ、カイトはキュアコネクトになりました。
私が思うに、男の子プリキュアやそれに近い変身に批判的で、できれば起きてほしくないという意識があるから、何かあってもことごとく「変身しない」方に引きずられた解釈になってしまうのではないでしょうか。
そして変身した後は、やはり「お姫様」論につなげていますが(兎組については「プリキュアを名乗らなかった」をやたらに強調する記述も目立ちます)、都合よくこじつけている感が否めません。
本来なら「予想が外れた」とただただ受けとめるところを、そうではなく、「変身しないはず」「変身してほしくない」という前提をあくまで維持するために、「公式サイドは男の子をノルマで変身させている(だから変身しないはずなのに変身した)」、「男の子の変身は「お姫様」で一貫している(だからアニメで女の子たちに混ぜにくいのは変わらない)」とやや強引に結論づけるのでしょう。
「描かれたものをそのまま見る」どころか、自分の願望を優先しているように、私には見えます。
分からないのは、こうも明らかに批判的なのに、「私は批判派ではない」と言い張ることです。
擁護派としては、批判派であること自体は個人の自由として受けとめますし、擁護のていで批判をされる方が困惑します。
プリキュア自体が大好きなので、できれば「お出し」された全てを擁護したいという葛藤なのでしょうか?
それと私の「お姫様」論への意見ですが、願望を持って見るのは自由です。
しかしそもそも、戦闘で「暴れない」「おとなしい」を表現する(表現していると見なす)こと自体、無茶ではないでしょうか。
戦う以上は多かれ少なかれ暴れますし、おとなしくしてはいられません。
公式サイドはただ、自らの考えで男の子プリキュアを描くだけであり、それが「お姫様」論とは違っていても、コンセプトと矛盾するとは限らないのは既に述べたとおりです。
暴れない、おとなしい男の子に期待したかったら、それはプリキュアではなく、戦いのない別な作品にしておくのが良いと思います。
あるいは、犬飼いろはの父親の例のように、変身していない普段の様子だけで良しとする方法もあるでしょう。
女の子のプリキュアも、性格面では様々で、それこそ女の子らしい子もいます。そういうキャラが、この方の言う「女の子のまま暴れる」場合もあったはずです。
ですので男の子も、戦いの場ではなく、普段の様子で様々に「男性らしさ」を打ち破るだけで十分なのではないでしょうか。
「男の子らしくないまま暴れる」は「女の子のまま暴れる」とほとんど変わりません。わざわざ「お姫様」を表現しなくても、これなら女の子と全く同じ構図のままでコンセプトに合わせられるでしょう。



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