第4盗 黒血の刃

 フリエミュール・グリモリアスは、かつて小さな里に暮らす平凡な娘だった。

 生家は代々書士をしていた家計であり、父の代からは小さな本屋を営むようになっていた。

 フリエは絵本代わりに魔法の基礎学習書を読んでいたのだが、これは、人間で言えば中等魔法に分類される。

 そして、人間の魔法使いの七割が初等魔法の習得にさえ血反吐を吐くことを考えれば、フリエの非凡は、言うまでもなかった。


 周囲からは期待をかけられていた。

 フリエ自身悪い気はしなかった。得意になって、本の知識をひけらかして自慢げに、さも、極東のカズミなる土地に伝わる「ヤマブシ・テング」のごとく鼻を高くしていたことは否めない。


 だからというわけではないが、自分が高貴なエルフであるということを自覚していた。

 同時に、それゆえの責務があることも理解していた――納得が伴っていたかどうかは、今となってはもう、判然とはしていないけれど。


 エルフは生まれながら膨大な魔法力を持つ。

 その力は、数人単位が集まって「大魔法」というそれを行使するだけで、ゆうに五、六百人規模の村を吹っ飛ばせるほど。


 だからこそエルフは十四歳を境に精神修行を行い始める。

 それによって心と体を鍛え、力を持つものにふさわしい、しっかりと筋の通った考えを育むのである。

 力あるものは、決して暴走してはならない。

 竜ですら、みだりに力を振るうことを神によって戒められている。

 過ぎた力の行使は、理性も知性も伴わぬ暴力は、ときに、「神罰」の対象となるのである。


 フリエミュール――フリエは、己に与えられた力と才覚を誇り、そして、わずかに驕りつつも……修行の中で、徐々に己が果たすべき使命というものの輪郭を掴みつつあった。


 それがすべて終わったのは、今から一年と半年前。

 十六歳の頃であった。


 済んでいた里が、蹂躙された。

 鉄砲と火薬。

 剣と槍。

 鉄の嵐が吹いた。雷鳴じみた音が濁流のようにとどろき、あとはあっという間だった。

 噂には聞いていた。火縄銃というものが人の世で猛威を振るっていること、そしてそれを改良した、燧銃――フリントロック式の鉄砲が生まれ、雨天でも、鉄砲を打てるようになったことを。


 里は壊滅した。わずか、二刻ほどの戦闘――いや、蹂躙劇であった。

 牛馬は焼かれた。男女の別なく裸に剥かれて、鞭打たれて、その場で人買いたちのオークションが開かれた。


 そうして一年前、フリエはここへ売られた。

 以来ずっと、この牢獄のダンジョン塔で過ごしている。

 こんな石組みの塔など、その気になれば、風穴くらい開けられる。なんとなれば、飛翼の法で飛んで脱出もできる。

 しかし、ことここに及んで、フリエは人間の善性を信じていた。


 そうでなければ。

 そうでなければ、……。

 ――私達は、人の心に、弄ばれたということになる。

 その現実を受容するには、――汚い現実を腹に収めるには、フリエはまだ若すぎたのである。


 フリエは静かに、ただ、雌伏して待った。

 いつかこの苦痛が終わる時が来ると信じていた。

 それは、エルフが信仰する光の女神、フィオーリアへの信奉というよりは、むしろ。

 ――人を信じる、などというまやかし。ありもしない空想にすがり、己の暗い未来から逃げ続ける、遠回しな破滅願望にも近いものがあった。


「やあフリエ。今日こそ、私にその力を貸してくれるね」

 じっとりと重たく、砂利を飲んだような濁声が、鉄扉の向こうからした。

 のぞき窓から見える、おぞましい、欲望で濁った目。

 恰幅が良いほうだが、けっして、意味なく贅肉でブヨブヨとしているわけではない。

 嫌な男であるが、同時に、統治者としては理想的であろうことは、フリエは認めている。


 だが。この男の恐ろしい野心だけは、腹に据えかねる。

 フリエは気丈にそれを睨んだ。

「魔法があれば、私の領土はもっと広がる、国取りも夢ではないだろう――ッ!」


 それが、この男の。

 タジラードという男の「夢」なのだろうか。


   ✧


 師匠ザックの時間稼ぎも長くは持たないだろう。

 彼女の言う時間稼ぎとは、仕事の時間を稼ぐというよりは、無茶な仕事を切り上げて早々に脱出するための行動を指している。

 すなわち、退路の確保、それがザックの目的だ。

 それが終われば合図が上がる。それをわかったうえで、ラグは「大きな音と光を発する道具」を渡していた。


(猶予は四半刻(およそ三十分)くらいだろうな)

