第2盗 侵入
ノルスコーグ王国の東端にある鉱山、グリモンズ鉱山。
その麓を中心に、八年ほど前、土地と一緒に鉱山の経営権を手に入れた地主がいる。
男の名はタジラード。ロード・サイモン・ドゥーノ・タジラード伯爵。
豪農上がりの次男坊で、膨大な献金で貴族の爵位と土地を手に入れた男だ。
ラグは当然、その程度のことは調べ上げていた。
だが、一回の労働者として怪しまれず懐に潜り込んだ手前、訳知り顔をするわけにはいかない。
なので、やや癪ではあったが、世間を知らぬ若者という面で切り抜けるしかない。
が、しかし、現場ならではの情報もいくばくか手に入った。
一つはタジラードは噂に違わず儲けているということ。
一つは圧政を敷く典型的な悪徳地主ではなく、一定の免税や、土地に住まう上での優遇を行う「いい領主」であること。
一つは、その一方で酒色にふける悪癖があるということ。
諸々を勘案し、ラグは「誓約」と照らし合わせた末、タジラードは
彼は不必要なほど富を占めている。であれば少し分けてもらい、貧しいものに配るのが吉だ。
むろん――シーフとしての権利も忘れていない。多少の「手間賃」は差っ引くが、それは許された範囲でだ。
八ヶ月前、ラグは師匠を失った。
ある仕事でしくじり、敵地で、その正体を悟られぬように、爆薬を加えて顔をふっとばして自害したとのことだった。
二の舞いにはならない。
――俺は、盗賊王になる。
ラグは馬屋でシーフの装備――竜鈎の盗人装束一式――に着替えると、少しのハプニングはあったが、問題はないと判断。
遺体は朝には見つかるだろうが、どのみち、その頃にはおさらばしている。
麓のセルファ村を迂回しつつ、丘を登り、前方を睨んだ。
タジラードの屋敷が見える。
物見用の
屋敷の面積は、成金趣味と言ってしまえばそれまでだが、やはり随分と広いものである。
二階建ての白亜の居館は青い月明かりを浴びて、さながら、神話の氷の魔女の城――その威容がごとくそびえる。
今の時期ならその心配もないが、冬になれば、雪の掃除が大変そうである。
居館の屋根は、鱗状の材質である。
(あれは……いや、本物の竜鱗じゃあないな。レッサードラゴンあたりの鱗か?)
竜モドキとも言われるレッサードラゴン、ないしは、狩猟対象となる準竜種族のワイバーンのあたり鱗だろうか……?
だとしても、並の素材ではない。
この大きさの屋敷の屋根材とするには、莫大な資金がいる。
(相当、儲けているんだろうな。期待できる)
屋根材はいいとして、やはり、その形状は積もった雪の重さに耐えられる工夫があった。
雪が自重で滑り落ちるように、やや角度をつけてある。
居館の二階の周りには欄干が備えられた外廊がみられる。
二階の西側のとある部屋には、まだ、ろうそくの火が見えた。火の漏れ具合からして、窓が開いている。
(あそこから入れそうだが……)
植え込みは綺麗に刈り込まれている。常日頃、庭師に仕事をさせているのだろう。編み込まれたアーチや、噴水、そこから引いた水路がいちいち美しく精緻だ。
見回りがたむろする欄干がある。そこはちょっとした池に面していた。
異変を報せる鐘楼がいくつかあるのだが……やっかいだ。
バレたら終わりと考えていい。
見回りの装備は質のいい鋼の剣。中には小型の仕掛け弓(クロスボウ)を背負っているものもいる。
まさか鉄砲なんか持っているやつはいないよなと思った。
昨今巷を騒がせている鉄砲は、火打ち石の原理で火薬に着火し、ずどんとぶっ放すものだ。
音が大きく慣れてない馬がすぐに怯えたり、質が悪い火薬の暴発リスク、湿気って使えないなどの問題もある。
しかしそれを補って有り余るほどの攻撃力が、たしかにあった。
装備の質は、概ね鋼の剣とクロスボウだろう。
