竜鈎のテューヴェネ ― 盗み手ラグ ―
三河蕾花(筆刀斎)
第一章 盗み手ラグ
第1盗 盗み手
――俺は、盗賊王になる。
そういうと、決まって周りの大人達は笑った。
餓鬼の戯言だとか、夢ばかり見るなとか、まずは修行をこなせとか。
けれど。
あのひとだけは、笑わなかった。
――盗賊王ですか。ぜひ、なってください。私のために。
そのひとは、人ではなくて、竜なのだけれど。
誰よりも――誰よりも、少年のことをわかっていた。
――ルシェ姫様。ルシェ姫様。
まだ、七つほどの少年が、美しい月白の竜に声を掛ける。
竜は、女の姿を取っていた。すらりとしている、美貌の竜の女である。
――どうされました?
――俺は、ルシェ姫様に、すっごいお宝を盗ってくるよ
少年は、無邪気に言う。
――さあ、何を盗ってきてくれるんですかねえ。
――それは、きっと、きらっきらの、宝石。
――すごい。欲しいです、それ。
――だから、見守っててね。盗賊王になるまで、なってからも、きっと。
ルシェは微笑んだ。
ほんとうに、嬉しそうに。
――ええ、きっと。
彼女の笑みを盗みたい。
幼いながらに少年は、――ラグはそう思った。
きっと、自分が欲しいのは。
盗賊王になって手にしたいのは。
たった一人。ルシェ姫様の笑顔なのだろう。
第1盗 盗み手
ラグが日雇いの鉱山労働を終えて酒場「
うだるように暑い夏のこと。八月の頭であった。
北国のノルスコーグ王国と言っても、流石にこの時期は堪える。
着込んでいるのは粗末な麻の労働服。汗を吸って、そして、泥と埃で黒ずんでいる。牛のように臭い。
まさに出稼ぎ労働の風采だ。村の馬屋には、一頭の馬が預けてある。
死んだ父の形見、と言ったら、馬番が羨ましがっていた。
ラグは、黒茶色の髪に、銀の目をしていた。北部ノルスコーグ人に見られる特徴である。
顔立ちは、着飾ればそれなりというところだが、決して高貴な雰囲気などは望めなかった。
実は高貴な生まれである、なんてことはない。実際、彼は今は名も忘れられた辺境の出身なのだ。
たまたま、ちょっとだけ容姿に恵まれているだけの、十七の餓鬼である。
「酒。混ぜものじゃなきゃなんでもいい」
ラグは酒場の給仕にそう言って、適当に空いているカウンターへ向かう。
煌々と照らされるろうそく。弾ける肉の匂い。酒と、労働者の汗の
ラグは黒ずんだ茶髪をまとめていた紐をほどいた。
「氷の魔女に鉄槌を! 竜爪が猛り唸りて、竜翼は疾く翔ける!」
酒場には、朗々たる吟遊詩人の歌と、リュートの音色が響いていた。
カウンターまでの人いきれはなかなかのもの。
ここ、タジラード伯爵領のセルファ村は小さいとはいえ、鉱山の麓だ。
土地に暮らすもの、流れ者の労働者に、あるいはその用心棒、冒険者など。
客層は入り乱れ、非常に混沌としている。
前方から、商人であろう身なりの良い男が歩いてきた。仕立てのいい黄色い服を着た男だ。
酔いが回っているらしい。吟遊詩人の朗々たるバラッドを聞きながら夢見心地の顔である。
「おいおっさん、気ぃつけろ」
商人が、労働者のがたいのいい男の肩にぶつかり、よろけた。
「おっと、とっとと」
「おいおい」ラグはそっと、男の肩もとに手を添えて、流れるように避けた。
「大丈夫か?」
言いながら、ラグの右手が微動する。
その瞬間、わずかに、彼の手元から金色の照り返しが見えたことに――誰が気づいただろう?