 ラグはそう推測する。

 塔は螺旋階段を描いている。登る側が剣を振りにくいように、時計回りに登る作りだ。常に右手側に塔の柱があるので、右手で剣を抜くとなると、つっかえてしまうのである。

 ラグは盗み刀シーフソードは使えないと判断する。状況によって、刺突に限れば、使えるかもしれないが――。

 その塔の最上層。

 分厚い鉄の扉があった。

 ラグはその扉の前に立っている男を見やる。恰幅のいい紳士然とした男だ。

 すばやく鈎爪ナイフを鞘から抜き放ち、


「おおっと、よしてもらおうか」

 その男の影から、一人、痩身の男が現れた。

 がぢっ――と、刃と刃がぶつかり火花が散る。


「なっ、なんだっ!」紳士然とした男が、上ずった声を上げて後ろへ数歩、たたらを踏んだ。

「タジラードの旦那、下がってくれませんかねえ」

 痩身が言う。種族は猫系の獣人である。精悍な顔つきは、猫特有の丸みのある顔立ちであってもわかった。

 猫は猫でも――こいつは、豹。黒い毛皮の、殺人豹だ。

 歳は三十すぎくらいだろうか? 右目が刀傷で歪に潰れているせいで人相が悪い。しかもその傷というのは、


「鋸引き刑でも食らったのか?」

「ああ、この目か。まァ、勝てたら教えてやるよ」


 おそらくは――タジラードが護衛で雇っている殺し屋だろう。

 ラグは素早くナイフを振るって、切り結んだ。

 小刻みに払い、突き、切り返して喉。

 が、痩せた男はそれをことごとく、己のダガーで弾いて、巧みにいなす。


「へえ」

 黒豹の殺し屋が笑う。

 足をこちらへ踏み出し、ラグの股の間に膝を差し入れてくる。

(払う気か)