鉄砲まで配備していないとは言い切れないが、――少なくとも、表立ってバンバン撃つとは思えない。騒ぎを起こして、中央から目をつけられたくはないだろう。
最悪金でもみ消すということも考えられるが、ノルスコーグ王家だって、馬鹿ではない。
(しかし、見回りが多いな)
しかもそいつらは屋敷の警備という風采ではない。
雇われたならず者。いわゆる、傭兵のようななりだ。
侵入者を「追い払う」のではなく「殺す」ことを命じられていても、おかしくない。
が、それだけ厳重かつ過剰に守るということは、とびきりの金銀財宝が眠っている、動かぬ証拠でもあった。
(たまんねえな。
ラグはシーフの本性を燃やしつつ、遠眼鏡をしまうと、小高い丘から駆け出す。
屋敷の周辺には漆喰で塗り固めたレンガ積みの塀が築かれている。
ラグは背負っていた
長い下げ緒を腰のベルトに結びつけて、刀を塀に立てかけるとそれを足がかりにし、ひょいとレンガ塀を登る。
そうして下げ緒を手繰って盗み刀を回収すると、ラグはタジラードの屋敷へと潜り込んでゆくのだった。
植え込みの陰に隠れつつ、ラグはすぐ目の前を通っていく男を見、
(ここで死体を作るのは上手くない)
と判断。あたりに隠そうにも、血で居場所を知られたくない。
なので背後からさっと組み付いて羽交い締めにし、抱きすくめるようにして頸動脈を締めて気絶させる。
気を失った見張りを茂みの中に押し込んで、ラグは先へ進んだ。
前方左手の池。あれをショートカットできれば居館まですぐである。
篭手には、展開式の水かきが装備されていた。これを使えば素早く水をかいて進めるのだが。
(水浸しでの潜入は避けたい)
では、水蜘蛛を使うか。
水蜘蛛とは、革の浮袋と組み立て式の竹で作る、即席の
(見て下さいというようなものだ)
ピッキングにはちょうどいい月明かりも、こと、池を渡るにはあまりにも明るすぎる。
ラグはすぐに考えを組み直す。
(いつもの手だ)
ラグは茂みを、音をなるべく殺しつつ出ていく。
そうして、一人、眼の前の見張りを絞め落とし、茂みに隠した。
あたりを、匂いと、音で探る。
青々とした葉の匂い。土の香り。
人と――番犬の体臭。
ラグ自身の体臭は、しかし、完全に牛馬とその馬屋の臭いである。そのために、馬に長々と装備をくくりつけて、臭いを移していたのだ。
人の匂いに敏感な番犬対策くらいはしている。
屋敷内では却ってこの臭いが大敵となるだろう。
(中なら死体を隠す手立てはいくらでもある)
やはり、そのように、つくづく命を勘定する。
ラグはさっさと足を動かす。
眼の前に鐘楼がある。見張りに異常を報せる鐘だろう。
四方を見渡せるように板や仕切りのたぐいはないが、屋根を支える柱がある。
屋根は、冬の時期に雪が積もって、その重さで潰れない工夫があった。鋭角に作られており、雪がすぐに滑り落ちるようになっているのである。
この国だけでなく、北国ならば、どこででもみられる創意工夫だ。
ラグのような盗人が屋根の上に飛び乗ることを防ぐ――というより、とにかく、雪という自然の脅威への抵抗だろう。
ラグは鐘楼のそばまで来ると、上をみた。風下に回り、鼻を動かす。
当然だが、人の匂いがした。喉を潤すための酒の匂いもする。
仕事中に酒を飲むというのは、実を言うと、この時代ではそこまで不真面目な話ではない。
むしろ、アルコールで殺菌されているという意味では、酒というのは比較的安全な飲水でもあるからだ。
まあ、その酒の匂いが、命取りになるのだが。
静かに、しかし、悠長にはできないので素早く登る。
上には人がいる。
ここならば、まあいいだろう。
ラグは背後から男の口を抑え込んで、頸動脈を締める。
このとき、後ろへ首を引っ張ると、ぎゃくに気道が開いて気絶効果が薄い。むしろ、前へと抱きすくめるように絞め落とすのが効果的なのだ。