「おお、失礼、すまんね。支えられるほど、酔いが回ったかな……」
「いや、俺の方こそ済まない。泥がついてなきゃいいが」
「そんなこと、気にせんでいいよ。めでたい日だから」
「めでたい? 何かの祭日か?」
ラグは生まれも育ちもこのノルスコーグである。だが、ここでは各地で異なる、様々な催しがある。同じ国民でも、住む地域が違えば、知らない文化と出くわすような土地であった。
「いやあ、私が、だよ。商売がうまく行ったんだ」
そういうことか。
もう一枚せしめてやろうか。
そう思ったら、商人が「うおぉ〜、いざ吹かん、焦熱たる竜の息吹を〜」と、ガチョウのような声で歌い出す。
「……しかしいい歌だな?」
ラグは、商人風の男に言った。男も頷く。赤ら顔で。
「君もそう思うかね。だろう。こんな場末の酒場で、いい歌を聞けるとは」
確かに素晴らしい、太く声量のある喉を持つ吟遊詩人だと思った。
歌っているのは、このノルスコーグ王国では定番の、「氷の魔女フロクス」というもの。
いにしえの時代、この地を支配していた悪しき氷の魔女を、竜がやっつける。そうして人と竜が平和に暮らす、概ねそんな歌だ。
「つい、酒もすすむ」
「景気が良さそうだ」
ラグはカウンターでジョッキを受け取った。
「ああ。鉱山経営がうまく行っているらしい。タジラード殿は金払いがいいからね。商品が他の土地よりいい値で売れるよ。かれこれ一、二年はここで稼いでる」
ラグはエールを呷った。
しっかり酒の味がする。
なるほど、景気が良いというのは本当のようだ。水が混ぜられている気配はない。
「地主殿はそんなに稼いでいるのか」
「らしいね。もとは農家の次男坊だったとか。豪農ってやつさ」
だんだん、商人の口調は嫉妬ややっかみを帯びてきていた。
「羨ましい限りだよ。私も献金で爵位と土地を買おうかな」
「はは、そしたら、俺はそこでまた日雇いで稼がせてもらおう」
ラグは冗談を飛ばして、微笑んだ。
商人の男は眠たげな顔で曖昧に頷くのだが、すぐにダウンして、その場で居眠りを始めた。
「おいおい、起きろって、おっさん。ほら、身ぐるみ剥がされるぞ」
隣の労働者が商人をゆすったり、頬を叩いたりした。
商人は「もう食えん……」と間抜けな返事をする。
「ったく、タジラードの野郎に骨を抜かれたな」
どういうことだろうか。
ラグも、商人を助けるふりをしつつ、しれっと、二枚目の金貨をスッている。
「骨を? 男同士で、そういう趣味があるのかい」
「いや。タジラードは筋金入りの女好きさ。女、酒、金。そりゃあもう酒色に耽っているそうだよ」
労働者はそう言って、日頃の鉱山労働で鍛えている体で商人を担いだ。
「ったくもう。けどまあ、免税だなんだって良くしてくれるのはいいんだがね。……金持ちは気楽でいいや」
そう言って、男は商人を空いているベンチへ寝かせてやるのだった。
「なるほどね……」
ラグは、この状況に天運が巡ってきたと感じた。
「ルシェ姫様への土産にも困るまいよ」
何気なく、そう呟いた。
あの竜のお姫様は、絵に書いたような竜の権化というか、お宝が大好きなのだった。
だからこそ。
その笑顔を。
「盗賊王……」
果てしない道だ。
シーフなら、誰もが憧れる称号である。
しかし歴史上、この地域で盗賊王を名乗ったものは、いない。
(だから、俺が最初の盗賊王になるんだろ)
そうだ。
そのためにも、
――ここからは、本業をやらせてもらおう。
「おいあんた、もう行くのか?」
「酒は好きだが下戸でな。風に当たるよ」
ラグは一杯しか飲んでいない。下戸というからには、たったの一杯で酔うとはよほど酒に弱いと見える。
無論、大嘘だが。
彼は、すでに宵が西から回り込みつつある空を睨んだ。
夜が来る。常闇の夜が。
夜と闇は、そしてときにそこに凛冽と輝く月は。
――俺達
村の入口に設えられてある馬屋にたどり着く頃、すでに、夜の気配が支配を強めていた。
馬屋の連中は家屋に戻っている。
馬屋の一角には、奉公に出てきた子供が藁にくるまって寝ていた。
ノルスコーグは、公式には奴隷身分を認めていない王国である。公には、対外的にもだが――奴隷というものを認めてはいないのだ。
だがその制度は名を変えて存在している。
奉公、下人。露骨には奴婢とも。
言い方は色々ある。
国は違えど、どこも、同じようなものだった。
ラグは馬屋に預けている己の馬を撫でた。
立派な青鹿毛の軍馬である。到底、日雇労働の若者が持てる馬ではない。なので、周りには死んだ親父の形見、で通していた。
が、これはれっきとした、ラグの愛馬だ。
「もうちっと待ってろ。ちょいと、仕事をするんでな」
ぶるるる、と馬が低く鳴いた。
くくりつけてある荷物袋から、仕事着と道具を取り出してさっさと装備していく。
その手際は随分と早い。慣れていると見えた。
月明かりの反射を防ぐため、艶消しの加工を施した黒い革の軽鎧を装備し、雑多な道具類を取り付けたベルトを巻いていく。
ベルトには棒手裏剣――
それらをコンパクトに、かつ、スマートに装備して、平素と変わらぬ動きをする。
それが、ラグが所属するシーフ団の鉄則だった。
最後に、
「あ、っ」
そこへ。
女の声。
見られた。
――不運だ。申し訳ない。
ラグの判断は一瞬で済んでいる。
影のごとく、音もなく女の眼前へ移動する。
ラグは、彼女が甲高い悲鳴を上げる前に、喉に鈎爪のナイフを突き立てていた。
ぞぶり、と刃先が肉を裂いて、頚椎を砕く。体ががくがくと振動した。目がぐるぐる回って、細い悲鳴を漏らす口元を革篭手をした左手で抑え込む。
股の間から、茶色い糞と尿の汁がぽたぽた垂れる。
刃を引き抜いて返り血が吹き出す前に、そのままさっと抱えて馬屋のわら山に押し込み、ナイフで喉をえぐり、さらに鎖骨の間と、左胸――肋骨の隙間から心臓へとナイフを突き刺す。
都度、体が跳ねる。悲鳴を上げようとするのを、抑え込んで、止める。
そして最後に脾腹、下腹部と刺し確実に絶命させた。
そうして女の衣類でナイフの血糊を拭うと、わら山で埋めて、耳をそばだて、鼻を利かせる。
となりの仕切りの向こうから、子供の寝息がずっとしていた。
呼吸に乱れや、取り繕う様子はない。
死体を二つ作る必要はないようだ。
ラグはやはり、冷たい計算を弾き出すと、その場をあとにした。
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