 痩身の豹獣人は、差し込んだ右足を外転、ラグの左膝を払った。

 貝をこじ開けるかのごとく、ラグの足が開く。


「足元を留守にしちゃあ、二流だぜ、坊主」

 体が泳ぐ。そこへ、するどいダガーの突きがせまり、

 ――ラグは、あえてその場で、崩れ落ちる。

 真後ろへ体が倒れた。突きは、ラグの顎先をかすめるも、傷はない。

「やるぅ!」男は素早くダガーを逆手に持ち替えて、真下に、突きおろした。「捌いてみろ!」


 ラグは項と肩で床を噛むようにして支えて、その場で身を捩った。まるで、舞台で派手に踊る軽業師のように。

 ぐるりと回転、左手で地面を掴んで、両足をぶん回して獣人の殺し屋を蹴り飛ばす。

 右、左の蹴りを、しかし、豹の男はすばやく肘でブロック。


「マジかよおい、完璧、崩したんだがな」

 わらっている。この殺し屋、只者ではない。

「なるほどなあ……。ガキの面だが、そういうことね」

「お前は……――っ、と」


 ラグは男の前蹴りを体をよじり、勢いを流し、数歩下がった。


「咄嗟に身を……おいおい、こいつぁやるね。戦うために生まれてきたみたいじゃないか」

 おどけるように、男は体をよじるようにして、ブラブラさせる。

「そうやって体を捻ったりして、正中線きゅうしょへの直撃を避けてるってわけだ。それにそのナイフ。……竜鈎組りゅうかぎぐみだろう? そうだろう?」


 ラグはわずかに頷いて、

「そういうお前は、〝黒血こっけつやいば〟だな」

「正解」

 べろり、と舌を出す男。

 その舌には、「口外封じ」の呪印が焼き捺されている。

 黒血の刃。彼らはいわゆる殺しを専門とする闇の組織だ。

 暗殺を主とし、過去には、東の帝国、その皇帝暗殺までやってのけたとんでもない連中である。


「はっ」

 黒血の刺客が腕を薙ぐ。

 ラグはかがみつつ全身、男に肩から突っ込んでタックルを決めて、壁に打ち付ける。

 男は「げはっ」と肺の空気を絞り出し、衝撃でダガーを落とした。

 が、すかさず。

「いいねえ、骨のあるやつは好きだぜ!」


 素早い膝蹴りが、ラグの脇腹を二度、三度と打った。

 が、意地でもナイフは手放さない。

 男はラグを抱き込むようにして、今度は、対面の壁へと叩きつける。

「くれよ、その竜のナイフを」

「くれてやるわけねえだろ!」


 ラグはぴんっ、とナイフを振った。

 が、男は後ろへ背を曲げて回避。まるで跳ね橋のように体を反らせてから、両手を使って、後ろへはね飛んでいく。

 その、痩せ男の左頬に。

 切り傷がぱっと走り、開いた。

 血が溢れる。

「おいおいマジか、俺が手傷を……」

「大した自信家だな」


 言いながらも、ラグは彼我の実力差に絶望感を禁じ得なかった。

(くそっ、こいつ、強い)

 相手は、明らかに加減している。本来の実力の、三分の一も出ていないのではないか。


「殺すには惜しい」豹の男は血を舐めつつ、目を、じろりと向けてきた。「名は?」

「自分から名乗ったらどうだ」

「へへっ、そうだな。だが、口外封じで実名は言えねえからなァ……そうだな、ブラッド、なんてどうだ」

「……ラグ、だ」


 男は足元に転がるダガーを蹴り、跳ね上げたそれを空中で掴む。

「旦那」

「なっ、なんだ?」

「潮時だぜ。竜鈎組りゅうかぎぐみに目ェつけられちゃあ俺らも動きにくい」

「ふざけるな! 貴様らにいくら払ったと思っておるか!」

「いやあ悪いね。俺にそれを決める裁量はねえんだわ。末端の刃物だぜ、俺ァ。刃物に意思とかあったら気持ちわりいだろ?」


 ブラッドは、頬から垂れる己の血をじゅるりと舐め取る。

「けど個人的に、あのガキは気に入った。ラグ。互いに生きてたらまた遊ぼうや」

「……手打ち、ってことでいいんだな」

「ああ。お頭の命令なしに、お前らとやり合うのはまずい。お前もだろう?」


 ラグはナイフをしまった。

 向こうも、ダガーを収める。


「おいっ、貴様! 職務放棄だと!」

「バカ野郎が」ブラッドの声が、どすの利いた、すこぶる恐ろしい絶対零度のそれへと変じた。

 場数をいくつか踏んだ、ラグでさえ、恐ろしさで足が凍りついて動けなくなる。

 さっきまでの、ひょうきんな空気は、完全に失せていた。

「黒血には黒血の掟がある。盗人には盗人のな。下手うちゃ、戦になるぜ」


 ラグは黙っていた。

 すべて事実だからだ。

 竜鈎組りゅうかぎぐみに、ルシェ・フルミラ・ノルシェールという守護竜がいるように、黒血の刃にも竜の盟主がいる。

 竜同士が、互いの加護を持った代理人を立てて争う。

 つまりそれは、凄まじい規模の抗争を、いくさを意味している。


「ラグ」ブラッドが、妙に落ち着いた声で言いながら、歩いてくる。

 去るつもりなのだろう。

「エルフの嬢ちゃんを頼む」

「……わかった」


 ブラッドは「じゃあな、いい小遣い稼ぎになったぜ」と言いながら去っていった。

 あの男も、プロなのだ。

 だから、不要な殺しはしない。

 それだけのことで、――そしてやはり、つくづく人の心を持った男なのだ。

 エルフを案じる心もまた、確かに――。


「くそっ、くそっ、なんだこのっ、くそぉっ!」

 タジラードが、子供のように地団駄を踏む。


「私が、いくら払ったと思っている! 莫大な献金でのし上がり、民を思わばこそ、力を欲したのだ!」

「それで他の誰かを虐げたのか」

「お前も同じだろうが! 竜鈎組りゅうかぎぐみといえば、目的のために、平然と人を殺すのだろうが!」


 そうだ。ラグもそういう、「奪う側」なのだ。

「ああ。そうだ。だから別に、舌戦でお前を言い負かす気なんかない。殺したよ、たくさん殺した。だから、それがなんだって言うんだ」

 ラグは一歩、また一歩とタジラードに寄っていく。

「よせっ、よしてくれ! しっ、しにっ、死にたくないっ!」


 ラグは右の拳を握り込んで、そして、思い切りその頬桁を殴り飛ばした。

 もんどり打って、壁に叩きつけられるタジラード。まだなにかブツブツ言っているが、無視して、鍵束を取り出した。


「正義も偽善も、俺には、よくわからんが。お宝には興味がある」

 あとは、そのエルフを盗む助けるだけだ。

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