抵抗もできずにすとんと気を失った男を寝かすと、そいつが巻いているベルトを抜き、それで手足をふん縛った。
口は、男の衣服を破ったもので縛っておく。鼻まで塞がない。
起きたときに鐘を鳴らされたら困る。
ラグ自身は、殺しをなんとも思わない。
なんとも思わないが、竜の爪に裂かれるという末路を恐れている。
馬屋の女も、本当ならば無理に殺す必要はなかったのかもしれない。
――俺がやっていることは。これは、いったい、なんなのだ。
ときどき、ふとした瞬間に、脈絡もなくそんな迷いの声が浮かんでくる。
自分はこういう生き方しかしらないし、できないのだから。
そういうふうに、物心ついたときには育てられていたから。
――そうだ。俺は生まれながらのシーフだ。今更迷うな。
――ルシェ姫様のために、あのひとのために、盗賊王になるんだろ。
自らを騙すように、あるいは、美しい守護竜の笑顔を思い浮かべて奮起した。
――ええ、きっと。
ルシェの声が、今もまだ。
――やるぞ。
そう胸の内で言い、ラグは腰に巻き付けてある鈎縄を取り出す。
そこには、竜の爪のように、三つ指の鈎爪が備え付けられてある。
くるくる回して遠心力を加えると、前方の、居館二階の欄干へと投げて引っ掛けた。
ラグは鈎縄の反対側を上手く鐘楼の手すりにくくる。反対側にはちょっとしたかけがあった。
ラグは縄の上を走った。縄歩き、縄走り。それは、ラグが所属するシーフ団ならば誰もができる技である。
あっという間に闇夜を、月明かりを吸い込む盗賊装束が駆けた。
地上で警備を行う連中も、まさか、頭上をわかい男が縄を飛ばしてその上を走っているとは、夢にも思っていない。
ラグは居館二階の外廊へ降りると、鉤縄の爪の一本をつまんで、ねじった。
すると鐘楼側の「仕掛け」が動いて、結んだ縄が簡単にほどける。
そうして鈎縄を回収すると、ラグはテラスから歩を進めるのだった。
(不用心に窓を開けているところがあったな)
ラグの狙いはそこである。
たしか、西。
この外廊を時計回りに回っていけばいいだろう。
外廊にもやはり見張りはいた。
匂いと音から察するに、進行方向には二人いる。
しかも――おそらくだが、ペアで行動している。
ラグは、鈎爪のナイフの鞘を払う。
光を吸い込む、鈍い、黒鉄色の鈎爪。それは、竜の鈎爪だ。
等間隔に並ぶ柱の陰に隠れた。
「タジラード様も、随分とあれにご執心だな」
「あれって?」
「お宝さ。俺もよく知らんが、なんなんだろうな? まさか、幼竜でも飼ってるのかな」
「なんで、またそうおもう?」
会話が聞こえた。
「知らんのか? たびたび、
「ひょっとして、どっかのお姫様か?」
「怖いこと言うなよ」
そばまで来た。
ラグは飛び出しざま、右逆手に握っているナイフで男の喉を掻き払った。
そして、その左後ろを歩いている男が声を出す前に、左手に手挟んでいる銑鋧を放つ。
鋭い、四インチほどの鋭い鉄棒が、男の右目と喉に二本ねじ込まれる。
よほど的確だったのだろう、銑鋧は脳を潰しており、そして、頚椎を、その神経を貫いていた。
二人がほぼ同時に倒れる。
ラグはナイフの血を斃した男の衣服で拭い、鞘に戻す。
(お宝ってのは珍獣のたぐいか……?)
さすがに、生き物を盗み出すのは少々骨が折れるところである。
(まあ、どんな生き物がいるか、その〝情報〟だけでも価値はある)
シーフが尊ぶのは金銀財宝だけではない。
情報もまた、非常に有益な「財源」なのだ。
足早に西の、窓が開いている所まで来る。
ラグは、己が引き返せない、仕事の折り返し地点を踏み越えようとしていることを、強く実感していた。
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