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「彼は両陛下に言えといわれたことは全部言う人だった」

2002(平成14)年12月、皇太子夫妻はニュージーランド、オーストラリアを公式訪問した。国際親善のための外国訪問は1995年1月の中東訪問以来8年ぶりだった。出発前の記者会見で雅子妃は「外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」と語った。

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湯浅は後日の定例会見で「外国訪問をあれだけなさりたかったのかと正直驚いた」と述べたが、雅子妃の言う「外国訪問が難しい」は不妊治療の隠喩だった。夫妻が帰国したあと、明仁天皇は雅子妃に「次は男の子をお願いします」と言った。側近は「陛下に悪気はないんだ。正直でストレートな方だから。でも妃殿下には重くのしかかってしまった」と話す。

皇太子夫妻は翌年の2003(平成15)年6月9日に結婚10年を迎えた。発表された文書回答で徳仁皇太子は2人目の子どもについて「今後、1人目に至るまでにあったような内外からのプレッシャーを是非とも避けたく、この点につき、よろしくお願いしたいと思います」と回答した。暗に不妊治療からの解放を訴えていたのだ。

これを受けて湯浅が翌日の定例会見で「プレッシャーであってはいけないが」と断ったうえで、「はっきり言って、もうひとかたほしい」「ぜひともお2人目を、と思っている国民はたくさんいると思う」と述べた。皇統の問題が未解決の状況に悩む天皇の気持ちを「拝察」した発言だった。むしろ夫妻にプレッシャーをかけることになった。これが天皇と皇太子夫妻の〝空中戦〟の始まりだった。

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愛子内親王はこの年の12月1日に2歳になった。雅子妃はこのころ帯状疱疹を発症したのを機に長い療養に入る。夫妻に第二子を期待することはむずかしくなった。明仁天皇はこんどは秋篠宮夫妻に眞子、佳子内親王の次の子を望むようになる。焦りからか、湯浅に会見でそれを公にするよう要請した。

天皇、皇后から指示を受けた湯浅は長官室に次長の羽毛田信吾を呼んでそれを伝えた。羽毛田は天皇、皇后と皇太子夫妻の関係がかえってこじれることを危惧して強く反対した。しかし、湯浅は「三太夫」として、忠実に従う道を選んだ。ある宮内庁幹部は「彼は両陛下に言えといわれたことは全部言う人だった」と述懐している。

湯浅は12月11日の定例会見で「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい」と発言した。「もう皇太子夫妻に期待しない」という天皇からのメッセージになってしまった。夫妻への当てつけのように受け取られ、湯浅は「雅子妃を傷つけた」と批判された。これが深刻な事態を招くことになった。

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